ハロルド・ピンター氏が亡くなった。
劇作家としての輝かしい作品へ多くの人が賞賛を贈った。一部の人は、ピンターの芸術作品と言論人としての発言を切り離して考えようとしていた。「生活と社会の真実を捉える」義務感からの発言は、同じ意欲で作られた芸術作品と同じ質のものだと、彼らは思わなかったようだ。物議を醸した発言は権力に対して発せられた。ごく正当な批判だった。
そのピンターは「何も起こりはしなかった」と繰り返す。アメリカが中東・中米侵略をしても、世界はその事実から目をそらしている。完全な記録があるのに、誰もそれを話題にしない。事実が都合の良いように取り上げられる。目の前で起こっていることが無かったことになってしまう。南京大虐殺の事実も同様だ。
原作は読んでいないが、「金襴緞子の帯締めながら」という別役実の劇作品を観た。殺人事件が起こりながら、殺されたはずの当人がひょっこり出てきて、殺人事件が有ったか無かったか分からなくなり、別件の泥棒話に話題がすり替わる。確かにそこでは、結婚式も殺人事件も泥棒話も疑わしい。何かが起ったが、起こらなかったことになってしまう不条理な過程が描かれている。
「無かった」ことが「有った」ことにすり替えられる事態もある。疋田桂一郎記者の「ある事件記者の間違い」という報告を読んだ。殺人事件がでっちあげられ、拡大される過程を報告している。死亡事件が警察によって殺人事件にすり替えられ、報道がそのメガホンをとり、司法が冤罪に近い判決をしてしまった過程の検証記事である。現在も冤罪はなくならない。
ピンターは2005年のノーベル賞作家でもあるが、彼の遅すぎる受賞の記念講演を、イギリスBBC放送は報道しなかったらしい。「無かった」ことにしたのだろうか。さすがにピンター死去は繰り返し報道している。彼の生まで無かったことにはできなかったようだ。
劇作家としての輝かしい作品へ多くの人が賞賛を贈った。一部の人は、ピンターの芸術作品と言論人としての発言を切り離して考えようとしていた。「生活と社会の真実を捉える」義務感からの発言は、同じ意欲で作られた芸術作品と同じ質のものだと、彼らは思わなかったようだ。物議を醸した発言は権力に対して発せられた。ごく正当な批判だった。
そのピンターは「何も起こりはしなかった」と繰り返す。アメリカが中東・中米侵略をしても、世界はその事実から目をそらしている。完全な記録があるのに、誰もそれを話題にしない。事実が都合の良いように取り上げられる。目の前で起こっていることが無かったことになってしまう。南京大虐殺の事実も同様だ。
原作は読んでいないが、「金襴緞子の帯締めながら」という別役実の劇作品を観た。殺人事件が起こりながら、殺されたはずの当人がひょっこり出てきて、殺人事件が有ったか無かったか分からなくなり、別件の泥棒話に話題がすり替わる。確かにそこでは、結婚式も殺人事件も泥棒話も疑わしい。何かが起ったが、起こらなかったことになってしまう不条理な過程が描かれている。
「無かった」ことが「有った」ことにすり替えられる事態もある。疋田桂一郎記者の「ある事件記者の間違い」という報告を読んだ。殺人事件がでっちあげられ、拡大される過程を報告している。死亡事件が警察によって殺人事件にすり替えられ、報道がそのメガホンをとり、司法が冤罪に近い判決をしてしまった過程の検証記事である。現在も冤罪はなくならない。
ピンターは2005年のノーベル賞作家でもあるが、彼の遅すぎる受賞の記念講演を、イギリスBBC放送は報道しなかったらしい。「無かった」ことにしたのだろうか。さすがにピンター死去は繰り返し報道している。彼の生まで無かったことにはできなかったようだ。
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