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投稿

父と暮らせば

「こんどいつきてくれんさるの?」 「おまい次第じゃ」 「しばらく会えんかもしれないね」 こういうやりとりの後、竹造は美津江のそばを離れていきます。 井上ひさし 『 父と暮せば 』の最後の場面です。 美津江の中では、幸せになってはいけないと思う自分と、幸せになりたい自分が戦っています。戦火から生き永らえたため、原爆で亡くなった人に後ろめたいと思う気持ちが邪魔をして、自分が恋をしているのを必死に否定しています。 そんなとき、原爆で亡くなったはず美津江の父親が出現してきて、この物語が進行していきます。 甘酸っぱい恋をするときに、人はよくこころの支えになるような何かが必要になります、あるひとつの曲であったり、匂いであったり。そして音楽や匂いが必要になり、十分な役割を果たした後に、それらはさも何ごともなかったように記憶から消え去っていきます。 あの大震災のときに、誰からともなく支援と行動が湧きだしてきて、何かしらの役に立った後に、人はまたそれぞれの日常生活に戻っていったように。 竹造は自分で言うように、そんな「応援団長」です。そばにいて励まして背中を押しながら、叱咤激励をしてくれます。それが父親であろうと、恋人であろうと、友人であろうと構わないもので、またこの作品のように、生きている人でなくてもいいのかもしれません。葛藤が解消し、用が済めば、父親は去っていくしかありません。 美津江が重大な葛藤を抱えながら恋をしている局面で、死んだはずの父が出現し、娘を救い去っていく。こういった英雄譚のようなメタファーは、考えてみたら、時代劇とかドラマとかで頻繁に見られるような王道パターンでもあります。 その時代の人たちがいろいろな葛藤や迷いや悩みを持って格闘しているときに、物語やメッセージやメロディがそばに近づいてきて励ましてくれる、そして時代が過ぎると、過去の思い出になってしまい、記憶の片隅に残るだけになります。 背中を押して助言を与えてくれたり、そばにいて道を指し示してくれるような演劇や音楽・本などにまた巡り会うような予感がしないでもない、きょうこの頃。危機なんでしょうかね。笑。 小津安二郎「父ありき」 ※上の写真はこの文章に何の関係もありません。 なんとなく竹造は 笠智衆 っぽい顔をしているんじゃないかと思っただけという。
最近の投稿

As Tears Go By(涙あふれて)

ブログを放置して、 復活して 、 また放り投げて、 リニューアルして 、 更新を忘れていて… そんな繰り返し。 今後どれだけ更新するか分からないので、 大きな目標も立てず、 気の向くまま、 書きたいときに書いていこうか… と綴りながら、今回は何を題材に記事を書いたら良いのかと考えています。 お久しぶりです。 ぼ〜んと写真を。広島の厳島神社です。 厳島神社 広島に旅行に行ったときの写真です。 もう1枚。こちらは山口・岩国の錦帯橋です。 錦帯橋 旅行といって思い出すのは、大学時代に2、3回行った一人旅ですかね。 北日本や東日本にしか行ったことのないぼくにとって、日本の西の方は憧れだったのです。交通手段は、普通列車だったり、ヒッチハイクだったり、フェリーだったり、自転車だったり。宿泊はほとんど野宿。食事にこだわっていなかったので、各地を回っても名産のものを食べた記憶がございません。カメラも持たなかったので写真も残っていません。 19歳のときの旅では 関ヶ原の古戦場跡 に野宿した記憶があります。はたして安心して眠れたのかは覚えていません。寝付けなくて移動した記憶が残っています。 あ、そうだ、その次の日は、滋賀県の 賤ヶ岳の古戦場 を回りましたね。 そうそう、思い出した。ギターを持ちながら旅していたんだった。ギターを持っているとは言っても、それほど上手ではないので、疲れたらギターを弾いて気を休めていたのですかね。ギターを持ちながら、徳島県の 剣山 に登山までしたのでした。意味の無い行動ですな。 こんな曲を弾いていたような The Rolling Stones  - As Tears Go By  どうしたんでしょう… なんだか、昔を思い出して、懐かしくなって… 「追憶」というのは健康に良いんだか悪いんだか。タイトルに「涙あふれて」とか書いたけど、涙なんて出ていませんから、今。 ここらへんでやめておきましょう。 また旅行について書くこともあるでしょう。

3月11日あの日

いわき市岩間町 3月22日 地震から1年経ちました。 いわき市岩間町 3月22日 そのときは外で勤務中、やけに大きな揺れがずっと続くなと思いました。小学生たちを待機・避難させ、その後外にいたいろんな人と情報交換したり、Twitterなどで情報を収集して、とんでもない事態だったのだなと悟りました。 その日は、自分が率いている演劇の稽古がある日だったので、開催するかどうかもふくめて相談しようとしても、友人たちに電話もメールも通じません。結局中止に。いずれにせよ電車が動いてなかったし。 福島いわきにいる両親や兄にも連絡通じず。夜になって兄とつながり、無事を確認。不安ではあったものの疲れていたので、テレビを見ながら居眠り。次の日テレビやTwitterで、とてつもない津波だったことを知りました。 その後は、Twitterでいろんな人の安否確認や、福島県といわきの情報を仕入れるために奔走。 Twitterの記録から(抜粋) 2011年3月11日 福島いわきの兄貴から連絡あった。兄の家族無事だって。よかった。両親とはつながらないな。 posted at 17:59:48 福島いわきは今も頻繁に余震が続いているようです。両親と連絡がとれてひとまず安心。 posted at 19:40:16   地震後の対応多すぎてかなり疲れた。 posted at 20:40:37 3月12日 実家は福島いわき南部ですが、津波被害もあったよう。小学校・中学校の学区内で床上まで浸水もしくは流されたのがあったらしい。泳いだり遊んだりした砂浜を越えて津波が押し寄せたかと思うと怖い。友人の家も低地にあるし、大丈夫かな。断水なので、明日、水をもらいに行かなければと母親が言ってた。 posted at 23:10:06 祖母と親戚家族は南相馬市なので、原発の避難範囲20キロに含まれた。公的な施設に避難していたというので、きっと移動したと思う。いわきから助けに行きたいけど、原発2つを突っ切る形になるので無理だと母親が言っていた。いわき南部だって安心できない。 posted at 23:15:47 3月13日 いわき情報 #iwaki RT @yuiyasu : @tomogram 漁港付近はコンテナやトラックが転がってた。アクアマリ

走りはじめました

タイトルそのままの通り、走り始めました。 どこを? ー そう、家の近所の公園です。 いつ? ー 夜。 なぜ走り始めたかというと、 近ごろ運動不足で息切れがしてとか… ダイエットのためとか… 東京マラソンをめざしてとか… 全然そんなのではなくて、ただスマートフォンAndroidの健康アプリケーションを試してみたくなったからなのです。 いくつかあったのですが、評判がよかったのと直感でこれにしました。 RunKeeper https://market.android.com/details?id=com.fitnesskeeper.runkeeper.pro 初日 2012年1月30日(月) 距離5.34km 35分43秒 平均8.98km/h これが2日目、3日目、4日目とつづき 今夜5日目 距離8.55km 47分36秒 平均10.78km/h 記録は こちら なんだかどんどん速くなってきている… 本格的になってしまう。 きっかけはアプリを試すことであったけど、目標はどこに据えよう?と考えました。 さて、きのうこんな記事がでましたね。 米フェイスブック「5つの経営理念」、ザッカーバーグ氏が発表 2012年02月02日 14:06 発信地:ワシントンD.C./米国 AFP 5つの理念は ・影響力が重要(FOCUS ON IMPACT) ・素早く動く(MOVE FAST) ・大胆であれ(BE BOLD) ・オープンであれ(BE OPEN) ・社会的価値を築く(BUILD SOCIAL VALUE) これにならって わたしの「5つのランニング理念」 作りました、はい。どうでもいいことなんですがね。 ①無理しない 雨が降ったら休みます。観劇の用事があったら無理して走りません。 ②飲んだら走らない 当然ですね。お酒を飲み交わす機会も蹴ったりしない。 ③アスリートと競わない 速く走る人いるんですわ。つい負けん気を出してしまいがちなので抑えます。 ④速く走ろうとしない タイムがどんどん良くなっているんだけど、それに一喜一憂しない。速く走るのが目的でないし。 ⑤目標はマラソンじゃない これ重要!目標はランニング

ブログ移行しました

ブログ「ささやきは遠音となって」、goo から blogger に記事そのまま引き連れて引っ越ししてきました。 こんどからはこちらから更新していきます!(。・ω・)ノ゙ コンチャ 以下はgooでのお別れの記事 ↓ 長く続けてきましたブログですが、 プロバイダを  goo から blogger に移行します 。 ブログタイトルは同じで、すべての記事も移植し終わりました。 引き続きお読みいただければありがたいです。 新ブログはこちら(blogger版) →  ささやきは遠音となって 新たにブックマークおよびRSSの変更お願いいたします。 bloggerに移行した理由は、 1、TwitterやFacebook、Google+などのソーシャルメディアとの連携がしやすいから (bloggerはグーグルのブログサービスです) 2、ページのカスタマイズがしやすいから こんなとこでしょうか。 たまに引っ越ししたくなるものですよねヽ(●´∀`●) こちらのgooブログはこのままにしておきます。 心機一転、週2ぐらいのペースで更新したいと思います/(^0^)\<フッジサーン

エミリー・ディキンソンの詩

あけましておめでとうございます。 不定期でいつ更新されるかわからないブログではありますが、ちょっとずつ更新しようかななんて思っています。 演劇の公演も終わり、また瞑想・迷走・(名僧?)の時期がやってきました。この冬を乗り切るには、いろんな薪をたくわえておかなければなりませんね。勉強あるのみ。知らないこと・初めて見ることなどに新鮮な気持ちで向き合いたいものです。 というわけで、またいろんな本を読んでみようと企んでおります。 いくつか気になる作家の作品を読もうと思って、まず急にひらめいたのが詩を読むこと。大学生のときは詩ばかり読んでいたような気もします。自分で詩も書いて、出版して印刷し、近い人10人くらいに配布した恥ずかしい思い出もあります。なんであんなことしたんだろ? 前々から好きな短詩というジャンル ♪ ♪ ♪ もし私が一人の心の傷をいやすことができるなら 私の生きるのは無駄でない もし私が一人の生命の苦しみをやわらげ 一人の苦痛をさますことができるなら 気を失った駒鳥を 巣にもどすことができるなら 私の生きるのは無駄ではない ♪ ♪ ♪ エミリー・デキィンソン(中島完/訳) こちらの本から抜粋「 自然と愛と孤独と エミリー・デキィンソン詩集 」国文社 エミリー・デキィンソンは19世紀のアメリカの女流詩人です。すてきな詩を残しています。 参考に ウィキペディア 紹介したブログもあります。 いやしの本棚 。 しばらくディキンソンに取り組んでいこうかなと思っております( ˘ ?˘)? で、おそらく同時並行してプラトンあたり… 吸収吸収、勉強勉強。 がががががあ・・・

葛尾村に墓参り

きょうは祖母の墓参りに行ってきました。原発から25キロ離れた、計画的避難区域の村のひとつ葛尾村。山間部にある村です。地震のために多くの墓が倒れて、その後新しく作った墓にみんなで花をやりに。前にも数十回ここは訪れたことがあります。 全村民いないのですが出入りしている人はちらほら。パトロールしている村民や警察の車とすれ違うことのほうが多いくらい。 途中ネコと出会いました。餌やりに来ているボランティアや村民の話は情報に入ってきています。 葛尾村は20キロ圏内の部分も含み、またちょうど風の通り道だったのか、一部の地区は異常に線量が高いのです。 サーベイメーター持っていきました。 お墓の近く仲ノ内地区は0.5〜0.69µSv/h。 村役場のある落合地区は0.5〜0.7µSv/h。 ちなみに12月28日の線量(11時〜12時)単位はµSv/h 東京都(新宿区)0.05 水戸市 0.07 福島市 0.91 環境放射能水準調査結果(都道府県別)(平成23年12月28日(水曜日)14時00分版) モニタリングポストでは12月28日の線量(11時〜12時)単位はµSv/h 福島市・佐原 0.32 いわき市・大久 0.27 飯館村・村役場 1.86 葛尾村・柏原 6.33 双葉町・石熊 13.77 ( 可搬型モニタリングポストによる福島県における空間線量率(1m高さ) )PFDファイル とりあえず道路が封鎖されて入れないところまで行くことにしました。 柏原地区といって、そこは原発から23キロ地点。 浪江町へ抜ける道路。県内に設置されているモニタリングポストでは常に2番目に高い数値です。役場からは2〜3キロしか離れていません。 福島県出身の駅伝・柏原選手が走っているちょうど同じ時間に、たまたま柏原地区へ行ったことになりますね。 そこへ視察に行く途中の山道を車で走っているときから、線量計はどんどん上昇。 役場近くの外で0.5〜0.7 µSv/h。 車内で数分間走っただけで、1.2→2.0→最終的には3.0 µSv/hまで上昇。バージョンアップじゃないんだから… 柏原地区の道路が封鎖されている分岐点で撮影。外に3〜4分ほどいましたが、値は5.5〜7.0 µSv/h。結構高い数値のようですね。 車内でまた測ると、

お〜い、生きていたかぁ〜

おっと…久しぶりの投稿ですね。 これだけ間を空かすとなるとねえ。どうですかねえ。 今はグルッポ・テアトロでチェーホフ作「三人姉妹」に取り組んでいます。読んでいるぶんには面白い作品なのですが、いざ上演するとなると、しかもこの現代の問題意識に照らしあわせて上演するとなると、いろいろやらなければいけないことが多いんですよね。 でも、役者と協力してうまく進んでいます。老若男女、強力なメンバーです。 三人姉妹ブログのほうも開設しています。 グルッポ・テアトロ「三人姉妹」 ぼくも書いていますし、役者さんも書いてくれますね。ぼくが書くとどうしても堅苦しくて…困ったもんです。 このブログも復活しましょうね、はい。 また、堅苦しいこと書きましょう!ヾ(゚д゚;)スマソ

ことばは教えてくれない

サンクトペテルブルクのボリショイ・ドラマ劇場「小犬を連れた奥さん」を見てきた。芝居の質というか余裕というか、丁寧に作り上げられている芝居は、見ている人の想像を動かしてくれる。生活の真実がまさしく体現されていた。 特に質が高かったのは出会いの場面。非言語的なやりとりが舞台上で丹念に行なわれていて、視線や体の向き、人間同士の距離、ときおりもれるため息やつぶやきを推し量ることで、見知らぬ人の出会いに共感を覚えることができた。ロシア語の芝居だったが、言葉を分からなくても理解できるのは貴重な体験だ。 普段わたしたちは言葉で語ることよりも言葉を使わないやりとりでお互いを理解しているという。非言語コミュニケーション。電車のなかでお互いに距離をとって座席にかけるのもそれだし、路地でお隣さんが上を見上げていたら同じように上を見上げるだろう。 出会いの場において、実生活では非常に念入りに探りを入れている。それが5秒だとしても、たくさんのことをその間に行なっている。目を向けたりそらしたり、防御の姿勢をとったり友好のしるしを表したり、ぼさぼさの髪やよれよれのシャツをチェックしてみたり、指にはめられている指輪を確かめたり。 わたしたち演劇を作る人が追求すべきなのは、ことばをどのような言い回しでいうかとか、どんな感情でいるかということではない。まったく違う。ことばを発する間にしていること、行間の部分を埋めることなのだ。誇張が必要なのであれば、感情表現でなく、ことばを発していないときにしている「人間の行動」を細かく拾いあげ、丹念に、明確に表現すればいい。 「ことば」を人間の顔だとすると、からだで行なう「人間の行動」が根底になければならない。顔だけの人間がからだを回復する試み、これが演劇を作る人につきつけられた課題だと思う。セリフだけでない緻密さが望まれている。

想像力が眠りにつくとき

世田谷パブリックシアターでカステルッチ演出「神曲−煉獄篇」を見てきた。1週間前に、同じ演出家の同系列の作品「神曲−地獄篇」も鑑賞していた。「地獄」のほうにも不満はあったが、「煉獄」のほうは見ていられなくて途中で劇場から去ってしまった。途中退出する芝居に未練は残る。しかし、1時間見て退屈したものが、残り30分でスリリングになるとは考えられない。 「煉獄」とは地獄と天国の間のこと。死者の魂が清められる場。カステルッチはそれをブルジョア家庭の日常の場ととらえ直したらしい。退席する前まで見たブルジョア家庭は、人工的なものだった。人間がまるで人形のように覇気もなく動き、言葉を発するので、マネキン人形で演じられたエセ芝居のように感じられた。 ダンテの「神曲」を読んだときには、迫力や生々しいものを感じたものだが、奇才カステルッチの演劇「神曲」を見ると、小手先の観念や奇想だけしか感じられないのは、ぼくひとりの誤った見方だろうか。 この作品の宣伝や推薦文には「想像力を刺激する」といったたぐいのことが書かれているが、ぼくが感じたことは別。この劇を見ている時間に「想像力が枯渇する」もしくは「想像力が眠らされる」ように思えた。作品に対してのいらだちは無いのだが、舞台を見ることで生まれてくるものがなにもない。「あ〜、なんかやってるよ」といった冷めた見方。期待していただけに、敬遠の球を空振りしているようだ。 友人の芝居に対してはこんな毒を吐きたくないのだが、著名な演出家の作品で「奇才」とまであがめられている人の作品に対しては遠慮無く言わせてもらえるのはありがたい。いろんな芝居を上演したり、海外から呼ぶのは結構だ。しかし、評価もそれだけ厳しくしなければいけないだろう。 眠くないのに想像力は眠らされる。脳みそが腐ったような芝居をありがたがることはしたくない。