今さらながらに思うのは、正確に物を伝えるというのは難しいということだ。 正確であろうとすれば冗長であったり、手短に述べると情報が漏れていたり。 図を使って説明していたとしても、その図が曖昧であったり。 一枚の書類を渡された。それは、ある注意事項だったのだが、分かりにくい文章だった。口頭で伝えられて覚えてきたことを、改めて書面で伝えられると、さて、どちらが正しいのかな、なんて思うことになる。 注意書きが実際の現物と正確に一致していない。例えば、その券には○○が書いてあるとただし書きしてあるのに、実物にはその○○という文字は印字されていないといったように。 また、この場合はこうしてくださいというマニュアルが曖昧で、じゃあどうすればいいの?なんて思ってしまうような書き方。たとえば、この券をもらったら、本当はダメだけど「受け入れてください」といった書き方だな。「受け入れる」というのが、どういう行動をすれば正しいのかの基準にならない。 句読点や、かぎカッコひとつでも、分かりにくくなるものだ。 また、自分たちの文脈が、他人の文脈に通じるかという問題もある。業界用語なんて、その最たるものだな。 あえて含みを持たせて考えさせる場合を除いて、伝えたいのに伝わらないのはもどかしい。しかも、文章の場合、一度それを書いて公表すれば、あとで付け足すという機会がそうそうあるわけではない。 文章の書き方の本をいくつか読み、今日から、丸谷才一の「文章読本」を読み始めている。そんなときにもらった文章。理解できないところを理解したつもりにせず、また、類推もせず、分かりにくい文章を分からないと宣言するのも楽しいものだ。分かるようにするためには、どう書けばいいのかも考える。 それにしても、ものを伝えるのは難しい。ぼくなんか、誤解されるような言い回しも多用して、誤解されるがままにしておくのを楽しむほうだから、案外ぼくが真剣に説明したことも伝わっていないのかもな。そう考えると、何一つ伝わっていないのに、すべてを伝えたつもりでいる自分というものは、おかしなものだ。 また、冗談の話が本気で受け取られるのもおかしな話だな。 実直なコミュニケーションなんて絶望的に不可能なのかもな。