少しは暑さにも慣れてきた。
ツール・ド・フランスも終わってしまったな。これで夏が終わった感じになるのはどうしてだろうね?
自転車レースでテレビに映っている部分だけでも、さまざまな人間模様が見られて、とてもいいものだね。
人間て難しいよな。みなそれぞれプライドがあって、そんななかで協力したり反発したり。
サストレが総合優勝したけど、CSCチームの協力体制が素晴らしかったおかげだ。しかも個人個人が実力がありながら、あえてサポートに徹するというプロフェッショナルな仕事。
大きな目的に一丸になること。
実生活上、さまざまな人が目標に一丸になるということは少ない。演劇の公演の組ですら一丸になるのは滅多にない。
養成所の公演が案外おもしろいのは、そういった一丸となって協力するということが、幸福にも出来るからであろう。
たいていはみな利己的なところでとどまっている。
ひとりはみんなのために、じゃないけど、ひとりひとりが有機的に職務をまっとうしているときには、それぞれが相手のことを気遣いながら行動するものだ。相手に意識がいくことが、自意識から解放されるということだから。
演劇のバラシが、とても気持ちよく行われるのは、みな人を気遣えるいい状態になっているからだろうな。
自転車レースの、逃げのグループを追いかける集団も、意志が統一されていると驚くほど速い。
で、一丸になることというのは、案外、難しくないんじゃないかといいたいのだな。
ぼく自身をふりかえれば分かる。
意固地になって大切な目標を忘れることが何度あったことか。プライド高過ぎて頑なになってしまったことが何度あったか。
そんなときに柔らかな人の、柔らかな姿勢にどれほど救われたか、どれほど勉強になったか。
そんな人は、自分のちっぽけなプライドは全然気にもしない人だった。
大きな目的を共有することは難しくない。
呼吸を合わせて、一緒に持ち上げればいいのだから。
こちらが技術がなければ協力者がサポートし、逆に向こうに力がなければこちらが力を出すといった協力体制。
非常に利己的な人もいるけれど、常に利己的というわけでもない。意地悪になってしまうのかもな。
ぼく自身も含め、常にこれだけは言えると思う。
「協力して何事かをする人は美しい。利己的な人は醜い。」
そんな美しい光景は何度も見てきたし、案外、いつでも見られるのかもしれない。
醜い光景も同じように見られるけれども、そんな光景をいつまでも見たいとは思わない。
サッカーの例を引きだすまでもなく、パスのやりとりは美しい。ドリブルが醜いのじゃない。ドリブルする選手が、しやすいように仲間がいい位置をとるから、ドリブルが出来るのでもある。
ぼくは演劇の分野でもこんな事例はあると信じる。しかも、建てこみやバラシのときでなく、俳優の演技として。俳優同士の協力関係も含めて。
今日は演劇とは関係ない分野で、何人かと協力して仕事をする機会があって、また、ツール・ド・フランスの余韻が名残惜しく、そこからこんな連想を長々としてしまったというわけですな。
ぼくの場合、最後に着地するのが必ず演劇か人生だからな。はは。
ツール・ド・フランスも終わってしまったな。これで夏が終わった感じになるのはどうしてだろうね?
自転車レースでテレビに映っている部分だけでも、さまざまな人間模様が見られて、とてもいいものだね。
人間て難しいよな。みなそれぞれプライドがあって、そんななかで協力したり反発したり。
サストレが総合優勝したけど、CSCチームの協力体制が素晴らしかったおかげだ。しかも個人個人が実力がありながら、あえてサポートに徹するというプロフェッショナルな仕事。
大きな目的に一丸になること。
実生活上、さまざまな人が目標に一丸になるということは少ない。演劇の公演の組ですら一丸になるのは滅多にない。
養成所の公演が案外おもしろいのは、そういった一丸となって協力するということが、幸福にも出来るからであろう。
たいていはみな利己的なところでとどまっている。
ひとりはみんなのために、じゃないけど、ひとりひとりが有機的に職務をまっとうしているときには、それぞれが相手のことを気遣いながら行動するものだ。相手に意識がいくことが、自意識から解放されるということだから。
演劇のバラシが、とても気持ちよく行われるのは、みな人を気遣えるいい状態になっているからだろうな。
自転車レースの、逃げのグループを追いかける集団も、意志が統一されていると驚くほど速い。
で、一丸になることというのは、案外、難しくないんじゃないかといいたいのだな。
ぼく自身をふりかえれば分かる。
意固地になって大切な目標を忘れることが何度あったことか。プライド高過ぎて頑なになってしまったことが何度あったか。
そんなときに柔らかな人の、柔らかな姿勢にどれほど救われたか、どれほど勉強になったか。
そんな人は、自分のちっぽけなプライドは全然気にもしない人だった。
大きな目的を共有することは難しくない。
呼吸を合わせて、一緒に持ち上げればいいのだから。
こちらが技術がなければ協力者がサポートし、逆に向こうに力がなければこちらが力を出すといった協力体制。
非常に利己的な人もいるけれど、常に利己的というわけでもない。意地悪になってしまうのかもな。
ぼく自身も含め、常にこれだけは言えると思う。
「協力して何事かをする人は美しい。利己的な人は醜い。」
そんな美しい光景は何度も見てきたし、案外、いつでも見られるのかもしれない。
醜い光景も同じように見られるけれども、そんな光景をいつまでも見たいとは思わない。
サッカーの例を引きだすまでもなく、パスのやりとりは美しい。ドリブルが醜いのじゃない。ドリブルする選手が、しやすいように仲間がいい位置をとるから、ドリブルが出来るのでもある。
ぼくは演劇の分野でもこんな事例はあると信じる。しかも、建てこみやバラシのときでなく、俳優の演技として。俳優同士の協力関係も含めて。
今日は演劇とは関係ない分野で、何人かと協力して仕事をする機会があって、また、ツール・ド・フランスの余韻が名残惜しく、そこからこんな連想を長々としてしまったというわけですな。
ぼくの場合、最後に着地するのが必ず演劇か人生だからな。はは。
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