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空からオタマジャクシ

自分の人生をふりかえると、誰にでも懐かしい音楽があるはずだ。CDの棚をのぞいていたら、大学時代に聞いたヴァン・モリソンのCDがあったので、さっきからくりかえし流している。当時の心象や風景が脳を刺激している。あのときあんな思いでこの曲を聴いていたな。 ヴァン・モリソンの「ASTRAL WEEKS」はいいアルバムだよ。心の奥を揺さぶるような歌もさることながら、伴奏するアコースティック楽器が低くうねりながらジャズの雰囲気をかもし出す。大学時代はこのCDを宝物のようにしていたっけ。何度も何度もくりかえし聴いていた、眠るときの子守歌にもした。 失恋のときは決まってテーマソングを選び慰めてもらっていた。いくつもの失恋ソングがあることやら。思いおこせばこっけいな習慣だったかもしれない。しみじみとするためにわざわざ電源をつけて、CDをセットして、再生して・リピートして。そんな状態だからこそ音楽のひとつひとつの音や歌に震えるほど感動したものだ。 体が動いていれば水を欲するように、音楽をほしくなるときもあるものだ。日曜の夜はとりわけ音楽が心にしみる。周囲の静けさがそうさせるのだろうか。古い友人に会ったかのように、懐かしい曲を聴いている。あいかわらず、みずみずしい姿で旧友は心を洗い流してくれる。 音楽の趣味がぴったりあう人はいない。しかし、人が自分の好きな音楽を楽しそうに語ることほど、こちらを幸福にさせることはない。ことばが音楽のように響いてくるから不思議なものだ。音楽をめぐる単語の多くにはイメージが息づいていると思う。音符のオタマジャクシ♪でさえも生きているかのようだ。 今夜は幸せだったかもしれない。旧友が変わらぬ歌声をきかせてくれたし、懐かしい心象が遠い過去から訪れてくれたので。怪奇現象にはしたくないが、今夜は空からオタマジャクシが降ってきてくれた。

ささやかな誓い

宮城野の稽古が大詰めをむかえている。謎解きのように登場人物の行動をほぐしてきたが、すべてが明らかになっているわけではない。同じように、実生活においても身近に接している人への理解すら十分とはいえない。心を通わせることも難しい。 見知らぬ人と接する機会に、お互いが感じよくなれることもあれば、敵意むき出しのこともある。あかの他人を装おうとして距離をおく場合が一番多いかもしれない。こちらが好意的に接しても無反応な場合ほど悲しいものはない。すれ違いを重ねるうちに、自分もすれっからしになるものだから悪循環である。 いつも感じの良い反応をしてくれる人がいるが、そんな人には全面の尊敬をささげたい。人間的なふくよかさ・豊かさが、心を慰め温かい気持ちにさせる。自分をかえりみるとよく分かる。どれほど環境や気分に左右されていることか。恥ずかしいくらいだ。 フランス語の「sympathique(サンパティック)」ということばに初めて接したときは衝撃だった。人間の柔和な態度をほめることばとして使われていた。「感じのよい」「心地よい」といった意味だ。人の魅力をうまく言い表していると感心した。 しかめっつらや無関心、かしこまった態度や横柄な態度は簡単にできる。しかし感じの良い態度はやろうとしてできるものでもない。妙になれなれしい態度や心のこもってない笑顔は、かえって警戒を与えてしまう。 感じよく接することが難しいなら、感じよく接してきてくれる人に素直に従えばよいのでは。“sympathique”には「共感しあう」という意味もある。柔らかさを与えてくれる人に接するときはこちらも柔らかくならなければならないというわけだ。赤ちゃん相手に力むほど惨めなことはない。自分のなかで力が入る部分、きっとエゴイズムの部分なのだろうが、そういうところを武装解除しようと緩やかな誓いをたてている。

危機と文化

不況の影響が新聞やテレビをにぎわせない日はないというくらい、毎日のように、解雇や工場閉鎖、雇用打ち切りの発表がされている。立場の弱い人ほど不況のしわ寄せをこうむる。日本の芸術家はそのなかで万年失業状態なのを知る人は多いだろうか。 2月4日に東京・池袋で、日米仏の文化システムを考えるシンポジウムが開かれた。パネリストには、フランス元文化大臣や仏人ジャーナリスト、平田オリザ氏などが参加した。フランスとアメリカと日本の文化制度の違いを検討し、日本の文化・芸術制度が今後どう進展していけるか、可能性をさぐる試みだった。 朝日新聞の外岡秀俊氏はある論点を提起した。経済危機のなかで文化制度はどういう状況を見いだすか。アメリカの大不況のときに、ルーズベルト元米大統領はニューディール政策を実施し、不況をうまくおさえこんだ。フランスでも1981年にミッテラン大統領が就任したときは深刻な経済状況だったらしい。おもろいことに、ルーズベルトもミッテランも、そんな大不況の時期に大胆な文化政策をして、それが現在の米仏の文化政策の基礎となっている。 1935年の米「連邦劇場計画」も、1981年のミッテラン就任とともにはじまったフランスの文化予算倍増も、経済危機の時期に行われた。シンポジウムに参加した元仏文化省大臣のラング氏は、その右腕として、緊縮財政のなかで今回の文化予算の倍増をおこなった立役者である。 「100年に一度」の経済危機というキーワードが頻発する昨今だが、似た状況のなかでアメリカは芸術家支援計画「フェデラル・ワン」を行い、フランスは劇場や芸術にお金を投資しつづけた。これはおおいに見習うべきヒントなのではないだろうか。まっさきに削られるのが文化施設の予算であってよいのか。 「若い芸術家を信じ、未来に投資すべき」ラング氏が語気を強くして述べていたのが印象的だった。

感傷は敵

「感傷」という意味を、独自の説明で有名な新明解国語辞典で調べてみた。それによると「ちょっとした外界の刺激で発現する、物思いや悲哀の情、また甘美の思いにふけるなどの心的状態」という少し笑えてしまう説明がされていた。 この1週間で2つの演劇をみてきたのだが、両方ともとてもよい印象を受けた。ひとつはコメディ、もうひとつは生死を扱ったドラマで、強く訴えかけるものがあった。俳優たちが熱心に演じてくれた劇に、ためらいもなく拍手をおくることができた。 だが、あえて余計なことをいうと、感傷が目立つ。両作品に限ったことではなく、戯曲・脚本の書かれ方が感傷的な方向にかたむく作品が多いのは気のせいだろうか。好みはそれぞれで、センチメンタルな涙やささいな心理の綾を好むひともいる。「いい作品なのに感傷的だった」というと全体がマイナスな印象をもつので、「感傷的なのに、いい作品だった」と表現したい。「感傷的」であることが、いい作品の欠点であるのか。 両作品および一般の戯曲・ドラマに多くみられる感傷はこんな気をおこさせる。「どこかで見たこと、聞いたこと、感じたことあるな」と。たとえば、二人の男女が恋をする場面で、セリフや行為にはっと驚くことが少ない。テレビドラマで使われた類型的な恋愛表現のように思えるのだ。実際に恋愛している男女はそれほど単純ではないだろう。 俳優の演技については問わない。戯曲や脚本がどこまで生の人間のことばや行為に迫れるか、この点がいくぶん欠けているように思える。物語はうまいし、視点もたしかなのだが、実際に生活している人間を掘り下げるまでには至っていない。 「ちょっとした外界の刺激」をくすぐるような感傷的な作品から脱却することは並大抵のことではない。少ない劇作家だけが人間ドラマにまで到達した作品を残している。感傷は敵。こころを強くゆさぶるドラマを見たい。

お金の使われ方

世は税金の使われかたに敏感になった。しかし、万人が望むようにはお金が使われるわけではない。 小室哲哉さんの話題をテレビで見た。彼の税金の額には驚いたが、楽器を購入するために3億使ったという情報もこころに残った。金持ちが自分の仕事に投入するお金は、やはり莫大なものだった。ゴルフの石川遼選手は自宅近くに練習施設を作るという。 落語家や演劇の俳優が自分たちの仕事のために投資するお金はどれくらいなのだろうか。このひとたちの資本は自分の声であり身体である。設備がしっかりしようが、高級な座ぶとんを使おうが、そのために演技や落語が上達するわけではない。自分の仕事のためにお金を使うといっても、莫大な金をそこに費やすことができない。飲食代を自分への投資と考えることもできるが・・・あくまで冗談でしかない。 とはいいつつも、稽古場や練習場が必要なのはいうまでもない。しかしそれらの施設が十分に整っているとは言いがたい。稽古場不足はかなり切実な問題だ。石川選手のように、ウン億のお金をかけて練習施設をつくれるような俳優などいない。 個人が作れないなら公けが作るしかない。医療や福祉や教育にかけるお金に市場の原理を貼りつけて嬉々とした人たちがいる。しかし少しずつではあるが、市場原理主義の、まやかしや欺瞞が問題になりつつある。売れる売れないの基準ですべてを量ることへの疑問。落語や演劇も「公共の利益」の場にのせてみようじゃないか。 俳優個人の夢や希望を満足させているだけ、という自己責任論は皮相な罠だ。俳優も立派な公務員になりうる。営利目的でない公共サービスとしての演劇。図書館の本が無料で借りられるのは当然のように考えられる。ならば、演劇や落語、映画でさえも、無料もしくは格安で観ることを当然のように思える時代が来てもよいのではないか。そんな素敵な税金の使われかたに出会いたい。

耳を傾ける

数時間後に、オバマ氏がアメリカ合衆国の新大統領に就任する。さすがに大きな出来事である。ブッシュ政権で進められてきた国際孤立主義は変化するであろう。新自由主義の経済政策が変化するかは今後の動き方次第だが、象徴的な「チェンジ」は世界に影響を及ぼすことは間違いない。アメリカはあまりにも大きくなりすぎた。 「大きすぎる」といえば、オバマ氏でさえも、その「大きさ」にもたれかかっていたと言えるのではないか。仮に、クリントン氏が女性を、オバマ氏が黒人を代表していたと考えたとしても、選択肢の上では半数なり何分の1なりの多数を代表するものであった。絶対的な少数者でなかったところに問題があるように思える。 「あれかこれか」で二択される以外の少数派はテレビメディアにでることすら不可能らしい。小さいグループが公開討論会に登場するには、15%の支持率を得なければいけないという。草の根運動が支持されるには、メディアへの露出がなければ困難だ。お金の多さが大統領選を左右するともいう。こうして、少数意見が削り取られていき、その選択肢も消滅する。 アメリカに限らず、日本の政治・社会も同様で、会社でも、小さな教室でもおこりうる。少数意見が尊重されるどころか、存在しなかったことと考えられる事態もある。 経済的な効率や、物事の判断の仕方としては、二項対立の考え方をするものである。しかし、奇数が2で割りきれないように、良いか悪いか、善か悪か、賛成か反対かで、少数派を単純にバッサリ切ってしまってよいものだろうか。世界地図のなかで、国境線が直線の地域には何かしらの火種があるものだ。 気に食わない意見をいう人間もいる。扇動的な意見なら黙っていても自ら動きだすが、まったく弱い立場の微弱な声というのもある。ささやきとも、つぶやきともとれない言葉に、あえて耳を傾けることを心がけてみてはどうだろうか。

ハロルド・ピンター

ハロルド・ピンター氏が亡くなった。 劇作家としての輝かしい作品へ多くの人が賞賛を贈った。一部の人は、ピンターの芸術作品と言論人としての発言を切り離して考えようとしていた。「生活と社会の真実を捉える」義務感からの発言は、同じ意欲で作られた芸術作品と同じ質のものだと、彼らは思わなかったようだ。物議を醸した発言は権力に対して発せられた。ごく正当な批判だった。 そのピンターは「何も起こりはしなかった」と繰り返す。アメリカが中東・中米侵略をしても、世界はその事実から目をそらしている。完全な記録があるのに、誰もそれを話題にしない。事実が都合の良いように取り上げられる。目の前で起こっていることが無かったことになってしまう。南京大虐殺の事実も同様だ。 原作は読んでいないが、「金襴緞子の帯締めながら」という別役実の劇作品を観た。殺人事件が起こりながら、殺されたはずの当人がひょっこり出てきて、殺人事件が有ったか無かったか分からなくなり、別件の泥棒話に話題がすり替わる。確かにそこでは、結婚式も殺人事件も泥棒話も疑わしい。何かが起ったが、起こらなかったことになってしまう不条理な過程が描かれている。 「無かった」ことが「有った」ことにすり替えられる事態もある。疋田桂一郎記者の「ある事件記者の間違い」という報告を読んだ。殺人事件がでっちあげられ、拡大される過程を報告している。死亡事件が警察によって殺人事件にすり替えられ、報道がそのメガホンをとり、司法が冤罪に近い判決をしてしまった過程の検証記事である。現在も冤罪はなくならない。 ピンターは2005年のノーベル賞作家でもあるが、彼の遅すぎる受賞の記念講演を、イギリスBBC放送は報道しなかったらしい。「無かった」ことにしたのだろうか。さすがにピンター死去は繰り返し報道している。彼の生まで無かったことにはできなかったようだ。

お客さんの劇場

演劇の楽しみのひとつは、終演後の、お客さんと役者の挨拶にあるといってもよい。大きな劇場ではそれも難しいが、小さい劇場で、観客がほとんど身内である場合、つまり出演者の知り合いである場合ほど、この楽しみを享受できる機会はない。舞台を終えた役者を待つお客さんは不思議と目を輝かせている。 ロビーや屋外、または楽屋口に、役者が挨拶をしにやってくる。役者とお客さんの目と目があう。にっこりほほえみ合う。優しいことばが飛び交う空間にいて、無条件に不機嫌に陥る人は多くはいまい。微笑ましい光景だ。しかも、こんな場合、仮に大騒ぎをしても、みんな善良だ。暴力的なもののカケラもない。 劇場が社交的な場であることはよく知られていることで、不思議と心が穏やかになるのか。たとえ芸能人が劇場でお客さんとして来ていたとしても、混乱はおきるものでない。たまには握手をすることがあっても、サインねだりやキャーキャー騒いだりして、暴徒化することはない。 公演の質や、入場料金の高さ、観劇者が限定されることなど、多くの問題を抱えながらも、やはり演劇は魅力的で、劇場は友好的な場所であるに違いない。オペラ座の怪人が出てくるにしても、チェチェン紛争でのモスクワの劇場占拠がおきたとしても。 あるジャーナリストを劇場で見かけたことがある。テレビの討論番組の司会でいつもしかめ面をしているその人は、劇場では優しい顔を絶やすことはなかった。故筑紫哲也氏もふだんの優しい顔を何倍にも柔らかくしていた。 おそらくお客さんは、公演を楽しみに来て、惜しみない拍手をする構えで劇場に来る。文化的な空間とは、そんな人間の姿勢と関係がある。お客さんの受け入れ態勢が芝居を成功に導くといってもよいだろうか。終演時の拍手にもそれが表れている。役者とお客さんの対面という付加価値も加わって、劇場は今日も温かい雰囲気に包まれている。

ブッシュに靴

イラク人記者がブッシュ大統領に靴を投げつけたという事件が世界をかけめぐった。「靴を投げる」というアラブ社会最大の侮辱行為が問題になった。大統領退任間近に、因縁のイラクに電撃訪問という前ふりがあったわけだが、その最後の機会に靴を投げられたわけだ。ブッシュ大統領は退任を控えて郷愁ともとれる発言を連発していた。いい思い出となったであろうか。 ブッシュ大統領は投げられた靴をうまくかわした。多くの人がその敏捷さに驚いた。記者からの質問に逃げるのは慣れているので、靴をかわすのは得意だとジョークを言っていたそうだが。 反応もおもしろい。アラブ圏では記者を英雄扱いする声が多くあったらしい。ブッシュ大統領を「悪魔」と呼んだチャベス・ベネズエラ大統領は、にやにやしながら事件映像を見ていた。靴を高値で買い取りたいという人が出てきたり、娘を嫁にやりたいなどという人も出たり。アメリカの反戦団体はホワイトハウスの前に古靴を並べて、イラク人記者の支持をした。ブッシュ大統領をめぐる問題の根は、かなり深く、かなり広い。 靴投げがネットゲームにもなった。さっそく挑戦してみた。ブッシュ大統領の無邪気な顔が、もぐらたたきの要領で見え隠れするのを的にして、靴を投げる。靴があたったときの彼の苦痛の表情がおもしろい。ちなみにゲーム制作者はイギリス人だそうである。 イラク人記者は捕まって、法廷で裁かれている。大統領暗殺未遂で有罪になる恐れもある。謝罪・反省はしているようだ。ブッシュ大統領がユーモアでその場を切り抜けるという機転をきかしたのだから、法廷や社会は、深刻ぶってモラルや暗殺の問題にしない寛容さが必要とも思える。 と同時に、以前ブッシュ大統領が投げたのは靴ではなく、爆弾であったこと、それをうまくかわすのはイラク国民にできるはずがないということも考えておかねばなるまい。

続けること

家の中で失くしていた物に、ある日、再会する。題名を思い出せない曲が、何かの拍子に口をついて出てくることもある。逆に、メロディは口ずさめるのだが、どんなに頭をひねっても題名が出てこないことだってある。「何かの拍子」というのはどんな拍子なんだろうか。 近頃は全然やらないが、野球の長打を放つ時も、スカッと抜けるような感覚が忘れられない。サッカーでもボールが足の芯に当たると、思いもよらぬ弾道を描く。まぐれではなく、芯を捕らえた瞬間とでもいおうか。「ひらめき」に触れるのも「芯」を捕らえることと解釈しよう。 マキノ雅弘は「だれる時間」も映画には必要だという。おもしろいように数式を解くためには、どれだけの計算を消費することやら。スキーを1日滑って、たった1度リズムをつかむことができ、モーグル選手のようにコブ斜面を爽やかに滑り降りた瞬間ほどうれしいものはない。 友人が、体調が悪いとこぼした。仕事のストレスから来ていることは明らかだ。しかし仕事を辞めるわけにはいかない。だましだまし続けるのだが、体の調子が悪い時は、気分的にも盛り上がらないものだ。誰にでもスランプがある。いつかは「スカっ」とした快進撃ができるはず、そう思いながら毎日を過ごす様子が伝わってきた。 何の変哲もない日常的な行為をし続ける。どんなに高い玉座にのぼっても、尻の上に座らなければいけない、といったのはモンテーニュだが、「何かの拍子」を見出すにはずっと待っているわけにはいくまい。排便も食事も睡眠もしなければいけない。学校や仕事に行くことも必要だし、家の埃や着用した衣服を放ってはおけない。 80歳を過ぎてノーベル賞をもらう人もいる。賞の権威のことは置いておくにしても、何かをやり続けることで得られるものがある。年輩になってから売れっ子になった俳優は、無駄に時間を過ごしてきたわけではない。

師走のフクロウ

12月を「師走」というのは承知の通りだが、お坊さんや先生が忙しくなるという由来をもっているらしい。知識としては知っていても、毎年そんな慌ただしさを感じていたかは疑わしい。 師走に入った途端、周囲の動きも活発になり、お役所・会社の発表も盛んになり、世の中全体が動き出した気がするのは錯覚か。年末に近づけば近づくほど、忘年会やら大掃除やら年賀状やらで、慌ただしくなる。友人と会ったり話したりする機会が多いのは、世の中が動き出しているためか。家の中より、外出したほうが人と会えるという単純なこと。みんな歩きだしたらしい。 思えば、紅葉らしい紅葉をまったく見ないで秋を過ごしてしまった。落着いて外出するには、逆に時間がありすぎて、ほとんど散歩をしなかった。師走に入り、なぜか、徘徊する気分が高まっている。 レチフ・ド・ラ・ブルトンヌという仏文学のマイナーな作家がいた。ある作品は、たしか、主人公の男が夜になると肩にふくろうを乗せてパリの街を徘徊し、そこで起こった出来事を伝えるといった内容だったと記憶している。フクロウとともにパリの闇夜を徘徊して観察するといったイメージが強烈に印象に残っている。 Gムーアというギタリストは「パリの散歩道」という作品を残した。感情過多でくどい気もするが、美しく、そこで奏でられるパリはまさしく秋を感じさせた。パリで散歩したことのない者に、パリを感じさせる音楽というものは、いったいどんな怪物なのだという驚きもある。 あてどない散歩でも、目的をもった散歩でもいい。この師走の時期に、そんな悠長な精神で徘徊を試みてみたくなった。歩いてみたい道はいくつかある。東京の散歩道だ。楽曲にはできないけど、何らかの記憶装置を残しておきたい気もする。師走であるからこそ、思いがけないものが散歩道で見つかるかもしれない。さすがに肩にフクロウを乗せはしないが…

一服させて

裁判に関してのいくつかの事例を見聞きし、警察の捜査を巡ってのひと悶着があり、明日ドキュメンタリー番組で放送される冤罪事件を頭の隅に置きながら、モンテーニュの懐疑を考えてみた。 モンテーニュは16世紀のフランスの哲学者で、『エセー』という書物を残した。エセーつまり「エッセイ」のことで、フランス語では「試すこと」「試し」というような意味の名詞である。言ってみれば「自分振り返り」の日記のような書物。今風に言えば公開の随筆ということから“ブログ”なんでしょうな。モンテーニュのブログか。 そのモンテーニュの『エセー』の鍵となる言葉が“Que Sais Je ?”(ク・セジュ)である。「いったい私は何を知っているのだろうか」という意味で、モンテーニュが自分に課した「問い」だった。懐疑のための判断停止。永久にそこで判断をやめるという消極的な姿勢でなく、おかしいなと思うところで立ち止まり、突っ走りがちな思考の習慣を断ち切り、本当にそれでよいのかという疑念をはさみ、判断を留保するという、積極的な待ちの姿勢である。 モンテーニュは、古代ローマの逸話を引用・書き写して、悠長に臼をひくかのようにまったりと解釈している。。しかし、いったんその引用の詩句が胸ぐらをつかむと、活発になり、宝のような思想が生まれてくる。急にポーンととび上がるのである。インスピレーションの瞬間を待っていたかのようだ。 ひるがえって現代。警察や官庁による発表や広報、またはメディアによる報道があふれるなか、どれだけ私たちは判断を慎重にくだすことができるだろうか。どれだけ寛容な態度でいられるか。第一報や速報はスクープではなく材料にすぎない。そんなのは時間が埋め合わせをしてくれる。大事なのは、性急な判断をくだす前に立ち止まって、ちょっと待てよと考える余裕。 「一服させて」。何気に好きな言葉である。

怪物たち

強い人の論理というものがある。立場的に強い人が論理をふりかざす。その土壌では、弱い立場の人間の論理が通用しない。強い立場の者に、弱者と同じ権利を与えてしまうと、両方の論理が相殺されて、両成敗ということになってしまう。 都会の幹線道路を見れば分かることだが、片側3車線もの道路がありながら、歩行者は肩をぶつかりながら歩道の上を歩かなければならない。自転車は、車道に出れば自動車に脅かされ、歩道に入れば歩行者を脅かす。自動車にはクラクションがついて、気軽に邪魔者を排除する。歩いている者が遠慮する商店街ってのは何なのだ? アメリカの3大自動車会社の会長が、米議会の公聴会に呼ばれて詰問されたニュースが話題になった。従業員のリストラは千人規模で行いながら、自分たちはジェット機で議会にかけつけ公的資金を要求するとは、冗談のつもりか。会社を守るために人を切るというのは、論理として成立はすれども、それを認めるのがはたして正しいことなのか。「おれも苦しいんだよ。分かってくれ」といった経営者の心情的な論理を理解してあげる必要がどこにあるのか。 ロシアの原潜事故で乗組員が起訴された。あれは原潜のシステムに問題があるというロシアメディアの疑念があがっている。乗組員はその不備を隠すための身代わりとして捕まったと。 母が2児を殺害した事件の裁判があった、広島高裁で、1審判決の懲役刑を破棄し執行猶予にしたそうである。裁判長は「経緯に同情を禁じ得ず、1審判決は重すぎる」と述べたそうだ。裁判ですら杓子定規の論理で裁定されることが多く、このような判決は珍しい。 「モンスター」な人たちは、自分が弱者のつもりでいても、権利をふりかざすことで怪物化してしまうことに気がつかないのだろうか。まだ市民のモンスターなら許せる。国家や組織の怪物が強権をふりかざすのは、どう対処すればいいのか。

猫、恐るべし

猫カフェが大ブームだそうである。猫と一緒に遊ぶのでなく、猫を見ながらゆったりと時間を過ごすという。猫がお店のスタッフとして寝そべる。その姿を眺めた人間が癒されるという。行きたいわけではない。 路地を歩いていると呼び止める声がある。どこから聞こえてくるのか分からないが、間違いなく猫の声だ。いったい何のために。何かを訴えかけているぞと、あえて誤解して近寄って行くのもいいが、時間に追われて歩いている身だ、猫の声に癒されながら歩き去る。路地裏版猫カフェである。 毎日のように、ご近所さんが訪ねてきた。何するわけでもない、ぼくの帰宅の後を追って階段を上がってくる。頭をガツンガツンぶつけてくる。人の股の間をくぐろうとする。10分もそれを続けるので、よしこれは長期戦になるぞとこちらも腰を下ろすと、しばらくしないうちに、飽きが来たのか猫は帰ってしまう。ご近所さん経営?の猫カフェである。 マキノノゾミの劇作品「フユヒコ」では、フユヒコこと寺田寅彦は、我慢しなければいけないことがあると、招き猫を撫でてじっと耐え忍んでいる。かの有名な夏目漱石の作品は、猫が考え猫が見た作品だ。以前は暴走族の服を着てツッパリだった猫たちも、今では2,3の駅の駅長にまで昇格した。この出世は何なのだ?猫に関する猫グッズを何でも売り出す店もある。雑貨やビスケットやTシャツまでも。さすがに「猫よけ」の商品まで扱ったらひんしゅくものだな。人食い猫が人間の足を食いちぎったというというデマも生まれるし、猫がしゃべったという逸話も生まれるし、なんでもアリというわけだ。 身近なところにいながら顔を合わせるでなく、寂しそうにしていながらも近寄ると警戒するし、かと思うとすり寄ってきたり。 ひとの夢に2匹も出てきて、かわいがっていたのに、いきなり右手を噛む。そのために夢占いまでしてしまった。猫、恐るべし。

歩き方の表情

歩き方は身体の表情である(バルザック) フランスの文豪バルザックが『歩き方の理論』という奇書を書き残している。理論とは言え、小説家、しかもかなり回りくどい書き方をする趣味人のバルザックである。理論に入るまでの前置きが長い。理詰めで論理を展開するというよりも、フランス流の「箴言」という、短い格言・警句をさらりと言ってのけたあと、その箴言を裏付ける逸話を持ち出してくる。題材も奇抜ながら、話ぶりも悠長で趣味的な、まことに変わった書物なのである。 歩くことに特別な苦労をするのは俳優だ。年齢の違う人を演じるという極端な場合は除いても、どんなテンポで、どういった調子で歩くのか、速さは、足取りは、どんな姿勢で、などと追及していけばキリがない。歩き方ひとつで人物の持っている世界を表現するのだから、たいしたものだ。 優雅で無駄のない歩き方は美しいのだが、後々まで印象に残る歩き方というのは、どこかしらぎこちないものを含んでいる。大河内伝次郎の歩き方なんて、作り上げた歩き方にせよ、名刺がわりになるほど魅力的である。“ミスタービーン”も「歩く」という単純な場面が多かったように記憶している。 履物や道の状態、男性か女性か、その日の体調によって歩き方はさまざまだ。日本での歩き方というものもある。観光客として日本に滞在する海外の人と、日本在住の外国人の歩き方は、微妙だが違いがある。日本に長く滞在していると、歩き方も順応するものらしい。 フランスで、若い人の歩き方に衝撃を受けたことがある。男性は大またでカツカツ歩く。障害物のよけ方もスムーズだ。女性もかなり早く歩き、そのため身体の表情が溌剌としている印象を受ける。フランスの若い人たちの歩行は直線的だ。目的地が遠くにあるようなしっかりとした行動線。バルザックはそんな狩猟民族の末裔を見て、きりっとした表情を見出したに違いない。

銀座のカンガルー

銀座を歩いた。 日差しが弱まり、涼しい夕暮れ。銀座の柳も風に揺られていた。土曜日で歩行者天国とくれば大勢の人がここに集まるだろう。写真撮影をしている人が何人かいた。聞きなれない言葉を使っているところを見ると、海外からの観光客なのだろうか。歩行者天国や歩道をぶらぶら歩くと、何人にぶつかりそうになったか。どこを見て歩いているのやら。何が気がかりなのかは知らないが、まっすぐ曲がらずに歩くことのできる人が少ないのは休日の特徴なのか。 英国の研究チームが、ベビーカーについての研究結果を発表したという。ベビーカーの進行方向に向いて赤ちゃんが乗る背面方式の場合、親との対面接触が少ないから、赤ちゃんは不安をかりたてられるらしい。親と対面して顔を合わせて乗る方式の場合、赤ちゃんの心拍数は背面式より少なく、赤ちゃんが眠る割合も対面式が背面式の2倍だそうである。 なるほど、赤ちゃんは安心をおぼえるわけだ。こんな小さい時期に周囲の不安にさらされる必要もあるまい。赤ちゃんが何を見ているのかは知らないが、親に面と向かって話しかけられて、後ろ向きで連れられていくのは、完全に防御されている姿勢である。カンガルーの袋みたいなものだ。今はいろいろなベビー用品がある。それこそカンガルーの袋もあるようだ。 周囲の人たちは不安を覚えさせる。今日の夕暮れの銀座の話である。斜行してきたり、急に立ち止まったり、肩にぶつかってくる人もいる。ベビーカーに乗った赤ちゃんではないが、できるなら後ろ向きに進行したい、対面式ベビーカーに乗りたい、カンガルーの袋に入りたいと思う。少なくともよそ見をしながら突進してくる人の恐怖は味わうことはない。 とはいいつつも、休日散歩人のふらふら歩きを器用にかわしながら、自分の足取りでするすると闊歩するのも悪くない。場所は銀座ときた。カンガルーの親のつもりで跳ねまわってみた。

平安の時代

人の命が生まれては消えていく。そして、なにものかの力によって消されていく。殺人にせよ、戦争にせよ、死刑にせよ。 死刑執行を求める国連の委員会決議があったそうである。死刑執行の一時停止などを求める決議案が賛成多数で採択された。日本は反対をしたらしい。理由は「世論調査で死刑が支持されている」から。 なるほど、ネットの書き込みなどを見ると、殺せ殺せの大合唱のように思える。世論調査でも死刑を存続してほしい人が多いという。そんな人たちの意見はそれでよい。ただし悲しい気持になってしまうのはどうしてだろうか。人間の命を絶っても良いと声高に主張する意見は、正直あまり大声で聞かされたくない。 世論の意見は問わない。国の代表は日本政府の立場を貫いた。死刑制度は刑法や政治にもかかわる、法治国家としての根幹の問題である。世論をたてにとるという行為自体が、国家の問題のすりかえととられてもおかしくない。国の方針として、死刑にはこういう意義があるという理由が前面に出ないところに、死刑制度を後ろめたいものと感じているように思えるのだが。 衆人の前で首をさらしてまで虐殺をしていた社会は、その後大きく抑制を働かせるようになった。江戸時代でも死刑は極刑だったわけで、かなり残酷な時代だとはいえ抑制は働いていた。今、多くの国が死刑廃止という流れになっている。死刑制度が復活した国というのはないらしい。今度の決議も死刑執行停止の決議である。廃止に向けて議論をするまで、一時やめようじゃないかという決議である。多くの国では政治犯の惨殺や虐殺が行われている。日本にも冤罪がある。 かつて、聖武天皇が724年に死刑廃止をうちだして、それから347年間、日本では、流罪はあっても、死刑は行われなかったという。奈良時代から平安時代。仏教思想の影響という。死刑制度にとって奇跡的な時代があった。

カエルの強弁

昨日の時点で国会が空転していたらしい。政党が、我が党が一番という態度で差別化を図るというのは、気持は分からないでもないが、行きすぎると辟易してくるものだ。党利党略ばかりでは置き去りにされる者のほうがつらい。家電の販売員は自分の売りたい商品があってもバランスを保って、お客の指し示す商品もほめてくれるものだ。 国家斉唱の文科相発言や田母神論文など、強いもの言いが幅をきかせる昨今だ。国家を問題とすると、強制服従させる認識が働くのが政治的人間の悪いところだ。人種差別もそんなお粗末な思い込みから発生する。それが最近増えている気がするのは気のせいだろうか。自分の帰属しているものが確固たるものであってほしいという願い、それが増長する。自分の家族や会社をよく思いたいのは同情できる。行き過ぎると強弁でしかなくなる。 おうおうにして、人は自分の写真うつりを初めは驚きの目で見るものだ。そこで開き直るか、受け入れるかが分かれ目かもしれない。まだ写真うつりの問題ならかわいい。 国家認識という面において、ヨーロッパは飛躍的に変化しているように思える。EUという枠組みが良かれ悪しかれ変化のきっかけとなった。関連して、英語を話す国民がひと昔前と比べて、かなり物腰が柔らかくなったと感じたことはないか。日本の街角で出会う英語ネイティヴの人たちの、以前の横柄さが消えてなくなった。感じのいい人に変化している。日本の人を含め、国際的に変化している。 「井の中の蛙、大海を知らず」とはよく言った。井戸の中の蛙がガアガアと「私が一番」「誇りをもとう」などといっても、隣の住人には蛙がうるさいとしか感じ取れない。 雨の日になると蛙が道路に進出する。そのときの蛙くんは声など出さないで、黙々と地面を這いつくばって行動する。神々しいくらいだ。小さな井戸のために鳴いていてもしょうがないのだ。

ケンカはやめて

喧嘩を止めに入るべきか、放っておくべきか。 少し前に、一国の大統領と首相が、国際会議のなかで内輪喧嘩をしたという記事が流れたが、はたして、仲裁をした他の国の首相はいたのだろうか。 駅の中で二人の初老の男性がもめごとをしていた。片方がもう片方の肩を押して、いまにも暴力が始まるか、いや、そこまで発展するには両人に抑制がある、とぼくは見ていた。通りがかった30代の男性が止めに入った。肩を押され危機にあった男性はそそくさと逃げて行った。肩を押した男性は仲裁に入った30代の男性に食ってかかった。なんで、関係ないお前が邪魔をするのかと。「俺が悪いのか」と仲裁男に問いかけた。仲裁男が何を言ったかは聞こえなかったが、この男性も肩押し男を説教する勢いだ。第二次紛争が始まるかと思えた。肩押し男が「お前なんか関係ない」と、仲裁男から去ろうとするが、今度は仲裁男が許さない。肩押し男が去ろうとする前に回りこみ、何か言葉を投げかけている。いざこざが繰り返された。 周りで見ている者からすると、肩押し男は暴力の匂いを匂わせたことが欠点で、仲裁男は他人の喧嘩を裁こうとしたことが欠点に思われた。お互いそこまでしなくてもよいのに、しつこく相手に食い下がる。修羅場にならなかったので、この光景は興味深いものだった。 かつて、ソ連がチェコに内政干渉した「プラハの春」への軍事介入や、アメリカ合衆国のイラク戦争(いわゆる「湾岸戦争」)の例を出すまでもなく、国家間でもこういった例が見いだせる。そして、介入する側が仲裁でなく積極的に攻撃するから、ちゃんちゃらおかしい。 猫の喧嘩を止めるのは愉快だ。ギャーギャーうるさいのを黙らせるなんて大義名分。2匹とも「なんだこいつは」という顔をして逃げて行く。喧嘩を止めるのもこんな楽しくやりたいね。あの、ビクっとした猫の反応の良さを見るのは快感である。

軽やかなシシュポスの岩

シシュポスは巨大な岩を山頂まで持ち上げるが、あと少しのところで岩は下へ転がり落ちていく。この苦行を何年も繰り返す。賽の河原では親の供養のために積み石で塔を作っても、完成する前に鬼がやってきて塔を壊してしまうという。報われない努力を今日も続ける。シシュポスの場合は罰として、賽の河原の場合は子どもたちに課せられた義務として、徒労を続けなければいけない。 忘れられない言葉があり、それは先輩が繰り返し言っていたことだ。その先輩というのは酒飲みで、酒が入るとすぐこの言葉がでてきたから、酒のうえのたわごとと切り捨てることもできるのだが…。「作っては壊し、作っては壊しだよ」。仕事に対する愛着と解釈した。 途方もない責苦を人間は背負わされたものだ。毎日食事を作り食べることだって同じことの繰り返しだし、排泄だって繰り返す。ニュースから流れてくる犯罪や事故だって絶えることはない。説教師も同じ話を繰り返し繰り返しするが、信者は何も聞いていない。 そんな日常に反抗を企てる。ストライキだったり、旅だったり、無気力になってみたり。または自殺をしてみたり、冒険してみたり。反抗を企たとしても、バンド再結成やスポーツ選手の復帰、犯罪の再犯に見られるように、元の鞘に収まってしまうこともある。報われない日常を離れると、もうひとつの怠惰な日常が現われる。旅人として世界を回ると、世界を回ることが日常の徒労になってしまうものだ。 夏の間、毎日のように打ち水をしていたご近所のおばあさん。そして伝統のようにそんな風習が繰り返される。保冷の効果という意識があるのだろうかね、徒労を無駄と思わない無心な習慣のような気がしてならない。秋の落葉掃きにしても同じ。 日常のささいな習慣には、徒労という意識すらないのかもしれない。身近なところに軽やかなものがあることに気がついた。