この月は部屋の片づけ月間と決めているので、毎日こつこつと部屋の整理・整頓をしている。油汚れやほこりの汚い所は清掃もして、かなり整ってきている。でもそう一足とびに作業を進められないのが、整理の難しいところなのだ。 そんなことをしながら気づくことがあって、それは、いわば血のめぐりみたいなことなのだが、はい、わからないね、きちんと説明します。 部屋が片付いていないときは、言って見れば、血が行き届いていないようなもので、その空間やその箱の中に何があるのかわからない。分かってはいても、乱雑としていて開けたくないということもある。 部屋を片付けたあとは、その空間にどういうかたちで、何を置いて、どうすれば便利になるかを考えて配置・整頓するので、すみずみにまでぼくの意識がめぐりわたっている。 そう、まるで冷凍していたのを解凍したかのようなものなんだね。そういった意識を張り巡らせることができるのが、整理・整頓のよいところだ。 思い起こせば、触れたくないことや面倒くさいから放置しておく物や事象というものがある。そこにメスをいれることが必要だとはわかっていても、怠惰からか、そのうちにやるよといって後回しになる。 人との交流もそのようなもので、今年は会おうと年賀状に何回書いたことか… 自分の家は自分の手に負えないほど巨大化して、乱雑になってしまう。というより、自分の手に負えない・目に見えない・意識にのぼらないように、日常生活の悪習がそうさせてしまうのだ。 指の先の一本一本にまで意識を働かせ、血のめぐりをよくして動きやすくし、快適さが全身にくるようにすること、それが必要なことが最近の再発見なのかな? パソコンの用語には的確なものがある。最適化。それ。それをしている最中というわけ。それをしたらから軽くなるんだ。軽くなるというのは気持ちがいいもんだ。快適なんだ。なにも新しいものを購入するわけでない。快適な暮らし、そんな単純なところに辿りついたというわけ。ようやく気付いたのか?