ジャン・ルノワールの、最高でないにせよ、面白い映画『ラ・マルセイエーズ』を観た。いわば歴史物であり、戦争物ともとれる題材ながら、歴史の再現を目指さないところが彼の映画らしい。フランス革命を扱い、実在の人物も登場してくるので、史実から離れることは許されないが、彼の映画を観ると、史実が映画から離れてひとり歩きを許されているかのように、今までのぼくが知っている限りのフランス革命がまるでこの映画そのものとしか考えられないくらいに、興味を引くものであった。
群像劇であり、主に焦点を当てているのがマルセイユ義勇軍の庶民兵士3人なのだが、描くのはそこにとどまらない。パリで起こっている政治と革命の動きもきちんと織り交ぜて、ルイ16世やマリー・アントワネット、パリ地区委員長も出てくる。大きくは、プロシアやオーストリアの動きも逐一描かれている。まあ、歴史劇だから、当然と言えば当然なのだが。感心するのは、主人公たち三人と国王を同時に描きながら、どちらも通俗の表現になってなく、性格がきちんと描写されていること。この両者が相まみえる瞬間があってもいいと思うのだが、それをしないで、最後まで両者の立場から見た革命を描いている。王妃も庶民の女たちも同等に個性的に描かれている。
どこかユーモラスな行動をしてしまうところをのがさないルノワールの視点もあげておこう。かえって、そういった事細かな生活に密着した行動がつねに画面にあふれてくることを信条としているかのようだ。あっけらかんとした人間があふれ出す。
ルイ16世の食事。マルセイユ義勇兵が歌に聞き惚れる。戦闘の最中に戦闘しないで女たちを見送る義勇兵。王の息子・娘たちのこどもらしさ。
歴史というものは要旨を抜粋したようなものなので、それを人間のドラマに置き換えると、今までに考えられた観念からいろいろはみ出してくるものがある。ハリウッド映画なら英雄主義的にはみ出すであろうし、日本の大河ドラマなら感情の引き延ばしという点ではみ出すだろう。ルノワールのこの映画は、人間がまるっきり人間らしく、意外性のあるはみ出しかたをするので、感情的な高まりをそこに求めても筋違いのような気がする。ああ、こんなこともありうるな、人間だから、といった考えを微笑ましく抱きながら見ることのできた、楽しい映画だったと思う。
群像劇であり、主に焦点を当てているのがマルセイユ義勇軍の庶民兵士3人なのだが、描くのはそこにとどまらない。パリで起こっている政治と革命の動きもきちんと織り交ぜて、ルイ16世やマリー・アントワネット、パリ地区委員長も出てくる。大きくは、プロシアやオーストリアの動きも逐一描かれている。まあ、歴史劇だから、当然と言えば当然なのだが。感心するのは、主人公たち三人と国王を同時に描きながら、どちらも通俗の表現になってなく、性格がきちんと描写されていること。この両者が相まみえる瞬間があってもいいと思うのだが、それをしないで、最後まで両者の立場から見た革命を描いている。王妃も庶民の女たちも同等に個性的に描かれている。
どこかユーモラスな行動をしてしまうところをのがさないルノワールの視点もあげておこう。かえって、そういった事細かな生活に密着した行動がつねに画面にあふれてくることを信条としているかのようだ。あっけらかんとした人間があふれ出す。
ルイ16世の食事。マルセイユ義勇兵が歌に聞き惚れる。戦闘の最中に戦闘しないで女たちを見送る義勇兵。王の息子・娘たちのこどもらしさ。
歴史というものは要旨を抜粋したようなものなので、それを人間のドラマに置き換えると、今までに考えられた観念からいろいろはみ出してくるものがある。ハリウッド映画なら英雄主義的にはみ出すであろうし、日本の大河ドラマなら感情の引き延ばしという点ではみ出すだろう。ルノワールのこの映画は、人間がまるっきり人間らしく、意外性のあるはみ出しかたをするので、感情的な高まりをそこに求めても筋違いのような気がする。ああ、こんなこともありうるな、人間だから、といった考えを微笑ましく抱きながら見ることのできた、楽しい映画だったと思う。
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