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6月, 2008の投稿を表示しています

お夏清十郎のDVD

体調が復調してきた。ここ2週間、風邪をひいてからずっと、マイナスの部分をうろうろしていたみたいだが、昨日からは、ゼロのあたりをうろうろしているようだ。普段の快調な生活を+5とすると、ゼロに近づいただけよしとしなければならぬ。よし! 昨日、「お夏清十郎」の公演のDVDを観た。あと少し編集してもらって、はじめて公開して、販売できそう。よかった。 久しぶりに観る「お夏清十郎」も良かった。そりゃ、もちろん、?と思うところもあるが、おおむね良いんじゃないかしら。俳優さんみんな生き生きしているし。あ、あんなこともしてたんだね、って。 ぼくは、忘れやすいというか、無頓着なところがあるから、少し前の公演を作る過程でどんなことがあったか、あえておぼえておこうとしないので、改めてDVDを見ると、わくわくするところが多い。しかも、もちろんだが、全員友達が出ているわけだ、興味は尽きることがない。 批判的な目で見てもらうのは、これから公開するとき。そのときは、どんな意見も参考にしなければな。 まったく自分の中だけでしかないけど、人脈っていいな、なんて思う。人にどう思われているかは知らないが、知りあって、何かしら一緒の道を歩んだ人には、特別な思いはある。つねにそんなことを考えているわけではないけど、ふとした時に夢に出てくる人もいておもしろい。あえて人脈を広げようともしていないし、そんな友達関係では、憎まれることや、不快感を与えることも多いけど、ぼくのなかではこんなふうに思っているわけだ。 明日から、「玄朴と長英」の稽古も始まる。かなりこじんまりとしたカンパニーにはなるが、戯曲の性質上仕方ない。小さい分だけ、小回りが利くのが利点で、実験的ないろいろな手法を試すこともできる。また、それに応えてくれる俳優も素敵だ。 公演ブログは こちら グルッポのホームページは こちら 最近、体調はよくなったにもかかわらず、睡眠の時間が不規則になって直らない。早めに眠ることができることを祈って、今日はここで終わる。

玄朴と長英〜愛しくも、憎らしく〜

「いつのまにこんなになっていたか…」 ふと、こんな思いになるときがある。 おそらく、誕生日や自分の歳を振り返るときが一番こんな思いになるであろう。 自分の部屋にたまった塵や本やCDなどもそうであろうか。 自分の履歴書を書く時の経歴の多さもそれであろう。 今回、ぼくがこんな気持になったのは、このブログを含めて、5年前には触ることさえためらわれたパソコンを使っての用事が多くなったことである。 知っている人にとっては自明だが、ぼくは精密機械を操るような柄ではなかったのだ。しかも、意地を張って、触ろうともしなかったし。 携帯も前は持たなくても不便でなかったため、持っていなかった。 それが今では… 携帯は、なくてもそれほど不便を感じないが、パソコンは自分が運営するHPやらブログやらで、なければ話にならないほどになってきた。 これは、必要から迫られたことが、必要不可欠にまでなったことの、ひとつの過程でもある。 グルッポ・テアトロのためがほとんどではあるが、今では、PCで仕事もするようになったのだから。 で、振り返ってみたわけである。 このブログだろ。 グルッポ・テアトロのホームページだろ。 『お夏清十郎』のブログだろ。 mixiだろ。 それと、陰でこそこそ書いて、今は放置状態の、誰にも知らせていない、シナリオのブログだろ。 作成途中で、性質上完成しなければ告知しない、グルッポ・テアトロの携帯ホームページだろ。 演劇のサイトに登録して、記事を投稿したこともあったっけな。 で、今度追加されたのが、『玄朴と長英』の公演ブログ。 それの紹介をしますわ。 玄朴と長英〜愛しくも、憎らしく〜  (公演のブログです。) ふう。挙げてみるときりがない。 いつから、こんな子になったの…? いいんです。 どんなに悪に(?)手を染めても、染まりきらないから。 このネットでのいろいろな手法なども徐々におぼえてきているし。 でも、もともとが細密なネット構造に疎い人間だから、自分流の使いかたをしているにすぎないけどな。 あ、それと、 玄朴と長英〜愛しくも、憎らしく〜 は、玄朴と長英の公演の稽古などについて書いていきます。 この、「ささやきは遠音となって」はまったく私的なささやきというスタンスを貫き(?)、稽古場での愚痴でも書いてや

ナイーブな安楽椅子

何も刺激のない生活というものは、味気ないものだ。生活というその言葉は、外界から多くの刺激を受けるということを指すのだろうか。それはどんな刺激でもいい、近所の人とのあいさつでも、会社の同僚でも、もしくは人でなくてもいいかもしれない。ペットと1日をともにしたり。または、刺激は書物などでもいいかもしれない、テレビでもいいかも、とにかく自分とはまったく別の要素からの刺激。 刺激の少ない生活ほど印象にも残らないものだ。多すぎても残らないが…。 しかし、自分の体調の機嫌を取りながら、そればかりを気に掛ける、昨日・今日の風邪をひいた生活はつまらないものだ。生きた人間とのやりとりも、ほんの少しだけだし、何よりも、体調を保つことだけに気を集中しなければいけないのがつらい。こんな日は、自分が何をして過ごしたのかさえ確かなものではない。 非常にナイーブなことを考えるのもこんな日の特徴で、自分のしていること、しようとしていること、自分の存在に不安をおぼえてしまう。あんなことして、何の意味があるのだろうなんて。 こんな状態にとどまっていないようにしなければ。案外楽な発想方法なんだと思う、自分を責めるのって。そんな考えで悲観的になっていれば、世の中のことを全部説明がつけるような錯覚を起こす。何ひとつ現実のことと接触していないにもかかわらず、形而上的に整理整頓できると勘違いしてしまうのは、人間だれしも起こることだ。思い切って行動したことが、そんな形而上的な迷いごとを振り切ってくれるはずだ。 人間関係も希薄になった今日この頃、という表現をみかけるが、確かにその要素はあるだろう。以前のような、べったりの付き合いを逃れたり、煩わしいことを軽くすましてしまう傾向は確かに世の中にある。おそらく、自己を保全しているのだろうが、そのぶん外界からの刺激も遮断される。ヘッドホンの中だけで過ごす人に加え、最近では携帯画面との間でしかコミュニケーションしていない人が多くなってきている。駅を歩いていても、携帯の画面にしか注意を払えない人。 コミュニケーションの方法が変わってきているなかで、どうしても局所的に、専門的にしか接触できないとすると、やはり、先に言った「ナイーブな考え」というものが頭をもたげてくるのだとは思う。テレビとしか接触しない人、携帯としか接触しない人、ペットとしか接触しない人が、そ

うなされる夢

風邪を引いてしまった。久しぶりの感覚だ。 腰などの関節が痛くなるし、頭がぼうっとしてくるし、すぐ眠くなるし、喉が痛いし。何度か小分けにして眠ったら、徐々に回復してきて、そんな感覚も久しぶりで、なんだか新鮮な気持ちになった。 風邪をひいたときに見る夢で覚えているのは、得体の知れないものが次々と大きくなって迫ってくる夢で、熱が高ければ高いほどそんな夢を見たっけな。 今回見た夢は、はっきり覚えてはいないが、非常に細かい規則を守らなければいけないとかいうもので、強迫観念になっていた。 風邪をひいて熱を出したときはうなされるものだが、うなされるというのは、このような形で、迫ってくるものと格闘していることなのだろう。 舞台の公演中の夢というのも、そういった強迫観念で、ぼくの場合、舞台の上というよりも、裏のほうをどうするかということに迫られていた気がする。ここで舞台に出なくてはとか、ここで装置を転換しなければといったこと。舞台裏の処理の方が演技よりも、重圧になっていたのだろう。 一時期夢など見ないか、覚えていないかの時期があったが、そんなときは重圧がなかったのだろうか。そんな人生というのも味気ないな。いくら自分がうなされる夢でも、夢を見るということに快感というものはある。朝起きて、見た夢を反芻するなんて時間がとても貴重に思えてくる。 まだ風邪は治りきってはいないが、だいぶ良くなった。今日これから眠るのだが、昨日みたいにうなされるのかが楽しみではある。 そんなものを楽しみにするより、早く風邪を直しなさい。

『玄朴と長英』の音楽

『玄朴と長英』の公演のための打ち合わせをしてきた。音楽作曲を担当する若柳吉三郎さんとの最初の打ち合わせだった。吉三郎さんとは、『お夏清十郎』のときに初めて仕事をしたわけで、今回で2回目となる。 思えばぼくも幸せだ。公演の度に、というよりも、作品の度に、そこに内在する音楽を作曲してもらえるのだから。もともと、出来あいの曲にはその制作過程があり、それぞれの曲には曲自体の個性がある。だから、どんなに雰囲気が戯曲とあっていようが、楽曲は楽曲なりの世界を持っている。松任谷由美の曲が戯曲にふさわしくても、バッハのピアノ曲がふさわしくても、ワーグナーのタンホイザーがふさわしくても、似通っているというだけで、戯曲そのものの楽曲とは言えない。 黒澤明がビゼーの有名曲を作曲家に提示しても、その曲そのものを映画に使いたいのではなく、作曲家から音楽を引き出したいのだ。 出来あいの曲が演劇にふさわしいことはある。でも、作曲家が公演ごとに戯曲と向き合い、作曲するというのが、一番良いことであることは変わらない。そういった意味でぼくが、またしても、作曲家と『玄朴と長英』のための音楽を紡ぎだせるというのは、幸せにほかならないのだ。 2度目とあって、最初に仕事をしたときとは違って、一歩も二歩も進んだところからスタートをきれたのが嬉しい。チームを作るというメリットはこういうところにあるのね。初期段階の細々とした誤解や不理解というものを飛び越えて、より創造的な段階に近いところから始められる。共同作業の良さである。 また、吉三郎さんも、ぼくも進化しているように思えた。意見や戯曲の印象も一致する点が多く、何かが生まれやすい土壌づくりができたと自負している。思えば、『お夏清十郎』のときは、コミュニケーションも苦労した。共通言語を持っていなかったためだ。今回は違う。前の仕事がお互いの認識にある。これはやりやすい。また、仕事はじめとしてはかなり刺激し合えたとも思っている。 『お夏清十郎』の曲も素晴らしかった。少なくともぼくは愛している。『玄朴と長英』の曲もそういったものにしたい。 こんな仕事を続けていきたいと思っている。 若柳吉三郎さんは、ジプシーギターで数々のライブもやっている。そんな達者な、そして、かなり洞察力にも優れた音楽家に胸を借りられることを誇りとしたい。 リンクを貼ってお

人間の演劇

劇映画において、風景や空のショットがあまり意味を持たないのは、多くの人がいうことだが、戯曲においても同じようなことが言えると、ぼくは思うんだな。 どうしても興味がわかない劇作家がいる。おもしろくない。その作家は自分でおもしろいと思っているから書いているのだろうが、ぼくにはおもしろく思えない。その劇作家が、人間に対してあまり興味を持っていないように思えるからだ。 何を書いても、そこに人間が描かれていればそれなりのおもしろさはある。しかし、一部の作家は、自分の文体にしか興味がなかったり、ささいなギャグにしか興味がないように思える。描かれているものが人間でなく、技術であったり、言葉の綾だったり。構成の上手下手でなく、見たいものを見せてくれない、知りたいことを知らせてくれない。 そんな劇作家こそプライドが高かったりもする。 う〜ん。作家の立場というものだろうか、作家がどこに立って、どれを見て、それをどのように見せてくれるかが大事ではある。しかし、それ以上に大事なのは人間を描くという立場に立つということではないか? ハリウッド映画の多くはマンネリで退屈だったりするけど、人間を描くという立場は守られている。多くの脚本家の参加するシステムでは、普遍的な人間ドラマというものが共通項なのかもしれない。 多くの劇作家だって、そんな人間ドラマを見せてくれるのだが、どうしても一部の劇作家にはついていけない。ギャップというより、完全な別枠といった感じで、理解しようとする気も起らない。 どこの世界のことを書いているのやら…そして、それは、今を生きるぼくたちに何の関係も刺激ももたらさない。そんな戯曲を書き続けるだけの執筆人生は、はたしてよいものか?後世をあてにする?いやいや、時間が経とうが、人間が描かれていなければ振り返られることもあるまい。 アルタミラの壁画や、ローマのモザイク画だって、みんな人間が描かれているから後世の人が興味を持つのだ。 風景画や絵画や舞台装置を観に劇場に来る人は少数だろう。みんな人間を観にきたいのだと思う。そこにドラマはあってもなくてもいいのかもしれない。反ドラマ演劇というものもあるだろう。しかし、反人間の演劇は果たして興味をそそるものかどうか。