世は税金の使われかたに敏感になった。しかし、万人が望むようにはお金が使われるわけではない。 小室哲哉さんの話題をテレビで見た。彼の税金の額には驚いたが、楽器を購入するために3億使ったという情報もこころに残った。金持ちが自分の仕事に投入するお金は、やはり莫大なものだった。ゴルフの石川遼選手は自宅近くに練習施設を作るという。 落語家や演劇の俳優が自分たちの仕事のために投資するお金はどれくらいなのだろうか。このひとたちの資本は自分の声であり身体である。設備がしっかりしようが、高級な座ぶとんを使おうが、そのために演技や落語が上達するわけではない。自分の仕事のためにお金を使うといっても、莫大な金をそこに費やすことができない。飲食代を自分への投資と考えることもできるが・・・あくまで冗談でしかない。 とはいいつつも、稽古場や練習場が必要なのはいうまでもない。しかしそれらの施設が十分に整っているとは言いがたい。稽古場不足はかなり切実な問題だ。石川選手のように、ウン億のお金をかけて練習施設をつくれるような俳優などいない。 個人が作れないなら公けが作るしかない。医療や福祉や教育にかけるお金に市場の原理を貼りつけて嬉々とした人たちがいる。しかし少しずつではあるが、市場原理主義の、まやかしや欺瞞が問題になりつつある。売れる売れないの基準ですべてを量ることへの疑問。落語や演劇も「公共の利益」の場にのせてみようじゃないか。 俳優個人の夢や希望を満足させているだけ、という自己責任論は皮相な罠だ。俳優も立派な公務員になりうる。営利目的でない公共サービスとしての演劇。図書館の本が無料で借りられるのは当然のように考えられる。ならば、演劇や落語、映画でさえも、無料もしくは格安で観ることを当然のように思える時代が来てもよいのではないか。そんな素敵な税金の使われかたに出会いたい。