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3月, 2008の投稿を表示しています

事物の眼差し

映画監督の吉田喜重は小津安二郎の『東京物語』のあるエピソードをとらえて、「空気枕の眼差し」と評している。老夫婦が、空気枕がそこにありながら探したように、人間がうっかり見落とすものがあり、空気枕は事物としての眼差しを老夫婦に注いでいたと。それは、大いなる物語・体系・人間の考えからこぼれ落ちるものであり、そんな事物の眼差しを小津は示していたと。 また、ブレヒトは異化という概念を使い、物語の筋道だった流れから予想される演技を拒み、観客が疑いをはさみうる余地を残そうと努めた。 モンテーニュは「わたしは何を知っているか」として、疑うことから始めた。 人間は信じやすく、また、大いなる物語や体系や組織のなかにいることに安心する。迷信や偏見や常識を身につけてしまうと、そこから脱却するのも努力を要する。ときには偶然に目を開かせられることもあれば、かたくなに目を開くことを拒み続けることもある。 ギョーザ事件なんかは、メディアの大海に乗ってしまうと、憶測が偏見を生み、過激な差別を生んでしまった。疑うこと、立ち止まること、事物の眼差しで事件全体を見られるようになるまでは時間がかかった。 メディアは、意図的ではないが、扇動することとなった。記者の興奮がメディアの興奮となって、視聴者・読者の興奮となった。 対イラクの件で、アメリカ人の冷静な意見が聞こえてくるには、もっと時間が費やされたことは記憶に新しい。 未だに戦争を美化する風潮は全世界にある。 核抑止論なんていうのも、恐怖と妄想が経済的利益と結びついているだけで、単なる論理でしかないことになぜ気がつかないものなのだろう?大いなる体系が偉大なる物語をシナリオ化している。それは作りもの。暗い夜道で誰かに引っ張られた気がして馬鹿力でふりほどくと、実は木の枝にひっかかっただけだったなんてことも。 よく舗装されたいい道路だけが道でなく、漫画じゃないけど、隣の家の中を通るものが道であることもある。マニュアル通りに接客していたら、かえって不快感を与えることもある。 一度、信じやすい自分を疑ってみることがいいのではないかしら?人間の思い込みのほかに、事物の眼差しというものもあるということに、思いを馳せてみたらいいのではないかしら?立ち止まって考える時間を確保したらいいのじゃないかしら? そんなふうに思っている日曜日でした。

日曜日の思想

以前もこのブログに同じことを書いたが、また思うのは、日曜は静かだということ。その静けさが心のすき間に沁み入るようで、どことなくひりひりする。感傷的になるのはこんな晩だ。 思えば幾晩こんな時間を過ごしたことだろうか? そして、次の日には無くなるにせよ、どれだけの夢を描いたことだろうか? 人恋しくなるのもこんな夜で、だからこそここに書き綴っているのであろうか。 古いアルバムを見返したくなる時があるように、古い記憶のカケラが、こんなときふと顕れ出てくる。昔の友達。昔の建物。昔の感情。 一日前は聞き流していた音楽も、こんな日は心を揺り動かす。 テレビで見た老夫婦の慎ましい姿にじんとくる。 こういったものを、潜在的なものが現われ出てくると捉えるのなら、日常の生活は嘘やまやかしに塗りたくられているものなのだろうか?忙しさにかまけて、生きることに一生懸命で、武装しているものなのだろうか? 反対に、何も飾る必要がなく、誰からもせっつかれないこんな日曜日のほうが異常なものなのだろうか? そう、たしかに記憶の中からでてきたものは、およそ動きのない写真のようなものであり、ある感情も恋慕も美化された嘘っぱちのものとも言えないこともない。死でさえも、こんな日は醜くない。 たとえば、ドラマというものが劇的な事件の連なりのように思えるのが、日常的な考えというならば、今夜のような考えを「日曜日の思想」とでもいおうか。その思想は、ドラマというものは、非劇的な、事物や記憶・意識の集成でもありうることを教えてくれる。 一見、月並な卒業式・送別会であったとしても、内部には激しいドラマが渦巻くこともあるし、激情すら抑制された微妙な意識というものもある。 そして、この曜日が教えてくれることは、わんわん泣きわめく別離というものよりも、感情が抑えられた中に出てくる小さな「おかしな行動」に彩られた別離のほうが、よりドラマと呼ぶにふさわしいものと思えることだ。激しい格闘よりも、家庭内の微妙な意識のズレなどのほうが、よりエキサイティングなものに思えることだ。 最初に、すき間という言葉を使ったが、大ざっぱな平日の手からこぼれ落ちるものが、心に受動的な空白ができる日曜日に滴り落ち、そこにもドラマが隠されていることが分かってきた。 きっと平日は動きすぎて・忙しすぎて・うるさすぎて、気づく

日本というもの

演劇に取り組む人がおそらく必ずぶち当たる壁、大げさに壁とは言わないまでも、障害というものは、日本の作家が日本語で書いた戯曲と海外の戯曲の間に横たわる差異であろう。 これがテレビドラマであったり、日本映画であったりしたら、日本人の役者が「ハロルド」とか、「マクベス」とか名乗るのを聞けば、即座に違和感を覚えるであろう。 演劇では同じ役者が、ロシア人にも、中国人にも、古代ローマ人になっても、その条件性を受け入れることは難しいことではない。 だが、たとえある俳優がカナダ人になったとしても、どこまでカナダ人としての人間性を表現できるかは疑問だ。ある意味ほぼ不可能かもしれない。カナダ人を表現するというよりも、人間一般、ある国の特殊な人間でなく人間性そのものを表現するともいえる。かといって、カナダ人の生活や風習や歴史・文化を知らないうちに、安易にカナダ人役ができるとも思えない。 トリュフォーの映画にも、「おかしな日本人」が出てくるが、その場面は、日本人の観客には失笑の種だ。 中国人らしい人が日本人として出演している映画もよくあるが、あれも違和感を感じる。 日本のドラマでも、人種の違った人間を外国人一般でひとくくりにすることがあるが、日本人のわれわれには奇妙でなくとも、当事国の人間にはおかしく思えるだろう。 こうなると幻滅するくらいの限定された範囲でしか、演劇も映画もできないように思える。 そこで、日本語で書かれた、日本人を演ずる戯曲に取り組まなければならない、といった使命感みたいなものが出てくる。これは役者や演出家、必ず多かれ少なかれ通るものであろうと思う。 日本人と日本を綿密に表現したいという欲望。 だいいち、役者の演技が褒められるのは、外国人を演じるときよりも日本人を演じるときのほうが多いのだから、役者もそれを悟るのだ。 そしていつまでもそこを住処に、日本人を演じるという意識もなく自然と、身近な人間を演じることになる。 最初に「壁」と書いたが、その、外国人を演じることへの抵抗・障害を、どこまで乗り越えられるか、これもまた大事なことではないだろうか? 最近の日本のメディアや市民も、どこかナショナリズムなものを感じるのはぼくだけであろうか?大げさな「j」「〜ジャパン」、ある特定の国への偏見。 演劇や戯曲と、ナショナリズムとを結びつけるのはあまり

ソクラテスの毒杯

何年か前に、プラトンの書いた作品を通じてソクラテスの生き方に惚れ込んだことがあった。ソクラテスの生き方に触れるわけだから、思索を巡らしたり、議論したくなったりしたのだが、その当時は、ソクラテスの主旨よりも、議論をすること、悪くいえば打ち負かすことを楽しんでいた。そのためにとげとげしくもなり、いわば喧嘩腰だったわけだ。 テレビの討論番組にしても、国会の審議にしてもそうなのだが、確かに論戦はおもしろくはあるのだが、ならば、一番いい方法を見つけるためにすることは何なのだろうか?まさか議論に勝つことではあるまい。打ち負かすことでもない。相手に非を認めさせることでもない。論戦の相手が喜んで自らの意見を変えることが必要なのだが、なかなか意見は変わるものではないし、党派的なしがらみや思想もある。 ころころ意見を変えることに対する厳しい監視の目もある。 ソクラテスは真理を求めていた。 そのために、いろいろな方法をとって、たまには馬鹿もした。 相手より強く声をだし、打ち負かすことが求められた古代ギリシアの政治のなかで、大事なことはそこにはないよ、といわんばかりに。 モンテーニュがおもしろいことを言っている。 「不断の顔で死と交わり、死に親しみ、死と戯れるのは、ソクラテスだけができることである。彼は死のほかに慰みを求めない。彼にとっては死は自然の、どうでもよいできごとのように思われるから、そこに正しく自分の目を据え、よそ見をせずに、覚悟を決めるのである。」(「エセー」原二郎訳) 死と言えば、伊丹万作のエッセーにもおもしろい文章があった。 「私の顔も死ぬる前になれば、これはこれなりにもう少ししっくりと落ち着き、今よりはずっと安定感を得てくるに違いない。 だから私は鏡を見て自分の顔の未完成さを悟るごとに、自分の死期はまだまだ遠いと思って安心するのである。」(「顔の美について」伊丹万作) ソクラテス→死、というつながりでただ書き流しているので、結論はありません。 ただ、気になることは、死というものが深刻さを逃れるようにも、考えようによってはできることだ。 人の葬式や、体調の悪化の話を聞くのもつらいことではあるが、話をする当人のほうはそれほどでもないようだ。 そんなときは、議論に打ち勝つことや、人より上を目指すということより、何か、無頓着な真理に触れてい

ふと我に帰る

人にはそれぞれの顔があるように、人それぞれの考え・思想というものもある。同じ事件を見ても感じることは違うだろうし、気づくことも、観察するところも千差万別だ。 それなのにどうして、ひとつかふたつの意見に早々と集約されるものなのか? 要するに賛成か・反対か、諾か否か、あれかこれかと、簡単に結論づけてしまうものなのだろうか? 人間の思考が複雑なものを単純化して記憶し、整理するものだからか? 一般的な意見に沿うのが安心だからか? そもそも人間みな同じようなことを考えているからだろうか? ある作家の小説を読むときに、ある視点・ある視角というものが、読者によりはっきりと明快に分かるときに、その小説がよりわかるのであり、その視点に共感できるからこそ、それを愛読する。 一般的な視点で書かれたジャーナリズム的な小説には魅力を感じにくいものだ。 ならば作家というものは、物事を単純化する一歩手前で立ち止まり、作家個人のフィルターを通してものを書くのだろうか? 賛成か・反対か、諾か否か、あれかこれかを、結論づけてしまう前に「わたし」のところで一呼吸し、「わたし」を探る。そうして探り当て出てきたものは、同じ「賛成」でも同じ「反対」でも、一般的な「賛成」「反対」とは違ってくる。 もちろん通常だれでも同じことをしているが、作家はより慎重に、より懐疑的にそれを行う気がしてならない。 映画の名作と呼ばれる『東京物語』(野田高悟、小津安二郎作)は、脚本からして豊かに、また明快にできている。そのテーマを声高にではなく、しかし着実に語っている。それが二人がとった視点から語られる物語だからこそ、そしておそらくは、その視点から思い切って描いたからこそ、名作なのだ。 『悪魔を憐れむ歌』(ゴダール監督、出演ローリング・ストーンズ)も、奇抜なドキュメンタリーでありながら、ゴダールの見る目が感じとれた。あえてそこからしか見ようとしない、そしてそこから見させる意志が汲みとれた。 早急に結論を出すことの一歩手前で立ち止まり、ある意味戦術的に自分の視点を確保してみようか。どうせ、結論自体たいていは陳腐だったり、ころころ変わりやすいほどのものなのだから。そして、人は多かれ少なかれ自分の出した(と考えている)意見や結論に固執してしまう頑迷さを持っているから、自分で自分を縛りつける一歩手前で

舞台の魅力

岸田国士がおもしろいことを言った。 「舞台というものは、常に戯曲の生命を狭め、俳優の自由を束縛し、見物の幻想を妨げる厄介物であります。」(『現代演劇論』岸田国士) そのために、舞台を「利用」して、舞台的拘束を舞台的魅力に転じなければならないと締めくくっている。 はじめて戯曲を読んだときに、語られた物語の世界を、想像でふくらまして魅力を感じるという過程は、どのような読者にでも起こることである。その戯曲を朗読したとすると、自分が読んだとき以上の感銘を一読で起こすことは不可能に近い。 空を飛びまわる空想の物語が小説なり戯曲なりで書かれていたとしても、実際に舞台で空を飛び回る姿は、限られた技術に頼った“ちんけ”なものだ。 どんな俳優にも年齢による役柄の変遷というものがあって、いつまでもうら若き娘役ばかりやってはいられない。 想像するのはどこまでも、どれほど大きくもできる。すべてが可能であるかのように、すべてが豊かであるかのように、想像の翼は広げられる。その想像に現実が追いつかないところに挫折が起こる。 もって生まれた顔はひとつしかないし、ひとつしか体は無いし、作家が自分で思って書いたことが俳優に体現されるとも限らない。 想像できる限りの舞台を楽しみに劇場に行ったとしても、そこで見られるのは、常套の舞台処理だったり、中途半端な演技だったりして、決して空を飛ぶピーターパンなどいない。そもそも空を飛べない人間が、空を飛ぶのを期待してはいけないのか? こうしてみると、さまざまな限定・拘束が舞台を、また、現実をしばっているかのように思える。特殊撮影で空想と現実の混淆が分からなくなるほどの映画とは違って、ギリシアの昔から現代まで、舞台は人間的な手仕事の範疇で、想像と現実の混淆の錯覚も起こさせない前提のもとに行われている。手品師的な不可思議な技術で幻惑もしない。 背中にロープをくくりつけ空を飛んでしまい、紙切れ一枚の背景で世界を語ってしまう大胆な演劇だからこそ、逆説的に、想像力というものをもっと訓練しなければと思っている。 必ず地面には着地しなければならないのだから、適当な場所に適当な勢いでそこに向かうには、飛び方・はね方の訓練をしなければと。何も考えずに飛び上がることはできよう。同じく、常套的な演技も・常套的な演出も・ありきたりのセリフを語らせることも

遠音・・・

とても静かな夜だ。 いろいろと自分の中で考えやひらめきが生まれては消え、また沸き起こっては別な考えにと移っていく。遠くに輝く星が見える。きらきら輝いては、夜明けとともにまた薄れていく。 感傷かな? 別に小難しいことを考えているわけでもない。しかし、やけに心躍る夜でもある。 危険だな。こんな夜にはすべてが可能とも思えたり、希望がわき起こったりするが、夜明けの眠たい目とともに疲労へと変わるのだから、今こんなときにさまざまな想念が湧き起こるのは虚しいことなのかもしれない。 以前、ドイツのロマン派の詩人のノヴァリスの「夜への讃歌」という詩を読んだことがあったが、内容は忘れた。夜に想像が膨らむという筋だったのかな? ひとつ気づいたことがある。 騒音の少ない環境では、遠くまで思いを馳せることができるものなのだなということ。遮るものがなければ地平線まで見え、遠くのふるさとや、旧友や家族にまで思いを馳せられる。溝口の『山椒大夫』の母親は佐渡の海岸の崖の上にたって歌を歌っていたものだ。 思えば、どれほどの障害や邪魔や騒音が、ぼくたちの想像を狭いものとしてきたことだろうか?そんな妨害があることが現実だ・リアリズムだと言い切ることで自分たちを慰めてきたことか? 昼の思想は都会の喧噪を壁として認識しているだけで、ならばどれだけその壁を突き破るような夜の想像力を用いることができるのか? 遠くを走る貨物列車の音を聞いてその遠さを感じるように、また、暗闇の森の中でさ迷い歩いた末に一粒の明かりを発見しそれにすがるように、遠くを感じること、そのなかで遠くのものに愛着を見出すこと。 テレビも音楽も聞くのをやめて、また、眠るのもやめて遠くに思いをはせる。 ちょっと感傷的な夜なのでした