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作家と骨組

これは分かりきっていたことではあるが重要なこと。 映画にも、演劇にもあてはまること。そして、もちろん音楽にも。 それは、戯曲・シナリオ・スコアが、良いものであることが、その上演の基礎になることで、いい上演にしたいのなら、基本の骨組である戯曲をいいものにするのが早道であること。 どれほどの労力を作家・作曲家の書く骨組に費やしても、無駄になることはない。 いいシナリオがいい作品を作れないことはあっても、いい作品は必ずいいシナリオによる。 今回の『お夏清十郎』は、やはり戯曲の力が大きい。はじめからそれは分ってはいたが、出演者・スタッフ・お客様・そして演出のぼくも含めて、すべて真山青果のこの戯曲に頼るところが多かった。この戯曲を綿密に自分たちのものにすることで、あとは作家の力でぐいぐいひっぱっていってくれる。 稽古過程の最初と最後は作家の腕にかかっている。 それだからこそ、橋本忍・小國英雄・黒澤明は旅館に缶詰となり、シナリオを作るのに血のにじむような努力をする。真山青果は取りつかれたように歴史劇を書き綴る。 すべて作家の詩心にかかっているとしても過言ではない。 単純に作家の書いたことを実行することほど難しいことではあるが、最終的にはそこに辿り着かなければならない。ひどく遠回りしながらも、作家の書く単純な行動が、人の胸を打つ。 伊丹万作の『国士無双』といったシナリオや、「シナリオ時評」ほかの随筆を読んでいる。 改めて思う。作家の作品を吟味しているこの時期こそ、極度の神経と明確な把握が必要なのだ。ここを間違ってはならない。それによって行き先も変わるのだから。 こうしてみると休まる日などないのだな。仕方ない。自分の選んだ道だから。

またまた年末に思うこと

昨日も似たようなことを書いたが、この時期は一年をふりかえる時期なのだが、振り返る一年などありはしないのが現実だ。それよりも、今後どうするか、2〜3年後どうするかが問題なのだ。 正直、初日が開けたらその後は、お客様が来てくれるか、これからどれくらい増えるか、今後の活動をどうするか、どの作品をやるか、何をこれから訴えたいかを考えるようになった。 ぼくの仕事は、初日を開けるまでで一区切り。あとは役者のセンスと団結力に任せたのだが、思うようにはいかないね。それは分かり切ったこと。自分の思い通りにはいかないものさ。それ以上を期待するのは酷かもしれない。ひとりひとり違った人間だもの。 今後どうするか?何をするのか? まるで、恋愛の終わりのように、何もかもがあとかたもなく記憶の世界へと進んでいってしまう。満足感も、達成感も、虚無感も恋愛のようだ。 しかし、恋愛の終わりにも、今のぼくにも明日がある。明日以降のことを考えなければならないという現実的な問題が、救いとなる。 幸い、ぼくのことを心配してくれる人が多くいてくれて、数々の意見・進言が、ぼくを奮い立たせる。ぼくに対して頑張れよといえない立場の年下の人間も、勇気を与えてくれる。 動かなければならないな! まずは、動き出すこと。口でいうのは簡単だが、取りかかることから始めなければ。ま、ここに書いているのは、エンジンをかけているようなもの。 だいたい、人に話すことによって、自分の考えがまとまっていくものだから。自分の考えをまとめるために、あえて、ぼやけた考えを、人に話してみることもあるものだから。 よし。この一年がどうのこうのより、明日以降をどう行動するかだな。 負けません。自分の甘さにも、他人の甘さにも。 よし!よし!よし!

年末に

今年も終わりそうな気配だ。 クリスマスも、年の瀬も、正月も、まるで関係ような生活を送ってきたからだろうか?もう、新しい年が来るのだね。 毎年、地味に、ひとりで、その一年の反省をしてきたが、今年は何の反省をしようかと、戸惑っているところなんだな。 来年の目標? 早起きすることかな。できるかな? ここ2,3か月ずっと聞いていたCDがある。武満徹の映画音楽のオムニバスで鈴木大介がギターで奏でる『夢の引用』。「太平洋ひとりぼっち」や「日本の青春」が入っている。 人生そのときどきで、ある音楽にはまってしまうものだが、この三か月はまさしくそのような耽溺の状態だったと思う。もしくは、CDを取り換えるのが面倒だからか?… 年末で、いつもなら実家に早々と帰るところを、今年はまだ東京に居残っていて、そんな時期、ひとりでいる時間が多く、するべき行動も見当たらない、感傷的になってしまう時期、音楽は心を癒してくれるんだな。 早朝や深夜に聞く音楽も心地よいものだ。 こうしてみると、お昼の時期の、人間が活動的になるときには、音楽もしくは人のことばもそうだけど、聞く態勢になっていないのかもな。聞くよりやる、観るよりやる、行動する。 とはいえ、いい時間をすごしていることに変わりない。 ここ二,三日まったく家にひきこもりっぱなしで、人と話もしていないな。今日は人とあって話をしてくる。これもいい時間にしたい。 いやはや、何とも幸福な人間のように書き綴っているが、ほんとのところどうなのだかね?

お夏清十郎 終了

公演が終わりました。 ご来場まことにありがとうございました。 また、ご来場できなくても、応援してくれた皆様に感謝! どうもありがとう。 また、このブログを書きつづる日々が来るかと思うと、楽しくもあり、逆に、演劇に忙しいくらいの日々がよいのかもと思ったりの、複雑な気持ちです。 ほんと楽しかった。 そして、いい仲間といいお客様に恵まれて、ますます躍進していきます。 また、スタートをきります。 よしっ!

お夏清十郎

公演に入りました。 今日は、その宣伝ということで。 グルッポ・テアトロ 『お夏清十郎』 12月19日(水)19時開演 終了 20日(木)19時開演 終了 21日(金)19時開演 終了 22日(土)14時開演 終了 22日(土)19時開演 終了 23日(日)14時開演 終了 23日(日)19時開演 終了 24日(祝)14時開演 終了 ぜひぜひ観にいらしてください。 場所:東演パラータ 世田谷区代田1−30−13 下北沢駅より15分 お申し込みはこのgooのわたし宛のメールか、 グルッポ・テアトロ のホームページをご覧ください。 お待ちしております

気持ちのよいこと

今日は稽古がオフの日。しかし、やることはいっぱいあってオフにはならない状態ではあります。裏では舞台の生活が続いているわけ。 しかし、休みというのは気持ちのゆとりができていいですな。 ひとの誕生日が立て続けにあって、お花を買ったりするのだが、やはり花はいいなと思う。花屋で囲まれているだけで、心が癒されるようだ。昔、花市場でアルバイトをしたことがあったが、そのときは重い花を運んだりしていたのだが、それでさえも、花を扱っているだけあって、気分が悪いといったことはなかった。 音響の効果音を選択するために状況を想像するのだが、気持ちのいいものではある。たとえば、もうすぐクリスマスだが、ロシアの雪で覆われた野原から、犬ぞりで鈴をならして人が暖かい家にやってくると考えるだけで、情緒が感じ取れるのだな。 子供のころ、夜更けに、貨物列車が通り過ぎる音が遠くから響いてくるだけで、気持ちが落ち着いた。 『お夏清十郎』の物語も鏑木清方の絵を通して想像がふくらむし、思いをはせるだけで気持ちのよいものだ。そういえば、兵庫県の室津の港はとても静かで気持ちのよいところだった。 今日は暖かいし、休みなので、久々にここに文章を書く余裕が生まれた。気持のよいということから連想して、つれづれに書き綴りました。 公演、ぜひ観にいらしてください。 12月19日〜24日 東京・下北沢で 演劇『お夏清十郎』、真山青果の作品の上演であります。 詳しくは グルッポ・テアトロ ホームページ 向い通るは清十郎じゃないか (公演ブログ) お待ちしております

ひさびさ

久しぶりに書いてみた。 忘れられないように、また、自分自身をわすれないように。 なんのこっちゃ! 今日は電車に乗った。 ただそれだけ。 何も観察できなかった。 かなり集中して、演劇漬けなので、かなり視野も狭まっているような… 関係ないけど、うちのミニコンポの電光のディスプレイが完全に作動しなくなっている。音はきちんと出るのだが、電源ランプすらついていない。不思議な感覚だ。 いやあ、こんなに何も書くことの思いつかない日はないな。 もうやめましょう。

探求

演劇に携わっていると、毎日が楽しくなるのは、今までに何度も語ってきたことだが、その理由をあげればきりがないので、今、というより今日、頭をめぐっていることを書きたいと思う。 演劇だけとは限らず、何かの調べ物をすることをぼくは好むのだが、自分の知らないこと、未知の事象や、過去の歴史の具体的な事象の発見をすることから、樹木が生長するかのように、興味がひろがり、ひとつの発見がもうひとつの無知につながり、その探求に結びつく。 樹木は地上に大きく、高く、広がり伸びるだけでなく、目に見えない地下にも茎として広がって深くなっていく。その巨大な地下網は、たとえば人間の潜在意識のように、感じ取ってはいるが、感じ取っていることを意識できずに蓄積されていき、ふとした何かの拍子に露見することになる。 古代の住居や貝塚、ポンペイの遺跡は、地上の表面からは姿を消していても、探求者の情熱や、ふとした偶然により、地上にあらわれる。そんなときにわれわれは目も眩むような未知の世界が、地下で生命を保っていたことに愕然とし、考古学者や好事家は憑かれるかのように、発掘に情熱を燃やす。 冒険家の行動も、自分の知らないことを、他者との遭遇によって、少しでも理解したいという行動のあらわれと解釈できる。 個人の知識や経験は限定されたものであるが、人がひとり増えることや、場所がひとつ増えること、歴史がひとつ明らかになることで、知識や感受性の限界は広がっていく可能性をもつ。 江戸時代の絵をみる。江戸時代以前の絵でもそうだが、街全体を見渡した絵がある。さまざまな人間が茶を飲んだり、三味線を弾いたり、あいさつしたり、犬においかけられたりしている。遠近法を全く無視したような構図で、平べったい屋敷がカンバスに塗りつけられているようだ。なぜか、どの絵にも雲が描かれていて、雲に隠されて、その部分は何が行われているか想像で補うしかない。もしくは、画家が描き疲れて雲でごまかしたのかもしれない。絵画の美学の可能性もある。 知らないこと、気になることだらけだ。 そんなことをひとつひとつ探っていくことで、また新たな発見と無知に出会う。完成はないようだ。 こんな日々が毎日続くと、大変ではあるが、おもしろい生活になるのではないだろうか?

稽古・稽古・稽古

お夏清十郎の稽古も、順調に進んでいて、役者の考えてくるエチュードも発展してきて、いわゆるインスピレーションの領域に達しているものもある。荒削りではあるが、考えてきたこと、想像してきたこと、共同で話し合ったことが、活発に動き出したのである。やはり、インスピレーションが湧くには、燃料のたくわえが必要であり、役者の努力による積み重ねによるしかない。こういうエチュードが出てくると、ぼくも、他の仲間も刺激され、一段高いものに到達しようとする。 共同作業のよさである。 何度も言っていることだが、どうしても個人主義的に生活することに慣れてしまいながら、演劇の場でそういったチームワークの仕事に出会うと、普段の生活が物足りなく、なんと味気なく生きているものだろうと感じてしまう。 ちっぽけな自尊心や、ちっぽけな知識を打ち砕くような、チームの力、個々の努力と協調による創造を求めていきたい。そして、その輪をもっと広げて、もっと緊密にしていきたい。個々人に要求すること、ぼくの努力も、もっとハードルを高くしていきたい。 いやあ、また、似たような文章を書いてしまった。 こんな能天気な文章だが、今は具体的な作業に直面しているときで、正直、課題や作業量はまだまだ山積みだ。満足はしていない。満足する要素があることに、可能性を見出しているわけで、それはいくぶんぼくの楽天的な思想の顕れでもある。やるべきことをしなかったために後悔はしたくない。だから、今からでもいいからやる。役者にやってもらう。 ふう! つまらんことを書いている。 よし! 寝る! 向かい通るは清十郎じゃないか お夏清十郎の公演

立場が変わると・・・

ジャック・ルーシェのピアノソロ作品のショパンの曲を聴きながら書いている。書く内容とショパンとは何の関係も無いけど・・・ 演劇の期間でないときは、ぼくは、ふたつの仕事をかけもちでしているのだが、スケジュールについては、ぼくは問題児で、NG・早退・遅刻・変更の要求を提出するので、管理者は大変だろうなあ、なんて思いながらも、頻繁にそういうことをする。 立場が変わって、公演の稽古のスケジュール管理をする立場になると、わずらわしいこと、思いどおりに行かないことがあって、苦労する。半分以上はその仕事を演出助手の未来ティーに任せることによって、負担は軽減したが、ぼくは心配性なのか気になることはまだまだある。 思うに、人の時間の管理、場所の確保、会合のアポなど、いわゆる前準備の仕事をうまく決定できれば、不安はなくなるらしい。不確定の要素が多いときに、いらいらするのだ。どれだけ、その心配を管理者にさせてきたことか。反省。 立場が変わるといえば、前々からぼくは、人にものを教えたり、主導の立場に立ったときに、自分自身が勉強・学習している感をもつ。まるで自分自身の勉強のために、教えるかのようだ。 高校生のときに、出身校の小学校にサッカーを教えにいったことがり、こどもたちに蹴り方、動き方を教えることで、基礎を再確認できた。 大学のときは英語の家庭教師みたいなこともやったけど、個人教授で、教え方も自分できめるので、好みの方法で教えたのだが、その時間、自分も勉強しているかのように、物事がすっきり頭に入ってきた覚えがある。 立場が変わるといえば、これだけは言っておきたい。 普段から自転車を愛用する者としては、車の乱暴な運転が頭にくる。ぼくが車を運転するときは、道路の端に歩行者や自転車を追いやって平気でスピードをだすような真似はしたくない。それだけは自戒の意味も含みながら言っておく。 やはり、車優先の社会はおかしい。車に乗るとその感覚が麻痺するからな。 気をつけっぺ!

生活の発見

ここのところ、稽古のことしか書いていなく、文の最後には「がんばる」と結ばれて、稽古のブログにリンクを貼って、もう、熱病に取りつかれているようだ。 かといって、別な話題を考えていると、すぐにお夏清十郎のことに結び付けてしまう。たくさんの発見が、お夏清十郎にもたらされる。 ということは、逆に考えると、普段の何も行われていないぼくの生活も、驚くほど豊富な材料・魅力に満ち溢れているのに、それに気づかずに生活しているのかもしれない。 人はよく、逆境に立たされたり、ピンチになると、馬鹿力を発揮したりする。また、そんな重大な瞬間にすべてがす〜と見渡せて、はっきりと物事が理解できたりする。 そういった意識を覚醒するような瞬間を多く持てて、それを習慣化させるのがよいことなのかもしれない。だが、なかなかそんな緊張をはらんだ生活を続けていくことは難しい。 演劇の稽古に入って、いわば、祭り的な状況にいるぼくにとって、明日は久しぶりに日常的な手仕事・足仕事の日だ。販売とメッセンジャー。そんな日常的な生活に新鮮な魅力を再発見できる日なのかもしれない。 一日一日がおもしろい日になればいい。 また最後に「がんばる」という言葉で結ぼうか。このことばを嫌う人もいるが、ぼくは別段、嫌う理由も見あたらないので、使ってしまう。 そんなことはどうでもいい。 明日がきてしまった!

チームワーク

少し前に何度も何度もかみしめて読んだ本がある。 橋本忍の『複眼の映像』。黒澤明の映画での共同執筆について、橋本が振り返った好著だ。 橋本はとくに、『羅生門』『生きる』『七人の侍』について詳しく書いている。 ライター先行型の共同脚本という執筆方法。先行ライターが叩き台となる第一稿を書き、第二稿に修正し、それを複数のライターが同じ場面を用意ドンで書き始めるのだ。一番よくできたライターの稿や、よくできた部分を混合し、決定稿ができあがる。 手間と時間がかかるが、本当の意味での共同作業、チームワークのたまものなのだ。脚本は映画の根本であり、そこにかける時間と労力を惜しんではいけない。 自転車のロードレースもチームでの仕事だ。コースの脚質にあった選手を勝たせるべく、風除けになったり、引っ張ったり、戦術的に先を走ったり、水分の入ったボトルを取りにいったり。 はじめからチームのスポーツであり、選手の勝利はチームの勝利でもある。 ラファエロやミケランジェロなどの天井や建物に描いた絵画も、もちろんチームの仕事であり、名が残るのはラファエロであっても、そこには多くの弟子たちの作業と喜びが隠されているであろう。 稽古をはじめて、チームワークの必要さが、前にも増して感じられるようになった。15人くらいの眼が、心が、頭が集まれば、かなりの可能性が生まれる。個人の認識の範囲をまたたくまに超えていくのだ。いわば集団としての観察であり、思考であり、感受である。毎日が驚きの連続である。ちっぽけな限度を破られる快感だろうか? そして、まだまだその可能性を広げることができる。チームワークとは、ひとりひとりがそれぞれ手を抜かず、自分なりのやり方で、周囲を気遣いながら、上へ上へと目指すものだろう。芸術の創造過程で遠慮はいらない。激しくぶつかりあうくらいのエネルギーをもったやりとりが、そこで交わされたとき、真のチームワークが生まれるから。 頑張ります。 向かい通るは清十郎じゃないか (お夏清十郎公演ブログ)

お夏清十郎の病

芝居の稽古をしている。 公演のために稽古をするということは、一種、ある熱狂状態に陥るかのようであって、楽しいのはもちろんだが、一方では、ある感覚が麻痺することでもある。その感覚とは、日常生活のリズム感とでもいおうか、芝居以外の生活習慣を忘れてしまい、すべて芝居に従属させてしまう。そんなふうになると、稽古以外の時間も稽古のための準備になってしまい、テレビを見ても、人と会っても、ひとりでいても、劇の状況を思いだしたり、劇に結び付けて考えたり、情報の収集を無意識に劇の要素だけにしたり、ようするに熱狂・恋だ。 今度の劇が、恋が中心の物語であることあり、二重に恋の状態に陥っているかのようだ。こうした演劇病は、それでもやはり、バランスを欠いている状態にほかならない。もしくは、ある別次元の均衡を見つけ出しているのか?だからこそ、熱が収まったときの心の揺れが激しいのだ。役者の卵だけの病気かと思っていたら、これは一生続くのね・・・ 自分がそこまで一生懸命になれて、あるものに打ち込めることに驚き、感動する。自分を再発見することでもある。 こんなことを綴らざるをえないぐらいの状態なんだな、今は。いつまで続くか、途中で息切れするかもな。もしくは、もっと高熱になるかもしれない。 今はこんな文章しか書けないな・・・ あとで読み返すと恥ずかしいかも。 だってこれは、「演劇に恋をしています」と白状して、それがもろに表情・しぐさに表れているようなものなんだから。 一緒に作り上げる仲間、スタッフも含め、そんな恋をする状況にあると思うのは、ぼくだけか?いやいや、みんなそんな兆候が表われているように見受けられるが・・・昨日稽古にいらっしゃった、音楽の若柳吉三郎さんに夕方に会ってきたのだが、吉さんも昨日の稽古風景を楽しく反芻して語ってくれていた。 もう伝染病の類だな。 がんばろっと!!! 向かい通るは清十郎じゃないか (今回の公演用のブログね!)

稽古に入りますよ

しばらく、書きませんでしたな・・・ははは 忙しさにかまけて、書こうとページを開いても、ま、いいやと放置しておいたわけ。 日記の類は、続かせる努力が必要だと再認識。ぼくの弱いところでもあるんだな。 明日からグルッポ・テアトロ公演『お夏清十郎』の本格的な稽古に入ります。 チラシも印刷に回せたし、事前準備もやれることは最大限にやったし。今回、できなかった事前準備は今後の課題ですな。 詳細はこんなとこよ。 グルッポ・テアトロのホームページ 『お夏清十郎』公演のチラシ 向かい通るは清十郎じゃないか (公演用のブログ、公演については主にこちらに書きますんで・・・) 頑張ります。今日は久々のあいさつということで。 もう雲隠れしませんので。 (今日はとてもかしこまった口調で書いているな・・・!)

神は死んだか?

今朝は久しぶりの早起きで6時には起きている。時間が長くて、やっぱり早起きはいいものなのだなと実感。それが毎日できれば・・・毎日できれば・・・とチェーホフの『三人姉妹』のように願いをかけたいぐらいだな。 先日、20歳の若い友人と話をしたのだが、彼はニーチェの超人思想に心酔している風情があり、自分の人生の重大な転機を失望で終わったたために、「神は死んだ」と言うのであった。ぼくからみれば、まったくささいなことを重大視しているように見えて、それはそれで共感はできるのだけれど、簡単に結論づけてはほしくないなと感じたものだ。 たしかに分かるんだな、ぼくなんてもっとひどかったかもしれない。 はじめて東京に出てきて、兄と一緒に不動産屋で物件を探していたのだが、18くらいのぼくにはそれが何か汚いことをしているようで、たまらなくベソをかいてしまったのだ。そのときはいたく心に響いたものだ。 ぼくが大学を卒業して、ようやく自分の殻の外に意識を向けられるゆとりをもったとき、5,6歳の歳の差の友人たちとぼくの差がこんなにも大きいのかと愕然としたことがある。ぼくは何も知らない、何もできない。たった、5,6歳の違いがこんなであることは、老人と比べてみたら、若い者は何も持っていないようなものだ。そこで自分の結論・判断というのも、無知だからこそ強く主張できるのではないかなんて考えたりもした。 多かれ少なかれ、どんな人もこのような人生を送るのじゃないのかな?自分が通ってきた道だからこそ、後の世代に寛容になれる。たしかに「いまどきの若い者は・・・」と皮肉な目をもつのも分かるが、ある意味、そんな苦言は甘い追憶から出てきているもので、敵意をもつまでに後代を憎むのは間違っている。寛容にならなければ。 というわけで「神は死んだ」というニーチェの苦闘の人生のつぶやきを、若い人が安易に利用しようが、それは笑ってユーモアで消化してあげないといけない。名言・格言にすがりたくなるのは、若い人だけに限らないし、どんなに若くても、幼少でも、その考えは、それなりに真理だから。 そんな悪戦苦闘している若者が、その次の日には前日に言った言動とはまるっきり反対のことを嬉々と行うのをたまに見かけるが、それは健康なことなんだな。そんな健康さが必要なのかもしれない。軽薄であるぐらいの健康さ。 いやあ、なんだか、お

舞台とテレビと

今日は手短に書く。 どうして舞台のテレビ中継はおもしろくないのだろうか?というより、今テレビで流されている『錦繍 KINSHU』、見ていられないほどのひどさなんだけど、なぜ? 有名な役者も出ているが、こんなに非人間的な演技をしていていいのかしら?なんて思うほど。棒読みじゃない。完全に形式的、型にはまった演技、言ってみれば退廃的な演技。人間がいやしない・・・ あまり過激に書きすぎると、またまた敵を作るから控えめにしようと思うが、おもしろくないものを見て、さるぐつわをはめなければいけないのはつらい。というより、テレビでやっているから余計に落胆するのかもな。いい舞台はたまにあるのだけど、テレビにのせられることはない。 いやあ、今もNHK教育でやっているのだが、見てられんなあ、聞いてられんなあ。鹿賀丈史、余貴美子両氏が演技をすべて台詞のデクラメーション(朗誦)で処理している。音楽も節操ないし。苦笑でござんす・・・ やめよう。 俳優養成所の芝居も見ることがあるが、そこには、技術や経験の欠如はあっても、人間が無意識ににじみでるから、ぼくはそっちのほうが好きだ。試みに、ある俳優養成所の公演をテレビでオンエアしてみるといい。そのほうがおもしろかったりしてね。

月夜の利左衛門

『西鶴置土産』を読んだ。井原西鶴の本と、真山青果が戯曲化した本の両方を。 そのなかの一篇、「人には棒振虫同然に思われ」で、利左衛門は女郎を身請けしてからのちは、貧乏ぐらしをしながら生活を送っている。女郎に大金を投げるようにして使っていた昔とくらべ、現在は子供の服の替えがないほどの極貧の暮らしをしながら、親子三人で暮らしている。そんな利左衛門が昔の遊び友達に見つかり、見栄を張って彼らを家に呼んだ。むかし太夫だった女房も見栄を張って貧乏を誇りにし、利左と女房はその昔友達たちの金銭の援助も断り、あくる日には利左と女房と子どもの三人は家を出て行く。そんなお話。 井原西鶴の研究者の熊谷孝は、西鶴の世代を逃亡世代と名付ける。民衆としての人間回復を志向し、精神の自由を守るために封建体制の枠から逃げる人たち。逃亡することで、自己の存在証明をする人たち。西鶴はその逃げる人たちに、人間性回復と自分たちの世代のあるべき姿を発見したという。 『お夏清十郎』のふたりももちろん逃げたし、昨日書いた兵庫の男女も逃げた。西鶴のほかの作品の人物たちも逃げる。トリュフォーの『大人は分かってくれない』の少年も逃げた。漱石の『門』の宗助と御米も逃げた。西鶴や近松や溝口の暦屋おさんも逃げた。 利左衛門の逃亡はどんな逃亡なのだろうか? まずは、女郎遊びをしていた利左衛門が遊びでなく恋をして、女郎を身請けするところにひとつの道の選択がある。『お夏清十郎』の清十郎にはそれができなかった。この道は破滅の道である。というのは利左衛門と恋をした太夫は当代のトップの女郎であり、その身請けの金額はとてつもないから。手元に残ったお金はないどころか、借金だらけだろう。そんな道を選択したのだ。 そして昔友達に憐憫を受けた後の逃亡。西鶴はその昔友達が道楽をやめてしまった教訓として書いていて、利左衛門の逃亡そのもは描いていない。真山青果は利左衛門の逃亡は見栄を張る嘘の世界を離れて、正直に生きるために稼ぎに行く結末としている。 利左衛門の逃亡は、心機一転巻きなおしということなのかもしれない。昔友達から逃れようとしたわけでなく、今までの生活からの脱却。大尽が女郎を買う買われるの浮世の世界から離れて堅気になった二人であるが、昔友達に会ってみると、二人ともそんな浮世の垢がまだこびりついている。そこからの脱却。

かけおち

複雑な事件が起こった。といって、なにも事件自体が複雑なのではない。いたって単純な事件だ。それを受け止めるぼくの心が複雑なだけだ。 ご存知だろうか?兵庫県の男性(24歳)が女性(13歳)を連れ回したというタイトルでニュースになった事件である。連れ回したというが、実際は女性の家出とともに、ふたりで一緒に暮らすために東京に出てきていたところを補導されたというわけだ。男性は逮捕である。犯罪はといえば、未成年の女性を連れ回したかららしい。言葉使いの不自然さは置いておくにしても、ふたりは結婚を反対されたらしく、いわばかけおちのかたちで故郷を飛び出して行ったのだ。 なんでぼくがその事件を複雑に思うかというと、ま、グルッポ・テアトロで公演をやるために、『お夏清十郎』に取り組んでいるのだが、その話はまさしくかけおちの話。お夏と清十郎がかけおちをして、捕まって、清十郎が処刑されるのだ。そんな話にかかりきりだから、かけおちという言葉に敏感になる。そして今回の事件もひとりが捕まった、お夏清十郎の物語と同じ、女性をかどわかした罪によって。そして、同じ兵庫県から抜け出してきたということにも偶然を感じた。 いってみれば、この事件をニュースで見たときに、偶然の出会いに喜んだのだ。現代でもかけおちは確かにあるのだと。 しかし、今回の事件でふたりが捕まって、男性が逮捕されたということに腑が落ちないので、複雑な気持ちになるのだ。くわしい事情は知らない、二人の人物像も知らない、しかし、かけおちが現代でもひとつの犯罪の名を着せられて、処罰されるところにいい気持ちはしないのだ。 現代ではさまざまなかたちの犯罪があり、殺人やら、暴力やら、詐欺、窃盗、横領、性犯罪など、事件が多く勃発している。これらの犯罪に並べられて、この事件が、同じ夕方のニュースに出るところに、何か恐ろしい道徳心の押し付けを感じるのはぼくだけだろうか?少なくとも、この二人は同意のかけおちなのだ。そこに単なる家出以上の愛情が混ざっていることも、気がかりのひとつなのだ。まあ、逮捕という事実を伝えたのかもしれないが、このニュースを人々がどう受け取るかが問題だと思う。ぼくは、少なくともこのふたりは、人間とその心に傷をつける行為はしていない限り、たとえゲームセンターで遊んでいるところを補導されたとしても、一般の犯罪と同列にしてはいけないと

人間関係

演劇を見ていて一番いいなあと思うのは、そこに人間の生きざまが見えること、世界とそのとらえ方を見せてくれることなのだが、それにもまして、ある人間関係が変遷を経て回復することが大きいと思う。結末が大円団になるにせよ、破滅的な死で終わるにせよ、また次の日に続いていくようなものであるにせよ、劇の終わりは必ず解決がある。失った、もしくは断絶された人間関係がそれなりの決着をみる。そこに一種の安堵感があるのだ。まあ、ドラマなんだから必ず終わりらしきものはあるだろうといわれればそれまでなんだが・・・ 劇のはじめの平衡状態が山場を経て、また違った平衡状態になる。はじめの平衡状態はぷつりぷつりと人間関係の糸がほころびをみせており、その糸がおもいっきり引っ張られ解体されて、また新たな人間関係の緊張をもつ。 映画を観ても思うのだが、たとえばモディリアニの映画なんかがそうだが、モディそのものの人物像には映画で発見するものはない。たいてい伝記で読むほうがおもしろく想像している。ただし、モディを取り巻く人々と彼の関係、彼の敵と彼の関係というものは、本で読んでも実感が湧かないし、だいいち一方的な見方であったりする。 この「人間関係」というものが俳優芸術の特権であり、それを表現するには俳優の演技を見るしかないと思うのだがどうであろう?演劇や映画やバレエなど、またオペラもそうだが、この芸術の構成要素のひとつが、その「人間関係」なのだと思う。生身の人間の存在だけでは物足りない。その人間の存在が他者とどのようなかかわり方をしていくかに、人は興味を持つのではないか? 演劇はコミュニケーションの芸術だといわれる。俳優と観客が世界を共有する場。また問いかけに応じる場。昔から劇場は社交場のようなものだ。すべてに開かれていなければいけないのだろう。だから、山ごもりとか、修行とか、秘密の稽古などというものは、演劇にそぐわない。少なくとも二人以上で、ひとりが問いかければ他が答えてくるような距離で創造するものなのだ。 自戒もこめていうのだが、一緒に稽古をしながらも、個人事業主としての個人主義を貫いて、心の交流をしないままに本番を迎えるのはよくないことだと思う。めいめいが勝手に自分の職責を果たせばいいのではない、演劇の世界ではアンサンブルといういい言葉があるように、共同で、しかもお互いがコミュニケートし

お夏清十郎と逃走

ドゥルーズとガタリの共著、『千のプラトー』を読み、それに関する参考書などを読んで、少しくらいかじっただけで、さも知り尽くしているかのように書くのは嫌いだが、ぼくには少しそんな要素もあり、さも知っているかのように、声を小さく、また少人数にだけ、ボロがでないように、そして自分の言葉を使って言い直すことにする。というより、日ごろ思っていたことが、ドゥルーズたちの本の後押しを受け、形にできたというべきか。 言いたいことは、真山青果の書いた『お夏清十郎』についての考えだ。あらすじを説明するのは面倒くさいから、気ままに書いてしまうが、真山版『お夏清十郎』の中には、さまざまな闘争が隠されている。そして語呂合わせではないが、その闘争の手段としての逃走も。 言ってみれば、この話は、ドゥルーズ流に言うなら、集団化・官僚組織化・ファッショ化・帰属化・抑圧・抑制・蓄積・定住化に向かう偏執型(パラノイア)と、逃走・自由・遊牧・脱領土化・解放に向かう分裂型(スキソフレニー)の戦いなのではないか? わかりやすく、戯曲に即していうと、資本の安定を求め個人を制御していく者と、その考えから逃れようと必死にあがく者との戦い。体制側と反体制。 端的にいえば、九右衛門とお夏の戦いに代表されるのだが、その図式は戯曲を読めば中心に書かれているのでここではおいておく。 反体制側は面と向かって戦うことはしない。面と向かって豪商の主人に歯向かえば、法律で罰せられてしまう。そこで、逃げる。逃げ道を用意する。まあ、お夏と清十郎が駈け落ちしたことがその代表例ではあるが、ほかにもある。 まず与茂七は、番頭の身分ながらアヴァンギャルドである。お夏に恋をしたために、家を出奔したり、清十郎に「そんなに一生懸命働いてどうする?」といってみたり、しまいには主人に「もう一度出直しなさい」と進言したり。 お亀も恋のために、もうこの商店では働かないことを決めたり、清十郎の処刑後にお夏に怨みを言いに詰め寄ったりする。 このふたりが、抑圧する者にたいして、身体で異議を唱えたことが、お夏と清十郎の駈け落ちのきっかけとなる。 また、体制側に属しながらも、半分身をかわしている者もいる。 久七はお夏をこきおろしているし、卯之吉は若年であることもありお夏たちに同情を隠せない。乳母は自分の職務以外には顔を突っ込まない。

ひとの声、自分の声

ここ最近は、近くで工事もなく、音楽もかけず、周囲でいろいろなつぶやきをする人もいなく、自分でひとりごとを言う習慣からも解放されたせいか、また、窓を開放しているせいでもあるか、虫の鳴き声が聞こえるようになった。とはいっても、田舎にいたときには、蛙の鳴き声や、夜に走る電車の音が遠くから聞こえてきたりして、その情緒には勝てないが、ここ東京の世田谷でも、季節の移り変わりとともに虫の鳴き声も変わってきている。単に、セミの声が聞こえなく、キリギリスなんだろうな、キーキーうるさい。こちらの気分も変わるのだからおもしろい。 隣の家から聞こえてくる音、電車などで隣に座った人たちの話し声を聞くのは楽しみであったりする。また、自分が話をしていても、隣から聞こえてくる話に耳をかたむけてしまうこともある。まあ、お隣で熱心に話している内容というものは興味が尽きないもので、その熱心さに好奇心が湧くのかもしれない。他愛もない会話というものは聞き逃すのに、そういった熱のこもった会話にはつい引き込まれてしまうものだ。 自分が喋らずに、聞いていることが多いほど、周囲の世界を感じることが多いのだろう。そんな沈黙を貫ければいいのだが、必ずしもそれが実行できるとは限らない。沈黙に耐えられないのではなく、沈黙することが許されない。たとえば、教師が沈黙した授業をすることは許されなく、被告人には許されても検察も弁護人も黙秘することは許されない。 こんな立場にたつと、自分の声しか耳に入ってこないか、自分に都合のいい声だけしか選ばなくなる可能性がある。 ある部分では活発に声を出しながら、またある部分では人の意見に耳を傾けるのは難しいことではある。しかも、人の発する意見というのはたいていがためになるものである。その両立をめざしたいものだが、 ああ、今夜のキリギリスの鳴き声はほんと美しいなあ・・・というわけで、おやすみ

あいさつ

ここ数日、もしくはずっと前から気になっていることがある。非常に島国的なことなのかもしれないが、人とのあいさつのことである。 学校のときでも、仕事のときも、演劇の現場でも、生活の現場でも、あいさつは潤滑油のように人間関係を滑らかに流れさせる。あいさつがきちんとできる子どもは、やはりなんと言っても好印象ですがすがしい。決してマイナスになることはない。あるべきところにあいさつがないと、???と思ってしまい、そこから変な想像が発展していく。子どもに限らない。 もともとぼくはあいさつができるともできないともいえなくて、結構人を見てあいさつをするのだが、それだから、人があいさつをする・しないに接すると、いろいろ考えてしまうのである。 気を使うのは目上の人に対するあいさつ。しかも自分の利害が絡む人には、媚を売るようで気が引ける。それだから結構損をしているところもあって、ぼくが目上のその人を無視すると、次回からその人はぼくを無視し始めるのだ。それを見ていて面白がってしまうんだな。あ、あの人、俺に気づいていながら、曲がり角曲がったな。知らないふりしていやがらあ。 案外、目上の人で過去にほんの少ししかご一緒しなかった人でも、目下の人のことを覚えているものなのだ。 だからぼくはまた最近、自分からあいさつをしに行くことに決めたのだ。 逆に、自分と同世代か、自分より下の世代の人を相手にするときも、できるだけ自分からあいさつに行くのだが、面倒くさくもある。非常にせこせこした考えなのだが、なんで向こうからはあいさつにこないんだろう?と思ってしまい、向こうからやって来るまで待とうなんて思うんだな。ひねくれているのは重々承知だ。これと同じ考え方をする人が多いのは知っている。 いやあ、こんな小さいことが気になってしまうのは小さい人間だなとは思いながら、感じて思っていることには違いなく、そうした微妙な人間関係に気を使いながら生活をしなければならないのは避けられないなとも思う。 いろいろと人間関係が変化していくのは仕方ないことだが、数ヶ月前まで結構仲がよかったと思っていた人が数人、複雑な顔をしてぼくとあいさつをかわす。ぼくの側で変化はないのだが・・・なぜだ?・・・笑うしかない・・・笑っている場合じゃないか?・・・

詩(その5)

もうここらへんで詩について書くのはやめようと思う。詩を書いていたときはそれが日課のように取り組んでいたのだが、書かなくなると、再び思い出したようにペンを取っても、勘を取り戻すのに時間がかかる。楽器をやるにしても、詩や小説を書くにしても、毎日継続することによって可能になるものがあるのだな。書かなくなって8〜9年になったのに、なぜ今頃持ち出したのか?それは謎である・・・ 小説や詩や戯曲を読んでいて、なぜだかわからないが、ある部分にくると突然文章の宝が豊かに流れ出すことがある。作者も乗りに乗って書き綴るのだろうか、緊張感もリズムも見事につながっている。 たとえば井原西鶴の『好色五人女』のなかのお夏清十郎のくだり。話の結末を語り、しめくくるときの西鶴の筆は感傷味を帯びながら淀みなく流れる。 近松門左衛門の『曽根崎心中』の道行の場面なんかは文章も情感も流れるように続いていく。 昨日書いたキーツのオードのうちのひとつ『ギリシャ古甕のうた』も同じように情感の盛り上がりがある。 『ギリシャ古甕のうた』より おまえは いまも穢れのない静寂の花嫁 沈黙と 緩やかな「時」の歩みに育てられた子ども われらの詩よりも さらにうるわしい花の物語を このように語り伝える 森の物語詩 テンペの楽土や アルカディアの谷間に住む 神々や人間の あるいは神人の 草の葉に縁どられた どんな物語が おまえの甕に描かれているだろう これは どんな人と神であろう また どんな恥じらい多い少女たちであろう どんな狂おしい求愛が また その愛を拒む どんな抗いがあろう どんな笛や どんな鼓が また どんな烈しい法悦があろう (J.キーツ、出口保夫訳) このあと詩も高揚してくる。キーツといはいえ、すべての詩に高揚があるわけでなく、そんな高揚した詩は稀なことなのかもしれない。しかし、詩人はそのような奔流のように流れるものを求めて、日々書き綴っているのかもしれない。演劇にしても同じように、なぜだか突然流れ出る勢いを意識的に作り出しているのかもしれない。 次の詩は、そんな奔流のような情感はないのだが、作って、何度も何度も推敲・書き直ししているときは、緊張感が持続していた記憶がある。 『ドミノ』 まるで こどものように 希望のドミノを並べるが いくら注意をしても

詩(その4)

もう意地をはっているかのように詩について書き綴っているのだが、しばらく詩から離れていたので、いろいろと思い起こすこと、再確認することが多くて楽しいわ。 19世紀、英国の詩人ジョン・キーツの詩は、大学時代によく読んでいた。その生きざま、そして残された詩の完成度から、忘れられない。といっても一字一句憶えているわけでないのがミソで、しかも英語で憶えているわけでもないところがうさん臭くはある。しかし、いくつかのオード、ソネットには、耽溺して、寝ても覚めてもその詩のイメージを思い浮かべていた。 思うに、抒情詩を読み聞きするときに根本にあるのは、共感ということではないか?どれだけ奇抜であろうと、どれだけ前衛的であろうと、どれだけ情感にあふれていても、読み聞きする側がそれを好み・愛さない限りその抒情詩は心に残ることはない。非常に個人的な環境・その時期の状況などによって、抒情詩が琴線にふれるかふれないかは変わってくる。詩と受け手の実人生が幸福な結婚をするときに、詩は俄然色彩豊かになってくる。 キーツの詩、キーツの人生にぼくの人生が重なっていたのだろうな、当時は。キーツといえば「美は真であり、真は美である」と言い切り、ぼくはそれに酔いしれていたのかもしれない。美しくあるためには外見を飾るのではない、中身を豊かにしていくことが必要だ。滑稽なことにいろいろなものに美を見出そうとしていた。今日の夕日はとてもきれいだったが、当時のぼくはそんな夕日に涙も流していたのかもしれない・・・ハハハ・・・ 思わず追憶に浸ってしまった。恥ずかしい。 ま、そんな時期に作った詩をひとつ。 (無題) こどもの頃に許せなかった 酒の匂いと浮かれ騒ぎを いまはみずからすすんで求め あんなに嫌な裏切りさえも 頭を下げて謝られれば 顔を上げてと言わねばならぬ ぼくが嫌ってはねつけていた あの習慣も この欲求も あの考えも この人間も すべてを許し 苦い顔して 肩の震えを抑えたときに いったい ぼくの生とはなにか

詩(その3)

恋をすればだれでも詩人になるとは、よく言われることで、恋愛詩は詩の中の花形であるということはぼくの思い込みだろうか?それほど、恋愛は重要で美化したいものであることは確かだ。恋をして善良にならなければそれは恋ではなく、また、詩に意地悪の入る余地はない。恋愛詩は善良で素直であるからこそ、苦痛を歌ったり、豊かな喜びを歌うのであろう。同じく恋をする人は、意地悪くなれないからこそ相手の懐に身をまかせる覚悟があるのだろう。 数多くの詩人が愛を歌い、愛しか歌ってないかのように思えるのは決して不幸ではない。ハイネが砂浜に夕日の筆で「あなたを愛する」と書くのも、ダンテが恋人を天国に連れていくのも、サッフォーががけから飛び降りるのも、みな現実に恋をし、恋を表現することで決着をつけたのであった。 これらの作者は詩を書くことで死を免れたのかもしれない。実際、人間はいつまでも感情のくすぶりのなかでは生きられない。それから逃げるか、否定するか、決着をつけるかしなければ・・・ 俳優の卵は自分が悲しくて泣いたときも、その感情を記憶しようと意識が働くし、もしかして泣いているときもふと鏡でチェックしているかもしれない。恋愛をして、詩人として詩を書き続けている人も、もちろんそんな意識が働いているに違いない。自分の熱烈な経験を、詩をかく材料にする、それは少しも不純でない。かえって詩になったからこそその恋愛が意味を持ったのかもしれない。 個々の恋愛はたいしたものでなくとも、それを昇華させた恋愛詩には価値がある。 こんなぼくも恋愛をして、それを詩にした。ぼくの恋愛はどうでもいいことだが、残った詩は何十年か後に自分で振り返ることもできるし、ぼくという固有名詞をはずして考えることができる。実際、今、苦々しく読んでいるのだから。考えが未熟でも、表現が幼稚でも、それなりの自分がいたことは確認できる。そんなのでいいのかもしれないな。 『ざれごと』 やけに落ち着く 外は雨 思いはすぐにあの人にとぶ 今日は何をしているか そしてわたしは何をすべきか やさしい顔が目に浮かぶ あのときこんな話をしたな あんな相づちうたないで そっと好きだと言えたはずだが また繰り返し日が沈む ためらいでない 待っているのだ 恋が私に腕を貸し 不純な汚れを消し終わるまで

詩(その2)

やけに詩づいているというわけでもないが、せっかく詩のことを書いたから、調子にのって(?)続けてみたい。 まあ、そんなに詳しくはないし、系統立てて勉強したわけでもないので、好きな詩人には偏りがあるのかもしれない。翻訳の詩も同等にみなすので、翻訳のときは詩の音楽的な要素をぼくは考えていないのかもしれない。 物語詩というものを追求したことがあった。書き始めてかなり初期の頃だ。プーシキンやハイネ、ゲーテ、シラー、バイロンなどを読んだ。ホメロスの『イーリアス』もそういうわけだし、シェイクスピアの劇だっていってみればそういうわけだ。物語を詩で語る、詩の音楽的な響きの規制のもとで、物語を綴っていくということに興味を覚えた。そしてかなりの大作ができたんだな。その当時も今も、この作品には思いいれがあり、物語は陳腐だし表現は拙いが、何度も何度も推敲し手直しを加えたこともあって、その当時のぼくのレベルでは完成度は高いと自負している。でも、ここには公表しな〜い!! そして12行詩というのにも凝った。なぜ12行なのかは知らないが、シェイクスピアのソネットしかり、ハイネや立原道造もしかり。抒情詩があまりくどくもなく、俳句・短歌のように短すぎもなくという、ベストな長さで読みやすかったし、憶えやすいのかもしれないな。12行を3,3,3,3で割るとか、4,4,4でわるとか、4,4,2,2で割るとか融通もきくし。 ぼくの詩をひとつ。というか、人の詩をそのまま載せるのは著作権などで問題なんだよね?自分のだったらかまわないわけさ。 松尾芭蕉もこんな雑文にはさんで俳句を披露したっけな。 (無題) 怒りでふりあげた右手が 次第に抑えられなくなり そのうち容赦しなくなり きれいに思えたものにまでふりおろされた 何でも捨てたゴミ箱が 楽しんだおもちゃでいっぱいになり そのうち昔の手紙があふれだし いとしく思えた愛情まで見つけだされた ぼくがぼくをとがめる心は 今までもずっと無力で いつまでも無力なままで とうの日にどこかに置き忘れたかと思っていた

今日は念願の部屋掃除をした。 まあ待ちに待つのはいいのだけど、別に待たなくてもいいからさ。部屋はちらかっていて、これ以上足の踏み場ができるかというぐらいだったのだから。要は放り投げておいたというわけだ。 それを今日は思い切って・・・ 部屋掃除をするとうれしいのは、きれいになることはもちろんだが、なくしたものが見つかることが大きい。ま、部屋掃除ぐらいで人生で失ってしまったものを見つけるわけにはいかないが、それに近いことはまれにある。 なくしてしまっていたわけではないが、棚の上に置いたまま放置されて久しい、ぼくが以前書き溜めていた詩の書類に気がとまり、読み直してみた。 それを書いていたのは22,3歳のときで、何を思って書いたのかは今でもはっきり憶えているし、かなり本格的に意図して書いていたのだが、今読むと気恥ずかしい。しかし、そんな恥ずかしさも超えて、ひとつの作品としてまた接してみると、新たな発見もあっておもしろい。 それらの詩からひとつ。 (無題) あまりに遅刻が多すぎて ぼくにはもはや席がない 恋愛にせよ 流行にせよ 職業にせよ 空いてる椅子が見つからない 廊下でバケツをもちながら ふと 人生をふりかえる 悲しみだけか 苦しみもまた 諦めまでも ぼくの両手をふさいでいる ようやく許され 教室に 説教されつつ入れられる 友達もいて 好きな子もいて ストーブもある それでもやっぱり席がない

都合のよい考え方

最近はあまり読んでいないが、人の伝記を読むのが好きだったりする。モーツァルトやロダン、夏目漱石もちょっと、ルイ・ジュヴェ、滝沢馬琴なんかも、ワフタンゴフ、ブレヒト、真山青果。 学生の頃からときたま読んではいたが、今の読み方とは違う。高校生のときなんか、その人物の青年時代しか興味がなかったが、今は、少年時代などには興味はなく、その人が成し遂げた偉業なり成果なり作品なりを作る過程にものすごく興味がある。 たとえば、ジャン・ルノワール。彼の少年時代・青年時代や老年期は、それなりの魅力はあるが感銘はない。しかし、彼が豊かに活動していた時期の映画作品にはわくわくするのである。ルノワールの場合、デビューも若すぎず、老年期には活動を休止するので時代区分がはっきりするのだが、そんな彼の黄金時代の名作群は思うだけでうきうきするものだ。 お夏清十郎の公演の勉強・視察のために姫路に行ってきたのだが、そこで入手したお夏の生涯の伝説は十通り以上あっておもしろかった。姫路市内を駆け回った、お寺に入り尼さんになった、小豆島に嫁に行った、備前片山で茶屋を開いた、室津で入水した、姫路で井戸に身投げした、和歌山に行った話もあったな。まあ、実際は分からないことが多く、後代の人がその人なりの都合のいい解釈をしたのだろう。伝説はそのようにして伝えられていく。 話好きなおばさんたちの口にかかると、ぼくは学生であったり、テレビに出ていたり、本を書いていたり、ときたま重病だったりもする。事実がどうというより、話だけが先走ってしまう。それはそれでいい。 結局、都合の良い考え方、解釈、読み方をするものなのだな。嫉妬なんていうのも、本人には都合の悪いことだが、考え方自体は、都合よく自分勝手にありもしないことを想像するのだから似たようなものだ。 溝口健二も言ったらしい。 「事実を知ったうえで嘘や誇張をするのは許される」

火事を探す三人の消防士

ピランデッロの『作者を探す六人の登場人物』じゃないが、火事をさがす三人の消防士を見てしまった。 上野駅でバイトだったのだが、今夜はボヤ騒ぎがあり、はじめ警察官三人が目の前を通りすぎた。何かあったなと思ったのだが、まもなくして外が騒がしくなり消防士が三人通り過ぎた。 のはずだったが、なにかおかしい。通り過ぎたはずの消防士が店の前をうろうろ行ったり来たりしているのだ。携帯電話で誰かと連絡をとっているのだが、彼らはいっこうに現場に向かわない。決して偽者ではない、きちんと重装備をしている本物の消防士なのだ。まあ、指示を出す人の指示待ちなのだが、なぜか緊迫感もなにもない。俺たちはどうすりゃいいの?といった感じだ。 ま、ほんとささいなボヤ騒ぎで、当人たちも広い駅の中を暑苦しそうな姿で動き回るわけにもいくまい。 会話の中身も聞こえてきた。先頭のベテラン消防士が「おれのあとをきちんとついて来いよ」といって向かおうとするのだが、うしろの中堅の二人の消防士は距離をとってベテランの後をついていかない。ベテランがあっちに行こうと指差せば、中堅二人は反対の方向に行きたがっている。結局、火元がどこだかわからないのだな。半分、ガセネタなのかと疑っているのかもしれない。 そんなこんなで、悠長に火事を探してうろうろしていた三人の消防士は、いつのまにか消えていた。賞味五分。緊迫感のない火事だからだろうか、さっそうと外から登場してきた三人の消防士は、火事を探して上野駅のなかでうろうろしていたわけだ。背中の酸素ボンベらしいものも、こけおどしだったようだ。 こんな状況、戯曲に書いたらおもしろそうだな。別役実あたりがおもしろく書きそうだ。 おもしろいものを見させてもらった。楽しい火事だったようだ。

沸騰させること

昨今のテレビドラマや映画、演劇、自分たちの稽古も含めてつねづね思うのだが、分かってはいても難しいこと、それは、沸騰させること。ぷくぷく沸き立つような、まるで活火山の地獄谷にいったかのような、危険な恐ろしさを感じさせるような場面というものを作るにはどうしたらよいのか? そう、わかってはいるのだ、そういう緊張度をはらんだ場面にこそ、わたしたちは魅力を感じるのだということを。そして、ただ本当らしく見えるだけで満足はしないということも。しかし、いざそれが制作・演技するとなると、わたしたちは、それらしく見えるというだけで充足してしまい、本当にそのものである場面の緊張を追及することをやめてしまう。 いったい何が違うのか?沸騰しているかいないのか、それが問題だ! 温泉に行っても、喫茶店に行っても、それぞれの適温からぬるければわたしたちは満足はしないはず。熱ければいいというわけでもないが、温泉なら少し高めのお湯に快感を感じるし、コーヒーは少なくとも舌をさすような熱さは最低限ほしい。 演技にしても同じだと思うんだな。ある雰囲気を漂わすだけなら簡単にできるが、まさにその人物がその状況でその行動をするということは、ある高い沸点を伴ってこそ初めて成立するのだ。そこに至るまでは役の人物のようでいて、実は役の人物ではない。水とお湯は区別されるように、ある沸点を超えてから初めて役の人物になれる。 それは俗的かもしれないが、テンションやボルテージといった言葉に還元される。ただ気持ちだけを高めればいい演技になるというわけではない。しかし、いい演技には必ずある高い気持ち・緊張度が伴っている。 そこを捉えなければいけない。激しい葛藤。正反対の観点の戦いだけでなく、さまざまな立場の違いによる表に表れない潜在的な観点の違い。それらがぶつかるときに摩擦が生じ、熱を発する。水は沸騰して熱湯になる。そんな熱い戦いが見たいものである。 少なくとも、たとえば靖国参拝についてはさまざまな立場の葛藤がドラマを作っている。どの立場もぐつぐつ煮立って、相手を非難できる態勢にある。 こうした熱いドラマが見たい。表現方法が熱いものは巷にあふれるが、本当に鋭い葛藤が地下でどうしようもなく渦巻いているような表現にであうことはめったにない。その高い沸点を目指さずに、われわれはどこを目指すのか?金か?名声か

復活はまだか・・・?

今日はまあまあ涼しかったんじゃない?復調か? 気を張りすぎるのは良くない。以前から、気を抜くときの抜けようはあっけらかんとしていたわたくしだったが、最近その無邪気さが消えていた。 ぼくの悪い癖、なんでも背負い込む癖。ぼくが休んでいるときは、きっと誰かが代わりに動いているんだという思い込みを持とう! なんだ、このやる気は・・・ まあいい。 地球のオ−バーヒート、人間の沸騰。これは困ったことだが、そんな機会を利用して、ふと省みるものも出てきて、それはそれで有意義な期間なのかもしれないな。 まあ、この暑さ、これは大問題だろうけどな。 地球の温暖化という考えが市民権を確立している。大きい規模で抽象的に考えることが、具体的な身近な暑さとして実感できる。 市民権といえば、最近はポイ捨てをする人が少ないな。ぼくが子どもの頃、さも当然のようにゴミをそこらじゅうに捨てていたもんだ、多くの人が。この事例を見ると、人間、進歩するところでは進歩するのだという安心感を持てる。人間の進歩という可能性がなければ、人は何もやらないだろうな。 う〜む。とりとめのないことを書いている気がする。 普段が理屈っぽいだけなのかな? まあ、気張ると理屈が出て来るようで、それが人との衝突の原因にもなるようで・・・ この点で進歩はあるのか?おまえに・・・??? あると信じよう。

夏バテ

単刀直入に夏バテだな。暑すぎて思考能力がなくなっている。何か考えることが面倒くさい。しばらくぼうっとする生活に慣れると、それだけになってしまう。 おもしろいのは、そんな兆候が、食生活にも現れることだ。食べるのが面倒くさい。特に完全にオーバーヒートだった先週の中ごろは水しか飲まなかった覚えしかない。 もともと、夏場は弱いのだが、これほどまでに暑いと、もうただ生きているだけだ。どうしようもない。この状況はしばらく続きそうだ。不調、不調。またカムバックするさ!

隠れてサッカー

このニュースが勃発したときから釈然としないまま、ずっと傍観してきたのだけど、やはり、言ったほうがいいかなと思って言ってみる。今、ニュースを賑わしている騒動だ。朝青龍の事件。 結論からいえば、こんな大騒ぎすることのないこと。協会の処分は妥当だろうし、朝青龍の言い分というか行動は、わからないことはない。問題なのは、国民あげて大騒ぎすること。もしくは大騒ぎするように扇動させられていること。 たかがスポーツじゃないか、普段放り投げておくくせに、問題が起こったときだけ、良い人ぶって訓示をたれる必要はないのじゃないか?ぼくも常習犯だが、さぼりと虚偽の報告は人間の弱さから、もしくは本心から起こりうること。そうなったら処罰するならすればいい。自転車ロードレースのツール・ド・フランスでのある選手、ラボバンクのラスムッセンのチームからの追放も居場所の虚偽の報告からであった。ラスムッセンはチームから解雇され、必然的に最高位にいながらレースから追放されることになった。あとくされはない。次の日から、ラスムッセンは申し立てをし、一方レースは新たなチャンピオンが誕生する。ラスムッセンの行動をつべこべ何時間もニュースにしてテレビに流す必要はないのだ。 普段から大相撲を愛する人にとっては、この事件は許せないのかもしれないが、こういう騒動が勃発したときだけ、妙に道徳心を発揮したり、訳のわからぬ愛国心を発揮したりする人のほうが断然多く、声も大きく朝青龍を非難しているようだ。骨折していたのに、サッカーを楽しそうにやっているなんてお茶目じゃないか。中学生の仮病みたいだ!ぼくは、別に被害を被らないし、朝青龍が骨折しようがサッカーしようがどちらでもいい。だから、道徳心を用いて朝青龍を正そうとするつもりはない。知らないことに口は挟まない。しかし、今、ちまたは大騒ぎだ、スポーツ紙も芸能ニュースも。ただ踊らされているだけなのだ。そこであえて口を滑らして良い子ちゃんしてしまっているだけ。 世界にはもっともっと深刻な重大な、そして、もっと熟考してから言葉を発しなければいけないことがある。そんなことを沈黙し、または無視するようなお調子者になってはいけないな、とつくずく思う。 でも朝青龍のサッカーの映像みると、あの試合はスターをたたせるための遠慮の入った試合のようで、興行的でぼくは好きでない。朝青龍は隠れ

『お夏清十郎』と姫路

二泊三日で、公演のメンバーと姫路に視察旅行に行ってきた。 詳細は公演用ブログに載せていくつもり。 公演用ブログ: 「 向かい通るは清十郎じゃないか 」 お夏清十郎を上演するために、研究・観察・観光もかねて行ってきたわけだが、旅中はいろいろな収穫があったことはもちろん、いろいろな人との出会い・交流、思いがけない話や思いを聞かせてもらったり、きれいな海・空・町、そして城をも見ることができた。そして、メンバーの親睦を深めたり、さまざまな情報をつかんだり、なにより、上演するためのヒントをそれぞれつかめたようだった。 8月9日に毎年、お夏清十郎祭りというのが開催されて、それにあわせて旅行をしたのだが、祭り自体は町内会の小さな祭りで、地元の小学生などの踊りの発表や、地元出身の歌手のコンサートがあって、屋台もでていて、それなりに祭りの雰囲気があった。 その祭りの冠名となっている、お夏清十郎に関する催しものとしては、供養が行われた。お経を唱え、線香をあげていく20分ほどの供養だったが、その場にふさわしくない姿のコンパニオンもあってぎこちない雰囲気ではあったが、われらの公演メンバーのひとりが焼香にたったときは場が引き締まったと思う。 まあそれにしても、お夏清十郎をめぐる旅に出たぼくたちにとって、地元の人々のお夏清十郎の話を大切にする姿勢はとてもありがたく、そんな彼らからいろいろな話やいいものをもらったと思う。 そんないい旅を栄養に、いい公演にしていきたい。

溝口組

またまた、溝口の映画を見た。どうしてこうも溝口の映画を気にするかといと、もう伝説になるくらいの溝口組(溝口の映画のスタッフ及び俳優)の仕事ぶりのためだ。もちろん映画自体が良いから、その秘訣を探りだすべく、本などの資料も読んでみる。 映画や演劇では何々組といったチームワークで作品作りを継続することが多い。気心や方法を共有している人間と一緒に作品をつくるほうが効率もいいし、継続性がある。溝口組といえば、溝口健二を筆頭に、脚本:依田義賢、撮影:宮川一夫、美術:水谷浩、音楽:早坂文雄、といった面々が代表となっている。 内藤昭は後々の美術監督で名高く、その彼が水谷浩の助手として溝口組の仕事に参加しているときの文章やインタビューを読んでいるが、妥協を許さない仕事師としての溝口はじめ溝口組の仕事には、緊張感がみなぎっているように感じ取れる。下調べの考証や、ロケハン、撮影時の集中など、内藤氏のインタビュー以外でも、どのスタッフが語っても、どの役者が語っても、溝口組の仕事に誇り高いものを感じているようだ。なにしろ、日本映画が技術的にも人材的にも黄金期だったこともあって、溝口のひとつの作品は相当レベルの高い人材と技術の結晶だったわけで、そんな撮影や仕事ぶりのこぼれ話を聞くだけでわくわくするものだ。 思うに、溝口が1950年代に当然のこととしてやっていた、時代考証、下調べ、厳密な撮影、芸術性のある職人的な仕事の数々というものは、それ以前の溝口が映画にかかわっていた30年間の結晶でもあるし、経験や技術の完成でもあるが、そういった緻密に練り上げられた大胆な作品に、現代のわたしたちが少しでも近づくには、どれほどの格闘を自分に課さなければならないのかと考えると、目がくらくらしてくるぐらいだ。溝口のようなベテランで一級の監督が試行錯誤と莫大な仕事量を経て作った作品に、質的にどれだけ近づいていけるかを考えると、ぼくのような駆け出しが安易に仕事をやっつけてしまうのが恐ろしい。 こういうわけで溝口という高い目標を常に参考にしていきたい。もちろん自分ひとりでできるわけがない。周囲のチームの力で、やっつけ仕事でない、芸術家としての職人的な献身で仕事を進めたいと常々思っている。 今夜はNHKで大河ドラマを見たのも影響しているのだろう。ぼろくそに言って良いならいくらでもいえるが、情けないくらい

時間について

最近は、昼夜ずっと外に出ていたので、今日みたいにお昼に家の中にいると、なんだ!!この暑さは!!もうすっかり夏の真ん中に来ていたのね。昨日、友人の子どもが夏休みの宿題がどうのこうの言っているのを聞いたときも、ああ、もうこんな季節かなと思ったな。 そんなぼんやり屋の自分にかこつけるわけではないが、時間というものの不確かさを考える機会が多いのが最近の特徴かな? 時計ですすむ時間や明石の標準時刻というのも、一定で不公平のないようでいて、実はそうじゃない。 仕事の終業時間に近づくにつれ時間の歩みは遅くなる。 楽しい映画を観ている時間と、退屈でおもしろみのない映画のとでは、まったく中身が違う。 少なくとも、毎日の睡眠時間と一仕事の時間が同じだとは思えない。 これは、体感の問題ではない。時間は進み具合が不規則なのだ。 相対性理論というものでもないだろうが、時間の進み具合は変化し、絶対的な基準というものはない。ある視点からみた時間というものが、その人にとっての時間なのだ。ある加速をしている人にとっては、同じ加速をしている人と時間も空間も共有できることは、並立して走る人間・自転車・車などの例でもわかる。 ぼくは、大きい駅の中を歩くのがもどかしいのだが、それはもう完全に、歩く速度が千差万別であることからきている。狭い空間のなかでこれだけさまざまなテンポで歩く人がいると混乱しないほうがおかしいくらいだ。なにげに朝の通勤者の無機質なテンポやコンサートの後の観客の列はみな同じテンポなので歩きやすい。 テンポというと、アルド・ロッシによれば、イタリア語の「テンポ」という言葉は、環境と時間の両方を意味するらしい。 そういった固有のテンポを人それぞれが内包しているものなので、自転車のロードレースでも山岳地帯をアタックをかけて他の選手をぶっちぎるよりも、あるテンポを守って、しかも自分のペースで上ったほうが疲れも時間も少なくなるようだ。ぼく自信、陣馬高原の和田峠の上り道を、一度目に上るよりも、山頂にいって下りてきて、また上る2回目のほうが楽に上れるのだ。ウォーミングアップというものは、あるテンポに近づくための準備なのかもしれない。 時計は自分が見ていないときは針の歩みを止めているに違いないという子ども時代の思い込みも、あながち間違ってはいないのかもしれない。 時間

お夏清十郎〜雑感〜

伝説というものはおもしろいもので、後代に手を変え品を変え受け継ていく。ぼくの故郷にも安寿と厨子王の碑石があるが、二人がそこを通ったということはありえない、が、しかしなぜかあるのだ。浦島伝説にしても東アジアから東南アジアにかけて同じような伝説がいくつもあるというから、なにがオリジナルなのかという詮索はする意味もないようだ。 お夏が狂乱した後にも、いくつもの伝説があり、野山を駆け回ったとか、姫路城下を徘徊したとか、正覚寺で尼僧になったとか、葛坂で茶屋を開いたとか。まあ、噂というよりも、後代の人が脚色して自分の土地にかこつけたとか、似たような女性をさしてお夏と名づけ親しむうち、伝説にすりかわってしまったり。 お夏がどのように生涯をすごすにせよ、不思議なのは、お夏は長生きをしたということが共通している。自殺を図ったが死に切れなかったり、周りの人たちにとめられたりした。狂乱も次第に止んだということも共通している。 清十郎と駈け落ちをし一大事件を起こしたお夏の生涯の行く末を、庶民は惨めなものにしたくはなかったのかもしれないし、実際のところ、お夏の狂乱は収まったのかもしれない。 井原西鶴にせよ、近松門左衛門にせよ、お夏は尼になり清十郎を弔って暮らしたという結末にしているのは感慨深い。事件は悲劇的な結末となってしまったけれど、生き残った人間が気が狂うだけで一生を失うのは感傷というものだ。清十郎の死の衝撃を受け止めて人間的に成長していくことに、両作者は意義を見出したに違いない。しかも、噂や聞き伝えがそれを証明し、お夏は立派に尼となって誠意をこめて弔っているという言い伝えの声が大きいのだ。 お夏が衝動的に大恋愛をし、でかいことをしでかし、悲劇となった後は立派な人間になるという筋立ては、庶民感情の支持するものであったのだろう。そこに庶民は幸福のかけらを見出したにちがいない。第二のお夏が次々と現れ、心中というかたちを選んだり処刑されたりする歴史が繰り返されるであろうが、当のお夏は幸福の円環の中にあることはおもしろい。 いたたまれないほどの悲劇的な結末でもなく、かといって安易なハッピーエンドでもなく、なぜか歴史に消え行くベクトルでお夏の伝説が受け継がれているのがおもしろいことだ。ある時点で、表舞台から自ら消えていった伝説の女優というのがいるが、その感覚に近いものがある。

いろいろな人

駅での小売の仕事をやっていると、いろいろなお客さんに対応しなければいけない。普通のことより、かえって奇抜なお客さんのほうが印象に残っていたりするが、そんなお客さんに対応するのは、仕事中は面倒くさくもある。 昨日は、「痛風になると、ビールを飲むと足が痛くなるの?」という質問を投げかけられた。いやいや、たとえこの店でビールを販売はしていても、忙しそうにしているレジの店員に対して発する質問か?こちらは、ただ目が点になるしかない。苦笑いと「分からない」でごまかしたが、そのおじさんは誰かに話したくて、公的な小売の店員に質問したのだな。普段、道を聞かれたり、銀行のATMの場所を聞かれたりはするが、こんな質問は初めてだ。 もう、ブラックに「ビール飲むと死ぬんじゃないですかね?」とでも答えれば、満足してもらえたか。 こんな話も聞いたことがある。「家まで帰る自信がないので、証人になってください」といって、病院の診察券を見せる。・・・・・・まあ、なにも忙しそうにしている店員じゃなくて、なんなら駅員にでも言ったらよかったのに・・・診察券をさっと出したところをみると常習犯? 一番あきれるのは「電話どこにあるの?」という質問。5メートル先にあるんだけどな・・・なにも見ていないのだろうな・・・ もっとあきれるのが結構あったりする。「ここはどこですか?」・・・いやいや、あなたはどこから来たの?と言いたくなるが、3,4回以上あるな、こういう事例は。駅の中だから、入るとき、降りるときに駅名がはっきりと出ているはずだが・・・忘れるものなのかな?1,2分すると・・・ 頭にくる事例もある。いつも日本語で買い物をする女性、おおよそ日本人に見えるのだが、なぜか、あるときでたらめな英語で、しかも日本語訛りで質問してきた。英語で答えたら、「おまえの英語は間違っている!アホ!」といったことを、偽英語で言ってきた。こっちもむきになって、正しくはないかもしれないが、通じる英語で「おまえさんは何をいいたいのかね?」と質問したり、「これだからこうなんだよ」と教えたりするのだが、分からないらしい。その女性、怒って駅員を呼んできて通訳させるが、まあ同じこと。結局、何をしたいのかがわからないし、何をいっても通じないのだから、混乱するばかり。とんだお騒がせな人だった。 まあ、過去にあったことだから、こうして

山椒大夫(4)

先日は、現代の山椒大夫とは何かを考えたが、今日は、現代の安寿と厨子王は何かと、自信はないが、考えたみたい。あくまで、森鴎外の『山椒大夫』でなく、溝口健二の『山椒大夫』として。 まず、安寿と厨子王は何をしたのか? 父親の失脚で、母子で父の元に向かう旅をする。人買いに捕まって、母と離れ離れにさせられる。丹後の山椒大夫のもとに奴隷として放り込まれる。素性へのプライドは子供心にもあって名前を明かさない、これは鍵となることである。あとで述べる。 山椒大夫のもとで長年は酷使され、身も心もぼろぼろになる。ようは人間でなく、非人扱いなのだ。厨子王は環境に順応して、山椒大夫に反抗するのでなく、かえって手先として利用される。安寿はあくまで、入ってきたときの屈辱と現状の奴隷たちの悲惨さで反抗心を残している。二人とも成人として成長している真っ只中の青年なのだ。この山椒大夫の領地で働かされている他の奴隷たちも、あるものは順応し、あるものは無感覚になり、あるものは牙を隠しながら耐え忍んでいる。 母の便りをふとしたことから知って、安寿はもとの幸福を取り戻そうという気持ちになる。安寿は厨子王を改心させようとするが、長年の環境の垢はなかなか落とせない。瀕死の同僚を捨てに領内の山に行かされる機会から、安寿は厨子王を逃亡させる。厨子王はここで改心して、その同僚を背負い山向こうの国分寺に駆け込み、山椒大夫のもとでの隷属状態を中央に訴えようとする。安寿は厨子王を逃がすため時間稼ぎをして、みずからは入水自殺をする。厨子王はそれを知らない。 開放された厨子王は時の政権の有力者に直訴するが、不審者としてつかまってしまう。が、そこで警備の者に没収された、父親の形見の観音像のおかげで、素性を知ってもらえ、丹後の国の国司の地位が空いていたので、国司となる。このあたりの環境のめまぐるしさは不自然なのだが、劇的なテンポによる誇張と解釈できる。実際なら、そんなに簡単に早く国司になるというわけにはいくまい。 国司になった厨子王は、山椒大夫をつぶし、安寿を助けにいく。山椒大夫をつぶすということは、中央の有力な政治家に喧嘩をうることで、自分の国司の地位はすぐにはずされることを意味する。しかし、厨子王にとっては国司の地位など問題でなく、ただただ、山椒大夫をつぶし、安寿をはじめとする奴隷を解放することが重要なのだ。結局、

山椒大夫(3)

溝口健二の『山椒大夫』を語って3日目になる。 昨日は、山椒大夫について書いたので、もうひとつの鍵となる「引き離された家族」のテーマについて考えてみる。 厨子王や安寿の父親である平正氏は武士が台頭してきた時期に、領民を守るための理想主義によって筑紫に左遷される。ここでひとつの離散。 そして筑紫に向かって、母子3人と乳母を連れた無謀で非力な旅が始まる。その途中、越後で人買いに捕まり、母子は別れ別れになる。母は佐渡の遊女宿へ、兄妹は丹後の山椒大夫の荘園に、そして乳母は越後の海に沈む。この距離的な遠さと、ぬかりなく行き先の決まっている犯罪は、人身売買の組織網の広さを物語っている。 山椒大夫のもとで月日を送った安寿と厨子王は、新入りの奴隷の歌う歌で母の存在に思いをはせたことで逃亡を企て、厨子王を逃がすため、安寿は時間稼ぎをして、兄妹は離れ離れになる。厨子王は生きて中央の政治家に請願するが、安寿は別れた後に入水する。 ひとりまたひとりと家族は別れていき、まだつながっているものに望みをかけるかのように、物語の重心は、引き離されていない者たちに移っていくのだが、最終的には家族四人ばらばらになる。 幸運だったのは、たとえ四人が離散しても、それを引き止めるかのように、家族を求心的に引き寄せる強い力が作用していたとうことだ。それは、陸奥から筑紫までの無茶な旅にはじまり、父親の残した言葉、母が遠くで呼び続けた歌、いち早く山椒大夫を倒して妹を救いにくる厨子王の行動、父と妹の死を知った厨子王が母を訪ねる行動に表れている。とりわけ、父親の言葉と、母の呼び声のモチーフは反復されて、安寿や厨子王を目覚めさせる働きもしている。 実際、越後の浜辺近くでの枝折の場面で、母の心配する呼び声は子供たちにも届いており、その呼び声の聞こえる範囲内でしか、安寿と厨子王は行動しない。直後の夜の場面では、二人はすっかり母のもとに戻って安心している。その呼び声が時空を超えただけの話で、離れ離れになった二人の耳に、母の声は他人の歌声を借りて再び伝達する。逃亡の場面では、安寿の幻聴という手段で伝達する。最後の佐渡での厨子王の途方にくれた耳には、すぐ近くにいるのに声といった伝達というよりも、存在の伝達という手段で居場所を告げている。逆説的に、厨子王が言葉でいくら母に境遇を語っても、母はなぶりものにされるのを恐

山椒大夫(2)

山椒大夫とはいったい何者なのか?現代の山椒大夫は? こういった問いを抱えながら、溝口はこの映画『山椒大夫』をとったに違いない。実際、当時の映画俳優がかけもちの仕事ばかりして、自分の映画に専念してもらえないのを嘆いて、プロモーターを山椒大夫になぞらえていた。 山椒大夫とは? 有力な政治家に庇護された資本家。狡猾な人間、それも中央の政治家たちの間でも手出しのできかねる知恵者。自分の荘園では奴隷をこきつかう。周囲に手下をもっていて、自分の手をなるべく汚さないで事をすすめる。残虐な刑罰の実行。奴隷の監視。人身売買の行き着く場所、つまり奴隷の労働力を買うところ。お金の出入りに対してうるさい。接待、賄賂、へつらい、それらによって見返りと自身の安全を期待する。法律と公的な規制を物ともしない、つまり、裏に有力な政治家がいるので、地方の国司が手出しをできないことを承知で権力をふりかざす。 まだまだいっぱい要素をあげられるだろう。こうして見てくると、現代にも山椒大夫が存在しはびこっているのが分かるだろう。そして、現代の山椒大夫はもっと狡猾に、もっと論理を巧妙に、また、もっと大規模に組織を作り上げて協力して複数で犯罪を行っている。そして、労働力が奴隷という名をはずされて、契約という名目で行われているから、民衆の隷属化がより自覚しにくい。 現代の山椒大夫ならどんな武器を使うのだろうか? まず、賄賂・へつらい・根回しによる身の保全は同じく欠かさない。また、資本力を増殖させることに対して手段を選ばないことは同じだろう。法律の間をくぐりぬけるために、現代では弁護士などの法律家を後ろに待機させ、公的な装いを見せる。組織を巨大化し仕事を分担することで、責任を分散させる。つまり企業化、ビジネス。マスメディアの力を利用すること、つまりは現代で山椒大夫が味方につけようと考えているのは、有力な政治家だけでなく、巨大な宣伝力と影響力をもつメディアとその周辺の有力者たち。20世紀の産業機械だけでなく、現代では全世界的なネットワークと標準化による戦略。石油などの利権。目に見えないところでの搾取。労働力の巧みな利用と、無責任な保障。また、より明確に、武器をもつ、武装する。それは理論武装にとどまらない、ミサイルをもつ。しかも、軍事産業というビジネスとして。 こうした山椒大夫が現代にも生きているか

山椒大夫

溝口健二の『山椒大夫』を観た。今回は物語に圧倒されることはなく、落ち着いて構造を確かめられた。ただ単純に主題的に観たというべきか? 今日観たこの映画は、人間の奴隷化への執拗な抵抗に思えた。厨子王、山椒大夫の息子の太郎、安寿に代表される抵抗の行動。厨子王は感情的に仕返しをする。 また、山椒大夫がのさばる荘園は、右大臣の権力の庇護の下であり、山椒大夫個人の横暴というだけでなく、中央の政治の権力争いの先端という構図。 溝口がこの映画で語る中心にこれがある。 また、引き裂かれた家族、失われた平和・幸福・希望の問題。山椒大夫の荘園で働かされている奴隷は、人身売買のネットワークに引っかかった被害者で、みな身寄りのない者で、個人の歴史すら消されている。次々と新参の者が入ってくるところをみると、かなり大きく堅固なネットワークが張り巡らされている。その取引の実行犯も、経済的な利益を得るために、善人の装いをしている。いや、普段は悪事を働く人でないのかもしれない。 たとえ家族が離れ離れになっても、家族への思いは時空を超える。 母親の玉木の歌う安寿と厨子王の歌は、少なくとも玉木の周囲から佐渡の全土に広まり、そして丹後の国にまで広まるのだ、しかも他人ののどを介して。 厨子王の逃亡への決意のきっかけは、母子で旅をしていたときの、安寿との枝折の記憶と反復。ここで安寿はその幼い時期の旅で、心配する母親の呼び声を時空を超えて聞く。おそらく厨子王にも聞こえている。 最後に佐渡を訪ねる厨子王が、風を聞いたかのように母親の居場所に向かっていく。誰かが教えてくれたわけではない。 思いだけではなく、観音像、ことばというものが、家族の離散を食い止める。 言ってみれば、政治的・社会的に容認されている犯罪によって家族が引き離され、その悪の制度を感情的になってまでつぶそうとする戦いの映画なのかもしれない。 人身売買は現在も国際問題であるし、人身売買に似た搾取はいたるところにある。ひとりひとりの命や人格がぼろぼろに崩壊させられても、家族が、ふたりきりであっても、再会できたことに幸せがある。 この映画は主題的にも大きな問題をはらんでいて、いつ観ても新しい感情や意見が沸いて出てくる。溝口の映画が古くても、題材がもっと古くても、現代の問題に深く切り込んでいる。つねに新しい溝口。 うーむ、やる

アルド・ロッシの独り言

何を思ったか、建築の本なんか読んでいる。アルド・ロッシというイタリアの建築家。たまたまピンときて2〜3ヶ月前に古本屋で購入した自伝。『アルド・ロッシ自伝』(鹿島出版会)。 普段読まないジャンルの本を読むと、その思想やセンスが優れていればいるほど、他ジャンルの優れた人と同じことを言っていることに気がつく。そして、そのいずれの人も、ひどく単純なことを述べているにすぎない。取り立てて新しい真理の発見というものがあるのではなく、古い真理の再発見が綴られている。 思えば、芸術家の探求の過程は、常に自分自身や周囲に対する問いかけの過程でもあり、単純な問いこそが人間の根源的な問いにつながり、改めて問い直すことが芸術家の視点や方法の発見につながるものである。答えをうすうす気づいてはいても断言できない、それを解明すべく方法にのっとって作品を作り上げる、というのが芸術家に共通してみられるものではないか?解答は作品の過程と結果にあらわれる。 言ってみれば、人間とは何か?社会とは何か?自分の取り組む芸術は何か?という問題に、建築家も俳優も音楽家も写真家も挑戦しているわけで、そう考えれば、同じような答えがでてくるのもうなづける。ただし、それらの人たちは問いを常に発し続け、大いなる格闘をしながら作品によってそれを答え、自らの言語を創造しそれでまた発展していく。結果的に同じことをさまざまなバリエーションとさまざまな例題で語る。そして、そのことこそが、生の豊かな一面であり、われわれを断定と単調さから救ってくれる。 ロッシの自伝はなかなかに難しいのだが刺激的な本である。とくに、建築にたいする思想や仕事の過程を中心に書かれていて、それこそがロッシの語りたいものであることがひしひしと伝わってきて、芸術家であり職人でもある人の素晴らしい探求の歴史を感じ取れる。 「この死者の館(モデナの墓地)は死滅する都市そのもののリズムに基づいて建設され、いかなる建造物も究極はそうであるように、人生に結びつけられたテンポを内在している」  (A.ロッシ) 「幸福のおかげで私は海岸のことを考えることになったわけだ・・・私がそこに探していたのは、湖なる世界の対極に位置する場所である。おそらく湖の世界では正確に幸福を表現することがない。」  (A.ロッシ)

またまた反省する・・・

-いやいや、もうほんとにご無沙汰という感じで・・・ -お元気ですか? -元気です。 -どちらにいらっしゃったのですか? -どちらにもいらっしゃらなかったわけで・・・ -というと? -ずっと普段どおり生活していたわけで -ああ、そうですか。 -ごめんなさい。ブログを更新しなくて・・・ というわけで久しぶりに書く。やはり日記は続かないという、いままでの人生を覆すべく書き続けたものだが、習慣は恐ろしい、またサボってしまう。 なにも書こうが書くまいが誰にも影響はないよ、といわれればそれまでだが、だれがこれを見ているかわからない。ぼくも、今度のグルッポ・テアトロの公演の出演者のブログを見ているわけだし。 というわけでいきなり宣伝。 12月19日〜24日に下北沢の劇場で公演です。『お夏清十郎』。くわしくは こちら しばらく何もしていなかったわけではなく、稽古をしていたり、書類を作成していたりしました。公演の役者さんのアンサンブルもとても良好に築きあげられいます。演劇は、いろいろな人との共同作業、コミュニケーションをつくることに尽きるといっても過言でなく、稽古と公演をとおして、人間的な絆を再確認したり再発見したりするものですよね?一番難しいのはお客さんとの絆。これは、演じる側が友好的に手を差し出さない限り、お客さんは冷たく見据えます。演じる側が、コミュニケーションのための方法・言語・態度を求めなければいけません。 ここまで書いてきてふと思ったが、丁寧語だな。いつも乱暴に断定口調で書いてしまうぼくも、今日は下手にでて謙虚さを保っているのですな。さぼりにたいする後ろめたさなんでしょうね。おもしろいもんですね。 約束はしないほうがいいけど、また書き続けます。よろしく。(誰にむかって言っているのか?まあ、いい)

大脱走

今さらながらだが、浅田彰の『逃走論』を読んで楽しんでいる。いったい誰に語っているのかわからない口調の文もあれば、難しい概念の文もある。二元論的にばっさりと切り捨てるところが、いさぎよい。しかし、それが落とし穴というか、論理のまやかしに通じるかもしれない。が、おもしろい本だ。 パラノ人間(偏執型)とスキゾ人間(分裂型)。前者は定住、蓄積。後者は脱走、ギャンブル。過去を背負いしがみつく姿勢が前者で、後者は過去をゼロに戻しとんでもない方向に走っていく。 思えば、どれだけわたしたちは伝統や格式や規則を当然のことのように受け入れているだろうか?穏便な社会生活を送る上では、そのことが必要とされるのかもしれないが、ときには冒険のひとつやふたつしたくなるのが人情というものだ。そんな冒険にまで、日常の規範を導入しなくてもいいわけで、そのところに祭りなどでの馬鹿騒ぎの理由が見いだされそうではあるが、その非日常の祭りまで年中行事としてスケジュール化してしまう波がおしよせる。こうなったら、逃げるしかないのか?どこに? はみだしたい、日常を忘れたいという欲望も、たいていはつっぱりや酔っ払いなどの人間界の風物詩となってしまう。音楽よりも姿格好のほうに気力を傾けている自称ロッカーに会ったことがあるが、見ているのが気の毒なほど俗的に典型化していた。 ブレヒトが異化ということばを使い、シクロフスキーも別な分野で異化ということばを使い、浅田がスキゾフレニーということばを使っているのも、現実の重みのために思考や感性が自動機械化してしまうことに対する警告なのかもしれない。現在においては戦わなければいけない。判断や感性が鈍くなるというより、過去の判断の積み重ねの重さが強度を増すのだ。 若いときに嫌悪していたことが、年を重ねると許せるようになるのは、人間が成長したことかもしれないが、同時に、若いときの嫌悪も絶対的に真なのだという真理を持ち続けていかないと、すべてをにこやかに許す愚鈍な感性になってしまう。 そうならないためにも、ひとつの事象にぶちあたったら必ずゼロから出発する固い意志が必要になってくる。ひとりの人間を前に、若者だとか、学生だとか、外国人だとかいう枠組みの中でのレッテルを貼らないで、不可思議なひとりの人間という認識から出発しなければいけない。 歴史は繰り返すというが、ひ

経験について

ここしばらく死のことを書き綴っている。死を語るのは生を語りたいがためで、なにぶん死というものが分かっていないためである。自分の経験上からは導き出せないものを、経験し分かるものから導き出すのは常套手段だろうが、それしかできないのだから仕方がない。 生まれ変わったら女と男どちらになりたい?と聞かれる質問ほど答えにくいものはなく、まじめに考えるときりがないし、かといって不真面目に答えると質問者に申し訳ないし、質問する人は答えを導き出したいのではなく、話題を求め関係を築きたいのかもしれない。どちらになりたい?というのも、やはり分かっていることから類推するか、想像するかで、結局は今ある性と別な性に答えることにしている。 自分の経験したことから類推することも必要だが、この世界は経験するには無限に大きすぎる。数を増やそうが、結論は似たようなものになって、結局平均値をとるか、規則を作ってしまうのがおちだ。かといって、この試みをやめようとしないのが人間なのかもしれない。何度も同じ過ちを繰り返してしまう恋愛。 逆に、数や種類の豊富さに圧倒されるか、もしくははなからそんな豊かさとは別な道をとり、少ないもので事足りるのを良しとする場合もある。どの料理もおいしい料理店で、結局は2,3のメニューにとどまってしまうのはぼくだけか? すべてを経験し吸収しようとするファウストやドン・ファンの試みは、ある意味神がかり、というよりも悪魔的な決意だ。しかし、不十分な資料で論証される、というより強引な詭弁を使って物事を語られるよりはいいのかもしれない。 常々思うのは、老人にかなわない部分があり、それは経験にほかならない。部族の長老が尊敬されるのはそのためであろう。仕事上の先輩が落ち着いて作業をできるのはそこにあり、それがあることは大きな意味をもつ。 経験というものには勝てない部分があり、だからぼくはおとなしくしているかと思えばそうでもない。老人や年配の人より経験がないから、そんなものがあることすら思いつかないのかもしれない。また、経験上のものがすべて正しいわけでないことも知っている。経験は正しくても、間違った類推もある。 ボズウェルの書いたジョンソンのことば 「再婚は経験にたいする希望の勝利である」(ジョンソン) まだまだ余地は残っているわけだ。

生者の行進

ここ数日、別役実の作品を通して、死というものを考えてきた。 それには伏線みたいなものがあって、夏目漱石の『硝子戸の中』のある場面で、漱石が、生きるべきか死ぬべきか迷っている女性に、どうしても死を勧めることはできなかったということ。 カミュの『シジュフォスの神話』の、カミュの描くシジュフォスの戯画では、シジュフォスはまず死の神を鎖でつないでしまったというエピソードを残している。いっこうに死者が来ないので、地獄の神が怒ってしまったという神話。 また、シシュフォスは死んで後、人間的感情をもたないで自分の遺体を広場に放置した妻へのこらしめのために、生の国に一時戻る許可を地獄の神から得て、地上に戻ったが、この世の姿、水と太陽、入江の曲線、大地の微笑をすっかり気にいって、地獄から帰って来いといわれてもずっと無視しつづけ、生の輝く世界を前に行き続けたという。しまいに地獄から追っ手が来てつかまってしまったという。 柄谷行人はおもしろいことを示唆している。葬礼は死者を片付けて、それがいない世界をつくるためになされる。死者を弔うのは死者を考えているのでなく、ある者が亡くなったて穴があいて不安定化した共同体を再確立するため、また死者を忘れ去るためになされる。葬礼は原始時代から、つまり生者の社会の共同体があるところでは必ず行われる。キルケゴールの言葉を引用して、死者とは他者であり、死者と生者の関係がかわるとすれば、生者が変わったからにほかならない、われわれは死者と交渉しようがないと。 死者を祭り上げるといった行為はすべて生者のための口実なのだろう。作家の死後100年記念や、銅像をたてる、宗教的儀式も含めて。政治家の靖国神社の参拝なんかは特に政治家としての口実・体面としてであって、偽善的に太平洋戦争の死者を祭り上げている。 ぼく個人としては、死者を祭り上げた祭礼ほど陰気なものはないと見る者で、生の祭典のあの躍動と比較して、どうしても歓迎できないものだ。偉人の銅像なんてつまらないものだし、映画人の復活上映は忘れられていた映画を生者としてよみがえらせる行為においてしか意味をみいださない。 たとえば原爆の追悼の儀式も、湿っぽく行う必要はないのだ。われわれ生者の豊かな世界に、強制的に死者の世界に連れて行かたものを一時的に連れ戻そうとする祭典にすればいい。生者に強く光をあてれば輪郭

数字で書かれた物語

二日連続で文学座のアトリエを訪れたことになる。昨日は作家の隣の席で、今日は最前列という、どうも劇に集中せざるをえない環境におかれて、そうなればなったで満足だな。 うん、楽しかった、今日のほうは。人数も同じくらいの登場の密な舞台なのだが、今日の場合はまず、登場人物がみな仲間だという設定が、人間関係の濃密な歴史の過程を途中から始められるという利点があったように思う。それを観客は推理できるしね。 重苦しい話ではないことは知っていたが、昨日の作品と同じように死、しかも自殺の話ではある。この二作品をとりあげる鍵となるテーマは死、自殺のように思えた。ただし、両作品をみればわかるが、『数字』のほうは自殺はナレーション上だけで、『犬』のほうは舞台上か、舞台袖で人が死ぬ。前者は自決する意志を感じさせることは舞台の上ではなにひとつなく、ある意味、死を軽蔑するかのように脇道を歩き、おそろしく遠回りをしてばかりいる。後者は、直線的ではないが、向かう場所を知って、あきらかにそこに向かっている。 『数字』の話だけをすると、新興宗教のカルト教徒と思わせる人間でなく、死期を意識している人間でもなく、なぜかつまらない世俗の些事にこだわって生活している人間が逆説的に、とてつもない行動を起こしていることがおもしろい。会話はすべて理屈や、揚げ足とりや、ちっぽけな小言に執着したりと、教団の思想的な話などなにひとつしない。それでいながら、ナレーションで伝えられるのは、餓死殉教や、切腹や、服毒などの過激なことばかり。舞台上では議論ばかりして、風船遊びのただひとつの行動さえおこすのに時間がかかるのに、伝えられるのは思いつめた行動の結果だ。切腹の未遂の傷も、傷の生活上の興味にだけ絞られて、かえっておもしろがっている。 ここに、巧妙な身のかわし方を見る。過激な行動、死への行進、思いつめた思想をアイロニカルに否定し、おそろしい回り道、日常のこまごまとした面倒なこと、ゆったりとした足取りに光をあてる。その世俗的なことに、排除の構造があったり、自己保身があったりはするが、死の行進と比べるとそれはかえって生を豊かにしているかのようにも思える。この、死を傍らに置き、そこへ向かう人間に、生の豊かさがみられることは貴重なことだといわねばならない。そこにこそ人生の一面をはっきりと見られると思う。それが、『犬』には無かっ

ホームページの復活・変身!!

グルッポ・テアトロのホームページが故障していました。というより、パソコンが壊れてしまって、データを保存していなくて、更新できなかったのです。 というわけで、新しく作り直したわけです。お祝いとして、普段使わない絵文字で祝杯をあげましょう!  以前のページをお気に入りに入れていたかたは、こちらに移行お願いします。 グルッポ・テアトロ ホームページ もういっちょ、気合をいれて絵文字   で、以前のページはというと、いろいろとHTMLエディタでいじくっているうちに、バグったり削除してしまったりと、廃墟となっております。おそらく世界遺産には登録されないだろうから、そのうち削除します。 SL列車の最後の運行のように、華々しく去ることはできませんでしたが、6ヶ月(ああ、まだそれだけか!)ごくろうさま。というわけでまた絵文字  今日は軽いのりで! 

犬が西むきゃ尾は東

観てきました。明日は同じ文学座の同じ別役作品。 そういえば、先週の土曜日は昼夜と同じ作品を観て来たな。同じ清水邦夫の『楽屋』を、同じ日に、同じ阿佐ヶ谷で、ふたつの公演とも友人が出演していると、偶然が重なって、結局戯曲にたいする理解が深まったのと、二公演の比較を楽しめて、興味深い一日だった。それもそのうち書こうっと・・・ で、文学座の別役作品。偶然、隣の席が別役氏で、その隣が演出の藤原氏という、緊張を強いられるポジションに立たされた(座らされた?)わけで、純粋に楽しもうとする以外の演技も入った観劇だった。というのは、へたに中途半端に笑うのはいけないと思ったわけで(カラカラ笑えるものでもなかったが)、またへたに居眠りこくのは失礼だし(あいにく今日は眠くならなかった)、要するに、隣の別役オヤジに、ぼくが本当におもしろいなら笑うが中途半端なら一切笑わんぞという意思表示をしていたわけで、観劇中に何をしているんだというこったな。 つまり、心は軽やかに待機しながら、厳しい目で観ていたわけだ。これじゃ観劇じゃなくて、稽古場だなと思ってしまった。 だからというわけではないが、緊張感を保てたために、戯曲の意味や本質に深く思いをめぐらし、登場人物のあれこれの行動やことばを考えることができた。が、結論はでなかった。それでいいのかもしれないが、テーマ論的にみると、いくつかのテーマがあげられる。記憶、人生、死、集合離散。作品の前半は花のない花見という集まりだったのが、作品の後半になるにつれ、死のテーマが重くのしかかってくるのは人生の縮図であると解釈できるし、幕と幕をつなぐ間の記憶が問題になってくるのもわれわれ人間の不確かさなのかもしれない。 つねに西に向かうのは西方浄土だと戯曲中にあるし、そこへの歩き方はつねに「だるまさんがころんだ」のようにリズムを伴っている。それを口ずさまずには歩けないわれわれ身寄りのない人間たち。 幕の構成も四季の設定にのせて、人生の春から、冬の死まで、人生とともに歩む。 しかし、なぜほとんどの登場人物が自らの命を絶つのだろうか?それ以上の解決方法はないのかというのが、おおいなる疑問である。それが70歳になった別役氏の見た世界で、ぼくのようなその半分にも満たない人間には分からない人生の生き様なのかもしれない。なんの老化もしていない演技をしながらも、体の

コミュニケーション・ブレイクダウン

しばらくこのブログを書かないと、書き続ける意欲も薄れていくもので、一度冷めた関係を取り戻すのが困難なように、書くことに着手するのにも勇気がいる。書いてしまえばなんてことはない、すらすら進む。人間関係のわだかまりだって、そんな小さな行動によって簡単に解消できるものが多いのかもしれない。 自分の怠慢を、人間関係にたとえるのは良くないな。 こんな書きはじめ方だからといって、何か事件が起こったわけでも、歴史的和解が起こったわけでも、よりを戻したわけでもない。 しかし、常々思うことは、古くからの友情にせよ、仕事上のつきあいにせよ、現在の交友関係にせよ、それとの人間関係はつねに新しく、新鮮に、活発に、更新していかなければいけないのだな。年賀状ひとつでも結びついている意識はあるのだから、それすらしないとなると、関係はもちたくありませんといっているようなものだろうか?なにも年賀状が必要なわけではないが、コミュニケーションのためのよい手段とよい機会だなとつくづく思うのである。 夏目漱石の『硝子戸の中』を読んでいても思うのだが、漱石はじめ、文人たち、その他の人たちは、よく手紙を書く。それにたいする丁寧な返答もたいていされる。手紙が儀式でなく、現在の電話やメールのように、離れている人とのコミュニケーションに大きな役割を持っている。 更新されなければ、と言った。だからといってただただ連絡をとりあえばいいというわけでもない。二人の関係をも新しく、より良いものに変えるような更新の仕方、これが必要なわけだ。更新の期間の長さの問題ではない。何十年ぶりにだって前回別れたところからまた開始できる友情がある。逆に、毎日のように連絡していてもお互いの認識や心情になんの更新もないような事例もありうる。 連絡をとるというのが、演劇や芸術やイベントを開く人たちのジレンマであり、試金石になるところで、受け取る側が宣伝されているだけの感想をしか持たないのなら、そんな連絡は広告・宣伝の種類の連絡だ。怖いのは、受け取る側が知り合いからの友情なりを期待していたのに、送る側は機械的に宣伝を刷って最終的に署名だけするような場合だ。 そして、ぼくの知る限り、演劇の世界でもそういった宣伝を友人と思っていた人から受け取る事例が多い。ぶっちゃけいえば、なんで公演のときだけへいこらへいこら媚を売ってくるんじゃあ

ファルスタッフ

その瞬間、舞台と観客席は一体となって、ファルスタッフを河の中に落とした。まさしく共犯的な笑いを浮かべて、喜んで拍手喝采した。今夜の新国立劇場でのオペラ公演『ファルスタッフ』での出来事だ。 舞台の観劇が多くても、こういった瞬間は必ずしも多くないもので、だからこそ、今夜それと出会えたのが嬉しかった。 J.ミラーも、この作品を4度演出しているようで、作品を手馴れた扱いをしていたと思う。余裕をもって演出しているようで、その余裕がファルスタッフの体をきつい衣装に包まなかった。遊びがいたるところに散りばめられ、その小細工を思い出すだけでも楽しい気持ちになる。舞台が細部の楽しげな印象とともに記憶に残るのは、演劇の幸福な体験だ。感覚的に目に残像として残るだけでなく、語ってみたい気持ちになるほどのかわいさをもった舞台のきれはし。 それが見事にはまったのが、冒頭にあげたファルスタッフを河に投げ込む場面だ。 舞台美術もからくりのようでおもしろかった。ただし、最終幕の森の中の美術はおおざっぱすぎて機能を果たしていない気がするが。 特に、二幕のフォード邸の装置は、いろいろな仕掛けや場面が集約されていて空間がすんなりと意識に入ってくるほど秀逸だったと思う。 一幕の二場のアリーチェとナンネッタの二重唱はとても美しかった。ナンネッタ役中村恵理のソプラノはまるでハーモニーのように透き通って聞こえたから不思議だ。普通、ソプラノがキンキン高い音で耳障りにも自己主張する印象がぼくのなかにはあって、あまりソプラノを好きでないのだが、ここでの中村の歌は心の琴線を確かにとらえた。カーテンコールでもひときわ拍手が大きかったのが彼女だった。納得のいく話である。 ほんと良いものを見せてもらったという感じだ。ミラーの演出はくっきりと輪郭があって、豊富な発見の機会を提供してくれたし、オーケストラ・指揮も音楽で演出をしっかりしていたと思う。演技と音楽が表裏一体のように結びついていたのが驚きだった。ヴェルディのスコアやボイドの台本のできばえもあるのだろうが、ひとつひとつの行動に音楽が寄り添う印象があり、だからこそ、場面に輪郭がはっきり浮き出ていたのだろう。この公演は成功だと思う。 といって、不明瞭なところ、これはどうかと思ったところを書かないと、賛辞だけになってしまうので、言っておく。3幕のラスト、

高原の眠り

ふと思ったことがあって、それを書く。 眠りということ。今、目を閉じて今朝見た夢を思い出していたら、すーっと眠りに落ちそうになった。それが、過去の記憶で、高原や山の上で風に吹かれて心地よい眠りに落ちたときのような、それと同じような眠りだった。 こんな気持ちのいい眠りはあまりない。 そこで考えた。普段の眠りと高原での眠りとの違いはなんだろうか?アルファ波とかレム睡眠とかなんとかがかかわっているのだろうか? 高原での眠りは意識が空に拡散するかのような軽いもののような気がする。 普段の眠りはごつごつ固い塊のような気がする。 眠気からさめたあとの心地よさにも違いがある。高原での眠りのほうがさわやかだ。 眠っているときの周りの環境も影響するだろうな。風に吹かれて、快適に眠れる気温のときのほうが気持ちいいだろうし、雑音があまりないほうが気持ちいいだろう。普段の眠りは夜とはいえ、家の中だし、眠り自体に生活感があるから。短い眠りが気持ちいいのかもな。それと、なんのしがらみも、不安もない眠り。そう、ふと居眠りしたときのような。 ここからはなんの結論も導きださない。決着をつけたがる悪い癖があるから、なんにでも答えを出そうとしてしまうが、ここは辛抱。 つかの間に、意識の拡散するような高原での眠りを、高原に行かないで体験できたことを幸せとしなければいけない。こんなときだな、眠ることが楽しく思えるのは。

歴史の悪趣味

数日前に観た劇団東演の『恋でいっぱいの森』のパンフレットに、福田善之氏の文章で、芥川比呂志がヴェトナムで枯葉剤をまかれるマクベスの劇をやりたい、と書かれていた。劇の最後の場面はその演出かと思ったのだが、それは別にして、枯葉剤ということばがずっと気にかかっていた。 ピンターの本には、アメリカ政府が自分の膝元の中米の国々を侵略してきた経緯が書かれていて、アメリカに反対する勢力の対抗勢力に武装援助をしてきた歴史が書かれている。 今日はミラン・クンデラの『カーテン』(集英社)のなかで、チェコという国がソ連にいわば併合された歴史を語っている。 大国の横暴なやりくちが気にかかっていた。 昨日だったか、自転車で街を走りながら、ふと思った。もしかして頭上からぼくを狙撃する人間がいたら、ぼくは逃げられるだろうかと。ヒッチコックの『北北西に進路を取れ』でないけど、あんなふうにいきなりぼくを襲うものがあったとしたらどうしようと。少しの時間ではあったが、気になった。 そして今日の夕方、テレビのニュースで知ったのだった。コロンビアとエクアドルの国境近くに、コロンビアの麻薬組織のアジトがあり、それを狙うために、コロンビア政府とアメリカ政府で、空中から枯葉剤を散布しているのだ。しかも2000年から。枯葉剤が地上から高い位置で散布されるため、また、高濃度であるために、風邪にのってエクアドルの住民がそれをまともに浴びている。農産物だけでなく、人間にも浴びせかけているのだ、しかもそれが麻薬撲滅といった大義の名目で。 まさかと思うことが平気に行われている。 核兵器だって使われないとは言い切れない。 クンデラに言わせれば「歴史の悪趣味」か。 特攻隊だって復活するかもしれない。 かっと目を開いて、世界を監視しなければいけないな、わたしたちひとりひとりが。 cf.  恋でいっぱい(?)の森 ハロルド・ピンターはこう語った

異化について

以前、ぼくは詩を作っていた時期がある。今から、10年くらい前だ。そのときは何かひらめくとすぐにメモをとり、その言葉や意味を記憶させようとしていた。たいていそんなひらめきは使い物にはならなく、後々見かえしても何を意味しているのか分からない理解不能な単語も登場する。書き連ねている瞬間だけに通用する興奮をともなったひらめき。 詩を作っているときは特に考えたのは、日常的な感情や考えの単純さをどうやって輪郭づけして際立たせるかということ。普段なら自動的に連想してしまうイメージを遮断して、別の象徴的なイメージに結びつけるかということ。何気に難しいんだ。人間、何の気なしに、無意識に自分の経験や過去のイメージを保存しているようで、そこにたどり着くのを安心し、安住してしまう。言葉遣いもマニュアル化してしまう。そこをいかに断ち切るかにかかっている。 なんでこんな話を持ち出したかというと、異化ということばに引っかかっているからだ。演劇の世界では異化といえばブレヒトにいきつき、そのブレヒトの異化理論というものの有効性を確かめたい。 異化、つまり特殊化。強調。距離を置くこと。非日常化。 インターネットで時折音つきのサイトがあり、そこを開いたときに、はっとする。それも異化というべきか。 和やかな談笑の場に、深刻な顔をした人が入ってきて、ある人の亡くなったことを告げる。そんなときも日常的な次元から急速にある次元に飛んでいく気がする。これも異化だな。 通勤途中に見たのだが、急な坂を上っていた自転車がいきなり、ぐにゃ、と崩れ落ちる。荷重がかかりすぎてフレームが折れたのだ。これもびっくり。これはアクシデントか? 溝口健二の『祗園の姉妹』だったけな、最後に主人公が激しく慟哭しながら世の中に抗議をするときに、カメラが、ぬっと、一歩前にでる。そこにカメラの非自動化がある。 最近のテレビや映画ではすこぶる低調だが、サンシャイン劇場で『どん底』をやったときの仲代達也のサーチンが、酒を飲み込むしぐさ。手をひらひらひらひらさせながら喉元からお腹まで下ろしていく。これぞ異化だ、素晴らしいと思ったなあ。 夏目漱石の『それから』で代助が勘当されて電車に乗って赤いものに極度に敏感になり、増殖していったのも、異化といえるだろうか? 結局、結論はでないものだ。さまざまな例を感じ取りながら、この難しい

夜への讃歌

日曜日の夜はセンチメンタルになるのはぼくだけだろうか?ひどく静かな夜で、近所からの話し声やテレビの音も聞こえない。いったい隣り近所は何をしているのだろう? そんな夜に限って、聞きたい音楽も静かなものになる。ジョー・パスやチェット・ベイカーなんてものに手が伸びる。 周囲が静かであればあるほど、音楽も心にしみるし、ぼくの想像もいろんなところに飛んでいく。今日あった出来事というよりも、もっと過去にあったいろいろな思い出をふとした調子に思い起こしてしまう。 なんて感傷的な夜なんだろう。こんな夜なら、何もかも微笑ましく、許せてしまう。 物悲しいとでもいうべきか、なんだか心に穴があいたようで、しかし空虚とは違う、まるで宇宙に吸い込まれるような気分。そうだ!夜空の星でも眺めてみようか?といってベランダに出たら曇り空。 星でも見てみようか、しかも東京でそんなことを考えるのは、日曜の夜だけかもな・・・ 虚しいわけでもない。忙しい身のはずだが、ちっとも忙しく思わない。 そうそう、こういう夜は人と話してみたくなるんだよな。さっき、両親と電話で話をしたのもそんなものなのかな? 最近、暑かったせいか、周囲も自分も、心がざらざらして攻撃的になっていたな。昼には昼の論理があるように、日曜の夜にはそれなりの状況があるのだろう、こんな静かな夜には自我を通そうとも思えず、なにか不思議と人のことを思う、つまり他人を感じようとする。 ほんと不思議と感性がはっきりとしている気がする。ひとつひとつの物事やひとりひとりの人間の輪郭をはっきりと受け入れられるような気がする。きっと気のせい、単なる思い込みには違いないのだが、嬉しい。 こんな夜を迎えられたのが嬉しい。嬉しい、嬉しい。 しつこいな・・・ ま、でも、すべての日曜の夜にそんなことを感じ取れるわけではないので、今夜の幸せはありがたく受けとらなければな。 これはぼくなりの夜への讃歌だ。おやすみ。

ハロルド・ピンターはこう語った

ハロルド・ピンターの『何も起こりはしなかった』(喜志哲雄編訳、集英社新書)を興味深く読んでいる。劇作家で、2005年のノーベル賞作家だが、そういった肩書きを説明する必要はあるまい。かなり刺激的な劇作品のいくつかを読んで、興味はもっていた。 そんな作家が、ノーベル賞の記念講演で述べたことは、世界情勢についてのかなりの危惧であることがおもしろい。彼の作品を読んで気づくパンチ力は、そういった認識を基本にして生まれることが分かった。 演劇や文学が、人生や真実や社会などへの問いかけから離れるとき、(ぼくのことば使いでいえば)お伽噺になるときに、それらの芸術は単なるショー、見世物になってしまう。そういった類の見世物を否定はしないが、そんなバラエティ番組が世の中にあふれてしまうのはいかがなものかと思う。 娯楽という概念が、何も危険物を含まない、身に優しいもので、表層を心地よくさせるものとして利用されるとき、ローマ帝国時代の享楽主義やバブル期の日本のように、怪物的な頽廃がはびこってしまう。 無残なリゾート地の廃墟やお化けのような化粧は、彼ら自身の前に鏡を置いてあげたいくらいだ。しかし、鏡をのぞく本人たちには鏡にうつる意味は理解できないのだが・・・ ピンターが目の敵にしているのは、アメリカ政府という怪物だ。彼はイギリス人なので、アメリカに追随するブレア首相をも非難している。そういえば、ブレアはイラク戦争の責任で退陣するのだったな、たとえ本人は認めていなくても。イラク攻撃のときは誰もが、攻撃の理由はおかしいのじゃないかと疑問に思ったと思うのだが、それがわからなかったのはアメリカに追随するいくつかの国の政府だった。(もちろん日本もな)。 ピンターも指摘するとおり、そんな理不尽な行動が、アメリカがすることだからと容認されてしまい、思考も正常な判断も放棄してしまう、全体主義が恐ろしいことなのだ。アメリカ政府のやりくちは見世物師的なところがあり、市民も感情的に扇動され、対外的には脅しや嫌味といった仕掛けで周りを取囲んでいく。 わたしたちが、生活レベルでも、社会のレベルでも、政治的なレベルでも、問題点を一過性の話題としてとらえることに慣れすぎると、重大な問題として捉えることを忘れてしまう。自分の問題意識を毎日のニュースのように入れ替わりさせてはいけない。殺人事件の詳細を興味本

ばらの騎士

昨日の話だが、新国立劇場でオペラ『ばらの騎士』を観た。仕事帰りだったせいか、三幕中一幕目は眠ってしまった。オーケストラをバックに居眠りできるのは贅沢というものだ。しかも演出はジョナサン・ミラーだというのに。 というわけですべて観たと胸をはっては言えないのだが、なかなかおもしろい公演だったと思う。三幕の人物たちの仕掛けは見事に有機的だったし、廊下の見える舞台装置は部屋の中外での連続性と差異、ドアの存在が鍵となってスリルをもたらすものだった。 ミラーも演出ノートに書いてある通り、オペラの因習的なジェスチャー大会はこの公演では目立たなかった。陳腐な慣習を排除するという点において鋭角だった分、歌手が棒立ち、もしくは椅子に座って顔だけ客席に向けるといった単調さに陥ってしまったのではないだろうか?場面の葛藤や事件が明確に分かるときと、単調に歌・会話をしているときとはっきりと分かれてしまい、後者は退屈だった。 主だった登場人物が単独で部屋に入ってくるときの目的性や存在感はしっかり出ていて、歌うために入ってくるような陳腐さは感じられなかったのは見事。群集の動きもひとりひとりに目が行き届いていて、廊下で起こっていることの現実性がきちんと出ていた。ひとりひとりをないがしろにしない演出だなと思った。 三幕の喜劇的な場面も、そのせいか、しっかり場面が作られていた。ひとりひとりが躍動していた。手を抜かないで注意を持続すれば、有機的に豊かな場面が作れるいい見本だ。 ツィトコワという歌手は素晴らしかった。歌はまあ並かなという印象を受けたが、演技と立ち姿は役をしっかり体現していたと思う。ふと思ったのだが、この人こそアヌイの『ひばり』にふさわしいのじゃないか?松たかこでなく。 ただし、台本上しかたがないのだろうが、キスシーンは現実は女性歌手の女同士だという先入観を拭い去るような高まりはなく、気持ち悪いとういうより、居心地が悪いものになってしまった。 時代の置き換え、時代の波の押し寄せといった演出意図は感じ取れなかった。きちんとした時代考証を経ての決断だろうが、観るこちら側に何の予備知識もなく、その違いが黒白はっきりするものでなかった性質上、この演出はぼくにはディレッタンティズムのように思えてしかたがないのだが、いかがなものか?実験性は買うが、微妙な差異を感じ取れないのは、ぼく

怒り心頭

今日は4回、車関係のいざこざがあった。 まず、朝にお酒か何かの配送のトラックが無理に右折してきて、直進のぼくの自転車を無視したこと。次に、夕方、タクシーが無理な追い抜きをしたあとにぼくの自転車の進路を妨害して割り込み急ブレーキをかけせたこと。夜に、相互通行の道で交通誘導の親父が反対から来る車にばかり気をとられ道の真ん中で棒をふりまわしていたこと。最後に、タクシーが信号待ちしているぼくをクラクションでどかそうとしたこと。 最後の件は、ぼくも意地を張っていたから、タクシーばかりを責められないが、すべての事例に共通するのが、車の権力をふりかざすことに無感覚になっている者たちのお粗末な行動だ。 なぜか武器を持っているからといって、優遇されるのも間違いだし、上から目線というのも大間違いだ。車に乗っているのは恥ずべきことかもしれない。地球温暖化の防止の名目なら、その論理は成立する。だいたい自転車が行き場がない道路も悪いし、歩行者の通る道が狭いのも悪いし、車の運行を優先する思考方法自体大間違いなのだ。歩行者の邪魔にならないよう、ひっそりと道路を使わせてもらっているのだぞ車は。こんなふうに極端に、逆説的に考えなければ惰性になってしまう。 歩行者や自転車に気を使って走っている車は、一目でわかる。その思想が運転に表れるのだ。そんな紳士を求む。野蛮な怪獣はもういらない。

恋でいっぱい(?)の森

土曜日に、以前ぼくが在籍していた劇団の公演を観てきた。原初的ミュージカルというキャッチフレーズだったが、シェイクスピアの『夏の夜の夢』『空騒ぎ』『お気に召すまま』の三作品をかいつまんでひとつにまとめた『恋でいっぱいの森』という作品だ。 詳しくいうと、劇団東演の公演で、演出は福田善之、福原圭一。初演は恥ずかしながらぼくも出演していた。声をはっていえないのだが、ぼくはこの初演の落ちこぼれで、無様な演技をしたから、今回の元同僚たちのことを厳しくいえた身でないのだが、無責任にいうと、つまらない公演だった。 要素はいくつかある。まず演出、四方八方に手を出しすぎて何をやりたいのかがわからない。アイデアがあるのはいいのだが、思いつきの領域から進んでいない。これはぼくの意見。たいていの人は演出のバリエーションに驚くだろうと予想するが、ぼくはそこが落とし穴だと思っている。肝心なものが欠けている。和服と洋服のアンバランスも意図が分からないし、コスプレを楽しんでいるとしか思えない。最終の森の銃撃も唐突すぎるし、文脈のない飾りにすぎない。福田氏は作家ではあるが、ここではシェイクスピアを料理している。その料理の器用さが味を薄めている。そして自分の技術と野望だけで素材を理解していないような気がする。シェイクスピアにしても、俳優との共同作業についても。 根本的に間違いなのは、三作品とも外見と中身の乖離が問題なのに、外見ばかり作り出すことに精一杯で、中身の本質的な人間的な性質の追及はなされていない。役者まかせというのか?だいいち念入りなテキスト分析が全員に共有されていたのか?演出家自分ひとりが分かっていても仕方が無い。絵空事で踊り・歌われても伝わってくるものは何もない。 いったい何を問題として、この公演をしたのか? 今、ぼくは、書いていてかなり抑制している。大きな声では言えないのだが、言わずにはいられないから書いている。御大にたてつくのかといわれそうだが、つまらないものはつまらない。小手先の技術以上のものが見られないのだから。 今日はこれでやめておく。眠くなった。びくびくしながら書いているにしてはいい度胸だ。また思いついたら書く。福田氏のためにも、自分のためにも。

継続すること

いやあ、しばらく何も書かないと書くことに億劫になってしまう。以前から、日記というものは苦手で、毎日書き続けることは大変な苦労になる。だから、それができる人を感心してしまう。 自転車のロードレースのジロ・デ・イタリアも終わりそうだが、自転車も乗り続けることしか上達の道はない。毎日続けることは、競技のためでなくても、相当つらい。毎日の往復1時間40分の生活を2年続け、今は往復1時間20分とメッセンジャーの仕事8〜10時間、これだけ自転車に乗り続けるのも苦労なのだ。 家計簿をつけようとしたことがあるが、つけ始めたその日でストップしたこともあったな。 継続することに尊厳がある。長年演劇に携わっていた人が言っていたことだ。その人自体を尊敬はできなかったが、その言葉には経験に裏打ちされた大切な意味が含まれている。道半ばにして、別な職業に移る人も多い芸能の世界。 皆勤賞も馬鹿にはできない。さぼりの得意なぼくには目も眩む存在だ。こうしてみると朝の通勤列車に揺られて、無表情で、汗臭いおっさんたちも、苦労を抱え込みながら、毎日、そう、毎日通勤していることは敢闘賞ものなのだな。 一週間働いているからこそ、土日の休みが尊いものにもなる。 要するに、ぼくは自分にムチをうっているのだ。ブログを更新しろと。 この意気込みも一日で終わってしまわないようにしなければ。 以前は、楽しみから入っていった自転車乗りも、体脂肪を落とすためや、仕事のため、半ば義務的に、またはロードレースへの憧れなど、いろいろな要素を巡りながら、また結局は自転車に乗ることを楽しむことに戻っていく。 このささやかなブログも、毎日書けないにしても、毎日書く意志はもたないとな。書くことが楽しみでもあり、書くことでいろいろな発見もできるし、自分の生活者としての視線も鋭くなるような気がする。 吐いて捨てるような文章を書き続けることで、ちっぽけな栄養にはなるのではないか?何歳になっても自分で自分を養わなければな。よしよし。

悩みをつきぬけて

生きることを考えている人と、考えながら生きる人は大違いだが、生きることを考えながら生きているのが実際なところだ。 唐突に謎々や禅問答や早口言葉のような書き出しをしてしまったが、ぼくが言いたいのはこういうことだ。 自分の人生の進路を考えている人はとても多いということ。 なんだ、だったら最初からそう言えよ、と反省。 ぼくの周囲のいろいろな人。みなそれぞれ自分の進路や結婚や家庭や両親のことを考えて、いままで歩んできた道から方向を変えていく。 ぼくもこれまで何度も何度も目指すところ、所属するところを変えてきた。その決断は、悩んだ末に思い切って踏み切ったことも幾度かあった。悩みになることは、普通の風邪のようにウィルスがあるということなので、それを撃退すればいい。 しかし、人生行路の悩みのウィルスは、そう易々と自覚できないところが苦しい。傍目に見れば病気は明白なのに、自分ではそれを認めたがらない。病気であること、ウィルスにも大いに価値があるのだから、否定はできないわけだ。つまり、今の生活にも意義はあるのだ。あなたは病気だよ、治したほうがいいよといってくれる人がいたとしても、認めたくないものだ。 ぼくは医者が嫌い、というよりは、病院に行くのが面倒くさいから、あまり医者にかかわりはないのだが、人生行路の悩みの病気の人も、やっぱり医者を必要としているのだなとは思う。職業としての医者でなく、医者のような役割をしてくれる人を。原因をずばりと確信をもって指摘してくれる人を。自分で認めたがらないのだから、他人が言ってやるしかないのだ。 今のぼくのように、公演をするという大きな目標があって、大幅な進路変更はできない人間は、幸か不幸か、悩むことから一時的に解放されていて、悩んでいる人をもどかしく思う。自分が悩んでいたときとはうってかわって、人に同情することを忘れてしまう。だから、今のぼくは最低だな、と自分にダメだし。そうでもしないと傲慢になってしまうから。 またいつ深い悩みに襲われるかわからない。 人それぞれにリズムがあって、悩む時期や機会がきた人もいれば、立ち止まらずに動き回る人もいる。最近とくにぼくの周囲が変化をとげているように思える。考えてみれば、ようやくぼくも周囲を分かることができたのかもしれぬ。前々から変化はあったのに、それに気がつかなかったのかもしれないな

不満だらけさ

今日、仕事で自転車に乗っているときに、ハイヤーのタクシーにひかれそうになった。怒ってどなって睨んだら、無視された。人をひこうとして何の謝りもないのだからな。おかしなことだ。 車に乗っている者は車同士には、合図をだしたり謝ったり譲ったりするが、歩行者や自転車に対しては、なんのコンタクトもしない。たかが車の力で加速しているに過ぎないのに、鼻高々なのだ。走る凶器が歯をむきだしにして怪我をさせなかったからといって、おとがめなしなのはいかがなものか? たしか法律では、歩行者をびっくりさせただけで違反のひとつになるんじゃなかったっけ? 車のクラクションもいらない。というか、歩行者や自転車に対してクラクションを鳴らしたら罰則にしようじゃないか。歩行者たちが抗議したいとき、大声で怒鳴るか、バンパーを叩くかしか方法がない。過激かもしれないが、抗議の形として、傷がつかない程度に車の側面に蹴りを入れるのを合法にしようじゃないか?交通弱者の声は車の中の人間に聞こえないのだから。 要するに、人間が機械を使って自分のキャパシティー以上のものをあやつるときに、慎重になれということ。謙虚になれということ。できないのなら、法律を大胆に変えること。車の通れない道を作ればいい。都内を大渋滞にさせてしまえばいいのだ。 表参道の交差点も車のスペースを狭くする計画があるらしい。だいたい、あんなに歩行者の多いところを今まで車優先にしてきたことのほうがおかしい。歩行者信号の時間も増やせ。青山通りを一車線ずつ歩行者と自転車にあけわたせ。 いい加減、車を優先する考えをやめなさい。交通のガードマンも車に気を使って、歩行者の足を止めるんだから、何を考えているのやら。 なんだか今日は愚痴大会になってしまった。しかし、これはいつも思っていること。そして多くの人が耐え忍んでいることだと思うがどうだろうか?

逃げ去る者

2006年の8月に行われた溝口健二の没後50年の国際シンポジウムの記録の本が、朝日新聞社から出版されていて、いままで見かけたことがなかったなと思ったら、2007年5月25日発行だった。まだ来てないじゃん!要するに新しく出版されたばかりなのね。溝口という名前を聞いただけで胸が高鳴るぼくとしては、うれしい買い物をした、しかも偶然に。 そこでのトークショーの記録に、芥川賞作家の阿部和重氏が溝口の映画評をしていて、溝口の映画の登場人物はみな移動している、逃げ回っているという指摘をしていた。なるほどおもしろい指摘だなと思いながら、連想したのが、映画が活劇というジャンルをもっていること、動き回ることが映画のダイナミズムを生み出すということ、そして、ぼくたちのワークショップで藤沢周平の『約束』をやったときに、男女の一方が逃げ、一方が追いかけるという構図が単純に成立したときに、俳優は役の人物になれたということ。 映画と運動、映画と自転車の関連を捉えたのは蓮見重彦だったか、山田宏一だったか、とにかく、映画のなかで動き回ることが映画を楽しくさせる要素であることは間違いない。画面のなかだけでなく、いわゆるロードムーヴィーのような旅の映画もなんであれほど郷愁を誘うのか? 溝口の映画で、大衆の場面、つまり、多くのエキストラを使っていると思われる場面での、ひとりひとりの人物の動きは秀逸だ。個々人がばらばらにその人物の生活をしているので、偽物の芝居をしている人間が見当たらない。各人が動き回るということ、ダンスのように軽やかに。 バレエが心理的な綾も、ひとつの歩行・ジャンプ・足や手の折り曲げの連続で表現するのは示唆的だ。 演劇のワークショップで気づいたのは、女が迫るときに男は逃げ女は追いかけ、逆に、女が諦めたら男が迫り、女は逃げ男は追いかける、そんな単純な行動線だ。そんなダンスで戯れながら、簡単に手を取り合わない、手を取り合えないことで、ドラマが深まっていく。逃げる者がいればそれを捕まえようと追う者は必死になる。策略も必要になる。肉体の動きに比例するように感情も高ぶってくる。 阿部氏の溝口評では、俳優たちは溝口の執拗なカメラから逃げ去る。逃げる者を追うものだから、長回しや移動撮影が必要になるというわけだ。溝口はストーカーのように執拗に俳優を追い詰める。 追いかけっこをしなく

結論からはじめるのか

結論は初めからはない。 それを分かっていても、最初に結論ありきという事はよくあることだ。 事態が、芸術の創造の場に起こると、それは致命的な頽廃につながると思う。 出来レースという言葉もあるように、オーディションの現場では結論が決まっていることはよくあるようだ。最近話題になったタウンミーティングがその最たる例で、導き出す結論はもう決まっていて、いかにそこにうまく行き着けるかということに腐心する。大衆を扇動するためのやらせやからくりも数え上げればきりがない。 議論する場では、論者は確信があって立場を動揺させないにしても、議論のなかで見つけ出せた中庸点を議論の結論とするのではなく、あくまで自分の論点に固執することは、生産的な議論とはいえない。 小説を読むにしても、戯曲をあたるにしても、批評家やメディアの意見や感想は大きく参考にするものである。演劇や映画も、評判や口コミや批評を参考にして自分でも観にいこうと考えることも少なくない。 だからといって、まるっきりその評判を鵜呑みにする人も多いとはいえないと思う。批評は批評、評判は評判、自分の目で確かめてというのが健全だ。 インターネットの発達で、信頼のおけるメディアの論評よりも、多数の人が同じ意見を持っているということに信頼をおいていたとしても、手で触って確かめてという過程は、主婦であろうが学生であろうが忘れることはない。 しかしだ。いざ自分が物を創造しようとしたときに、結論から入っていってしまう例にぶち当たるのはなぜだろうか? 戦争を扱った作品にそれが多い。また、殺人などの倫理的に結論が揺るぎないような事例にも多い。現在、戦争をしようなどと声高にいう人はいない。偽善的に有事のため、万が一のためと称して、政治的な改悪をする政府もあり、戦争をセンチメンタルに美化する風潮もある。いっぽう、戦争反対のための映画や小説も多くあり見るに耐えない。両者とも、結論からスタートしているから、最初の事件や契機のあとは、単なる論証にすぎないのだな。 微妙な問題をはらむのが特攻隊の問題で、今夜友人の出演している舞台をみてきたて、おもしろかったし情熱的に芝居に取り組んでいるのでいい舞台ではあったのだが、特攻隊員をどう捉えるかについての新しい発見や示唆は無かったので、情緒的には揺すぶられても、大満足というわけにはいかなかった。

新しい才能

演劇はつねに新しいものとの接触によって生まれる。新しい才能、まだ見出されていなかったり、環境によって見逃されている才能との出会いがなければならない。才能がなければいけないことはいうまでもない。そしていろいろな種類の才能があり、演劇への愛情とともにその能力を生かす分野に携わるようになる。 才能が出来高払いによって評価されることは、それが発揮される機会を著しく制限する。事業をやるのには元手が要るのだという論理だが、だいたい若い者にそういった資本があるだろうか?ここでいう資本とは実績のことである。実績のない者だからこそ新人であり、実績がないからこそ機会を求めるのだ。機会を求めているのに、実績がないことで機会を与えられないとすれば、いったいいつになったら実績をつめるのか? こうした問題が、劇団内部や国の補助金の配布に起こっている。伝統の保護や継承に関しては、ある程度認識が深まって、そういった活動を補助することはよく見受けられる。しかし、ある意味得体の知れない実験、新種の活動に関しては、それを無視して、ひとりでに成長するまでなんの援助も与えないと考えているとしか思えない。公的な保護は堕落をもたらすといえばそうかもしれないが、まったく機会が与えられないことは才能の芽をつぶす可能性もあることも確かだ。 演劇に限らず、若い才能は必要とされる。それを見つけ出すのは、その才能とともに歩くことでしか達成できない。「やってみたまえ、それから検討しよう」という態度ではなく、「やってみようか、話を聞かせてくれ」という協力的な働きかけをすべきなのだ。 名前の通ったもの、環境が整っているもの、顔かたちがいいもの、そんなのばかりを重用する人間は用心しなければならない。 それに反し、慎ましやかなファンという人種がいるのだが、それは自分の好み・意見を自分の判断の基準としているところに正しいところがある。そして、愛情をもって接している。新しい才能との出会いはそいういう土壌に芽生える。

新しい人

大江健三郎はその著書『「新しい人」の方へ』の最終章で「新しい人」を定義づけている。新約聖書のパウロの手紙で使われていたらしい。難しい対立のなかにある二つの間に、本当に和解をもたらす人として思い描いている。敵意を滅ぼし、和解を達成する人。 『ロミオとジュリエット』もそんな新しい人の出現と死によって、いがみあうふたつの世界が和解することになる。 この世界は放っておくと憎しみや敵意が正当化され、権利化され、当然視される。境界線を越えて侵入してきた者は、銃撃することが当たり前とされる。人間の心の境界線の場合も踏み越えて入って来られることに恐れを抱く。 境界線といえば、ジャン・ルノワールの『大いなる幻影』の雪山を思い浮かべる。雪に覆われた国境を脱走兵が越えるのだが、警備兵は雪で見えない国境線を越えた途端に銃撃をやめる。越境したからだ。見えない国境線を越える前までは銃を向け、見えない国境線を越えた後は銃を下げる。その境界線は大いなる幻影というわけだ。何を根拠に敵意や攻撃をするのかは、まったくの曖昧なものだということ。 ルノワールの越境(フランス文学者の野崎歓が丁寧にルノワールの越境性を論じている)、ロミオとジュリエットの恋の越境、大江健三郎の「新しい人」、これらすべて、人間のちっぽけなエゴイズムや敵意を友愛の手で変革しようとする試みなのかもしれない。 新しい世界をもとめなければいけない。 真山青果の『お夏清十郎』のお夏も、清十郎も、与茂七も、お亀も、みな新しい世界を夢見たり、希望したり、託したり、踏み出したりしたのだ。いつまでも古い世界の古い人であることに居心地の良さを見出していてはいけない。 新しい人にならなければ。 ブレヒトも、戯曲を読むときに、新しいものと古いものを探せという詩を残している。 こうしてみると、世界を読み解く鍵が、その辺りに潜んでいるような気がしてきた。そしてつねにその鍵は無力ながらも、友愛にあふれ、平和的なものである。暴力や敵意やエゴイズムや領土欲を肯定する思想には、十分気をつけなければならないな。

イタリア

ジロ・デ・イタリアが始まった。この自転車レースがおもしろいのはテレビで見るイタリアの風景が美しいことだ。気候的にも暑苦しくもないので、選手たちの表情も幾分余裕がある。ピンク色のマリア・ローザのジャージも華やかだ。青い海に青い空、カラフルなジャージ、緑の自然。レースの展開もおもしろい。イタリア人ががんばる姿もおもしろい。 イタリアというと芸術のことがすぐに思い浮かぶ。オペラにせよ、音楽にせよ、彫刻、絵画、映画、そして演劇も。 ヴィヴァルディからヴェルディ、そしてモリコーネにいたるまで、音楽の分野では親しみやすく、美しいメロディが奏でられる。

運転手

今日は実家に高速バスで帰ったのだが、バスを降りるときにチケットをなくして、運転手と一悶着があった。出発の駅で予約したチケットのお金を払い、バスに乗り込むときもチケットを確認されたので、バスを降りるときぐらいチケットがなくてもいいものなのだが、そうはいかないらしい。 高速バスに乗るたびにチケットをなくすぼくは、今回もすんなり「なくさないでくださいね」で済むと思ったのだが、今日の運転手は曲者だった。 「なくしたものが出てきて、そのチケットを利用したら不正乗車になりますからね」だと・・・ 思わずあっけにとられたな。馬鹿じゃないのか、こいつは。そんなことが可能なんだ?そこまでチェックが甘いんだな。思ってもみなかった古チケットの利用方法だ。 人を犯罪人扱いか? おもしろいじゃないか。 最近そんな事件があったのかな。でも、予約時にチェック、乗車時にチェック、しかもチケットにきちんと日付まで記されているのだから、きちんと調べれば済むこと。チケットなくしたのはうっかりですまないものか?出発から降車まで、人数の入れ替わりはなく、同じ人間が運ばれているのにだ。 運転手の人格の問題だと思う。わざわざきついことを言う必要性がないのだ、この場合。偏見かもしれないが、高速バスの運転手に、感心することは一度もない。いざこざが多い。10回乗って半数近く、不快感を感じるのは異常じゃないか?しかも、高速バスに限ってだ。わからん。 特別なサービスはいらないが、不快感もいらない。 だれか運転手の肩をもんでやればいい。疲れているんだきっと。孤独なのかもな。 ま、でも、自分で殻にこもっているような運転手が多いように見受けられるが・・・ そんなこんなで実家に帰ってきた。

今日の世界はブレヒトによって再現できるか

ブレヒトの上演を見て、満足するものに出会ったことがない、という意見をよく耳にする。シェイクスピアの作品でもそうだ。 だいたい、現代演劇を観て満足することのほうが稀なのだ、といってはおしまいか。実際、友人の舞台や話題作でない限り、すすんで観ようと思う作品が少ないのは悲しむべきことなのか? 現代演劇が満足を与えられないからこそ、そこに立ち向かうものもいるだろうし、伝統演劇や交響楽団やハリウッドの話題作が、どれほどの満足と有意義を与えられるかは疑問をもって考えたほうがいい。 ぼくは、さまざまな古典が好きだし、そこにこそ多くの時間をさく。だから古典や伝統演劇や技術のしっかりした芸能を否定するつもりはないし、現代演劇を持ち上げるために他をおとしめる必要はあるまい。だが、古典は口当たりの保証された定番品だとしたら、現代演劇は新商品のようなもので、多くの試行錯誤が必要なのだ。実験と開発。そんな要素だけでも、この博打的な芸術に参与する意義はあるだろう。 そこで、また、ブレヒトに戻る。 ぼくも多くのブレヒト作品を観てきた。たしかに満足より不満足の感を起こさせる上演のほうが多かった。上演だけみればブレヒトなんて葬り去るべき作家なんだろうな。なぜ今ブレヒトかという疑問は身近なところからも聞こえてくる。 その、「今」という現代性の問題を優先して考えないと、ブレヒトは上演できない。これは現代演劇一般にあてはまる。おもしろいだけでは上演するには不十分なのだ。『三文オペラ』とか『ガリレイの生涯』などという文字をクリックしたら、現代性というページにリンクするべきなのだ。 ならば、現代性とは何なのか? 日々塗り替えられていく世界は新しい思想、新しい感情を生み出していく。その変化ある人間の過程を解き明かし、敏感で正確に現実を把握すること。ブレヒトもいうように、人間と社会の変革を捉えること。そんなことかもしれない。 ぼくは、戯曲や小説に、現代に見受けられる人間が描かれているだけでは物足りないと思う。また、登場人物を近ごろ見受ける人間のように解釈してしまうことも。 ハムレットは絶望的に先行きがない若者だが、人間的な可能性のふり幅は莫大なように感じ取れる。ハムレットを生きる人間としてとらえればそうなるであろうが、物語の人物、若者の典型という枠内でとらえれば、なんら可能性を感じさせな

夢十夜

今日、正確にいえば昨日は、暖かかったし、仕事も暇だったので、仕事の合間に夏目漱石の小説を読み進めることができた。 眠くならなければ百ページ以上読むこともできただろう。おまえは仕事中なにやっているのだ、おい、というわけだが、実際暇で待機しているのだから仕方ない。それにしてもぽかぽか陽気だった。 そう、夏目漱石、『夢十夜』。新潮文庫についている宣伝の紙、あれなんて言うんだっけ?映画『ユメ十夜』の映像シーンの写真が十点載せられているが、映画はみていないが、どうもパロディにしか思えなく、漱石の作品から受ける印象にあった写真は一枚もなかった。安っぽいというか、安易というか。宣伝写真一枚でこんなに印象を植えつけるものかと逆に関心してしまった。あの宣伝を見て、映画は観に行きたくはないな、ぼくは。 そう、「夏目漱石」の『夢十夜』。第三夜の話はちょっとした落語でもあり、またスリルのある話でもあり、人に人気があるのはうなずけると思った。 夢で見たという設定なのだが、十話通して読み終えると、これは夢で本当に漱石が見たものだというよりも、夢という形式を借りて漱石が創作・脚色したもののように思える。 そして、漱石の作品には夢ということ、またはそれを見ているときの状態、つまり誰かが寝ている場面が多く見出せる。『三四郎』での廣田先生の森の女、三四郎は熱にうなされ横たわる。『それから』での代助はユリの匂いのなかで昼寝をする。 この『夢十夜』は漱石的なお昼寝、夢というテーマが根元にある。 そして、いつもそうで、ここでもそうなのだが、漱石は夢の内容・そのつじつま・合理性には無頓着である。『夢十夜』の一話一話から漱石の無意識の働きを探り出そうとしても、あまり意味のないことのように思える。 脈絡のない話を意味づけるのは、夢からさめそうなとき、つまりまどろんでいるときなのだろう。だから、意識が半分働いているそんな状態のときは、夢はもう遠くに去っていて、それを思い出そうと必死に努力している。夢は夢自体の威力を失っている。しかし、脈絡のないままに放っておくと、夢は記憶にひっかからず、思い返すこと、さらには夢を見たことすら忘れてしまう。 『夢十夜』は、夢の論理と破格の間の位置を、見計らっているかのように思える。深入りせず、しかし物語性はあるように。 今夜はぼくはこれから寝ても、疲れすぎ

サルが勝っちゃった

注目していたフランス大統領選が終わって、サルコジが勝利した。彼について深くは知らないが、パッと見て判断する限り、「好かない奴」。 ぼくがフランスに留学していたときにも感じたが、フランスのアメリカ化。これはサルコジの勝利で加速するのだろうか?自国の文化に誇りを持つといって、アメリカ化を拒む風潮が強い最先端の国だからこそ、反動化のバネも強いのか、フランスのテレビタレントが使っていたアメリカ風英語の真似事は、その当時から鼻につくものだった。 かといって一般生活ではそんなことない、みんなフランス語を使い、フランスの文化とうなずけるような暮らしをしていた。ミッキーマウスはミケだし、わざと英語風にきざに話す人もいなかった。 言葉や文化は出入りを繰り返し、吸収・反発しながら発展するものだが、サルコジがトップにたったことで、その発展が意識的になされるようになるのか? それともサルコジの主張は、経済のグローバニズムの促進という観点だけなのだろうか? おそらく変化するなと思えるのは、イラクへの攻撃で世界に緊張が走ったときに、フランスやドイツが中心にアメリカ・イギリスに組しない勢力ができたことがあったが、そんなまともな主張をフランス政府が今後とれる可能性がなくなったことであろう。フランスの右派の動向というより、サルコジの人間性と主張を判断してだ。 フランス全土で暴動やデモが起こる理由はよくわかる。そしてその中心にいるのが学生たちだということも。フランスの歴史をひもとくまでもなく、学生たち、若者たちは無力でありながらも反抗すること、抗議することを武器としている。 学生たちの意見は正しいとは限らないし、単細胞なところもあるが、その反抗する行為に関しては決定的に正しい。 客観的にどうであろうが、反論すること、それを行為で表すことで、政府や受け取る側との対関係ができあがる。そこに葛藤や弁証法が生まれる可能性ができる。 あえて、何も知らないが、「反対!」と声高らかに宣言することが、社会にバネをもたらすのではないか、という超無責任で説得力のない意見を言っている。反対の理由はあとで必ず出てくる。権威には反対。大きいもの、強いもの、金持ちなのには反対しておけばいい。潜在的に頭にくるものたちだから。 フランスでのように暴徒が火をつける騒動は恐いが、表面上なにもないように見える平

内閣総辞職

怒りをこめてふり返れ! 大上段に構えてみたが、政治の話ではない。いや、ある意味政治かな? 新国立劇場の演劇研修所の公演を見てきた。国立の演劇学校だし、批判にさらされることは義務でもあるので、友達の公演のときは言いたくても黙っていることを、今回はおおっぴらに公言したい気分になっている。 それほどひどい芝居だったのである。ブレヒトの『三文オペラ』 判官びいきなので、金のない中で工夫して質素な舞台になる集団の公演は大目にみるのだが、今公演のように新国立の小劇場でやれるという恵まれた環境のもと、衣装も小道具も豊富で生演奏もついているとなると、どうしてもちくちく棘をさしたくなるものだが、それ以上の毒針でもって攻撃するのが妥当ではないか?なんて思えるほどの「すごい」舞台だった。 とはいっても、判官びいきの癖はぬけきれない。この大失敗の責任はスタッフにあると断言する。こんなふうに育てた親が悪いのだ。戯曲選び、演技方法、公演への取り組み方。国立の劇場だから、公の行政や司法に用いる権利を行使できるのであろうか?できるなら、さっそく、内閣にあたる所長、委員などの罷免を求める。ずらりと並んだ講師の名前は虚しく飾られている。今日観客として観に来ていた講師はどう見ていたのだろうか? 選挙で選んだわけではないが、リコール、過激になって退陣要求だ! 二年間なにしていたの?何を教えていたのか?やってはいけないことばかりやっているじゃないか、こどもたちは。癖ばかり露呈するか、芸と呼ばれる演技の化粧ばかり。感受性が問題なのに、そういった演技をするのが罪であるかのように、みんな芝居臭い。人間がいない、みんな芝居の嘘ばかり。演劇は芝居の真実を目指すのであって、芝居の嘘じゃない。舞台の上で役を生きることを目指している役者がいなかったんだな。みんなまったく別次元のところから、あらぬ方向へ向けて演技している。いや、演技というまい。 こんなことは、ある定まった環境や方向性があれば最初からクリアーした地点から出発できるのだ。つまり、この研究所には定まった方向性や、最低限の演技の質の統一見解がなかったことになる。こんな指導者たちに国立の養成所を任せてもいいのだろうか? 今公演に携わったスタッフの名前は豪華だし、出てきた小道具・衣装も立派だし、生演奏もついているから余計に頭くるのかな?一緒に

ゴドーを待ちながら

いよいよゴールデンウィークも終わるというのに、風邪ぎみで体調がよろしくない。ずっと、家の中でひとりでいる生活も今日で終わりだというのに。 ひとりといっても、何気にいろいろ外出したり、電話したり、メールしたりはしていたな。まあ、社会と音信を絶つ意志は全然なかったし、そんな意固地な実験を試みるほどの勇気もなかった。 フランスにいたときも家にこもることが日課となった時期があった。そのときも、生活のために食料を買いにいったり、友人が訪れてくることもあったので、絶対な孤独という状態にはならなかった。 この日本で、今、生きるということは社会に顔をだすようにできているのではないだろうか?ひきこもりたいがために食料に困り、死んでみる勇気のある人ははたしているであろうか? 生活のためにあくせくすることを否定することはできない。 かといって、あまりにも生活をすること、生計をたてることに執着しすぎるのもどうかとぼくは思う。収入を基本に考えたら、問題にもならないほどの微々たる収入しかない職業もある。収入が不安定な職業もある。そんな職業を金にならないといって切り捨てたら、この世の中にどんな文化が生き残れようか? 経済優先主義、グローバリズム、市場主義。残るのはざらざらした、脂ぎった、冷たい心の、戦略家しかいなくなるのではないか? 大げさかな? 一本気な孤独でもなく、趣味的な人生でもなく、経済的な生き方でもない生活というものは可能だろうか? 生計をたてるために大きな制限を設ける生き方でなく、かといってそれを否定して極端にまで職業を否定したりしないで。 こうして迷っていると出てくるのが、詐欺師たちなんだな。金になる上手い話があるよとか、生活に困らないで目標とすることをやれるとか、甘い話を持ちかけてくる。 一気に解決を求めないほうがいいのかもな。独断が一番いけない。 最低限の慎ましやかな幸福のために生活に苦労しながら、そのときを待っている人が一番正しいのかもしれない。 休日のために、平日は身を粉にしながら働く生活はざらにあるが、素晴らしいじゃないか。 ベケットじゃないが、ゴドーは何かのために待っていることそのこと自体が尊いのではないだろうか?

グルッポ

お昼にテレビで、ある演劇のユニットの座談会のような番組を見た。北海道出身の五人組で、結成から現在の成功までの経緯を語っていた。 時折流される舞台の映像はたいしたものではなかったが、取り組む姿や演劇への情熱はひしひしと感じ取れた。 そこで思ったのだが、この五人が信頼して共同で物事を作り上げることに楽しみを見出しているということが、活動が継続していることや、大きくなっていくことにつながったのだろうと感じ取れた。 ぼくが舞台の公演を初めてやり終えたとき、小さい俳優養成所だったが、この仲間と一緒に舞台を作り終えた達成感と、それまでの日々の過程の困難や喜びを共有したことで、その後アルバイトに戻って生活している状態を虚しく感じる結果になってしまった。稽古・公演期間があまりに楽しかったから。 こういった感情は、特に、若い人、経験のない人に多いのだろうか、経験を積んだ俳優からはそんな感想を聞くこともない。 小学校のときの林間学校や、中学校のときの部活動の終わりにも敏感に寂しさを感じた。 小さいころ、親戚が一日集まって別れたその後の車のなかでは、陽気になることはできなかった思い出がある。 小学校時代、先生を中心にクラスがまとまった雰囲気をもっていた5,6年生の同級生には、会うことはないにしても、特別な感情を今でも持っていることは確かだ。 何かをやるために、また、同じ意志をもってまとまって行動することは、そんな感情も共有できるのだろうな。 逆にいうと、そういった同じ感情を共有できない集まりは、ただの集まりでしかなく、単なる仕事のようなものなのだろう。 同じテーブルにつきながら、孤独に自分のことだけをしている状態は、ある意味容易にできることなのかもしれない。それだからこそ、コミュニケーションをはかることを第一の任務としなければいけない。 人間は孤独に自分の人生を歩むものだからこそ、余計に協力しあうことを学ばなければいけない。 結婚とはそういうものなのかは、ぼくは知らない。しかし、この意見を否定する人も信用はできない。 人生の初春の時期であるこどもたち、彼らはその過程で何度も融合・離散、つまり小さな結婚を繰り返しているのだと思いたい。 大人にしても同じような過程をへて何が悪いだろう? 害悪となる個人主義は捨て去るのがよい。 胸を張って、「これはわた

怠惰の擁護

このゴールデンウィークはひきこもり宣言をしていて、家からあまり出ないようにしている。それでも何かと用事ができて外出するのだが、そうしたときに感じる街の様子は、普段仕事やらで外出しているときに見える世界とは違っている。目的もなしに、もしくは目的はあっても時間に拘束されないで、普段見慣れている通りを歩いていると、感じるものが違ってくるのはなぜなのだろうか? たとえば、顔をなでる風を愛撫と感じられるのが今のヴァカンスの状態であったとすると、用事にせかされているときに顔に当たる風は障害であったり、強い弱い、暖かい冷たい風でしかない。 周囲から聞こえてくる音にも心がやすまるこの黄金週間にたいして、今度の月曜日からは自分の必要な音しか取捨選択しないだろうことは容易に想像がつく。 日曜日はきっと雨だろうが、そんな雨も不快に思わないだろう。 思い起こしてみれば、大学時代のあの時間の緩やかさは、考えることを学ぶ時期としては適当なものだった。授業が終わればそのあとの用事は自分次第。一時限分あいだが空こうものなら、その空白の時間が豊かな彩りをもつように感じられた。 旅行をしているときもそうだったな。どこに行こうか決めないで、そのときの気分次第で時間を使う。もったいないとも思わないほど、時間を贅沢に活用していた。そんなときは、旅人の常でもあるが、穏やかな気持ちになれて、周囲の世界をとても楽しげに享受していたものだ。 かといって、ずっと休んでいるわけにもいかないのは十分承知している。 そして、怠惰にも休みを満喫しているからこそ、こんなことを思いつくことも知っている。また、こんなにゆったりと感じたことが、幸福であることも。 ジャン・ルノワールではないが、怠惰の擁護をしてみたくなるものだ、こんな日は。 「怠惰とは今や失われつつある人間的価値である・・・それは人間や物事にたいする一種の優しい気持ち、愛情と密接に関係した喜びである。ところが、あまりあくせくと活動していると優しい気持ちなど壊れてしまう。働きすぎる人に愛するための時間などない。そして愛なくして文明はないのだ」 (J・ルノワール) まだまだたっぷり時間はある。いいね、こんな日の世界は。

ときにはささやかに・・・

フランスの大統領選決選投票が間近にせまっている。 どうも、あの猿のようなサルコジの典型的なフランス人気質と、鈍重なロワイヤルの性別に訴えるやり方の、両候補の対決には、変革のきざしは感じ取れないのだが・・・ まあ、表面とメディアだけで判断してはいけないから、これは印象にすぎない。 どの国の政治家にもいえることで、非常にもったいぶった話し方が気に障るのだが、フランスの政治家の演説は一語一語かみしめるように、くっきりと一つ一つの単語を際立たせるように発音しているように思える。 たしかに、意味は把握しやすいのだが、音的に耳障りなんだな。 伝統的な朗誦法なのだろうが、そんなデクラメーション的な言い方をされると、嘘っぽく感じてしまうのも事実だ。 コメディーフランセーズの映画を観ても同じようなことを感じた。 日本で、そういった一語一語に力をこめた朗読をする人の代表格は江守徹だろうう。あの人のナレーションや朗読は聞きやすいし、意味が明確に把握できて、さすがだなと思うのだが、ときどきやりきれない思いにかられる。それは、文章を読み上げるときに感じることはなく、舞台やテレビで演技をしているときに感じることが多い。あまりに言葉に重点がおかれすぎて、実際に見える江守とのギャップが大きく感じるからだろうか?声だけが先走りしているように思えるのだ。 ことばは重要だ。これはどの職業でも、どんな人でもその意味をかみしめているだろう。あえてことばと実際の人間のしていることの比較をする気にはなれない。だいいち、そんなことをしても意味がない。 しかし、ことばに重点が置かれすぎて、人間の姿とかけ離れてしまうのは用心したほうがいい。 赤い靴だけが目立つ女性を街でみかけることが案外多いのだが、なぜそのとき、ぼくの意識は赤い靴にいってしまうのだろうか? なぜ、吹き替え映画に違和感を感じることが多いのか? 外国語会話の番組はなんでああも特殊な雰囲気をかもしだすのか? もういちど、人間であることを取り戻すために、ぶっきらぼうに喋ること、ささやかに喋ることを試してみるのがいいのかも・・・ それは、また別の害悪、超自然主義、平均化に陥る危険性もあるが、はっきり話しすぎる人には効果があるだろう。 反対に、ぶつぶつ話す人、あまりにだらけた話し方をする人には、サルコジや江守の話し方を学ん

硝子戸の中・外

たった今、夏目漱石の『硝子戸の中』を読み終えた。 友人のお気に入りの作品のようで、ぼくも手にとってみた。 作家である漱石が、講演を依頼されたり、話を聞いてくれとお願いされたり、俳句をつくってくれと頼まれたりし、漱石はひとつひとつそれに応えようとささやかな努力をしている。成功に終わったり、気まずい思いをしたり、不快になったりと、結果はまちまちだが、漱石がそこで、読者の要望に応える努力をしているところに興味をもった。 ぼくは、あの映画はよかったよ、この本は読んでみるべきだとよく人から勧められるが、時間をあけるうちに機会を失い、意欲も失ってしまうことが多い。今回は素早く行動したおかげで残念な結果にならなくて済んだ。そして、鮮度が新鮮なうちに読んだことで、友人がどこに興味をもってこの本を読んだのかが、分かりかけたような気がした。自分の読書という以上に、他人の読書感も取り込んだと思えたのは錯覚だろうか? 影響を受けることに機敏で、人に勧められるが否かすぐに物事に取りかかれる人がいる。もともと、ひとりの人間の興味の範囲も、知識の範囲も狭いに違いない、せっかく勧めてくれる人がいるのだ、試してみようという好奇心と行動力。 そんな反応の素早さは神々しいくらいだ。 反対に、時間が空いたときでいいや、明日があるさ、後回しにしようとか言って、自分の仕事に没頭することで、どれだけの新鮮さを失っていくのだろうか?自分のやらなければいけないことは、かえって、今やらなくてもいいことなのかもしれない。影響を受けたと同時に、そちらのほうに取りかかるべきなのではないか? 小説にせよ、映画にせよ、演劇にせよ、表現とはコミュニケーションの場を提供することにほかならない。漱石でさえ一方通行で終わらせようとはしない。 物語として緻密に構築されていて、どこにも取りつく術がないような作品であろうと、どこかに入口があり、そこから自由に意見や想像力が出入りしているものだ。 そして良い作品というのは、そういった扉が豊富に用意されて、どんな人にも開け放たれている作品なのじゃないかと思う。 一番いいのはそこでお茶を飲みながら談笑できるような、開放されたロビーをもつ作品なのじゃないか? 閉塞した作品は、読者が中に入ろうとしても入れないし、作家は中から出られない。 だからこそ! 大いに隙をつくる

話は飛躍してばかりだが・・・

今日はいい天気だったので、友人とオープンテラスでお茶しながら、いろいろな話をした。 月曜日に2日目のワークショップも終わり、その運営や方法の気になった点をダメだししてもらった。痛いところをつかれて、やはり今回のワークショップは、自分でも試行錯誤を繰り返したこともあり、成功とはいえなかったと反省している。テキストにより本質的にせまる迫り方を、見つける作業に難航した。 ありがたい指摘を受けて、これからも実験は繰り返していきたい。 今日も思ったが、人と話をすることで自分の考えがどんどんまとまっていくこと。これはクライストも言っていたっけな。人にわかってもらえるように言葉を選んでいくうちに、考え方にピンと糸が張るようになる。相手の返事や考えも混ぜ合わせにして、自分の考えというものができあがる。あいずちや口はさみは大いに結構だ。人と話すことが大事で、独白じゃない。 そもそも純粋な自分独自の考えなどというものはありえないし、仮に考えに特許があったとしてもそんな特許になんの魅力があろう?ぼくの考えが相手に納得してもらえなければ、そんな“純粋な”考えが何の役にたつ? ぼくの考えは、わたしたちの考え、こんなふうに複数で共有できてこそ価値をもつものだろう。 共感のできない会話はつまらない。お互い好きなことだけいって相手のことばを聞いていない人がいるものだ。かと思うと、じっくり聞いているように思えるが、意見を聞きだすと、見当違いの話題を返してくる人もいる。 とても魅力的なのは、会話はワルツを踊るように、軽く、絡みながら、動いてとどまるところがない、しかも卓見が飛び出す、そんな会話だ。表層を流れていながら、深層に潜ることは忘れていないという・・・ ダンスをしましょうと誘うときは、もうその人はダンスをしているような足取りになる。そんな準備ができていないで、たとえば寝そべりながら、ダンスをしようと誘っても、相手は本気にするまい。 会議をするときは真剣な雰囲気、世間話をするときは平凡な活動中、そして軽やかに近況を伝え合うときは軽やかに構えるものだ。 そのときどきの礼儀の作法があるようだ。それにのっとらなければ、会話は無作法になる。 ぼくは、無作法にも、爆弾をなんども破裂させてきたし、それを恐れて沈黙に陥ったこともあった。 それでも思うのは、礼儀を守る余り、また

行動を!

思い煩いは行動することによって、杞憂であることに気づくことが多い。悲観的に、何もかも悪い方向に考えることによって、行動はますますと遠のき、心配はますます増える。にっちもさっちも行かなくなる。 こうしたときに、頭ごなしに説教されるのは逆効果である。「なんでやらないの?」。 できないと思うことが物事を不可能にしているのだが、そういうときは意固地になってできないのだと思い込んでしまう。 できないけれどもやってみる。まあ、不可能だとは思うけど、やることだけはやる。ようは行動に移すことが肝心なのだ。 一度動き出してしまうと、先ほど考えていた悲観的なことはすっかり問題にならなくなる。実際上の困難、技術的な困難が目の前にたちはばかると、やれるやれないは二の次で、どうすればやれるかを考えるようになる。こうなればしめたものだ。 ぼくは、以前から、そしていくぶん現在も、電話をかけることに躊躇することが多い。単に友達に元気かと電話をするときほど、その抵抗が大きい。 かけなければいけないときは、すぐに行動に移せるのだが、かけてもかけなくてもいいときや、別段今かけなくてもいいときなどには、行動に移すまでに、いろいろと考えこんでしまう。 恐怖症みたいなものかもしれない。 しかし、すぐにでも電話をしなければいけないと決めたら、あっけらかんに、すばやく、なんの恐怖もなく電話をかける。 想像力が邪魔立てしているのだ。 恐怖はそこに恐怖があると思い込むことによって増長する。 一歩先が崖だというのは、自分の目と、経験と、周囲の注意の声で気づくことになる。おそらく肉体がまったをかけるのだろう。 しかし、その先が崖だと知らないで悠々と突っ込んでいってしまう人に、恐怖や立ちすくみはあるのだろうか? 自転車ですっこけて救急車で運ばれたときがあった。たいした傷でもなく、救急車の乗り心地を楽しんでいるぐらいだった。家族は心配な顔つきで、病院に迎えにきてくれた。そのとき初めてぼくは怪我人として深刻にならざるを得なかった。 顔の傷と、肩と膝の傷。そして現場に置きっぱなしになった自転車。ただそれだけで、想像力の入り込む余地がなく、目の前の、病院の様子にだけ気をとられていたぼくが、そのとき初めて事故にあったかのようだ。 とりあえず行動してみよ! 結果には無頓着であれ! 終わってか

戦いのマニフェスト

今日はワークショップをやった。 シアターゲームとエチュードを中心に。 有意義な一日だった。 ワークショップを開くとき、必ず気にかけるのは、集まった俳優はその場にうちとけられるかということ。というのは、ぼくはそういった場に溶け込むことが苦手だから。ほぐすために、シアターゲームを使っているのだが、一番うちとけていないのは、気負いすぎのぼくかもしれない。 そしていつも不安になるのは、俳優はぼくを信頼してくれているかということ。おどおどしているわけではないが、内心大きな不安をかかえてはいる。博打をうつような大胆さをもって進行しなければ俳優が不安になるので、そこは開き直ってなんの迷いもなく行動することにしている。 つねに、そんな不安と戦いながらやっているから、稽古のあとの食事や乾杯が楽しいのだろうか? 俳優としてやっていたときも、演技はこれでいいのかという大きな不安を抱えながら、やるしかないと踏み切ってしまえば、あとは開放感が待っていてくれる。 大雨の日のメッセンジャーの仕事も、終了後の安心と達成感と苦労とで、なにげに同僚たちの雰囲気は高揚している。 そうか!つねに大きく強いものと戦えばいいのか! 自分をネガティヴにさせるような蜘蛛の巣をふり払う努力をすればいいのか! 戦えば戦うだけ、その見返りは大きいのだろう。 逆にいえば、戦うものをなくしているときほど、惨めな状態はないのか? 「多くの演技者が感ずる気おくれやはにかみは、害があるどころか、かえって有益なものであり、必要でさえもあるくらいである。・・・こうした不安感を使いこなし、みずからを役の高さにまで高めなければならない。このような恐怖やはにかみを利用することができてこそはじめて真の職業俳優になれるのだ」 (L.ジュヴェ) その障害が自分の内心にあるのであれ、肉体にあるのであれ、外部にあるのであれ、乗り越えようと戦うことが大事だ。安易な結着をつけるのでなく、負けてもいいからぶつかっていく。ぶちあたって初めて相手を知ることができるのだ。相手を変えることができるのだ。 武満徹はどもりのマニフェストと称して、どもりを称揚している。 「どもりはあともどりではない。それは前進だ。どもりは、医学的には一種の機能障害に属そうが、ぼくの形而上学では、それは革命の歌だ。どもりは行動によって充

壊し続けて

思い起こせば、ぼくはいろいろなものを壊してきた。 まっさきに思い浮かぶのが、ラジカセ。部屋に床置きしていたら、蹴飛ばしてしまいCDのふたが取れてしまった。 音楽をやっていたこともあり、ラジカセは何度も何度も故障しては、新しいものを買い換えていたような気がする。 汚れや、使用頻度の過剰や、寿命もあるのだが、こんなにもラジカセやコンポが故障してしまうのは、自分に電磁波を発する力があって、その電磁波で機械が壊れるのだと本気で信じてしまいそうになるくらいだった。 電気製品はそれこそ何度もダメにした。 小学校時代は教科書をきれいに使うことはできなかったし、靴はすぐ穴があくし、靴下は穴があいてないのを探すほうが難しいくらいだ。 携帯電話も落として壊したし、車に踏まれて粉々になったこともあったっけな。 パンツはすぐひもがゆるくなるし、手袋は必ず片方紛失するし・・・ 要するにズボラということか・・・ 人間関係は不思議とそれほどの破綻はないと、自分では信じている。おそらく、人間関係に関しては気を使うし、破壊するにも相手と共同で一緒にするものだから、踏みとどまっているのか? 恋愛も、壊す原因はきっとぼくにあるのだろうが、こんな大事なものをみすみす破壊するままにさせないし、きっと、人を物として見ることになってしまったらおしまいなのだろうな。 これだけ負の要素を抱え込みながらも、あえて自分の正当性を主張するのは気がふれているのか? ぼくは、それでも、人は壊すことによってまた新たな物を手に入れる可能性を持つ、その未来志向性を尊いものだと思いたい。 舞台セットも大いなる無駄なのかもしれないが、作っては壊す。 計画というものは自分の外に出て、人々の間にさらされた時点で、もう壊される運命を背負っているのだ。 そもそも、弁証法的な過程がない思想なり計画はその名に値しない。 スタニフラフスキーは自分の経験から引き出してきたそれまでの演劇術を、晩年ではすっかり捨て去って、進化をとげていたというではないか? バッハのゴールドベルク組曲も、アリアに戻るためにどれだけ紆余曲折し、変化していったことか! 壊すということは新しくなるための、生命の分岐点なのだ。 正当化しすぎであろうか? そして、これは比喩だ、暴力や戦争の肯定でない、などと注釈をいれなければな

ロミオとジュリエット(その3)

引き続きロミオとジュリエットを読む。 マーキュシオの謎のことばは、ひとりの人間が突然思いもよらないかたちで被害をうけ、その原因が憎むべき敵と親友の両方にあるのだから、彼が死に際に恨み節を吐露する気持ちはよく分かる。 しかし、彼すらが、両家の敵対する状況の最先端にたって、喧嘩をひき起こしていたのだから、この捨て台詞にこめられていた恨み節は、結果的に彼の超越的な態度の限界、彼のユーモアの限界を示していたこととなる。 もしくは、剣の一突きによって真実にめざめたとでもいうべきか? 彼の「両家ともくたばってしまうがいい」という言葉は、確かにそのとおりなのだが、自分で引き起こした戦いの結末としては、感情的になりすぎている。そして、いくぶん虚無的だ。 マーキュシオが死ぬ前までの場面は、主要な3人、ティボルトの名誉を守るための闘争を選ぶか、マーキュシオの虚無的な皮肉を選ぶか、ロミオの無力な友愛を選ぶか、その葛藤が激しく噴出している場面だ。そして、前者ふたりは憎しみとエゴイズムが生み出す破局的な状況の枠内の行動で、ロミオはその狭い領域からの越境をはかった行動といえる。 ロミオが手を握り合おうと友愛を呼びかけたことは、愛のエゴイズムのために臆病になってしまったと理解するのがよいのか?それとも、ロミオこそが愛のために真実をつかんだと理解するのがいいのか? 激しく敵対し、泥沼になった戦争状態は、考えるまでもなく現代世界の状態でもある。それが当たり前であるかのように、現実的という名の麻痺が蔓延している。 ロミオの高邁な思想は、親友であるマーキュシオの死により、自分自身の手で打ち砕いてしまう。直前に寛大なことばを吹聴した者とは考えられないほど、憤怒と衝動にかられて自分自身を否定する。 ロミオの悲劇はここにある。 そして、人間の高邁な愛が敗北するのは、ロミオとジュリエットが死なざるを得なかった状況だけでなく、ロミオが自分自身をあやめたところにもある。 結局、暴力をふるわなかったり、待ち続けた者だけが、寛大な行為をしているといえるのか? そうした意味で、ジュリエットですらが急ぎすぎていたわけで、沸騰する青春の悲劇はその熱さに原因があるのかという、いささか絶望的な結論をしてしまうことにもなる。 悲劇をもたない人生など意味がない、などと慰めてはみても、やはりこれだけ

ロミオとジュリエット(その2)

ロミオとジュリエットを読んでいる。 マーキュシオの死際の台詞は、謎のような意味を持っている。 ティボルトとマーキュシオが戦っているところに、ロミオが間に入り、戦いをやめさせようとする。マーキュシオを押さえたのだが、その隙にティボルトがマーキュシオを剣で刺す。マーキュシオは、「両家とも滅びるがよい」と捨て台詞を残し、卑怯なティボルト、死の原因となったロミオを呪うかのように死ぬ。 彼の死を契機として、ロミオはその青春から転落していく。両家は全面戦争に突入していくことだろう。 もちろんマーキュシオはロミオと同じ側に属していて、中立の立場にいたわけではないので、ティボルトを大いに恨むことはあっても、ロミオの過失を過度に恨むことはありえない。卑怯こそ憎むべきものであって、判断ミスの過失を責め立てて死んでいくのは、彼の批判的知性やユーモアにはふさわしくない。 だからこそ、謎なのだ。 マーキュシオの死際の絶望的なつぶやきは、予言的な含みも持っている。たしかに、このあと両家はこの戦いに参加した主要な3人をあいついで失っている。 また、ふたつの家の間に共通して、ティボルトとロミオに共通するもの、すなわち熱狂、その間に入り熱狂を馬鹿らしいものとして死をもって示したのだろうか? ロミオとジュリエット ロミオとジュリエット(その3)

微笑みは幸福となって

おおよそ、この社会に生きていて、絶対の孤絶というものはありえないのだが、仮に無人島などに生き、ほかの人間に少しの意識も払わない状況があるとすれば、その状況では寂しさとか、わずらいなどがあまりないであろう。自分の部屋にこもって一日を過ごす延長だろう。 人の世に生き、なにかと協力せずには生きられない環境の場合、周囲の発する、そして自分の発する、伝染力はすさまじいものだと感じる。 自分が少々不機嫌であったりしたら、とたんに周囲はぼくを警戒する。機嫌取りをする人なんて底意があるか、同情してくれる人に限られる。不機嫌は伝染するものなので、周囲はそれを防御しなければならない。しかし防ぎきれず、無視することもできなくなったとき、不機嫌の菌はあっというまに周囲にひろがる。小集団のなかでそれがおこると致命的である。あとはその集団の中で、意地悪い食いちぎりあいが始まる。不機嫌は放置しておけば最悪にいきつく。 反対に、自分が幸せそうな顔をしていたら、周囲はぼくを温かく見守るか、好意的に接してくれる。不機嫌の場合と反対に、周囲も幸せそうな態度でもってこちらと接点を持ちたがる。それが機会となって周囲の雰囲気にも、そんな幸福を共有するかのような、親切で思いやりもあり、柔らかな温かい態度が蔓延する。幸福の菌は不機嫌の菌を包み込んでしまう。 「幸福は伝染するものだ。もし幸福になろうと思うなら、幸福な人々のなかで生きたまえ」 (スタンダール) わたしたちは、自分が人にどんな印象を与え、それがどんなにその人の印象判断に重く影響を与えているかは無頓着だ。 恋をしていたり、大切な人や、重要な商談の前では、誰しもそんなに自分に無頓着にはなれまい。たえず相手の立場を気遣うものであろう。自分が与えるものに敏感に反省をめぐらせるのはそんなときかもしれない。 「人間の状態というものは、不屈の楽観主義を規則中の規則としてみずからにあたえるのでなければ、たちまちもっとも暗い悲観主義が真実なものとなる」 (アラン) つねに幸福であろうと努めること。幸せを与えていることにだけ無頓着であること。微笑んで、こわばりを解きほぐすこと。 一週間前に、下りのエスカレーターを必死で上り続けようとしながら、なかなか進まないで格闘していた中年女性がいたが、あれこそ幸せを必死でつかもうとシジュフォス

今宵はライヴで!

今日は、友人のライヴに行ってきた。 電車で向かい、帰るときもそうだったが、電車に飛び込んだとか、線路内に人が立ち入ったとかで、電車が遅れた。 周囲の人の話をちらと聞いたら、このごろ頻繁にそういうことが起こるらしい。 そんな季節になったのか。 少し前だが、歩道を歩く歩行者が、ふらふらと、周りを見ないで方向転換したり、急に立ち止まってみたりと、ずいぶん自由気ままな行動をとり始めたと感じた日があったが、その延長なのだろうか? それとも何か思いつめてか? さて、そのライブだが、レストランで開かれて、なかなか楽しい雰囲気で聞けた。 リーダーの人がおもしろい人というか、音楽に真摯に向き合いながら、楽しくバンドを導いて、グルーヴを作り上げていた。 友人の歌姫は女優なのだが、いい歌を聞かせてくれた。少し音程がはずれていたところはご愛嬌で。こういった幅広い活動は続けるのがいいね。 オペラを観ているときもそうだが、今夜はバンドのライヴということで、生演奏を聞けた。生演奏というのは、目の前で演奏している意味だけでなく、そのときの現時点で、音楽をつくりだす生産活動ということだ。 スコアはあっても、グルーヴは書かれていない。そのときどきで協同で生み出すものだからだ。 バンドの演奏を聴いていておもしろかったのは、テンポが速かったり、リズムをとれなかったり、音のバランスがあわなかったりすると、演奏を何度も何度も繰り返して、ぴたりとあてはまるものになるまで、曲を始めないことだ。 いいグルーヴができあがるまでの準備というか、その準備もリズムにのって決して非音楽的なやり直しというわけでない。 演劇をやっていて、集団のアンサンブルを作りだすために、こんなやりかたで、スタートするまでの準備をしてみるとおもしろいかもしれない。 みんなのいきがあってテンポが生まれたときに、おもむろに劇が始まるという・・・ 音楽では、音を出すこと、メロディを出すこと、リズム・テンポをあわせるために、演奏を何度もやり直せばいいが、演劇でそれと同じことをしようとすると何をすればいいのか?発声練習じゃあるまい、柔軟体操じゃあるまい、嘘くさい小芝居じゃあるまい。 バレエでも準備から流れるように本番に入っていくのを見たときがある。何気なく手をぷらぷらしたり、しゃがみこんだり、スキップしたり。

神話として読まないこと

創作物とそのひとの人生というのは、離しがたいものである。 トリュフォーの映画に自伝的要素があるのを見つけた人は、それこそ揚げ足でも取るかのように、幼少時代の家庭環境を調べ上げる。 夏目漱石の小説に頻繁に登場する占い師も、漱石の日記をほじくりだしても、その関係を見つけ出そうとする人がいる。 小津安二郎がマザコンだとか、溝口健二が警察に恐れていたとか、ベートーヴェンの耳は本当は聞こえていたとか・・・ 程度の問題ではあるが、そういった伝記的要素の掘り起こしはもちろん興味あるし、研究には欠かせないものなのかもしれない。いい作品に触れると、その作者をまるごと好きになってしまうのは誰にでも考えられることだ。 しかし、事を演劇を創作する立場において考えてみると、そういった神話、スタンプ的な決まり文句は、役に立つどころか有害にもなりかねない。 たとえば、漱石の松山時代の事実をいくら掘り起こしても、坊ちゃんの世界が豊かに彩れるわけでない。創作物と作者はイコールの関係では結べなく、しかも、漱石のような豊かな作品群を、そのわりには平凡な彼の人生で代弁してしまうことにもなりかねない。 作品には、反転に反転を重ねた、複雑な人間の生活が書かれているのを、事実というだけで真実でない想像で補うと、作品自体が小さくなってしまう。 ではどういう態度で作品に臨めばいいのか? まずは、作者の伝記的要素を留保して、書かれていることだけを凝視する。作者の表現した表層から特徴的な事物や行動をとりだして、それを単純化した葛藤として考え直す。こぼれ落ちたものはそのままにしておく。無理に論理的である必要はない。そうしてできあがったドラマが、今の自分たちの問題かどうか検討する。自分たちに何の関連もなく、奮い立たせるものがなかったら、その作品と向き合うことはやめる。 というわけで、このテーマはぼくには何のおもしろいテーマでも、語ってみたいテーマでもないことが分かったたため、ここで話を打ち切る。 結局何を言いたかったことやら・・・ こういう失敗もよくあることさ!

粘土と戯れながら・・・

以前フランスに留学していたころ、何を思ったか粘土遊びに凝った時期があった。ことばも話せず、友人も少なく、お金もない、そんななか時間だけはたっぷりと持っていたそのときに、粘土を買ってきていろいろこねくり回して、いっぱしの彫刻家見習いとなったのである。 その時期は、ギリシア彫刻に興味を持っていた時期で、彫刻の写真集を見たり、街角の彫刻を観察したり、街で出会う人々や事物に興味をもっていたのだった。あの美しい彫刻はどのようにして、どんな過程で生まれてきたのか? そして、自分でも始めたのであった。 ぼくはリヨンに住んでいたのだが、そこでぼくは周囲の視線を感じた。自意識が過剰にあるのは事実だったが、こちらが東洋の人間で、しかも落ち着きのがない。異質なものに興味をもつ目。 あとでわかったのは、フランスの人は決してぼくだけをじろじろ見つめていたのではないこと、東洋人だけを見ていたわけでもない。見慣れている同国人をもじろじろ見つめていたのだ。 フランスはアメリカと同じように、移民の国。さまざまな人種が同居している。、中国人だと頻繁に間違えられるような状況下で、ぼくのことを日本人として見ている人は一握り。 考えようによっては、よほどの挙動不審だったのかもしれない、誰かさんは・・・ こうして、見つめられ、じろじろ観察される不快さを乗り越えるには、自分もじろじろ見つめることをしなければならない、と思い込み、目をひんむいて街で視線の合う人合う人をにらみ返した。 そんな戦いにも疲れ、見つめることを力を抜いてできるようになったとき、それがちょうどギリシアの彫刻に興味をもったときだった。 不思議な魅力。太陽の下、せかせか動き回る人間たち、手をつないでいなくても心で結ばれているような恋人たち、微妙に年輪や特徴を持っている人間の顔・顔・顔。 今まで何を見ていたのだろうか、と自問してしまうほどの発見。 すべてが愛おしくなり、すべてを美しく考えるようになり、美しい容姿の女・男を見ることに快感を覚えるようになった。 美しいものをみるのに、なんのためらいや恥じらいが必要だろうと、厚顔無恥にじろじろ見つめていたのかもしれない。 今思うにそれは視線の暴力。過剰すぎるんだな、はじめは・・・ しかし、本当に愛情を持ったのもたしかだ。 以前から、自分の彫刻に惚れこんで溺愛してし