芝居の稽古をしている。
公演のために稽古をするということは、一種、ある熱狂状態に陥るかのようであって、楽しいのはもちろんだが、一方では、ある感覚が麻痺することでもある。その感覚とは、日常生活のリズム感とでもいおうか、芝居以外の生活習慣を忘れてしまい、すべて芝居に従属させてしまう。そんなふうになると、稽古以外の時間も稽古のための準備になってしまい、テレビを見ても、人と会っても、ひとりでいても、劇の状況を思いだしたり、劇に結び付けて考えたり、情報の収集を無意識に劇の要素だけにしたり、ようするに熱狂・恋だ。
今度の劇が、恋が中心の物語であることあり、二重に恋の状態に陥っているかのようだ。こうした演劇病は、それでもやはり、バランスを欠いている状態にほかならない。もしくは、ある別次元の均衡を見つけ出しているのか?だからこそ、熱が収まったときの心の揺れが激しいのだ。役者の卵だけの病気かと思っていたら、これは一生続くのね・・・
自分がそこまで一生懸命になれて、あるものに打ち込めることに驚き、感動する。自分を再発見することでもある。
こんなことを綴らざるをえないぐらいの状態なんだな、今は。いつまで続くか、途中で息切れするかもな。もしくは、もっと高熱になるかもしれない。
今はこんな文章しか書けないな・・・
あとで読み返すと恥ずかしいかも。
だってこれは、「演劇に恋をしています」と白状して、それがもろに表情・しぐさに表れているようなものなんだから。
一緒に作り上げる仲間、スタッフも含め、そんな恋をする状況にあると思うのは、ぼくだけか?いやいや、みんなそんな兆候が表われているように見受けられるが・・・昨日稽古にいらっしゃった、音楽の若柳吉三郎さんに夕方に会ってきたのだが、吉さんも昨日の稽古風景を楽しく反芻して語ってくれていた。
もう伝染病の類だな。
がんばろっと!!!
向かい通るは清十郎じゃないか (今回の公演用のブログね!)
公演のために稽古をするということは、一種、ある熱狂状態に陥るかのようであって、楽しいのはもちろんだが、一方では、ある感覚が麻痺することでもある。その感覚とは、日常生活のリズム感とでもいおうか、芝居以外の生活習慣を忘れてしまい、すべて芝居に従属させてしまう。そんなふうになると、稽古以外の時間も稽古のための準備になってしまい、テレビを見ても、人と会っても、ひとりでいても、劇の状況を思いだしたり、劇に結び付けて考えたり、情報の収集を無意識に劇の要素だけにしたり、ようするに熱狂・恋だ。
今度の劇が、恋が中心の物語であることあり、二重に恋の状態に陥っているかのようだ。こうした演劇病は、それでもやはり、バランスを欠いている状態にほかならない。もしくは、ある別次元の均衡を見つけ出しているのか?だからこそ、熱が収まったときの心の揺れが激しいのだ。役者の卵だけの病気かと思っていたら、これは一生続くのね・・・
自分がそこまで一生懸命になれて、あるものに打ち込めることに驚き、感動する。自分を再発見することでもある。
こんなことを綴らざるをえないぐらいの状態なんだな、今は。いつまで続くか、途中で息切れするかもな。もしくは、もっと高熱になるかもしれない。
今はこんな文章しか書けないな・・・
あとで読み返すと恥ずかしいかも。
だってこれは、「演劇に恋をしています」と白状して、それがもろに表情・しぐさに表れているようなものなんだから。
一緒に作り上げる仲間、スタッフも含め、そんな恋をする状況にあると思うのは、ぼくだけか?いやいや、みんなそんな兆候が表われているように見受けられるが・・・昨日稽古にいらっしゃった、音楽の若柳吉三郎さんに夕方に会ってきたのだが、吉さんも昨日の稽古風景を楽しく反芻して語ってくれていた。
もう伝染病の類だな。
がんばろっと!!!
向かい通るは清十郎じゃないか (今回の公演用のブログね!)
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