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ハロルド・ピンター

ハロルド・ピンター氏が亡くなった。 劇作家としての輝かしい作品へ多くの人が賞賛を贈った。一部の人は、ピンターの芸術作品と言論人としての発言を切り離して考えようとしていた。「生活と社会の真実を捉える」義務感からの発言は、同じ意欲で作られた芸術作品と同じ質のものだと、彼らは思わなかったようだ。物議を醸した発言は権力に対して発せられた。ごく正当な批判だった。 そのピンターは「何も起こりはしなかった」と繰り返す。アメリカが中東・中米侵略をしても、世界はその事実から目をそらしている。完全な記録があるのに、誰もそれを話題にしない。事実が都合の良いように取り上げられる。目の前で起こっていることが無かったことになってしまう。南京大虐殺の事実も同様だ。 原作は読んでいないが、「金襴緞子の帯締めながら」という別役実の劇作品を観た。殺人事件が起こりながら、殺されたはずの当人がひょっこり出てきて、殺人事件が有ったか無かったか分からなくなり、別件の泥棒話に話題がすり替わる。確かにそこでは、結婚式も殺人事件も泥棒話も疑わしい。何かが起ったが、起こらなかったことになってしまう不条理な過程が描かれている。 「無かった」ことが「有った」ことにすり替えられる事態もある。疋田桂一郎記者の「ある事件記者の間違い」という報告を読んだ。殺人事件がでっちあげられ、拡大される過程を報告している。死亡事件が警察によって殺人事件にすり替えられ、報道がそのメガホンをとり、司法が冤罪に近い判決をしてしまった過程の検証記事である。現在も冤罪はなくならない。 ピンターは2005年のノーベル賞作家でもあるが、彼の遅すぎる受賞の記念講演を、イギリスBBC放送は報道しなかったらしい。「無かった」ことにしたのだろうか。さすがにピンター死去は繰り返し報道している。彼の生まで無かったことにはできなかったようだ。

お客さんの劇場

演劇の楽しみのひとつは、終演後の、お客さんと役者の挨拶にあるといってもよい。大きな劇場ではそれも難しいが、小さい劇場で、観客がほとんど身内である場合、つまり出演者の知り合いである場合ほど、この楽しみを享受できる機会はない。舞台を終えた役者を待つお客さんは不思議と目を輝かせている。 ロビーや屋外、または楽屋口に、役者が挨拶をしにやってくる。役者とお客さんの目と目があう。にっこりほほえみ合う。優しいことばが飛び交う空間にいて、無条件に不機嫌に陥る人は多くはいまい。微笑ましい光景だ。しかも、こんな場合、仮に大騒ぎをしても、みんな善良だ。暴力的なもののカケラもない。 劇場が社交的な場であることはよく知られていることで、不思議と心が穏やかになるのか。たとえ芸能人が劇場でお客さんとして来ていたとしても、混乱はおきるものでない。たまには握手をすることがあっても、サインねだりやキャーキャー騒いだりして、暴徒化することはない。 公演の質や、入場料金の高さ、観劇者が限定されることなど、多くの問題を抱えながらも、やはり演劇は魅力的で、劇場は友好的な場所であるに違いない。オペラ座の怪人が出てくるにしても、チェチェン紛争でのモスクワの劇場占拠がおきたとしても。 あるジャーナリストを劇場で見かけたことがある。テレビの討論番組の司会でいつもしかめ面をしているその人は、劇場では優しい顔を絶やすことはなかった。故筑紫哲也氏もふだんの優しい顔を何倍にも柔らかくしていた。 おそらくお客さんは、公演を楽しみに来て、惜しみない拍手をする構えで劇場に来る。文化的な空間とは、そんな人間の姿勢と関係がある。お客さんの受け入れ態勢が芝居を成功に導くといってもよいだろうか。終演時の拍手にもそれが表れている。役者とお客さんの対面という付加価値も加わって、劇場は今日も温かい雰囲気に包まれている。

ブッシュに靴

イラク人記者がブッシュ大統領に靴を投げつけたという事件が世界をかけめぐった。「靴を投げる」というアラブ社会最大の侮辱行為が問題になった。大統領退任間近に、因縁のイラクに電撃訪問という前ふりがあったわけだが、その最後の機会に靴を投げられたわけだ。ブッシュ大統領は退任を控えて郷愁ともとれる発言を連発していた。いい思い出となったであろうか。 ブッシュ大統領は投げられた靴をうまくかわした。多くの人がその敏捷さに驚いた。記者からの質問に逃げるのは慣れているので、靴をかわすのは得意だとジョークを言っていたそうだが。 反応もおもしろい。アラブ圏では記者を英雄扱いする声が多くあったらしい。ブッシュ大統領を「悪魔」と呼んだチャベス・ベネズエラ大統領は、にやにやしながら事件映像を見ていた。靴を高値で買い取りたいという人が出てきたり、娘を嫁にやりたいなどという人も出たり。アメリカの反戦団体はホワイトハウスの前に古靴を並べて、イラク人記者の支持をした。ブッシュ大統領をめぐる問題の根は、かなり深く、かなり広い。 靴投げがネットゲームにもなった。さっそく挑戦してみた。ブッシュ大統領の無邪気な顔が、もぐらたたきの要領で見え隠れするのを的にして、靴を投げる。靴があたったときの彼の苦痛の表情がおもしろい。ちなみにゲーム制作者はイギリス人だそうである。 イラク人記者は捕まって、法廷で裁かれている。大統領暗殺未遂で有罪になる恐れもある。謝罪・反省はしているようだ。ブッシュ大統領がユーモアでその場を切り抜けるという機転をきかしたのだから、法廷や社会は、深刻ぶってモラルや暗殺の問題にしない寛容さが必要とも思える。 と同時に、以前ブッシュ大統領が投げたのは靴ではなく、爆弾であったこと、それをうまくかわすのはイラク国民にできるはずがないということも考えておかねばなるまい。

続けること

家の中で失くしていた物に、ある日、再会する。題名を思い出せない曲が、何かの拍子に口をついて出てくることもある。逆に、メロディは口ずさめるのだが、どんなに頭をひねっても題名が出てこないことだってある。「何かの拍子」というのはどんな拍子なんだろうか。 近頃は全然やらないが、野球の長打を放つ時も、スカッと抜けるような感覚が忘れられない。サッカーでもボールが足の芯に当たると、思いもよらぬ弾道を描く。まぐれではなく、芯を捕らえた瞬間とでもいおうか。「ひらめき」に触れるのも「芯」を捕らえることと解釈しよう。 マキノ雅弘は「だれる時間」も映画には必要だという。おもしろいように数式を解くためには、どれだけの計算を消費することやら。スキーを1日滑って、たった1度リズムをつかむことができ、モーグル選手のようにコブ斜面を爽やかに滑り降りた瞬間ほどうれしいものはない。 友人が、体調が悪いとこぼした。仕事のストレスから来ていることは明らかだ。しかし仕事を辞めるわけにはいかない。だましだまし続けるのだが、体の調子が悪い時は、気分的にも盛り上がらないものだ。誰にでもスランプがある。いつかは「スカっ」とした快進撃ができるはず、そう思いながら毎日を過ごす様子が伝わってきた。 何の変哲もない日常的な行為をし続ける。どんなに高い玉座にのぼっても、尻の上に座らなければいけない、といったのはモンテーニュだが、「何かの拍子」を見出すにはずっと待っているわけにはいくまい。排便も食事も睡眠もしなければいけない。学校や仕事に行くことも必要だし、家の埃や着用した衣服を放ってはおけない。 80歳を過ぎてノーベル賞をもらう人もいる。賞の権威のことは置いておくにしても、何かをやり続けることで得られるものがある。年輩になってから売れっ子になった俳優は、無駄に時間を過ごしてきたわけではない。

師走のフクロウ

12月を「師走」というのは承知の通りだが、お坊さんや先生が忙しくなるという由来をもっているらしい。知識としては知っていても、毎年そんな慌ただしさを感じていたかは疑わしい。 師走に入った途端、周囲の動きも活発になり、お役所・会社の発表も盛んになり、世の中全体が動き出した気がするのは錯覚か。年末に近づけば近づくほど、忘年会やら大掃除やら年賀状やらで、慌ただしくなる。友人と会ったり話したりする機会が多いのは、世の中が動き出しているためか。家の中より、外出したほうが人と会えるという単純なこと。みんな歩きだしたらしい。 思えば、紅葉らしい紅葉をまったく見ないで秋を過ごしてしまった。落着いて外出するには、逆に時間がありすぎて、ほとんど散歩をしなかった。師走に入り、なぜか、徘徊する気分が高まっている。 レチフ・ド・ラ・ブルトンヌという仏文学のマイナーな作家がいた。ある作品は、たしか、主人公の男が夜になると肩にふくろうを乗せてパリの街を徘徊し、そこで起こった出来事を伝えるといった内容だったと記憶している。フクロウとともにパリの闇夜を徘徊して観察するといったイメージが強烈に印象に残っている。 Gムーアというギタリストは「パリの散歩道」という作品を残した。感情過多でくどい気もするが、美しく、そこで奏でられるパリはまさしく秋を感じさせた。パリで散歩したことのない者に、パリを感じさせる音楽というものは、いったいどんな怪物なのだという驚きもある。 あてどない散歩でも、目的をもった散歩でもいい。この師走の時期に、そんな悠長な精神で徘徊を試みてみたくなった。歩いてみたい道はいくつかある。東京の散歩道だ。楽曲にはできないけど、何らかの記憶装置を残しておきたい気もする。師走であるからこそ、思いがけないものが散歩道で見つかるかもしれない。さすがに肩にフクロウを乗せはしないが…

一服させて

裁判に関してのいくつかの事例を見聞きし、警察の捜査を巡ってのひと悶着があり、明日ドキュメンタリー番組で放送される冤罪事件を頭の隅に置きながら、モンテーニュの懐疑を考えてみた。 モンテーニュは16世紀のフランスの哲学者で、『エセー』という書物を残した。エセーつまり「エッセイ」のことで、フランス語では「試すこと」「試し」というような意味の名詞である。言ってみれば「自分振り返り」の日記のような書物。今風に言えば公開の随筆ということから“ブログ”なんでしょうな。モンテーニュのブログか。 そのモンテーニュの『エセー』の鍵となる言葉が“Que Sais Je ?”(ク・セジュ)である。「いったい私は何を知っているのだろうか」という意味で、モンテーニュが自分に課した「問い」だった。懐疑のための判断停止。永久にそこで判断をやめるという消極的な姿勢でなく、おかしいなと思うところで立ち止まり、突っ走りがちな思考の習慣を断ち切り、本当にそれでよいのかという疑念をはさみ、判断を留保するという、積極的な待ちの姿勢である。 モンテーニュは、古代ローマの逸話を引用・書き写して、悠長に臼をひくかのようにまったりと解釈している。。しかし、いったんその引用の詩句が胸ぐらをつかむと、活発になり、宝のような思想が生まれてくる。急にポーンととび上がるのである。インスピレーションの瞬間を待っていたかのようだ。 ひるがえって現代。警察や官庁による発表や広報、またはメディアによる報道があふれるなか、どれだけ私たちは判断を慎重にくだすことができるだろうか。どれだけ寛容な態度でいられるか。第一報や速報はスクープではなく材料にすぎない。そんなのは時間が埋め合わせをしてくれる。大事なのは、性急な判断をくだす前に立ち止まって、ちょっと待てよと考える余裕。 「一服させて」。何気に好きな言葉である。

怪物たち

強い人の論理というものがある。立場的に強い人が論理をふりかざす。その土壌では、弱い立場の人間の論理が通用しない。強い立場の者に、弱者と同じ権利を与えてしまうと、両方の論理が相殺されて、両成敗ということになってしまう。 都会の幹線道路を見れば分かることだが、片側3車線もの道路がありながら、歩行者は肩をぶつかりながら歩道の上を歩かなければならない。自転車は、車道に出れば自動車に脅かされ、歩道に入れば歩行者を脅かす。自動車にはクラクションがついて、気軽に邪魔者を排除する。歩いている者が遠慮する商店街ってのは何なのだ? アメリカの3大自動車会社の会長が、米議会の公聴会に呼ばれて詰問されたニュースが話題になった。従業員のリストラは千人規模で行いながら、自分たちはジェット機で議会にかけつけ公的資金を要求するとは、冗談のつもりか。会社を守るために人を切るというのは、論理として成立はすれども、それを認めるのがはたして正しいことなのか。「おれも苦しいんだよ。分かってくれ」といった経営者の心情的な論理を理解してあげる必要がどこにあるのか。 ロシアの原潜事故で乗組員が起訴された。あれは原潜のシステムに問題があるというロシアメディアの疑念があがっている。乗組員はその不備を隠すための身代わりとして捕まったと。 母が2児を殺害した事件の裁判があった、広島高裁で、1審判決の懲役刑を破棄し執行猶予にしたそうである。裁判長は「経緯に同情を禁じ得ず、1審判決は重すぎる」と述べたそうだ。裁判ですら杓子定規の論理で裁定されることが多く、このような判決は珍しい。 「モンスター」な人たちは、自分が弱者のつもりでいても、権利をふりかざすことで怪物化してしまうことに気がつかないのだろうか。まだ市民のモンスターなら許せる。国家や組織の怪物が強権をふりかざすのは、どう対処すればいいのか。

猫、恐るべし

猫カフェが大ブームだそうである。猫と一緒に遊ぶのでなく、猫を見ながらゆったりと時間を過ごすという。猫がお店のスタッフとして寝そべる。その姿を眺めた人間が癒されるという。行きたいわけではない。 路地を歩いていると呼び止める声がある。どこから聞こえてくるのか分からないが、間違いなく猫の声だ。いったい何のために。何かを訴えかけているぞと、あえて誤解して近寄って行くのもいいが、時間に追われて歩いている身だ、猫の声に癒されながら歩き去る。路地裏版猫カフェである。 毎日のように、ご近所さんが訪ねてきた。何するわけでもない、ぼくの帰宅の後を追って階段を上がってくる。頭をガツンガツンぶつけてくる。人の股の間をくぐろうとする。10分もそれを続けるので、よしこれは長期戦になるぞとこちらも腰を下ろすと、しばらくしないうちに、飽きが来たのか猫は帰ってしまう。ご近所さん経営?の猫カフェである。 マキノノゾミの劇作品「フユヒコ」では、フユヒコこと寺田寅彦は、我慢しなければいけないことがあると、招き猫を撫でてじっと耐え忍んでいる。かの有名な夏目漱石の作品は、猫が考え猫が見た作品だ。以前は暴走族の服を着てツッパリだった猫たちも、今では2,3の駅の駅長にまで昇格した。この出世は何なのだ?猫に関する猫グッズを何でも売り出す店もある。雑貨やビスケットやTシャツまでも。さすがに「猫よけ」の商品まで扱ったらひんしゅくものだな。人食い猫が人間の足を食いちぎったというというデマも生まれるし、猫がしゃべったという逸話も生まれるし、なんでもアリというわけだ。 身近なところにいながら顔を合わせるでなく、寂しそうにしていながらも近寄ると警戒するし、かと思うとすり寄ってきたり。 ひとの夢に2匹も出てきて、かわいがっていたのに、いきなり右手を噛む。そのために夢占いまでしてしまった。猫、恐るべし。

歩き方の表情

歩き方は身体の表情である(バルザック) フランスの文豪バルザックが『歩き方の理論』という奇書を書き残している。理論とは言え、小説家、しかもかなり回りくどい書き方をする趣味人のバルザックである。理論に入るまでの前置きが長い。理詰めで論理を展開するというよりも、フランス流の「箴言」という、短い格言・警句をさらりと言ってのけたあと、その箴言を裏付ける逸話を持ち出してくる。題材も奇抜ながら、話ぶりも悠長で趣味的な、まことに変わった書物なのである。 歩くことに特別な苦労をするのは俳優だ。年齢の違う人を演じるという極端な場合は除いても、どんなテンポで、どういった調子で歩くのか、速さは、足取りは、どんな姿勢で、などと追及していけばキリがない。歩き方ひとつで人物の持っている世界を表現するのだから、たいしたものだ。 優雅で無駄のない歩き方は美しいのだが、後々まで印象に残る歩き方というのは、どこかしらぎこちないものを含んでいる。大河内伝次郎の歩き方なんて、作り上げた歩き方にせよ、名刺がわりになるほど魅力的である。“ミスタービーン”も「歩く」という単純な場面が多かったように記憶している。 履物や道の状態、男性か女性か、その日の体調によって歩き方はさまざまだ。日本での歩き方というものもある。観光客として日本に滞在する海外の人と、日本在住の外国人の歩き方は、微妙だが違いがある。日本に長く滞在していると、歩き方も順応するものらしい。 フランスで、若い人の歩き方に衝撃を受けたことがある。男性は大またでカツカツ歩く。障害物のよけ方もスムーズだ。女性もかなり早く歩き、そのため身体の表情が溌剌としている印象を受ける。フランスの若い人たちの歩行は直線的だ。目的地が遠くにあるようなしっかりとした行動線。バルザックはそんな狩猟民族の末裔を見て、きりっとした表情を見出したに違いない。

銀座のカンガルー

銀座を歩いた。 日差しが弱まり、涼しい夕暮れ。銀座の柳も風に揺られていた。土曜日で歩行者天国とくれば大勢の人がここに集まるだろう。写真撮影をしている人が何人かいた。聞きなれない言葉を使っているところを見ると、海外からの観光客なのだろうか。歩行者天国や歩道をぶらぶら歩くと、何人にぶつかりそうになったか。どこを見て歩いているのやら。何が気がかりなのかは知らないが、まっすぐ曲がらずに歩くことのできる人が少ないのは休日の特徴なのか。 英国の研究チームが、ベビーカーについての研究結果を発表したという。ベビーカーの進行方向に向いて赤ちゃんが乗る背面方式の場合、親との対面接触が少ないから、赤ちゃんは不安をかりたてられるらしい。親と対面して顔を合わせて乗る方式の場合、赤ちゃんの心拍数は背面式より少なく、赤ちゃんが眠る割合も対面式が背面式の2倍だそうである。 なるほど、赤ちゃんは安心をおぼえるわけだ。こんな小さい時期に周囲の不安にさらされる必要もあるまい。赤ちゃんが何を見ているのかは知らないが、親に面と向かって話しかけられて、後ろ向きで連れられていくのは、完全に防御されている姿勢である。カンガルーの袋みたいなものだ。今はいろいろなベビー用品がある。それこそカンガルーの袋もあるようだ。 周囲の人たちは不安を覚えさせる。今日の夕暮れの銀座の話である。斜行してきたり、急に立ち止まったり、肩にぶつかってくる人もいる。ベビーカーに乗った赤ちゃんではないが、できるなら後ろ向きに進行したい、対面式ベビーカーに乗りたい、カンガルーの袋に入りたいと思う。少なくともよそ見をしながら突進してくる人の恐怖は味わうことはない。 とはいいつつも、休日散歩人のふらふら歩きを器用にかわしながら、自分の足取りでするすると闊歩するのも悪くない。場所は銀座ときた。カンガルーの親のつもりで跳ねまわってみた。

平安の時代

人の命が生まれては消えていく。そして、なにものかの力によって消されていく。殺人にせよ、戦争にせよ、死刑にせよ。 死刑執行を求める国連の委員会決議があったそうである。死刑執行の一時停止などを求める決議案が賛成多数で採択された。日本は反対をしたらしい。理由は「世論調査で死刑が支持されている」から。 なるほど、ネットの書き込みなどを見ると、殺せ殺せの大合唱のように思える。世論調査でも死刑を存続してほしい人が多いという。そんな人たちの意見はそれでよい。ただし悲しい気持になってしまうのはどうしてだろうか。人間の命を絶っても良いと声高に主張する意見は、正直あまり大声で聞かされたくない。 世論の意見は問わない。国の代表は日本政府の立場を貫いた。死刑制度は刑法や政治にもかかわる、法治国家としての根幹の問題である。世論をたてにとるという行為自体が、国家の問題のすりかえととられてもおかしくない。国の方針として、死刑にはこういう意義があるという理由が前面に出ないところに、死刑制度を後ろめたいものと感じているように思えるのだが。 衆人の前で首をさらしてまで虐殺をしていた社会は、その後大きく抑制を働かせるようになった。江戸時代でも死刑は極刑だったわけで、かなり残酷な時代だとはいえ抑制は働いていた。今、多くの国が死刑廃止という流れになっている。死刑制度が復活した国というのはないらしい。今度の決議も死刑執行停止の決議である。廃止に向けて議論をするまで、一時やめようじゃないかという決議である。多くの国では政治犯の惨殺や虐殺が行われている。日本にも冤罪がある。 かつて、聖武天皇が724年に死刑廃止をうちだして、それから347年間、日本では、流罪はあっても、死刑は行われなかったという。奈良時代から平安時代。仏教思想の影響という。死刑制度にとって奇跡的な時代があった。

カエルの強弁

昨日の時点で国会が空転していたらしい。政党が、我が党が一番という態度で差別化を図るというのは、気持は分からないでもないが、行きすぎると辟易してくるものだ。党利党略ばかりでは置き去りにされる者のほうがつらい。家電の販売員は自分の売りたい商品があってもバランスを保って、お客の指し示す商品もほめてくれるものだ。 国家斉唱の文科相発言や田母神論文など、強いもの言いが幅をきかせる昨今だ。国家を問題とすると、強制服従させる認識が働くのが政治的人間の悪いところだ。人種差別もそんなお粗末な思い込みから発生する。それが最近増えている気がするのは気のせいだろうか。自分の帰属しているものが確固たるものであってほしいという願い、それが増長する。自分の家族や会社をよく思いたいのは同情できる。行き過ぎると強弁でしかなくなる。 おうおうにして、人は自分の写真うつりを初めは驚きの目で見るものだ。そこで開き直るか、受け入れるかが分かれ目かもしれない。まだ写真うつりの問題ならかわいい。 国家認識という面において、ヨーロッパは飛躍的に変化しているように思える。EUという枠組みが良かれ悪しかれ変化のきっかけとなった。関連して、英語を話す国民がひと昔前と比べて、かなり物腰が柔らかくなったと感じたことはないか。日本の街角で出会う英語ネイティヴの人たちの、以前の横柄さが消えてなくなった。感じのいい人に変化している。日本の人を含め、国際的に変化している。 「井の中の蛙、大海を知らず」とはよく言った。井戸の中の蛙がガアガアと「私が一番」「誇りをもとう」などといっても、隣の住人には蛙がうるさいとしか感じ取れない。 雨の日になると蛙が道路に進出する。そのときの蛙くんは声など出さないで、黙々と地面を這いつくばって行動する。神々しいくらいだ。小さな井戸のために鳴いていてもしょうがないのだ。

ケンカはやめて

喧嘩を止めに入るべきか、放っておくべきか。 少し前に、一国の大統領と首相が、国際会議のなかで内輪喧嘩をしたという記事が流れたが、はたして、仲裁をした他の国の首相はいたのだろうか。 駅の中で二人の初老の男性がもめごとをしていた。片方がもう片方の肩を押して、いまにも暴力が始まるか、いや、そこまで発展するには両人に抑制がある、とぼくは見ていた。通りがかった30代の男性が止めに入った。肩を押され危機にあった男性はそそくさと逃げて行った。肩を押した男性は仲裁に入った30代の男性に食ってかかった。なんで、関係ないお前が邪魔をするのかと。「俺が悪いのか」と仲裁男に問いかけた。仲裁男が何を言ったかは聞こえなかったが、この男性も肩押し男を説教する勢いだ。第二次紛争が始まるかと思えた。肩押し男が「お前なんか関係ない」と、仲裁男から去ろうとするが、今度は仲裁男が許さない。肩押し男が去ろうとする前に回りこみ、何か言葉を投げかけている。いざこざが繰り返された。 周りで見ている者からすると、肩押し男は暴力の匂いを匂わせたことが欠点で、仲裁男は他人の喧嘩を裁こうとしたことが欠点に思われた。お互いそこまでしなくてもよいのに、しつこく相手に食い下がる。修羅場にならなかったので、この光景は興味深いものだった。 かつて、ソ連がチェコに内政干渉した「プラハの春」への軍事介入や、アメリカ合衆国のイラク戦争(いわゆる「湾岸戦争」)の例を出すまでもなく、国家間でもこういった例が見いだせる。そして、介入する側が仲裁でなく積極的に攻撃するから、ちゃんちゃらおかしい。 猫の喧嘩を止めるのは愉快だ。ギャーギャーうるさいのを黙らせるなんて大義名分。2匹とも「なんだこいつは」という顔をして逃げて行く。喧嘩を止めるのもこんな楽しくやりたいね。あの、ビクっとした猫の反応の良さを見るのは快感である。

軽やかなシシュポスの岩

シシュポスは巨大な岩を山頂まで持ち上げるが、あと少しのところで岩は下へ転がり落ちていく。この苦行を何年も繰り返す。賽の河原では親の供養のために積み石で塔を作っても、完成する前に鬼がやってきて塔を壊してしまうという。報われない努力を今日も続ける。シシュポスの場合は罰として、賽の河原の場合は子どもたちに課せられた義務として、徒労を続けなければいけない。 忘れられない言葉があり、それは先輩が繰り返し言っていたことだ。その先輩というのは酒飲みで、酒が入るとすぐこの言葉がでてきたから、酒のうえのたわごとと切り捨てることもできるのだが…。「作っては壊し、作っては壊しだよ」。仕事に対する愛着と解釈した。 途方もない責苦を人間は背負わされたものだ。毎日食事を作り食べることだって同じことの繰り返しだし、排泄だって繰り返す。ニュースから流れてくる犯罪や事故だって絶えることはない。説教師も同じ話を繰り返し繰り返しするが、信者は何も聞いていない。 そんな日常に反抗を企てる。ストライキだったり、旅だったり、無気力になってみたり。または自殺をしてみたり、冒険してみたり。反抗を企たとしても、バンド再結成やスポーツ選手の復帰、犯罪の再犯に見られるように、元の鞘に収まってしまうこともある。報われない日常を離れると、もうひとつの怠惰な日常が現われる。旅人として世界を回ると、世界を回ることが日常の徒労になってしまうものだ。 夏の間、毎日のように打ち水をしていたご近所のおばあさん。そして伝統のようにそんな風習が繰り返される。保冷の効果という意識があるのだろうかね、徒労を無駄と思わない無心な習慣のような気がしてならない。秋の落葉掃きにしても同じ。 日常のささいな習慣には、徒労という意識すらないのかもしれない。身近なところに軽やかなものがあることに気がついた。

自爆のススメ

自爆してみたらどう?賢すぎる人間が多いと思ったことはないだろうか。ほとんど無自覚に迷惑行為をしておきながら、自分が被害にあうことはうまく避ける。 最たるものは、携帯を見ながらゆっくりゆっくり狭い場所を歩いて、行列を作ってしまう人。テレビドラマやマンガのように、電柱にぶつかったり、空中を闊歩してほしいのだが、障害物は自然と避ける。そして何事もなかったかのように、また携帯を打ち込む。 狭い道路を猛スピードで駆け抜ける、ごく少数の車にもいえる。歩行者などに恐い思いをさせながら突き進むのだが、人間じゃなくて、電柱にでもぶつかってほしいものだが、うまくかわしていく。 不謹慎だとは思いつつも、自爆する姿を見てみたい。そうはうまくいかないのが人間のドラマではある。しかし、乱暴者がぶざまな姿に陥って、しゅんとしてしまう姿には愛嬌があることは確かだ。かわいらしいと言っても良い。間の抜けたドジをしてくれない迷惑者ほどつまらないものはない。ずるがしこくて、何の共感ももてない。巨人・長嶋さんだって、権力をもった球団に、あんなボケが存在したからこそ、球団をこえて愛されたのではないか。サッカーのイギータというGKは、足技に冴えて、中盤にまであがってドリブルしていたけど、W杯で単純なミスを犯して敗戦のきっかけを作った。 自爆というコトバが過激であるなら、「ドジ」というコトバでも構わない。ドジをしてくれ。大阪の芸人ではないが、ボケてくれなければ、笑いの種がない。賢くなりすぎるのは、善良な人たちでいい。何かしらの権力や武器、迷惑となる種をもっている人たちは、ドジを踏んでくれないと困る。強権社会はこりごりだ。 廣澤虎造の清水次郎長一家。やくざで暴力をする人たちである。彼らに愛嬌と、ドジな行為がなかったら大衆からは愛されなかったに違いない。救いはそこにある。

社会のオリーブオイル

声をかけられるというのはそんなにうれしいものなのか。それが知らない人からであればなおさら。 お店に入っただけで「いらっしゃい」という声をかけられるのは悪い気がしない。声をかけられないほうが違和感をおぼえてしまうのは習慣からだろうか。違う環境・外国にいれば、事情は変わるのだろうけど。しかし、声をかけられることに気分を悪くするということは決してない。 街角に立っている客寄せの店員の話しかけや、女の子にしつこくつきまとうような男の話しかけもある。声かけのプロを不快に思う人もいれば、何も気に掛けない人もいる。客寄せにだろうが何だろうが、声をかけられて気分が悪くなることはない。傍で見ていて微笑ましい声かけもある。これはプロフェッショナルというより、ベテラン・熟練さんですな。そんな達人がまだ世の中で見られる限り、どんな事件がおきようと物騒であろうと、世の中捨てたもんじゃない。 「そのストッキング素敵ね、どこで買ったの?」 「ええ…ああ。どこで買ったか忘れちゃったんですけど…」 「ああ、そう。でも素敵ね、その紫っぽい。ふうん…ん、ありがとう」 「あ、はい…」 駅のホームでたまたま聞いた老女と若い女性の会話である。目の前に現れた若い女性のストッキングに魅かれたのでしょうな。老女の、人の懐に入っていくスムーズさは嫌味がない。 駅で見かけた老女と若い女性。老女はすぐさま歩いてどこか行ってしまったが、その後、若い女性は自分の足のストッキング姿を自分で改めて眺めていた。そのときに見せていた、若い女性のどことなく柔和な表情が忘れられない。 電車が来て車両に乗り込んだ後のその女性は、硬い表情に戻ってしまった。 そっと後ろの方から武装解除。まるで知り合いであるかのように気さくに声をかける。社会の潤滑油というのはこんなものをさすのだろうか。

感性の宴

思いもせぬところに、思いもよらぬものがいる。いるかどうかさえ定かでない。音だけは聞こえてくるのだ。 自宅の壁にイモリが始終へばりついている姿も、見慣れているとはいえ、ちょっとした驚きは与えてくれる。そういえば、以前は体長15センチ以上のガマガエルが東京の住宅地を闊歩していたな。道路の主のように王道をへばりついていた。たまたま見かける犬のウンコにも、微妙に感性をくすぐられるのはなぜだろう。思いもよらぬ急な飛び出しは、こどもに限らず大人だって日常茶飯事だし、うっかり大きな声でひとり言を言った途端に、突然人が近くにいたことに気づくこともある。陰に潜んだ恋人達の抱擁に出くわすこともある。 毎日通る場所、しかもそれは大きな建造物の中なのだが、そこに思いもよらぬものが存在する。いや、先にも言ったとおり、音だけ聞こえるのだから実物がいるのかどうかさえ怪しい。鈴虫なのかな。残念ながらあまり虫の音には興味がなくて、どの虫だか特定はできないのだけど、とにかく「秋」を感じさせる鳴き声ではある。 鳥だって建物に巣を作ることはある。ねずみだって建物の中に健在じゃないか。 鈴虫。草のない壁だらけのところにいるものかしら?声は聞こえても、姿は見えず。ええ、ウグイスだって姿は見えずに鳴けれども、存在しないなんていう人はいないだろう。なら幽霊屋敷は? 空耳なのかなと思っても、はや20回ほど聞えるのはどうしてか。録音テープの可能性だって否定はできない。なにしろそこは、人のたまり場でもある。 そんな微妙な虫の音を「あの音なんだろうね」と話題にするには、あまりにもささやかな音でしかなく、ささいな出来事でしかない。 思いもよらぬところに、思いもよらず心をくすぐるものがいる。存在すら怪しい。そんな感性のささやかな宴が催される秋というのも、悪いもんじゃない。

ストレイシープ

ゲーテは「努力する限り、道に迷うもの」だと書き記している。それで思い出した。道に迷うことが少なくなったものだ。 人生の道に迷うという、大きな尺度で測らなくてもよい。不案内のために、道路をさまようことがほとんどなくなった。理由のひとつは、同じ道しか通らないことをあげよう。いろんな脇道も覚えてしまったこともある。そして、知らない道には足を踏み込まなくなったことも原因だろうか。あくまでも道路の話をしている。けれども、人生論に拡大解釈できないこともない。あえて新しい道に踏み込もうとしない日常生活。 ところが今日、道に迷ってしまった。八王子を過ぎて、陣場街道目指して自転車で走っていたのだが、見覚えのある道でない。2年前の記憶を頼りに途中までは順調だったが、陣場高原にはたどり着けない。結局、秋川市、八王子市、あきるの市をグルグル走り回ってしまった。 慌てはしなかった。時間の制限があるわけでもない、ひとりだけのサイクリングだったし。雨がポツポツ落ちてきはじめていたのだけど。悠長な心持が、途方もないさ迷いを生んだ。道に迷ったときは、イノシシのように猪突猛進、引き返すことをしない。行く先々で方向を変えていく。だから、むやみに体力ばかりが消耗してゆく。 大きな大きな廻り道をしたあげく、ようやく見覚えのある道路を見つけたときの安堵感たら…。大いなる無駄足と努力の迷走のおかげで、道を踏み外した状態のままに放置されることはなくなった。迷子を逃れた安堵感とともに、道を踏み外した冒険がちょっぴりうれしかった。何よりも、道に迷ったという久しぶりの体験が。 ぼくは小さい頃、上野駅で迷子になった。そんな人間が、今、上野駅構内で働いて5年近く、迷子になることなどない。いや、そのうち迷子になるよ、きっと。その迷子を喜ぶ日も来るんだろう。

うざいと言われても干渉を

寒さも本格的になった。この寂しさが好きでもあるな。 昨日は何かといらいらしていたと反省。土曜日の新宿は、人々みなゆったりモードで、そんな中にせかせかしたぼくが紛れ込むと、いらいらするだろうな。 そんな日は繁華街に行くのが間違いだな。行かざるを得なかったんだけど。 金曜日だったか、駅で二人の男性がもめていた。しかも無言で、暴力というより、一人がもう一人を押さえつけているようであった。だから、通り過ぎる人も二人はじゃれあっているようにしか見えなかったのだろう。 その二人のもめごとがエスカレートして、とうとう駅の売店のほうへもつれて行った。そして売店の簡易棚を倒して落してしまった。 買い物をしていたおじさんが、どすの効いた声で「こらあ」と言ったのには驚いた。そのおじさんも二人の成り行きは気になっていたようで、とうとう周囲に被害を与えたのを見かねて、注意したのだろう。 ええ、とかく世間は、見ていても見ぬふりというか、係り合いになるのを避けようとするが、そんななかで、こうした叱責というのは尊いものだ。 干渉すればいいというわけでもないが、相手の領域への入り込み方というのは難しいものだ。 先日、小さい自分の子供相手に、大人に対する喧嘩のように怒り・怒鳴りまくっている父親を見かけた。子供は泣きじゃくっていた。親の子供に対する接し方の一線を超えた、子どもと対等に喧嘩する態度だった。大人げないとは思いながらも、親を注意するわけにはいくまい。 駅のホームで喧嘩している高校生もいた。取っ組み合いになった途端に、周囲で見ていた50代の女性が「馬鹿者!やめなさい」と注意したのをきっかけとして、周囲の男性たちが仲裁に入ったこともあった。 周りに何らかの被害を与えない限り、人に干渉することは難しいのであろうか。 しかし、こんな例もある。 中国に行ったとき、二人の人が口論を始めた途端に、周囲の人が野次馬のように集まってきて、成り行きを見守るのである。これは、ほんとに野次馬なんだろうな。何が起こるんだというのを、間近で見たいという欲求。こうなると喧嘩の二人は暴力をできなくなる。したがって、二人は口論というかたちでエスカレートせざるを得ない。 なかなか理にかなった社会のシステムだと思う。 喧嘩の二人は、周囲から放っておかれることで、増長して手を出さざるをえな

優しくなる

ここしばらくは風邪で寝込んでいたし、まだ咳きこんで回復していない状態だから、外出する時はなるべくおとなしくしている。 道路をふさいで話しこんでいるおばあさんたちの脇をそっと通り抜け、角から勢いよく飛びこんでくる自転車に乗ったにいさんも睨まず、駅をゆっくりゆっくり歩く人たちにもいらつかず。 優しくなってみたよ。 はは、優しいだってよ。 もともと冷たくはないけど、見込みのない人には優しくないぼくなんですよ。 性格が完全に曲がっている人、そしてそんな状態に陥っているのを気づかない人には。そんな性根の悪い人とは友達どころか、知り合いにもなりたくない。きっぱり拒絶する。 自分と親しい人は、そんなことないのだよね。 また、自分の友達は少し大目に見てしまうのが人間というものでしょう。 だから案外、そんな性根の悪い人たちを友達として接するようにすれば、優しくなれるのかも。 世の中には、いい人、気持ちのよい人、性格の良い人、気持ちよくさせる人、和ませてくれる人が、ぽつぽついるんですよね。しかも、どんな人でも友達がいるなら、みんな、そんな心地よい接し方をしているんでしょうね。 それが、公の場に出ると修羅場になるから恐いよ、人間って。 車の中では気持ちいい人でありながら、路地を猛スピードで駆け抜ける運転手だっている。 仲間うちでは、はきはきしていても、コンビニのレジ前に立つと尊大な客になる人もいる。 たばこ欲しいのに、ぼそぼそと銘柄を言って、聞こえないと怒る。 サークルのノリで駅前で円陣を組んで、反省会をする大学生。 すべての人に気持ちよく接することは無理だけど、友達以外にも、最低限接する人には、気持ち良い人間でありたいよね。嫌われることは嫌いだからね、誰でも。 きっと不可能な幻想なのかもしれない。でも、小集団ではよく起こることだし、中集団にだって起こりうる。 初めて行った地方の村で、朝通りすがりの小学生から「おはようございます」と声をかけられて、こちらもあいさつをかえす感動は忘れられない。 単に物の売り買いをしているときの、売り手と買い手の両者の「ありがとう」ほど、お互いの気持ちをよくするものはない。 今日は、風邪を利用して、優しくなる練習をしていたわけだな。 でも健康じゃないから、優しくなる体力がなくなったかも。 優しくなるに

健康

またまた熱を出した。またまたとは言っても、8か月ぶりか。 金曜の夜から怪しかったけど、土曜日から今日日曜日の夕方まで、かなりひどかったな。 温かくして眠るとひどく汗をかいて、そのたびにお風呂に入って汗を流した。 こんなときでも発見はあるもので、体脂肪計付きの体重計で逐一体重を計ってみたら、風邪の引き始めの頃から、体重は1〜2キロ下降したけど、体脂肪はどんどん上昇したのだ。普段から比べると、7〜8%も上がった。これはなぜでしょうかね。今はその気でないので調べることはよすけれど、体重が2キロも減って、体脂肪が7%も上がるというのは、人間の体として変調がある証拠なんだろうね。風邪をひいて熱が上がるというのは、こんな数値にもあらわれるのかもね。 そう。風邪を引いていたからか、土曜日からは朦朧としていて、それでも知り合いの演劇を観に新宿までは行く事はできた。しかも自転車で。 観た芝居もおもしろい試みではあったけど、風邪ひきのぼくには魅力的に思えず。 その帰りに食べた麻婆豆腐もあまりおいしくなかったな。 今日食べたハムカツもコロッケもおいしくなかった。 きっと風邪をひくと、賞味する感覚も失われるのだな。 唯一おいしいと思えるのが、烏龍茶だからな。 寝てばかりはいられないと、少しだるいが、夜からは起き上がって活動している。このほうが風邪の治りが早いんじゃないか。リハビリよ、リハビリ。 健康ね。健康。これが減少すると、何もできないね。 明日からは治ると確信してはいるが、まだ少しだるいなあ。

演劇に必要なこと

久しぶりに演劇について書くな。 演劇をいっぱい観ているわけではないが、いくつかの舞台を拝見したし、今後も観る機会が連続する。まさに、シーズンだから。 良い舞台、いまいちな舞台はあっても、嫌悪させるような舞台がないということはよいことか、あるいは平均化しすぎてつまらないことなのか。 まったく記憶にも残らない舞台はあるけれど、記憶に悪く残る舞台もある。そこで行われていることが、吐き気しか催させないものなのならば、ある意味で公演は成功なのかもしれないな。 通り過ぎるような演劇よりも、何かしらのインパクトを与えるよな演劇が、演劇たるものであるかもしれない。 そんな意味で、最近観る演劇は、通り過ぎて行くものが多いな。 誰だったか、アッカーマンだったかが言った言葉があったな。日本の演劇シーンは戯曲が量産され消費されていきすぎると。 そうね、いい戯曲はあるのだけど、新作のほうがもてはやされることが多いかな。新作は、たいてい新奇なだけが魅力であることが多い。それはベテランの劇作家にしても、駆け出しの作家にしても。 近頃みる演劇が、いまいちピンとこないのは、何なのだろうかと考えてみた。 ぼくなりに見つけたのは、「テーマ」の問題。何について書かれていて、それをどう提示しているのかが不明瞭な演劇。 それは戯曲にしても、それを上演する団体にしても。戯曲ならば、何について書いてあり、それを作者はどう描いているかが分からない。団体ならば、なぜそれを上演するのかが分からない。 新作だから、いい戯曲だから、いい作家だから、という理由は上演する理由にはならない。その戯曲のどこに惚れて、どのように舞台化したのかが分からないと。それがある団体は、たとえ欠陥があっても、好印象を受ける。 なぜ、その公演をやるのか、月並みだけど、何を問題としてそれを上演するのか、そこにかかっていると思う。 きっとそれなりに、上演する意義を持ってやっているに違いない。でも、その熱意も伝わってほしいというのが観客としての要求であると、ぼくは信じる。少なくともそんな熱意があれば、素人演劇でも学生演劇でも楽しい。 テーマがあり、熱意があるということ。 それに加え誠意があるということが、好感を呼ぶと思う。 最近接する演劇団体は、こなれた団体が多いのか、事務的にかつ突き放した姿勢でお客さんを

次郎長三国志9 荒神山

とうとう次郎長三国志の最終部となってしまった。次郎長の物語は、石松が死んだ時点でひとつの終着点だと思うが、石松の仇ということで、都鳥三兄弟を討ちに行く。 思っていた以上に、ドラマは面白かった。しかし、新しい要素を入れなければならなく、吉良の仁吉が登場してくる。吉良の仁吉は魅力的な人物像が描かれていたが、その話しを推し進めるには、また何本もの映画が必要かもしれない。それが、このシリーズが終わりになった理由かもしれない。区切りのいいところで。 仇討ちとなると、怨念のたまった暗い暴力的なものと想像しがちだが、それを裏切ってくれるところが面白い。 やはり次郎長一家には、喧嘩の際でも歌が必要なのだ。そして、ワッショイワッショイの掛け声が必要なのだ。その活気が仇討を明るいものとしてくれる。 農民の誤解を解くところに話が費やされていて、なかなか進まないところにもどかしさを感じるところはあるけど、そのぶん登場人物の小話というか、特徴ある姿や行動に費やされるのは観ていて楽しい。 しかし、シリーズ後半になると、さすがに人物描写だけではもたないのだろうか、シリーズ後半になればなるほど、次郎長一家としての集団に焦点があたる。集団として、次郎長一家の性格が描かれている。そのぶん個人の特徴や逸話は語られなくなるのが惜しいところではあるけれど。 ひとつおもしろいところを発見したのだけど、戦闘の場面の悠長な次郎長一家ほどおもしろいものはない。 歌を歌うところもそうだし、相手に油断させるよう馬鹿をするところもそうなのだが、今回のチャンバラは映画とはいえ、完全な虚構としての戦闘になっていた。集団として押しまくる、かと思えば、農民たちをなだめるために引いてきてお詫びをいう。敵が寄せたらまた押しまくる。 戦闘のリアリズムならそんな暇はない、敵を全滅させるか退散させてから農民との話にくる。虚構としての戦闘なら、それを同時に行う。敵を追い詰め、農民との交渉で引く、敵がまたやってきたら戦う。 その虚構としての戦闘が、ドラマを盛り上げていることは間違いない。ふたつのモメントをひとつにまとめ、同時にこなすことで、場面全体のダレがない。

次郎長三国志8 海道一の暴れん坊

第8部のクライマックスにやってきた。この回は、石松の死という、次郎長の物語のピークを迎える。 石松の死は、廣澤虎造の浪曲で何度も聞いてはいたが、虎造の語りで描かれる石松の壮絶な死とは違って、マキノ監督のそれは叙情的な側面があった。 石松と小政のそれぞれの恋が、このクライマックスの性格を印象付けた。 石松も小政も、すぐそばに恋する人がいないところでのやりとり。いわば、恋人のイメージが二人を包む。小政の恋人「お藤」は姿さえ現わさないし、石松の恋する「夕顔」は、石松が別れを告げてから、イメージが増大する。 たとえば、石松の死の場面で、仮に石松でなく七五郎が死んだとしたら、愛する女房お園が傍にいるので、七五郎の死は悲劇性を帯びたであろう。 石松の死は、恋し恋される夕顔が傍らにいないので、夕顔の花のそばで死ぬという抒情性を帯び、石松も夕顔を思い浮かべながら死んだであろうことは想像がつく。 次郎長一家の死人のうち、豚松やお蝶の死は、まさしく悲劇であった。そして、暗かった。石松の死は、画面は暗くても、希望の見えるものであったし、美しかった。 これは、死を美化することなので、人間の真実をとらえているとはいえないだろう。しかし、豚松やお蝶の死の、あの暗く救いのない描写よりも、石松の死の描写の方が好感持てるのはなぜであろうか。 人の死に意味をつけるのが人間である。石松の死のあとの、あの開放的な浜辺で次郎長一家が走り出し、おそらく石松の仇を討ちにいく姿の方が、何倍も心をとらえるものである。 さて、全体として、また軽いタッチのマキノ節に戻っているところが楽しかった。旅の遠景の演出もさすがで、前回は屋内の戦闘を褒めたけども、今回は屋外の旅姿におもしろみをみつけた。 第3部だったか、石松と三五郎とお仲の出てくる旅の場面でもそうだったが、遠景からアップに来ないところがよい。遠景の人物がてくてく歩いていくと、アップしてその人の説明をしたいところだが、遠景は遠景で人物描写をする。だから体の動きや振り付けの演出が大事になる。遠景でどんな人かが分かれば、アップしてそれを拡大する必要はない。アップの場面は、また次の描写をすればいいわけだ。 また最後に、森繁久彌の石松の演技は、渥美清の演技に似ている。渥美清が森繁の演技を勉強していたことがわかる。そして石松は森繁の名演といえる

次郎長三国志7 初祝い清水港

第7部は、清水に戻ってきている次郎長一家である。やはり、旅よりも、家に構えているときのほうが、子分達の自由度も高い。 そして、圧倒的に、野外よりも屋内のほうが、おもしろい場面が多い。しかも屋内でのチャンバラの撮り方がうまいのではないだろうか。屋内から屋外へ飛び出す時の開放感も手伝って、なかなか躍動的になる。 保下田の久六が次郎長一家の家に押し寄せる場面も、できる限り、中へ中へ敵を呼び込み、そこからあふれ出すかのような勢いでチャンバラをしかける。そんな「タメ」がおもしろいものである。 第6部のチャンバラも、屋外で数人が敵の侵入を防ぎ「タメ」を作っていると、屋内から次郎長一家がものすごい勢いで出てくる。 このあふれ出す躍動感がチャンバラの魅力でもあり、また、マキノ雅弘の得意とした手法であり、次郎長一家の特徴でもあるのではないか。 しかも、お蝶の死後百日までは、ずっと復讐も我慢してきた。その我慢が勢いとなってあふれだすというドラマトゥルギーもある。 言ってみれば、休み時間が待ち遠しくて、我慢していたこどもが、ものすごい勢いで校庭にでるかのようだ。こうした「抑えられていたこども」、これが次郎長一家の特徴であるかのようだ。 しかも、こんなチャンバラのときは、味方が多いほうが頼もしいし、わくわくするものだ。なので、投げ櫛のお仲も、お園も槍をもって参戦する。しかも強い。このハチャメチャさが魅力でもある。 今回は、前半のドラマはくどすぎるところがあったが、後半の喧嘩いたるドラマは秀逸なもであった。 そして傑作なのは、フグにあたったという噂を流しておいて、しかも保下田の久六一味を家の中まで侵入させ、あげくのはてには久六をフグと罵り、しかも自分たちはフグの中毒にかかった演技までしてみせて、相手の油断を誘った場面だった。 敵は刀を持って、今にも切り込みにかかろうとしていたのに、次郎長一家はフグ中毒でしびれてフグ踊りをしていたのだ。みんな大げさに痙攣していた。こんな楽しさ、めちゃくちゃなチャンバラはない。 案の定、フグ踊りは演技で、今まで我慢してきた次郎長一家の活力は、凄まじい勢いで解き放たれるのであった。

次郎長三国志6 旅がらす次郎長一家

第6部まできた。 次郎長一家が、殺害の件で、当局から逃げ回っているという状況である。 ものすごく暗い、湿った雰囲気のなかで映画は始まるのだが、この基調がすべてを重くしてしまったように思える。今回の6部は、暗く重い。 映画の始まりは、演劇ほどの重要性はないにしても、大事なものである。演劇よりも、始め方に可能性があるのは確かである。 今回の重々しい始まり方では、作品全体が暗くなってしまう。おちゃらけた場面があったとしても、そんな場面もすべてお蝶の死に収束されていく。 もし、この回の始まりが、明るく楽しめる始まり方だったとしたら、終わり方と同質のものとなり、まとまりがついていたであろう。もしくは、明るく始まらなくても、次第に明るくなっていったとすれば。 何が暗いかといえば、まず画面。暗過ぎて表情が見えない。また雰囲気が沈んで湿っぽ過ぎて、それ以上の涙の場面はくどすぎる。情緒芝居にしか見えない。 鬼吉が両親に金を借りに行く場面のカラっとした雰囲気こそ、作品のはじめに必要だったと思う。あの場面は喜劇と涙が乾燥した空気のなかで調和したような、優れた場面だった。 保下田の久六の登場も、悪役と信じさせない性格づけがなされており、それがこの場面の明確な輪郭を作っていた。 小松村の七五郎とお園の場面は、そんな沈んだ雰囲気を払しょくしようと軽く粋なものに見せようとしたのだろう。お園の演技は軽妙で、おかしいものではあったが、ひとり芝居に思える部分も多くあった。声がひとりごとの調子であったので、複数の人との芝居の場面では、有機的にからんでいなかった。 シリーズもここまでくると、試行錯誤を繰り返すのであろう。新しい要素もいれなければならない。 「男はつらいよ」の連作6作目ぐらいから変化を見せているのと同じである。製作側もマンネリはつらいのかもな。

次郎長三国志5 殴込み甲州路

なんかライフワークならぬ、ウィークワークらしくなっている次郎長三国志の日記だけど、ここまで続けたなら、終わりまで続けてやろうといった、義理じゃないが意気込みがあって第5部、甲州の喧嘩の回の報告、報告だな、をいたします。 今回の鑑賞はお酒も入っていたのだが、それにふさわしく、次郎長一家も祭りでにぎやかになり、酒もたらふく含んでいた、そんな雰囲気であった。 次郎長の義兄弟の親分が入ってきて、祭りの雰囲気が一変し、甲州のやくざとの関係が険悪になったことを報告する時、次郎長も久しぶりの酒を含んでいたのだが、観ているこちらも酒の酔いを抑え、きちんと酔いを醒まさねばという気持ちになった。 祭り、酒、そして純情なほどの師弟愛、純粋な恋。これらが次郎長一家に脈々と流れる血である。なんかどす黒い卑しい血なんてこの世に存在しないかのようにふるまう次郎長一家は、たしかに美化されてはいるだろう。 しかし、次郎長一家にあって、他の敵役に無いのは歌である。次郎長一家はとにかく歌を歌う。旅の道中歌としてとにかく歌う。そしてやっぱり歌ったほうが勝ちである。もちろん敵役は憎しみや陰謀の色で描かれる。それに対して、主人公一家は歌で描かれる。 歌を歌ったほうが勝ちなのだ。憎しみは歌にはかなわない。そういった意味で次郎長一家は歌を味方につけている限り、負けはしない。喧嘩にも、人間的にも。 今回は、新たな登場人物としては大野の鶴吉だが、役者の技量と演出の妙で、ああ、この人は害のない人だな、というか次郎長一家に入ってしまう人だなと感じさせるものであった。 他の登場人物の新たな性格付けもなく、次郎長の子分に関しては、なんの目新しさはなかった。これは脚本の次元だろう。 唯一目新しい性格の発見は、次郎長の妻のお蝶であろう。そして、この回の影の主人公はお蝶といっていいかもしれない。 お蝶が甲州まで駆け付けたことが、驚きなことではある。それに至るお蝶の心理をきちんと描いている。 同時に、投げ櫛のお仲の心理も分かって、しかも最後、お仲との別れは何のきなしの、音楽の途中にさらりと挿入されるところがにくいところではある。 さすがに上演時間などの尺の長さを気にしていたふしがあるにせよ、さらりとお仲が消えてなくなるところに、余韻が残る結果となったわけだ。 さて、今回は、個々の登場人物はお蝶意外

次郎長三国志4 勢揃い清水港

次郎長日記も第4まで続きました。前の回に増して感じられるのが、シリーズ化としての一本の物語性。そのぶんひとつひとつのエピソードが薄められていくのは残念でもある。 また、関東綱五郎、増川仙右衛門、桶屋の鬼吉あたりは影が薄くなっている。シリーズ1、2で十分活躍したのだが、4までくると登場人物も増え過ぎて、ある程度簡略化しなければいけない。これらの子分は、あまり特徴あるようには描かれない。 前回も書いたが、コンビというものはおもしろい。石松と追分三五郎のコンビ、桶屋の鬼吉と関東綱五郎。この間抜けなコンビの珍事件がおもしろおかしいのである。 なんでなのだろうか。 二人で一人の女に惚れる基本パターンはある。しかも二人はそのお互いがいて初めて生き生きする。相互に補完し合うところをしながら、ひとつの人格かのようでもある。 石松がどもると、三五郎が代わりに説明してやる。そんなところに友情でも生まれるのだろうか。今回は特に石松と三五郎の友情がクローズアップされていた。 清水の次郎長が勢力を大きくしていく様子が描かれている。そんな暗示などがあるために、物語は継続性を帯びて、次に起こる大きな事件の予感が感じられる。 事件が起こっているときの登場人物の描写を特長持って描くのは難しい。今回の立ち回りは見事ではあるけど、石松や張り子の虎造の珍事件ほどの人間らしさは感じない。 今回もおもしろくはあるのだけど、物語や事件の筋だけが立ちすぎると、印象は弱まるものかもしれない。かえって、筋が進まないほどはみ出た人物描写のほうが楽しいものだ。 そういった意味で加東大介演じる豚松のエピソードが、今回の秀逸な場面といえよう。相撲の場面で、豚松が力士に勝たなければ脚本は成り立たないと思っていたが、ああいったおもしろい演出で豚松が勝利を納めるとは思わなかった。 役者の力量もあるが、場の雰囲気と、豚松の動き、力士の余裕の様子を含めて、すべての演出がおもしろく回転したところであったと思う。

次郎長三国志3 次郎長と石松

清水の次郎長における社会学や、やくざについてはあまり興味がないので、ここでは話さない。語り口が楽しいのはなぜかというところにしか興味がないようだ。 映画の輝きというか、わくわくさせるような要素ってのは何なのかということをどうしても知りたい。 今日の映画は、石松と追分三五郎の、投櫛のお仲への恋物語が主だった。 二人が知り合ったばかりとはいえ、何だか知らない友情を結ぶ所が大きな意味があるのだろう。言ってみれば「でこぼこのコンビ」なのだ。石松は純情で馬鹿正直な小さい男。追分三五郎は美男で背の高い、いい男。この二人がいつのまにか同じ女に惚れるところが面白い。 いわゆるキャラクターの違う二人が友情を結び、離れようとしても、ついつい離れられなくなる構図は、いくつかの映画によく見られる構図だ。 その二人がいろいろなおかしな事件を起こすのがおもしろいのだな。 また、一方、次郎長たちは博打を打っているところで捕まり、牢屋に入る。 その牢屋の中で、牢名主たちの序列と横暴に反乱を起こすのだが、考えてみればこれは、力で力を制するのであって、何も民主的ではない。大義名分は、病気の男に味方した次郎長たちにあるようだし、この映画を見る人も次郎長に加担するだろうが、権力闘争にすぎないともいえる。水戸黄門に味方するようなものだ。 そんな結末自体はおもしろいものでも何でもない。 しかし、次郎長たちが牢名主たちの横暴を、黙って素直に聞きれようとしている姿がいたずらっぽくておもしろい。ひとこと「清水の次郎長だ」といえば序列が変わってしまうところを、あえて自分が下で耐え忍んでいる。水戸黄門が素性を明かさないでおとなしくしている状態と同じだ。 そんな逆転というか、観ているお客さんは知っていて、次郎長たちが知っているけど、牢名主たちが知らない事実があるということがおもしろい。その半公然の秘密が、いつばれるかいつばらすかと引き延ばしするところが、娯楽のツボをつかんでいるのだろうな。 マキノ雅弘の演出の妙味は、今回は、お仲と石松の酒場での場面によくあらわれている。みな歌で終わるではないけれど、歌を歌いながら、恋をしている石松が駆けだしていくという演出は、決定的に正しい解決の仕方で、場面の情動と、登場人物の盛り上がりと、クライマックスが、最も鋭く描かれている場面といえよう。 きっとこれ

次郎長三国志2 次郎長初旅

第2作も見ました。次郎長三国志〜次郎長初旅。 とうとう出てきましたな、森繁久彌の森の石松。まあ器用な演技だね。昨日も書いたが軽さの演技。 新東宝だったっけ、社長シリーズなどでの森繁の演技は、おもしろく軽いんだけど、単なる軽薄に見えるが、ここでは違う。しっかりと物語の芯があるからだろうか。 増川仙右衛門も出てきたな。ここでのラブシーンも、マキノ節なんだろうな。体の小気味よい動きで心理を描く。二人の距離感と押し合い、引きあい、かわしあいをよく見てみると納得できる。素晴らしい。 きっと芝居の妙味をよく知っている人なんだろうな、マキノ雅弘って。それが軽妙にできているからおもしろい。恋愛悲劇ではこれらの動きはコテコテで、くどいものかもしれない。喜劇的な輪郭があるから軽妙に見えるのだろう。 それにしても、登場人物のチームがどんどん増えていくといった構造は、どうしてこうもおもしろいのだろう。行く先々で子分が増えること。 桃太郎の話だってそうだし、七人の侍だってそう。荒野の七人もそう。ハワード・ホークスの映画もそう。 仲間が増えるといった楽しみは、なぜかわくわくするものだ。 清水の次郎長も、まだまだ子分が増えていく。田中春男の法印大五郎も仲間になったし。 また明日が楽しみ

次郎長三国志 次郎長売出す

とうとう観ました。といっても新作映画のではない。マキノ雅弘監督のほう。今までずっと機会を逃してきたのでねえ。新作のほうも時間があったら観にいこうかな。 古い「次郎長三国志」は9作シリーズの第1弾。スカパーで上映されました。 やはり虎造の声がいいねえ。啖呵がいいねえ。 虎造の「清水次郎長伝」は、何度も聞いて真似して勉強したっけな。 さすがにこの人、声だけで勝負できる人。声の演技が正確だから、体の動きが少しで済む。しかも声優の芝居でなく、声だけが浮き上がることもない。いいね。 いろいろと参考になる演出がありましたな。 湿っぽいラブシーンも、湿り過ぎている感はありつつも、役者の動きが場面を鮮やかに描いている。近づく・離れる・立つ・座る・振り向く・逸らすなどの人物の関係性を距離感と行動で演出するあたりは、マキノ雅弘の真骨頂らしいし。 そうなんです。難しいのは、微妙な距離感。電車に乗っていることひとつにも、近くの人との距離感を意識するものなのに、芝居になると、それが意識から消えてしまうのが難しいところ。役者にしても、劇作家にしても。 別役実の作品に、どうしてもつきまとう違和感は、人と人との距離が最初の段階から近すぎるということ。コミュニケーション過多なところだろうか。きっと作家の策略はあるのだろうけど。 次郎長の物語に出てくる人は、みんな魅力的な人だから、そんな個性的な人物たちが、小気味よく動きまわるところは見ていて楽しい。 桶屋の鬼吉と関東綱五郎の飲み屋でのやりとりの場面なんて、あそこまで二人がいきいきと動くは、現実にはあるにせよ、芝居で作るのは難しい。 二人のような登場人物の心が大きく揺れ動くときは、このように大きく動きまわるのが必要なのね。 ええ、とにかく、活きのいい人間が小気味よく動くのは、見ていて気持ちのいいものだ。こんな軽やかさがあふれている映画っていいね。 顔だけの心理芝居ばかり見せられるのは御免だ。体全体が顔。 また明日からの2作目の放送が楽しみだな。

日なたぼっこの季節

虫の音が毎晩響いてきて、ああ秋なんだなァと思うこの頃。 公演のあとは自転車旅行と目論んでいたが、涼しすぎるのと雨の予報と、ワークショップの予定とで、計画がつぶれてしまった。というか、諦めた。 そのかわり、今日、多摩川のサイクリングロードを疾走してきた。川沿いの土手でたたずんでいる人やバーベキューをしている人が多かった。 世界選、バッランすごかったねえ。 相変わらずの脈絡のない話の進め方です。 部屋の片づけも済んだし、やらなければいけないことはもうほとんど済んだ。だから、短いバカンスと目論んでいたわけです、さっきの話に戻るけど。 休みっていいね、バカンスっていいね。 気持にゆとりができる。 今日は長電話をしてしまった。人の話を聞くということは、おもしろいね。老若を問わず、男女を問わず、自分のことをいろいろと話したがるものだ。それを聞くこと、喜んで聞くこと。もちろん自分も何か自分のことを話すのだがね。 今後も何人かと会って、お話しをする機会をもとうとも思う。 やはり、自分一人じゃ煮詰まるものだし、自分の知らない世界のほうがより興味深いものだし。 じっくりと話し合えるって、素敵なことだな。 お互い境遇が違っても、仕事が違っても、共通するものっていっぱいあるから。 あ、それと、人から教えてもらった映画をレンタルで4本見ました。 岩井俊二監督の「花とアリス」「リリィ・シュシュ」「雪の王様」「ルナティック・ラヴ」。おもしろかったです。 何よりも人から教えてもらったというのが、一番のおもしろさかもしれない。その人がどれほどその映画が好きなのかも分かるし。 ええ、結構頑固な人ですが、こうして柔軟に人の影響を受けようとする時期もあるんですわ。 ひと仕事終わって、また外の世界を浴びて栄養をとりたいのかもしれない。 ある意味、軽薄なほど、ふわふわ浮き上がっている時期も必要なんじゃないか。顔がほてるほど、外の空気にさらされたい。 日なたぼっこの季節なんです、きっと。

玄朴と長英 終了

公演は終了いたしました。 応援くださった方、ありがとうございます。 思っていたよりも、お客さんの数が多くなりました。 役者・スタッフと、お客さんにも支えられているのだと実感できたよい週間でした。 それと、いつも、公演の終わりには、もの寂しいなにかが残るのはぼくだけかな? 一番最後にさよならを言った後に、自分一人だけになる時間。 日常の生活よりもいろいろなイメージが頭をよぎる瞬間です。 公演終わりは、いつもいつもそんな時間があるのです。 そして何気に感傷的なので、自分では気にいっているのですが、生活的には何もしないで怠惰になっている状態といえるでしょう。 なので、あらかじめそれを見越して、公演の後始末のスケジュール以外にも、仕事をいくつかいれておきました。そうでもしないと、いつまでも長期休暇をとってしまうのがぼくの悪い癖。 心地よい朝の夢の反芻と同じことでしょうな。 さて、また日常のリズムに戻るのだけど、去年の暮れより虚脱感はない。 というわけで旅に出よう。出られるかな?きっと無理だろうな。何かしらの予定が入りそうだからな。

ささやきは何になるのだ!?

いやはや、ささやきは遠音になるどころか、「ささやきは無音になる」とか、「ささやきは途絶えて」といった感じですな。ここまで放置すると、雑草が覆い尽くしそうだよ。 ええ、公演の稽古で、とういのは言い訳に近いね。 ま、でも、また紹介しておきます。 グルッポ・テアトロ公演 「玄朴と長英」 2008年9月19日〜21日 於:中板橋新生館スタジオ 料金:予約・前売2200円、当日2500円、ほかいろいろと割引がありますよ。 グルッポ・テアトロの 「玄朴と長英」特集ページ はこちら そして、 チケットご予約 はこちら ちなみに、演劇です、念のため。 また、公演のためのブログもやっていて、その記事作成もあって、こちらの「ささやき」は「風に消されて」しまっているのです、きっと。 公演ブログの更新も、実は、ゆったりとしたペースなのですけどね。 自分にムチ打って、書きましょうね。安易な休息は取らない。はい。 公演ブログ 玄朴と長英 〜愛しくも、憎らしく〜 お待ちしておりま〜す。

顔見世

まったくもって野ざらし状態ですな。 生きています。 いろいろと、ブログなり、事務作業なり、稽古なりで、こちらに手が回らない。いろいろと思うこと、考えること、憤ることあるけどなあ。 さっと登場して、すぐ帰るのもなんだから、ひと演説ぶちまけますか、なんて。 今日は、小田急線の人身事故で足止めをくらい、新宿から京王線を使って帰りました。はい、それだけ。 うむ。 こんな調子で書いていると、真面目に書けないな。 だから今日は顔見世ということで勘弁してください。

プロに敬服

いろいろな分野にプロフェッショナルがいて、そのプロがさまざまな形で仕事をしている。 人にはいろいろと個性があるので、話をしているとつまらない人や、おどおどしている人がいても、作業をさせるとぬかりのないものだ。 それはどの分野にもいえる。 コンピュータの処理に長けた人もいれば、販売に長けた人もいる。料理人はスムーズに仕事をするし、救急隊員の処置も適切だ。メッセンジャーやバイク便の道路での移動はすごいものがあるし、経理のプロもいる。映像業界の人の仕事もかなりマニアックだし、市場の競りをする人もすごい。魚屋のお兄さんなんて輝いて見える。 演劇の制作者もぬかりない。手を回すところへの気配りは常にしているし、チラシの折り込みだって速いし、きれいだ。舞台技術者の舞台への建設の仕方なんても、すべてが合理的で優れているように見える。 俳優だって、すぐに飲み込むことのできる人もいるし、何よりも演技をすることへの能動的な姿勢は素晴らしい。きっと、その能動的な姿勢が俳優の基本でもあるかのようだ。 誰に対しても、どんな仕事に対しても、ぼくは結構敬服してしまう。かといってもの怖じはしないけどね。すごいなあ、いいなあ、なんて思うから、いろいろな仕事をしてみたくなるのだね。うらやましがることにかけては、人一倍の人かもね。 さすがに今携わっている演劇の仕事にたいしては、厳しくなるけれども、敬服することはするものだ。しかも、プロの仕事を見せつけてくれる人には、何もほめないけど、結構尊敬していたりもする。 隠れたところにプロもいる。路上であいさつをかわす主婦は、コミュニケーションのプロではないかと思ってしまう。自分のことを同時に話ししていて、人の話を聞いていないかのようでいて、かなり聞いている。聖徳太子もこんな能力があったのだね。きっと、ぬかりのない奴だったのだろう。 いいなあ、と思うことがあっても、自分がまねするのには限度があるから、それを実行できるわけではない。 自分の分野のなかで、どうすればそれが職業としてのプロ主義を確立できるかを模索している。 そんな中で、やはり、さびついたものをスムーズに動かし、動かないものには動くようにし、いいものにはその軌道を確保してやりたい。 料理人が包丁をといだり、清掃するのと同じことでしょうな。

天気の話

雷がひどかった。 大粒の雨が降って、稲妻が走っていた。 そんな中、自転車でサイクリング、でもパンク。また家に帰って、パンク直して雨の中出発。サイクリングロードは雷にやられそう。恐る恐る走ったようなものだった。 大雨で雨漏りして一時閉店になった店もあるようだ。 天気といえば、天気の話というものは話の糸口になる。自分でもつい、「暑いですね」とか「ひどい雷だったですね」とか話してしまう。 客観的に聞くと、話の種がないから天気の話をしているようだが、きっとそれは違う。いわば序文として、話の序ノ口として、差し障りのないところから始めるのだろう。それがないと、円滑なやりとりができない。 いきなり本論に入る商談というものはないだろう。いきなり告白するデートも興ざめだ。 天気の話がいい潤滑油になるのだ。 その話にこだわりすぎるのも考えものだが、天気の話をしておいて、聞く側も言う側も準備が整えられるのがうれしい。 前座のようなものだな。 今日はちと友達と話しこんでしまった。 話の始め・きっかけは、そういえば天気の話だったなと思った。 別に話の種がないわけではないけど、あえて遠回りして天気の話から入るのは、案外いいことなのかもしれない。 しかも、見ず知らずの人の場合でも共有できるのが天気の話だから便利である。 明日は晴れるかな? そんな話からどれだけ人間の会話が盛り上がることであろう。 おもしろいと同時に不思議でもある。

戦争と暴力

また夏が来た。 この時期になると、テレビでも新聞でも、また舞台でも、太平洋戦争をふりかえった特番をやる。これは、大事なことではあるね。報道はニュース性の強いものだけでなく、記憶を忘却から救いだす類いの記事が必要だからね。 人間忘れやすいから。 ぼくが前にいた劇団も、この時期に戦争の演劇をやる。 ぼくは、その作者と作品が嫌いだから、見るのを逃れることのほうが多い。それ以外の集団でも、この時期は、戦争を扱った作品が多いものだ。ま、正直、あまり変わり映えしない内容なのだけどね。演劇でも、社会の責任の一端を担っているので、いい試みではある。 今日、ふと思ったことがあって、それは「暴力」のこと。政治的な暴力でなくて、ちっぽけな個人がもつ「暴力」。肉体的な暴力に至らない意味での、微妙な「暴力」。 思えば、今は夏だからか、街で出会う人ひとりひとりが自分のことにしか意識がいっていないような気がする。 「すさんだ」という言葉遣いが適当であるかのような、人間の風化。 それは、女性も、こどもも、老人も含め、一様に乱暴な姿勢が目立つのだな。 また、今の世の中は「権利社会」でもあり、「モンスター」の出現も珍しくない社会でもある。 なんだか、胸を張りすぎている人が多いような気もする。少なくとも、5年前と比べても、人間の立つ角度が1%反り返り、顎が5度上がっているであろう。「お前、後ろに歩いた方が楽だろう!」と思えるようにのけぞった男性を見かけたことがある。 戦争が、人を人と思わず、戦略と全体主義に支配されるものだとするなら、そんなものに反抗するには、意識的な人間主義の立場にたつことが必要だろう。 しかし、そんな立場に立つ人間が「乱暴」な「すさんだ」人間であったりもする。 戦争に関するあれだけの教育や報道や演劇が、一概にセンチメンタルな視点を持つことも不思議である。 結果、涙を流せば成功のような錯覚に陥るもの。 現代の人間が、また戦争に突き進んでそれを「権利」だという言い張ることがあるかもしれない。また、扇動するほうも、されるほうも、無意識に共同することもあるだろう。知らぬ間に、偏見を植え付けられることもある。 戦争を題材にするのはいいのだけど、今現在のわたしたちの「暴力」や「全体主義」も同等に問題にしないと、片手落ちのように思える。 今進みつつある

文章について

今さらながらに思うのは、正確に物を伝えるというのは難しいということだ。 正確であろうとすれば冗長であったり、手短に述べると情報が漏れていたり。 図を使って説明していたとしても、その図が曖昧であったり。 一枚の書類を渡された。それは、ある注意事項だったのだが、分かりにくい文章だった。口頭で伝えられて覚えてきたことを、改めて書面で伝えられると、さて、どちらが正しいのかな、なんて思うことになる。 注意書きが実際の現物と正確に一致していない。例えば、その券には○○が書いてあるとただし書きしてあるのに、実物にはその○○という文字は印字されていないといったように。 また、この場合はこうしてくださいというマニュアルが曖昧で、じゃあどうすればいいの?なんて思ってしまうような書き方。たとえば、この券をもらったら、本当はダメだけど「受け入れてください」といった書き方だな。「受け入れる」というのが、どういう行動をすれば正しいのかの基準にならない。 句読点や、かぎカッコひとつでも、分かりにくくなるものだ。 また、自分たちの文脈が、他人の文脈に通じるかという問題もある。業界用語なんて、その最たるものだな。 あえて含みを持たせて考えさせる場合を除いて、伝えたいのに伝わらないのはもどかしい。しかも、文章の場合、一度それを書いて公表すれば、あとで付け足すという機会がそうそうあるわけではない。 文章の書き方の本をいくつか読み、今日から、丸谷才一の「文章読本」を読み始めている。そんなときにもらった文章。理解できないところを理解したつもりにせず、また、類推もせず、分かりにくい文章を分からないと宣言するのも楽しいものだ。分かるようにするためには、どう書けばいいのかも考える。 それにしても、ものを伝えるのは難しい。ぼくなんか、誤解されるような言い回しも多用して、誤解されるがままにしておくのを楽しむほうだから、案外ぼくが真剣に説明したことも伝わっていないのかもな。そう考えると、何一つ伝わっていないのに、すべてを伝えたつもりでいる自分というものは、おかしなものだ。 また、冗談の話が本気で受け取られるのもおかしな話だな。 実直なコミュニケーションなんて絶望的に不可能なのかもな。

協力の美学

少しは暑さにも慣れてきた。 ツール・ド・フランスも終わってしまったな。これで夏が終わった感じになるのはどうしてだろうね? 自転車レースでテレビに映っている部分だけでも、さまざまな人間模様が見られて、とてもいいものだね。 人間て難しいよな。みなそれぞれプライドがあって、そんななかで協力したり反発したり。 サストレが総合優勝したけど、CSCチームの協力体制が素晴らしかったおかげだ。しかも個人個人が実力がありながら、あえてサポートに徹するというプロフェッショナルな仕事。 大きな目的に一丸になること。 実生活上、さまざまな人が目標に一丸になるということは少ない。演劇の公演の組ですら一丸になるのは滅多にない。 養成所の公演が案外おもしろいのは、そういった一丸となって協力するということが、幸福にも出来るからであろう。 たいていはみな利己的なところでとどまっている。 ひとりはみんなのために、じゃないけど、ひとりひとりが有機的に職務をまっとうしているときには、それぞれが相手のことを気遣いながら行動するものだ。相手に意識がいくことが、自意識から解放されるということだから。 演劇のバラシが、とても気持ちよく行われるのは、みな人を気遣えるいい状態になっているからだろうな。 自転車レースの、逃げのグループを追いかける集団も、意志が統一されていると驚くほど速い。 で、一丸になることというのは、案外、難しくないんじゃないかといいたいのだな。 ぼく自身をふりかえれば分かる。 意固地になって大切な目標を忘れることが何度あったことか。プライド高過ぎて頑なになってしまったことが何度あったか。 そんなときに柔らかな人の、柔らかな姿勢にどれほど救われたか、どれほど勉強になったか。 そんな人は、自分のちっぽけなプライドは全然気にもしない人だった。 大きな目的を共有することは難しくない。 呼吸を合わせて、一緒に持ち上げればいいのだから。 こちらが技術がなければ協力者がサポートし、逆に向こうに力がなければこちらが力を出すといった協力体制。 非常に利己的な人もいるけれど、常に利己的というわけでもない。意地悪になってしまうのかもな。 ぼく自身も含め、常にこれだけは言えると思う。 「協力して何事かをする人は美しい。利己的な人は醜い。」 そんな美しい光景は何度も

サイクリング

2日ぐらい前に、久しぶりに多摩川のサイクリングロードを自転車で流してきた。暑い日だったけど、気分は爽快だったな。目の前に開ける明るい景色が、とてもくっきりしていて、世界が開けるような感じがした。 今年は、例年にないくらい色白生活なので、毛穴もバアーと開いたような感覚だった。 今年は風邪もひいて、視界が近いところにしかなかったが、外の明るい世界を余裕を持って眺めると気持ちが落ち着くな。 どうやら今年の夏は時間はほとんどないけど、その合間をぬって、サイクリングに行く日が月に4、5回ありそうな予感がする。 一日空いていれば江ノ島までいけるのだけどな。 多摩川の川中に段差があって、その小さな滝のところで、高校生らしき部活動が行われていた。滝にパンチを繰り返しながら、「エイ」「オー」などと叫んでいた。精神的な訓練が今でも行われているんだね。 調布を過ぎて、多摩川の上流に向かうと、風光明媚な川の浸食風景も見られる。その地層だけ岩で、川幅も狭いためか、下流で見る多摩川とも様子が違う。 サイクリングロードの終点、きっと「あきる野」につくと、川遊びをしている人も多くなる。 今現在の暮らしがせせこましいわけではないけど、20分も出かければ視界の広がる風景が見られると思うと、とても小さい暮らししかしていないな、なんて思う。 こんなことを思う年に限って、長旅に出かけたけど、今年も行くのだろうか。そういえば長旅は、ここ3,4年行ってない。 なぜか、旅のロマンを感じて、うだるような暑さに耐えているのでした。

グルッポ・モバイル(携帯グルッポ)

久々の更新ですな。どちらへ行かれていたのかな? まず、グルッポ・テアトロのことを書いておこう。 携帯電話用のホームページを作りました 名称:グルッポ・テアトロ モバイル 愛称:グルッポ・モバイル もしくは携帯グルッポ 左記のQRコードで、バーコードを読み取ってください。 URLを手動で入力される方は http://www.gruppoteatro.net/を入力してください。ちなみに 携帯ページ もパソコンで見られますが、見づらいです。 玄朴と長英のブログ にもその情報を掲載しました。そちらのほうが詳しいな。 ホームページ にはもちろん掲載しましたよ。 携帯用のHPの売りは、ニュース配信。 ニュースなんてあるのかと、出演者に言われましたが、ニュースは作るもの。結構、ネタがあるんだな、注目してみると。 はい。今日はここまで。 しかし、ブログやって1年3か月くらいで、初めての画像の出現ですね。 絵文字も極力使わずに、文章だけの堅苦しいブログ。しかもはじめての画像が機械的なQRコードというのも、馬鹿にしてるのかと怒られそうだけど。 とりあえず、初画像!!

エネルギー

だいぶ暑さに慣れてきたところがあって、それは力をセーブすることなんだけどね。余計な所で力を入れない、怒らない。最短のコースをとる。 みんながみんな、最短のコースをとると、交通は混乱だけど、そこはうまく処理する。一歩早く行くか、一歩待つ。でも波長の合わない人もいて、ぶつかる。そしていらつく。熱くなる。これだと、エネルギーの節約にならない。 節約というと、電力や食費などの節約のことを思い浮かべる。石油の値段も上がって物価も上がり、危機的な状況だという視点で世界を見ると、いろいろな無駄や、もったいなさが目につく。いいことなのかもな。 他の人たちもそんな様子が見てとれる。過剰なサービスや無駄遣いに敏感になっている。良い傾向なんじゃないの。 サイクルロードレースのツール・ド・フランスが佳境を迎えている。スポーツなんて過剰なエネルギーの消費なんだけど、自転車のレースなんてその最たるものだな。一人で先頭を走って逃げるというのも、大いなる無駄なのかもしれない。 でも、ピレネーでのディグレゴリオの逃げは感動的だったし、いちかばちかに賭けなければならない。そのための支出はもったいないという観念はない。 エコだといって、人間の活動を制限するのは問題だという人もいる。最低限排出するものだってあるのだし。 暑い夏。いろいろなところで節約と制限はしなければいけないが、活動は活発にしなければな。 強引に、演劇の稽古の話に引っ張っていきそうだ。 公演を成功させるため、いいエネルギ−だけを使いたい。夏バテしないためにもな。 玄朴と長英ブログ グルッポ・テアトロ

ルノワール

ジャン・ルノワールの本を読んでいる。斜め読みに近いのだけど、相変わらずというか、当然というか、よいこと言ってますね、彼は。 ジャン・ルノワールの言葉や思想というのは、少しも過激でなく、どちらかというと通俗に近いものがある。人への優しさや信頼などが、確信をもって書かれているのだ。 「私は、完成した作品のことよりも一緒にそれを作った友人たちのことを思い出すのだ。いちばん鮮やかな思い出とは、スタッフやキャストの思い出である。」 「フランス人の商人と一緒にいるよりも、ヒンズー教徒の大道具係やキャメラマンと一緒にいるほうがくつろげる。同業者以外の人達と一緒にいると、死ぬほど退屈してしまう。」(ともに『ジャン・ルノワール エッセイ集』(野崎歓 訳) 多くの人が感じていても、それを口に出して、しかも宣言までするのをためらうような言葉。私は人間が好きなんだ、友達が好きなんだ、という、ごく単純な言葉。こんな言葉は簡単には出ないだろうし、ルノワールほど鮮やかにあっけらかんとそれを語るのは並大抵じゃない。通俗が通俗に聞こえない。 ひどく単純な思想にはとても複雑な変遷の過程があるという。誰にでも分かりやすいマニュアルや説明書は、作るのがとても難しいともいう。 単純に思えることばも、それを明快・簡潔に語るのは難しい。 ジャン・ルノワールの文章を読んでいると、ところどころにそんな宝石が見つかる。とても素敵な体験だ。 分かりやすいこと、簡潔で明快なこと、単純に思える思想は、目指してはいるが難しいことなのだ。

体全体が顔

モンテーニュはこう言ったらしい。 「ある乞食が、冬のさなかにシャツ一枚しか身につけず、それでいて耳までテンの毛皮にくるまっている者と同じくらい溌剌としているので、どうやったらそんなふうに我慢できるのかと尋ねてみたところ、その乞食はこう答えた――「でもね、旦那だって顔は外にむき出しでしょう。俺は体全体が顔なのだ」(R・ブレッソン『シネマトグラフ』から) ブレッソンは、映画と演技についての考察のひとつでこれを引用した。 体全体が顔ね。そのとおりだね。 おそらく、ブレッソンの意図としては、観念だけや顔だけの演技は、それは人間でない、人間は顔に表情が表れるときに、体全体でその表情を作っているのだと言いたいのだと思う。 ぼくは、販売の仕事は、結構うつむいてやることが多く、それは今日みたいに忙しい日は、そうするのが一番効率がよい。うつむいていても、お客さんの体の動きを敏感に察知するから、お客さんが何をしたいのかは、たいていは分かる。 そんなふうに、体の動きを主に見て行くと、人間っておもしろいななんて思う。だからといって顔を見ても、顔の表情はそんなに豊かなものではない。体にあらわれるぶんだけ、顔の表情は結構無表情だったりする。 お客さんは、たいてい急いでいるのか、自分のお金を支払うと次の行動に移る。早くお釣りを出せと言わんばかりだ。もう一歩も二歩も進みかけている人が多い。体は半身になってお釣りだけをもらう。もしくは、買った新聞を、お釣りをもらう間に読み始める人もいる。 反対に、こちらがお釣りを払ったのだから、早く目の前から去ってほしいのに、なぜかとてもゆったりしている人がいる。その人は、とてもテンポが遅いし、体はまだ売り場の方に未練があるのが見てとれる。 お金を払うのに、財布のなかから取り出すのに手間取って、次に並んでいる人を気に掛ける人もいる。そういう人は意識が後方に行っていて、体の表情は目が後ろにあるかのようだ。 電車に乗っていても、自転車で車の動きを見ていてもそれが分かる。車の場合は、車自体が顔なのだ。車が表情を持っている。 俳優の演技をいくつか見ていて良く分かるのは、演技し始めの俳優やタレントや芸人ほど顔の表情を作ることに熱心になるのだ。 かえってベテランの俳優さんほど無表情であることが多い。勘で分かるのかもな。 顔の表情すべてが悪い

と・も・だ・ち

一日一日が過ぎて行く。当然のことだが。 風邪をひいてから完全には回復していなくて、万全というわけではない。 身の回りのことも、劇的ではないが、微妙に変化してきている。いい兆候かもしれない。 忙しい日々も徐々にやってきて、その忙しさが快感なのかもしれない。 意識もいろいろなところに拡散していて、その慌ただしさが良かったりする。 睡眠時間も徐々に規則的になってきている。 なんだろうな。 ひとりの人間が分からなくなるときがある。普段から会っている人もそうだし、一年に一度しか会わない人もそうだし。その人と自分がどんな関係なのかななんて考えたりする。 三年に一度しか会わなくても、気持ちよく会える人もいる。毎日顔を合わせていても、微妙な距離感を保って接する人もいる。深く話し合えばそれが解消するかというとそうでもない。かえって、何だこの感覚は!と思うほど、すんなり打ち解けられる人もいる。 人を分かろうとする努力をどこまですればいいのか、なんても考える。結構ぼくなんかは、分かろうとしないように見えるらしいし、実際、付き合いがうんざりするときもある。話し合えば分かるというのでもない。話の表面に出てくる浅薄な言動なんていくら交わしても深く知ることにはならない。 あえ距離を取りながら、深くその人を尊敬するということもある。距離が近くなって、おもしろくないところを見たくはないのだ。 友達っておもしろいね。 あと2年も過ぎれば、今の混沌も整理されて、人を少しは深く知ることができる。そのかわり、また新たな混沌がやって来るのだろうが。 玄朴と長英。ふたりは、実際は取り立てて仲の良い人ではなかったらしい。その接点も見出しにくいのかもしれない。 しかし、いざ二人を同じ土俵に乗せてみると、おもしろい対比とともに、共通するものが見いだせる。人生への確固たる指標だ。 玄朴と長英の稽古も続けながらいろいろ考えた。それは俳優をやっていたときからそうだった。自分が今取り組んでいる戯曲の主要なテーマや出来事が、自分の人生を考えるいい契機になっているなと。つまり、自分が取り組んでいる戯曲に、少しではあるかもしれないけど、影響されているのだなと。 そんな影響というものがなければつまらないよな。同じように、お客さんも、観に来た演劇にそれを求めているのかもしれないと思うと、うか

クレーム

バイト先で、接客クレームの件で上司からお咎めを受けた。先週のお客さんがお客さま相談室に問い合わせしたのでしょう。はっきりと覚えているので、謝ったけどね。謝るのは下手ではない。しかも気持ちよく謝るのをモットーとしているところがあって、爽やかに、高原にそよ風が吹くように謝るのが好きだ。 だから、あんまり怒られはしないのだよ。時間的にも短く、事の重大性も軽くする。お咎めを受ける側が深刻になると、お咎めする側もきつく叱らなければいけない。受ける側が軽く爽やかにすると、叱る側も気が軽くなるものだ。お互いにとって良いことだ。 ときには「反省していない」などと、かえってきつく叱る人もいるが、反省はしているんだ。反省を重くすることが嫌いなだけだ。 何度かこんなことしている。するたびに反省はするけど、現場ではつい我慢できないのだな。 はっきりと覚えている。商品を袋に入れず、レシートを渡さなかった罪だ。たいていのお客さんが、どちらも要求しないし、品物的に袋に入れる必要のないものと判断した。勝手に判断するなというのは会社的な立場だろう。それも分かる。でもレジ袋の濫用もよくない。たいていのお客さんはきちんとそれを理解している。誰もが理解するのじゃないものなのだな。 袋が欲しければ「袋に入れて」と頼めば済むもの。それで気持ちよくやりとりできるのだが、この「袋に入れて」という言葉をかけないで、袋に入れてもらうまでずっと待っているお客さんがいる。こちらも何かを察して袋を用意するのだが、忙しくほかのお客さんに意識が行っているときは言われるまで放っておく。するとお客さんも黙っている。それが我慢ならないのだな。何か無性に腹立つ。「何で袋に入れないの」などと高飛車な態度に出られるとカチンとくる。 どうして「袋に入れて」とひとこと言えないの? というか、言葉のやりとりで人に物を頼むというのが、結構、現代の人間に共通して弱くなっている気がする。「早くしろよ」とせかされるのも腹立つが、そういった竹を割ったような性格は分かりやすい。 しかし、相手が何を考えているかが分からないときほど、不気味なものはないだろう。「キレやすい」などといった問題も、そういったコミュニケーション不全が原因でもある。 物を頼むということは、お願いすることで人を動かすものなので、それなりのコミュニケーションとな

歴史探訪

暑い… ふう… そんななか、グルッポ・テアトロの「玄朴と長英ツアー」として、東京都心を練り歩いた。宮川知久さんと栗栖正二さんと三人で。 前の「お夏清十郎」のときも姫路に旅行したが、今回は舞台が江戸ということで、東京に見るべきところがあるので東京都心を見て回った。この暑さから、姫路に行った時を思い出した。あれは8月10日くらいだったかな。暑い中歩くことが必要らしいな。 詳しくは 公演ブログ に書いておきました。ご覧ください。 前に、あるプロデューサーに研究旅行の話をしたら、「じゃあ、竹取物語をやるときは、月まで行くの?」なんて嫌味を言われたが、きっと暑い中、月まで行くんだろうな、わたしたちは。行ってやる。というか、まったくの創作芝居でない限り、実地調査はするべきだろうな。芝居をつくるのに、即席で作っているわけじゃないのだから、取材は必要なわけだ。取材しない記者なんて聞いたことないだろ。 真山青果が綿密に史実を調べ上げ書いた戯曲「玄朴と長英」を、芝居の範囲だけで処理するのは作家に失礼。最善を尽くすのにさまざまな方法を使うのは、戯曲を上演させてもらう人の良心でしょ。どんな忙しくても取材をする、作家や演出者や俳優などを、ぼくは尊敬する。作品にそれが表れるから不思議だ。 それにしても暑かった。秋葉原や表参道など、人通りの多いところも汗だくになりながら練り歩いた。疲れました。でも楽しかったな。 いくつかのいいヒントも発見したし。よしよし。

アタック

今日は蒸し暑いなか稽古に出かけた。 あっ、そういえば、稽古もう始まった。 玄朴と長英 (ホームページ) 玄朴と長英〜愛しくも、憎らしく〜 (ブログ) 稽古のやり方も、毎回趣向を変えてやっているのだけど、おもしろいね。いろいろなことが分かってくる。 出演者のひとりと、稽古方法のことですれ違いがあって、議論になった。 前回の「お夏清十郎」も、こんな感じで反発を受けた。理解してもらえていると思っていた人からも反発を受けたし。それは仕方ないことだ。いろいろなところで演技をしている人がいて、いろいろな方法論があるのだから。 しかし、確信犯だから、方法を変えはしない。そこらへんが頑固。でも、一番必要なのは、お客さんが見て、納得できるような人間らしい演技なわけで、役者の機嫌をとることではない。強引過ぎるとは思わないのだが、摩擦を生じさせることにかけては、ぼくは達者なようだ。 でも、結構、こちらもへこむもんなのだな。無傷で平気なわけではない。 方法が変わりすぎているわけでもないのにな… 説明が下手なのだろうか。人望がないのだろうか。 嫌われることも多いから、そうに違いない! サッカーの欧州選手権も見て思ったが、スペインの優勝だけでなく、戦術面つまりは訓練の仕方というのが、少し前とだいぶ変わったな。ああ、こうして進歩していくのだな。日本のサッカーも進歩している。 自転車のサイクルロードレース。これも、本質は変わりないにせよ、戦術やチームの国籍編成がだいぶ様変わりした。多国籍になり、多様な価値観の共存が求められる。 世界の演劇シーンも変わっている。テーマの扱い方がより先鋭的になってきた。50年前のシュイクスピア上演と、今のとでは、今の方が切り口は鋭い。おもしろいかどうかは、さまざまだが。 ぼくもできる限りの進歩はしたいと願っている。現代性をつかみたいから。そのために少し強引でも、最良と思える方法で進行してもいいんじゃないか。まだまだ未熟なのは知っているけど、安全な位置を取って、守りの演劇はしたくない。スペインのサッカーも、自転車ロードレースのセッラも、世界の演劇も、攻撃を仕掛けているのだから。 自滅する時は自滅する。それは能力に乏しいか、努力が足りないんだろう。攻撃しなければ勝てない、だから飛びだす。 こんなことを言って、自分を慰めているの

お夏清十郎のDVD

体調が復調してきた。ここ2週間、風邪をひいてからずっと、マイナスの部分をうろうろしていたみたいだが、昨日からは、ゼロのあたりをうろうろしているようだ。普段の快調な生活を+5とすると、ゼロに近づいただけよしとしなければならぬ。よし! 昨日、「お夏清十郎」の公演のDVDを観た。あと少し編集してもらって、はじめて公開して、販売できそう。よかった。 久しぶりに観る「お夏清十郎」も良かった。そりゃ、もちろん、?と思うところもあるが、おおむね良いんじゃないかしら。俳優さんみんな生き生きしているし。あ、あんなこともしてたんだね、って。 ぼくは、忘れやすいというか、無頓着なところがあるから、少し前の公演を作る過程でどんなことがあったか、あえておぼえておこうとしないので、改めてDVDを見ると、わくわくするところが多い。しかも、もちろんだが、全員友達が出ているわけだ、興味は尽きることがない。 批判的な目で見てもらうのは、これから公開するとき。そのときは、どんな意見も参考にしなければな。 まったく自分の中だけでしかないけど、人脈っていいな、なんて思う。人にどう思われているかは知らないが、知りあって、何かしら一緒の道を歩んだ人には、特別な思いはある。つねにそんなことを考えているわけではないけど、ふとした時に夢に出てくる人もいておもしろい。あえて人脈を広げようともしていないし、そんな友達関係では、憎まれることや、不快感を与えることも多いけど、ぼくのなかではこんなふうに思っているわけだ。 明日から、「玄朴と長英」の稽古も始まる。かなりこじんまりとしたカンパニーにはなるが、戯曲の性質上仕方ない。小さい分だけ、小回りが利くのが利点で、実験的ないろいろな手法を試すこともできる。また、それに応えてくれる俳優も素敵だ。 公演ブログは こちら グルッポのホームページは こちら 最近、体調はよくなったにもかかわらず、睡眠の時間が不規則になって直らない。早めに眠ることができることを祈って、今日はここで終わる。

玄朴と長英〜愛しくも、憎らしく〜

「いつのまにこんなになっていたか…」 ふと、こんな思いになるときがある。 おそらく、誕生日や自分の歳を振り返るときが一番こんな思いになるであろう。 自分の部屋にたまった塵や本やCDなどもそうであろうか。 自分の履歴書を書く時の経歴の多さもそれであろう。 今回、ぼくがこんな気持になったのは、このブログを含めて、5年前には触ることさえためらわれたパソコンを使っての用事が多くなったことである。 知っている人にとっては自明だが、ぼくは精密機械を操るような柄ではなかったのだ。しかも、意地を張って、触ろうともしなかったし。 携帯も前は持たなくても不便でなかったため、持っていなかった。 それが今では… 携帯は、なくてもそれほど不便を感じないが、パソコンは自分が運営するHPやらブログやらで、なければ話にならないほどになってきた。 これは、必要から迫られたことが、必要不可欠にまでなったことの、ひとつの過程でもある。 グルッポ・テアトロのためがほとんどではあるが、今では、PCで仕事もするようになったのだから。 で、振り返ってみたわけである。 このブログだろ。 グルッポ・テアトロのホームページだろ。 『お夏清十郎』のブログだろ。 mixiだろ。 それと、陰でこそこそ書いて、今は放置状態の、誰にも知らせていない、シナリオのブログだろ。 作成途中で、性質上完成しなければ告知しない、グルッポ・テアトロの携帯ホームページだろ。 演劇のサイトに登録して、記事を投稿したこともあったっけな。 で、今度追加されたのが、『玄朴と長英』の公演ブログ。 それの紹介をしますわ。 玄朴と長英〜愛しくも、憎らしく〜  (公演のブログです。) ふう。挙げてみるときりがない。 いつから、こんな子になったの…? いいんです。 どんなに悪に(?)手を染めても、染まりきらないから。 このネットでのいろいろな手法なども徐々におぼえてきているし。 でも、もともとが細密なネット構造に疎い人間だから、自分流の使いかたをしているにすぎないけどな。 あ、それと、 玄朴と長英〜愛しくも、憎らしく〜 は、玄朴と長英の公演の稽古などについて書いていきます。 この、「ささやきは遠音となって」はまったく私的なささやきというスタンスを貫き(?)、稽古場での愚痴でも書いてや

ナイーブな安楽椅子

何も刺激のない生活というものは、味気ないものだ。生活というその言葉は、外界から多くの刺激を受けるということを指すのだろうか。それはどんな刺激でもいい、近所の人とのあいさつでも、会社の同僚でも、もしくは人でなくてもいいかもしれない。ペットと1日をともにしたり。または、刺激は書物などでもいいかもしれない、テレビでもいいかも、とにかく自分とはまったく別の要素からの刺激。 刺激の少ない生活ほど印象にも残らないものだ。多すぎても残らないが…。 しかし、自分の体調の機嫌を取りながら、そればかりを気に掛ける、昨日・今日の風邪をひいた生活はつまらないものだ。生きた人間とのやりとりも、ほんの少しだけだし、何よりも、体調を保つことだけに気を集中しなければいけないのがつらい。こんな日は、自分が何をして過ごしたのかさえ確かなものではない。 非常にナイーブなことを考えるのもこんな日の特徴で、自分のしていること、しようとしていること、自分の存在に不安をおぼえてしまう。あんなことして、何の意味があるのだろうなんて。 こんな状態にとどまっていないようにしなければ。案外楽な発想方法なんだと思う、自分を責めるのって。そんな考えで悲観的になっていれば、世の中のことを全部説明がつけるような錯覚を起こす。何ひとつ現実のことと接触していないにもかかわらず、形而上的に整理整頓できると勘違いしてしまうのは、人間だれしも起こることだ。思い切って行動したことが、そんな形而上的な迷いごとを振り切ってくれるはずだ。 人間関係も希薄になった今日この頃、という表現をみかけるが、確かにその要素はあるだろう。以前のような、べったりの付き合いを逃れたり、煩わしいことを軽くすましてしまう傾向は確かに世の中にある。おそらく、自己を保全しているのだろうが、そのぶん外界からの刺激も遮断される。ヘッドホンの中だけで過ごす人に加え、最近では携帯画面との間でしかコミュニケーションしていない人が多くなってきている。駅を歩いていても、携帯の画面にしか注意を払えない人。 コミュニケーションの方法が変わってきているなかで、どうしても局所的に、専門的にしか接触できないとすると、やはり、先に言った「ナイーブな考え」というものが頭をもたげてくるのだとは思う。テレビとしか接触しない人、携帯としか接触しない人、ペットとしか接触しない人が、そ

うなされる夢

風邪を引いてしまった。久しぶりの感覚だ。 腰などの関節が痛くなるし、頭がぼうっとしてくるし、すぐ眠くなるし、喉が痛いし。何度か小分けにして眠ったら、徐々に回復してきて、そんな感覚も久しぶりで、なんだか新鮮な気持ちになった。 風邪をひいたときに見る夢で覚えているのは、得体の知れないものが次々と大きくなって迫ってくる夢で、熱が高ければ高いほどそんな夢を見たっけな。 今回見た夢は、はっきり覚えてはいないが、非常に細かい規則を守らなければいけないとかいうもので、強迫観念になっていた。 風邪をひいて熱を出したときはうなされるものだが、うなされるというのは、このような形で、迫ってくるものと格闘していることなのだろう。 舞台の公演中の夢というのも、そういった強迫観念で、ぼくの場合、舞台の上というよりも、裏のほうをどうするかということに迫られていた気がする。ここで舞台に出なくてはとか、ここで装置を転換しなければといったこと。舞台裏の処理の方が演技よりも、重圧になっていたのだろう。 一時期夢など見ないか、覚えていないかの時期があったが、そんなときは重圧がなかったのだろうか。そんな人生というのも味気ないな。いくら自分がうなされる夢でも、夢を見るということに快感というものはある。朝起きて、見た夢を反芻するなんて時間がとても貴重に思えてくる。 まだ風邪は治りきってはいないが、だいぶ良くなった。今日これから眠るのだが、昨日みたいにうなされるのかが楽しみではある。 そんなものを楽しみにするより、早く風邪を直しなさい。

『玄朴と長英』の音楽

『玄朴と長英』の公演のための打ち合わせをしてきた。音楽作曲を担当する若柳吉三郎さんとの最初の打ち合わせだった。吉三郎さんとは、『お夏清十郎』のときに初めて仕事をしたわけで、今回で2回目となる。 思えばぼくも幸せだ。公演の度に、というよりも、作品の度に、そこに内在する音楽を作曲してもらえるのだから。もともと、出来あいの曲にはその制作過程があり、それぞれの曲には曲自体の個性がある。だから、どんなに雰囲気が戯曲とあっていようが、楽曲は楽曲なりの世界を持っている。松任谷由美の曲が戯曲にふさわしくても、バッハのピアノ曲がふさわしくても、ワーグナーのタンホイザーがふさわしくても、似通っているというだけで、戯曲そのものの楽曲とは言えない。 黒澤明がビゼーの有名曲を作曲家に提示しても、その曲そのものを映画に使いたいのではなく、作曲家から音楽を引き出したいのだ。 出来あいの曲が演劇にふさわしいことはある。でも、作曲家が公演ごとに戯曲と向き合い、作曲するというのが、一番良いことであることは変わらない。そういった意味でぼくが、またしても、作曲家と『玄朴と長英』のための音楽を紡ぎだせるというのは、幸せにほかならないのだ。 2度目とあって、最初に仕事をしたときとは違って、一歩も二歩も進んだところからスタートをきれたのが嬉しい。チームを作るというメリットはこういうところにあるのね。初期段階の細々とした誤解や不理解というものを飛び越えて、より創造的な段階に近いところから始められる。共同作業の良さである。 また、吉三郎さんも、ぼくも進化しているように思えた。意見や戯曲の印象も一致する点が多く、何かが生まれやすい土壌づくりができたと自負している。思えば、『お夏清十郎』のときは、コミュニケーションも苦労した。共通言語を持っていなかったためだ。今回は違う。前の仕事がお互いの認識にある。これはやりやすい。また、仕事はじめとしてはかなり刺激し合えたとも思っている。 『お夏清十郎』の曲も素晴らしかった。少なくともぼくは愛している。『玄朴と長英』の曲もそういったものにしたい。 こんな仕事を続けていきたいと思っている。 若柳吉三郎さんは、ジプシーギターで数々のライブもやっている。そんな達者な、そして、かなり洞察力にも優れた音楽家に胸を借りられることを誇りとしたい。 リンクを貼ってお

人間の演劇

劇映画において、風景や空のショットがあまり意味を持たないのは、多くの人がいうことだが、戯曲においても同じようなことが言えると、ぼくは思うんだな。 どうしても興味がわかない劇作家がいる。おもしろくない。その作家は自分でおもしろいと思っているから書いているのだろうが、ぼくにはおもしろく思えない。その劇作家が、人間に対してあまり興味を持っていないように思えるからだ。 何を書いても、そこに人間が描かれていればそれなりのおもしろさはある。しかし、一部の作家は、自分の文体にしか興味がなかったり、ささいなギャグにしか興味がないように思える。描かれているものが人間でなく、技術であったり、言葉の綾だったり。構成の上手下手でなく、見たいものを見せてくれない、知りたいことを知らせてくれない。 そんな劇作家こそプライドが高かったりもする。 う〜ん。作家の立場というものだろうか、作家がどこに立って、どれを見て、それをどのように見せてくれるかが大事ではある。しかし、それ以上に大事なのは人間を描くという立場に立つということではないか? ハリウッド映画の多くはマンネリで退屈だったりするけど、人間を描くという立場は守られている。多くの脚本家の参加するシステムでは、普遍的な人間ドラマというものが共通項なのかもしれない。 多くの劇作家だって、そんな人間ドラマを見せてくれるのだが、どうしても一部の劇作家にはついていけない。ギャップというより、完全な別枠といった感じで、理解しようとする気も起らない。 どこの世界のことを書いているのやら…そして、それは、今を生きるぼくたちに何の関係も刺激ももたらさない。そんな戯曲を書き続けるだけの執筆人生は、はたしてよいものか?後世をあてにする?いやいや、時間が経とうが、人間が描かれていなければ振り返られることもあるまい。 アルタミラの壁画や、ローマのモザイク画だって、みんな人間が描かれているから後世の人が興味を持つのだ。 風景画や絵画や舞台装置を観に劇場に来る人は少数だろう。みんな人間を観にきたいのだと思う。そこにドラマはあってもなくてもいいのかもしれない。反ドラマ演劇というものもあるだろう。しかし、反人間の演劇は果たして興味をそそるものかどうか。

耳を傾けて

調べものをして文章を書く日が続いている。自分の知らないことばかりなのに、なぜかよく知っているかのように書くので、ときどきこそばゆいこともある。 それにしても、調べものをするというのは楽しいことだね。自分がまだまだ知らないことがあり、それに謙虚に取り組めるから。 外壁のことやら、巫女のことやら、塾のことやら… そういえば、ふと思いだしたのだけど、大学を卒業するときに恩師から、「君は大学院に入って研究するべきだ」と言われたな。研究の地道な努力と、積み重ねの大切さを教わった。卒業後の身の処し方が決まっていたので先生の助言には従えなかったけど。でも、今にして思うと、調べるというのも案外楽しいものだな。 今日は4回目の制作セミナーに行ってきた。ビデオを見たり、裏話を聞きながら、なんとかぼくも大きな公演を成し遂げたいと思ったな。やはり楽しんで仕事なり作業なりに取り組めるというのは素晴らしいことなのだな。 素晴らしいといえば、その制作セミナーの開催元である世田谷パブリックシアターもそうだな。正直、最近の演目は芸術監督の色と折り合いがつかなくて、ぼくは好きじゃないのだが、さまざまな取り組みには感心することが多い。 公共劇場ということもあるだろう。情報開示と積極的な社会活動は学ぶべきことが多い。その先頭を走っている劇場のひとつで応援していきたいし、ぼくもこれから何かをしたい。 今日は、講師の話に耳を傾け、家では調べものをして未知の知識に耳を傾ける。なかなか刺激的な生活ではある。車の騒音のなかで過ごしていたひと昔前とはまったく違った環境で、それなりに適応しているということか。 やるべき課題を大方済ませ、気分的にも楽なので、希望に満ち溢れた気分の夜でした。終わり。

権利とサービス

ここ最近話題になっている「モンスター」。「モンスター・ペアレント」や「モンスター・ハズバンド」。おそらく、市民意識の高まりが悪い方向に影響している一例だと思う。 たしかに、いろいろな権利を主張することや、また、公共機関でさえもサービスの要素はあることが、市民のなかに意識としてのぼっているのは進歩。警察官なんか特に最近丁重な態度をとっている。 しかし、それが転化して、暴力的に権利を主張するのはいかがなことであろう。 図書館のサービスや、教育のサービスだけでなく、民間のサービスにしても、過剰なサービスを期待するのは、さまざまな余剰の害をまき散らす。至れり尽くせりの過剰なサービスを施すのが期待された時代は過ぎたし、受ける側もそれを期待することはなくなった。 しかし、小さな部分、今までサービスという概念のなかった分野にサービスを求めるのを当然と思ってしまうのが、こうした「モンスター」の現れになるのだろうか。 一度そういった権利やサービスを受け取ってしまうと、それがどの分野でも、どの機会にも必要に思えてくるのは仕方がないことではある。セルフサービスのファーストフード店で、そういったサービスを期待するようなものだ。全自動洗濯機を使った後では、段階式の洗濯機を使うのに不満をもらすようなものだ。その足りない部分をなんとかしてほしい、お客なんだからサービスを受けて当然だという意識。あながち間違いではなく、社会がそれだけ細かいところにまで意識が浸透してきている、というふうに考えると、進歩ではある。 要は、その権利がはたしてその場所、その分野、その機会では、主張することが正しいのかを考えずに、やみくもに権利を暴力的に要求することなのだ。 例えば、主婦の自転車三人乗りも話題になっているが、三人乗りを禁止するなという主張はまっとうだと思う。そこに異存はない。が、三人乗りであったり、こども連れの自転車が、歩道をわがもの顔で歩行者を除けていくという光景によく出会うが、それはどうなのだろう。たとえ三人乗りで幼児を連れて大変な運転であろうが、その場その機会に照らして、どこまでそんな運転をわがままでないと言い切れるだろうか。 「モンスター・ハズバンド」の場合には、おそらく夫は初めて出産に立ち会うという状態において、自分が混乱せず優位に立てるように、自分の知っている権利やサービ

まとまりのない話

今日は何だか、とても気分がよかったのだか、自分から人に話しかけた。ま、普段から人に話しかけないわけではないが、嫌な人と一緒だと自分の世界に入ってしまうので。競輪新聞が入って来るのを待っているお客さんと、世間話みたいなこともしてしまった。自分に気負いがないからだろうか、お客さん相手なのにタメ口でばんばん話してしまうし、それを自然にしてしまうし。なんだか、今日は、口と言葉の周りにオイルを塗っているかのようだった。 電車の中では、台本に赤線を入れる作業に没頭してしまい、これもまた滑らかになんの障害もなく済んだ。 電車の中や駅の構内で、意識や視線を遠くへ向けると、こんなふうに小さなデコボコが気にならず、悠長に物事を見られる。隣でわさわさ動いている人も、混んだ電車の中でしきりに頭を揺らす人も、傘を振り回しながら歩く非常識な人も、みんな気にならなくなる。意識が小さいところ、近いところに無いからだと思う。 いわば科学者のような目でもって物事を見渡せるようになると、気分的にも楽になる。日常のささいな、煩わしいことを無視できるから。 こんな日が明日も来るかどうかは分からない。しかし、来ればいいなと思う。しかし、気温が暑すぎたり、寒すぎたりで、すぐに自分一人に意識がいってしまうのがぼくの悪い点だ。こんな日が続くかどうか。 ま、ここ最近は、自分から動かなければ成立しない生活になってきているから、落ち着いて行動できているのだと思う。誰かが何かをやってくれていたときは、ただただ動かされるままだったのだが、自分から動くには自分がしっかりしていないとダメだから、当然なんだけどね。順応というやつかな。適応かな。 よりいっそう、生活するための方法を見つけ出さなければならないし、生き方を学んでいかなければならない。 でも、話の脈絡はないけど、どうしてぼくの場合、本能的に、今僕が従事している世界や集団や業界を嫌っているのだろうか?嫌いというより距離を取りたがる。 フランスにいたとき、何か月もフランスが大嫌いだった。 演劇の業界人って、実はあんまり好きじゃないのかもとも思っている。 バイト先や会社の文句をいうのはお手のものだし。 混乱を恐れているのかもしれない。惑わさないでくれ、近寄らないでくれ。そういえばこの前のワークショップで、キャリアのある俳優さんが言っていたな。「

危機感をもって立ち上がれ

久しぶりにJリーグの試合を見て、技術や戦術などが徐々に発達しているな、なんて感じたものだ。Jリーグ以前の日本リーグ時代は、もっと肉弾戦的な要素があって、前に大きく蹴る、放りこむといった印象が残っている。危機感をもってJリーグを作り、システム作りをして、今や、ワールドカップは行くことが当たり前のように要求されるようなレベルになった。もちろん、世界のトップクラスと較べるとまだまだだとは思うが、過去との比較という観点で眺めると進歩している。 自転車レースでも同じような進歩があるみたいだ。過去にも日本選手が世界のレースに参加することはあっても、現在のように平均的レベルで、世界に近づいていたわけではない。 スポーツと比較するのがいいのかは分からないが、演劇や映画における俳優の演技というのは、いつになったら客観的基準や方法論に即して近代化するのであろうかと思うことがある。 トップクラスと呼ばれる俳優の演技をも、見ていられないくらいの失望を味わうことがあるのはどうしてだろう。駆け出しの人気俳優でなく、ベテランの俳優の演技に嘘くさいものを感じることがあるのだ。真実味がないというか。 すべての映画監督がいい映画を作るわけではないし、すべての演劇のカンパニーがいいまとまりを見せるわけでもない。すべてのベテラン俳優が常に最高の演技を見せるとも限らない。 肝心なのは質の問題で、演技に虚偽を感じてしまう。その嘘くささを俳優が喜々として演じて、またその演技を無批判に賞賛されることに、どうも、進歩というものがはたしてこの分野ではあるのかどうか疑問に思ってくる。 最近またブレイクし始めている、ある壮年の俳優の演技も、確かにひとつの性格的な演技で見ごたえもあるのだが、何かが足りない。それなりの努力も苦労もしているようなのだが、役が人間に見えないのだな。歌舞伎の役のように、型を見せられているような気がする。スターだから千変万化とはいかない事情はあるのだろうが、役所広司などのように、役の人間味を充分に見せてくれるわけではない。言って見れば、役の体温が感じられず、頭で作った役の性格をうまく演じているようにしか思えない。 こんな例が頻繁にあるとなると、演技の質についての批評性をもった基準というのが、この分野にはたしてあるのだろうかと不安になってくる。そういった基準がなく、監督や演出家や

世界の開化

15年ぶりになるだろうか、夏目漱石の「私の個人主義」を再読してみた。一読して思ったのは、内容が講演のためでもあろうが、非常に論理的で分かりやすい文章だということ。話に淀みもないし、比喩の対象も効果も明晰だし、何より簡潔な言葉を使って学生に話しかけている。そして話者である漱石の一番伝えたいことが明確で、漱石の精神・思想がうかがえるような内容になっている。ここまで論旨が明快な文章というのはなかなか見かけるものではない。 講演は聴衆が理解して初めて意味をもつ。漱石の好きな落語もそうだ。演劇も例外ではない。これらに共通するのは、その場にいる聴衆・お客さんに分かってもらうことが第一の基本にあることであろうか。後世に誰かが理解してくれようといった悠長な考えではいけないこと。 分かってもらうこと、こちらの考え・計画を理解してもらうことは、とても難しい。だいたいにして、自分がほかの人のことばの意味を受け取り、理解しているとは、必ずしもいえないのだから。聞き流すことのほうが多いだろうか。好意を持っている人のことばは、過剰に聞き入れようとしてかえって本意を理解しているとはいえない。家族などの身近な人のことばなんて、半分以上は聞き流しても想像がつく。 漱石のこの本を再読した後の感想は、何だか目の前の世界が開けたような気がしたのだが、人の言うこと・考え・意志をはっきりと理解できたときは、いつもこんな感想を持つな。つまり、明快に理解するということは、世界を開くことなのだろうか。逆な立場で言うと、世界を開かせるために、ことばを使い分かってもらおうとする。講演の講師も、落語家も、芸能の実演者も。 小難しい数式を解いたときもそんな「開化」を感じた。今まで苦闘していた俳優がいきなり変身し「開化」することが稽古の過程ではよくある。賞味1時間の漱石の講演で、自分の人生の一歩を踏み出した人間がいるであろう。そういった講演とは種類は違うが、演劇の公演だってひとりの人生を「開化」させるのに事足りないことなんてない。 願わくば多くの人を「開化」させたいと思い、練りに練り、簡潔であること、明快であること、率直なものであること、親しみやすいものにすることを心掛ける演劇も悪くはあるまい。単に娯楽でなく、もっと社会性を帯びたものが、もともとの演劇に必要とされていたものであるから。

とりとめもなく、まとめもなく・・・

金曜日の夜の電車は混んでいていやだ。また、酒に酔ッた人が大きい態度をしているので、とても殺伐とした光景になる。自分も酔っていれば、そんなの気にならないのだろうが、こちらは早く静かに帰りたいものだから嫌になる。まあ、酔った人はそれほど意地悪ではないから、扱い方・接し方次第で、どうにかなるんだけどね。 今日のお昼に自宅に珍しくそよ風が入ってきて、それがとても心地よく、なんだかノスタルジーを感じてしまい、東京を離れて高原にでも行きたいななんて、考えてしまった。考えるだけで実行には移せないのだけどね。 別に人間が嫌なわけじゃないけど、この時期、どうしてかいい人間だけとしか付き合いたくない気分なんだな。だから、大多数の得体の知れない通行人なんて無視してしまう。酔っぱらいなんて存在も消したいくらいだ。いろいろな人がいるなかで、あえて人の嫌な面を見たくないというのが実情か。良い面だけしか見たくない。だからだろうかね、高原に行きたいなんて、ふと思いついたのも。 そりゃ、人間いいとこばかりでなく、悪いところのほうが表面にあらわれやすく、指摘しやすい。あえて、その悪い面、平凡な面を見ないで、いいところを見ようと試みるのは間違ってはいないだろうか?というよりも、いい面しかみることができない状態に近いな。悪いところは完全無視。無意識に無視。 自分をふりかえると、ぼくは良いとこなんてあるのだろうかね?人に嫌われているんじゃないか?初対面でぼくが与える印象というものは、他人に聞くとまた別の答えが返ってくると思うが、ぼくのなかでは悪印象か無印象なんじゃないかと常に思う。自分でもいいと思わないんだよね。 というわけで、自分のことには疑心暗鬼になりながらも、世の中のいいものを吸収しようとなっている状態。いつまで続くだろうか。明日には終わっていたりしてな。それもまたおもしろいことだ。

教えを請う人

「いまどきの若い者は…」ということばはよく聞かれる言葉だが、年長者がそう思う気持も分かるし、かといってそれを肯定するわけにもいかない。 シーボルトと鳴滝塾の伝記を読んでいるが、シーボルト自身若いなかで、もっと若い人がシーボルトを師と慕って集まり勉強する姿に、とても美しいものを感じるのだ。 スタニフラフスキーも、後年は若い俳優と仕事をするのを好んだ。 ソクラテスも町の若い者をつかまえて、議論を吹きかけたものだ。 昨日の演劇の講座で、終了後、講師のもとに質問に行っていた女性3人がいたのだが、ちらちら聞こえてくるところによると、大学生で、今後の自分の進む道を模索しているようで、そういった趣旨でとても熱心に、また、尊敬のまなざしで講師に質問していた。 こんな光景を見るのはうれしいことだな。美しい。こういった熱心さを見受けられる世代といえば、ぼくの経験では、圧倒的に若い世代なのだ。しかも、10代後半から20代前半。もちろん70近くの方でもこんな方はいるが、圧倒的に多いのは「近頃の若い者」なのだ。 こういう光景、滅多に見られないとは言わないけど、それほど多く見られるわけでもないだろう。 こういう探究心と迷った心が素直に表れている人も一部分、とても奇抜な格好で人の気を引く人も一部分、悪い犯罪をする人も一部分であるなら、いちがいに、ひとくくりに、「若い者」ということばで定義・断定することにためらいを感じる。 少なくとも、熱心な、素直な姿で、大人と子どもの間をうろうろしながら生き方を探している「若い人」を見ると、この世代にしかない美しさ、特権のように思えてくる。 案外こんなとこにしか、停滞を打ち破るような革新的な萌芽というのはないのかもしれない。そこまで極端でなくとも、行き詰ったら、自分たちだけでなく、年長者にも若い人にも教えを請うのがいいのかもしれないな。 ある程度の経験を積んだ人にとって、威張ること、自足すること、正当化することは、自分の首を少ずつ絞めるもののように、ぼくには思える。 「教えを請う人」になり続けるのも悪くはないんじゃないか?

フィットネス

今日なんてとても涼しくて気持ちいいから、過ごしやすいなあ。あまり暑すぎるのも、逆に寒すぎるのもダメで、そんなこと考えると気持ちよく過ごせる日なんて、1年に10日あるかないかくらいだろうか?別にお肌がわがままなわけじゃない。周りの空気に体が心地よくフィットするといった感じだろうか?1日でも、気温の上下、湿度の上下、太陽の当たる当たらないで、そんな心地よさなんて変わってくるのだから難しい。 フィットするといえば、自分の体の具合というのも、どこかしら不具合があったり、気分が悪かったりで年中通して同じことなんてない。痩せ具合・太り具合にも波があって、自分が気持ちよく動けるという体の締まり具合は、なかなか見つけ出せるものじゃない。むかしから、体が軽く痩せていたほうが気分も体も軽やかになり心地よいのだが、食べるという誘惑はそんなときに悪魔のように襲って来て、だからこそ食もおいしくいただけて、ついでに量もとってしまい、体の重量バランスを崩してしまう。 土曜日から、自転車レースのジロ・デ・イタリアが始めるけど、急きょ1週間前に大会に参加を許されたアスタナチームの選手なんて、コンディションを整えるのが難しいだろうな。ビッグな大会だから、それを優先させるけど、体は別なペースで調整しようとしていたのだから。これが、一般の人なら徹夜で企画書、早出・残業で準備を整えるといったことが可能だが、スポーツ選手のしかも過酷なステージレースだから、眠らないでなんてことはできないし、調整の目標を変えなければいけない。言ってみれば、急きょパリコレに出ることになったから、ダイエットしてというものだろうな。 演劇のスタニフラフスキー。俳優の身支度ということばを使って、舞台に出るまでの、もしくは日常からの訓練として、いくつかの訓練をあげている。架空対象行動もそれで、たとえばコップが実際はないのに、あるかのようにコップをつかんで飲んだりする訓練。人に見せるわけでなく、自分の感覚・注意を確かめる意味で。いわばフィットネスの訓練。今日は調子がいいだろうかなどと確かめれるかもしれない。 朝、夢を見たのだが、夢のなかの自分はいつも重くて嫌だ。なぜかマラソンレースをしていて、ぼくとチームメイトのひとりが後ろをかなり引き離した。チームメイトは人間なのに体を地面に平行にして低空飛行していた!その後ろについて空気

マスメディアを論ずるはずだった・・・

うわあ。またgooにやられた。長々と良い気になってマスメディアのことを書いていたら、投稿するのにエラーが生じた。きちんと手続きを踏んだのに…1500字くらい書いたのに…時間と文字数でギャラを請求しようかな。 同じことを書くのは馬鹿らしいし。 とりあえず、今日受けたプロデューサーの仕事の講座が勉強になったことと、テレビスターが舞台にまで侵入していることを書いたのだな。壮大に書いたので、書けば書くほどその努力が報われず、徒労に終わってしまうのが皮肉でいいな。壮大に書いたのに、何一つ残らない。マスメディアを論ず!、何もなし。ざまあみろだ。 ふー。 ま、書いているうちに自分のなかでいろいろな考えをまとめられたので、自分のなかではよい体験だったとして慰めよう。

褒めること

今も開催されているんだっけ?ルノワール×ルノワール。まあ、それはどうでもいい。ジャンのほうのルノワールのインタビュー記事を読んだ。かなり長い分量だったが、気がついたことがある。 ジャン公は、人をよくほめあげる。映画の撮影で知り合った、スタッフであったり、俳優であったりを、とにかく褒める。後で落とすために褒めるのじゃなく、その人たちに尊敬と親近感を感じ、才能を称えているのだ。そんなことしか言っていないような気がする。 とにかく、機械的で大がかりなスケジュールや撮影を嫌ったジャンは、人間と接することでその人を好きになり、その人の長所とジャンの長所で、同盟を作っているかようだ。心地よい人間関係。 我々は、特定の役職や立場に就いていない限り、日常生活であまり似たような立場の人をほめることをしない。人を称える言葉というのも使用をためらわれるほどだ。改まって手紙に書いてみたり、別れのときになってはじめて口にしたり。 ほめることを必要とされないからだろうが、ほめられて嫌な思いになる人は少ないので、もっと褒める機会を増やせたら、その人にとっても、ほめる自分にとっても心地よいものになるだろう。 口では言わないが、ぼくも、多くの友達のなかの尊敬すべき長所や才能を称えたいでいる。口ベタだし、面と向かうと恥ずかしくなってしまうので、割引いて言ってしまう。ほんとはもっと声高に素晴らしいよといいたいのだが。ルノワールのように人を称えるのにも経験や技術がいるのかもしれないな。 けなすこともしつつ、褒めることもしようかな。

2つの刺激

今日は世田谷パブリックシアターのプロデューサーについてのセミナーに行ってきた。演出とはいえ、実際、プロデューサーの仕事もしているわけだから、知らぬ・興味ないじゃすまされず、勉強にいってきた。ぼくも考えていて、また、ある参加者もらしていたが、5,6人ぐらいしか集まらないのじゃないかと思っていたが、40人以上も集まって大盛況だった。 大学生の年代の若い人が多かったのが特徴で、みんな熱心に聞いていて、感心した。こういう情熱が大切だね。 まあ、話自体はちとまとまりがなかったのだけど、5回の講義なので、今後に期待。 ワークショップを企画しました。グルッポ・テアトロのホームページを見て参加してくださいね。 グルッポテアトロ〜橋ものがたり〜ワークショップvol.1 また、今日、かつての知り合いから絶縁状みたいなのがきた。むこうはかなりぼくを嫌悪しているようで、いろいろと恨み節を書いてきたが、ぼくのほうは何とも思ってなくて、自覚もないのだけど、前々からふたりの間には嫌な空気は漂っていたので、明らかになったことで、すっきりしている。 嫌われたり、陰口をたたかれたりは結構あったりするが、自分も同じことをしたりもするので、文句は言えまい。 ただし、こんな負の感情を持ち続けるのはいやなので、ぼくは本能的にすっかり忘れるものらしい。あっけらかんとしているのはそのためで、敵が何で怒っているのか分からないことが多々ある。明日には忘れるかな。 それにしても難しいのは人間関係だね。どうも、いろいろなことが習慣的になると、停滞してきて、陰口や嫌味や派閥ができてくる。集団に属しても、知らず知らずのうちに、小さいことで人を嫌ってしまったりもした。集団を抜けてから初めて、小さいことでくよくよしていたことが分かったことが何度あったか。 反対に、新しい刺激や精神に触れるというのは素晴らしいことだ。今日の制作セミナーなんて、どきどきするような新しい体験だった。年配の人も何人か来ていて、その挑戦と活力には尊敬さえする。こういった新たな挑戦をし続けることが、ぼくには必要なのかもな。 昔なら、今日の絶縁状がきたことで、精神的に参ってしまっただろうが、今は、そんなことはゴミ箱に捨てる勢いだ。でも、相手の言い分にも道理はあるわけで、不快感を与えたことは事実として認識しておかないと、ざらついた人

陰気な番頭さん

なぜだろうと思っていることがある。なぜという疑問というより、不便じゃないかなと同情したり、客商売にはふさわしくないのじゃないかなと、おかしいなと思っていることなのだが。 それは、芝居にいったときの受付。その受付のチケット販売員が座って発券していることが、今回の疑問点です。 大きな劇場では発券のためのチケットオフィスといったものがあり、そこでは、何かに仕切られた場所のなかで、一段高いところから椅子に座った係員がチケットを販売する。映画などでも同じ。そこには、何の疑問もわかない。 問題は、そこまで大きい劇場でなく、つまり、発券のための特別な場所があらかじめ設けている劇場でなく、入り口のところに机をならべて、ここで受付をしてくださいと決められているようなところ。つまり、紀伊国屋劇場のような中劇場も含めて多くの劇場でのことである。 多くの劇場は、チケットオフィスの場所を特別に設ける必要はないと考えているのだろう。そこには疑問はない。ま、どんな小さな劇場でも、あるにこしたことはない。しかし、仕切られた部屋のなかで発券するよりも、お客さんと面と向かって、同じ場所で発券するほうがよいんじゃないかと言われれば、それもありうるなとうなずくかもしれない。 問題はそこにはない。 入口に設けられた受付スペースで、予約のお客さんの確認をして、チケットを販売するのだが、その販売方法に不備があるのではないかというのだ。不備とまで言ったら失礼かもしれないが、係員が椅子に座って販売するのはいかがなものか? なんだ、先ほどはチケットオフィスの係員が壁越しに座って販売するのは問題ないと言ったじゃないか、と思うかもしれないが、その場合とこれとは違うのである。 新旧多くの劇場、映画館、またそれにとらわれず、多くのお店を覗いてみて感じることは、立って販売する・座って販売するには、それなりの法則というか、論理があるように思えるのだ。 おそらく商売や設計をしている人には自明なのだろうが、それを確認する資料にあたるのもちと面倒くさいので、ぼくが思ったままにそれを言うと… 「販売する側が優位に立てるような場所づくり」という大原則があるように思う。 販売が優位に、とは言っても、威張りくさって、サービスをしないというわけでなく、お金を扱う場所を一段高くして、お客さんを見下ろす構造を作り出す

芝居を観てきた

友人の芝居を見てきた。 今日は雨があがってむしむししていたせいか、気分がすぐれなかった。その悪い心を吹き飛ばすような芝居ではなかったので、むっつりしながら家路についたのだった。 思うに、あまりおもしろいと思えない芝居をみたときに、それに出演している友人にどう話しかけるか、どう対処するかは、今さらながら、重要なことに思える。その場をうまく切り抜けるというより、不快感や不満足をどのように処理して、気持ちよく別れられるか。誰も、不快のままいたいものではない。しかし、よくないものをよいともいえない。そんな葛藤がありながら、押し黙ることでしか表現できない。 赤の他人の芝居だったり、友達連れで観劇したりするのなら、おもいっきりその芝居をこきおろすか、話題を別に逸らすこともできる。こきおろすといっても、自分のなかで、観たものを整理して、こんな芝居など絶対やるまいという心のよりどころを作るだけで、別に、嫌みたらしく悪い宣伝を流すことでもない。そういう意地悪みたいなのをしたこともあったけど、どうせ誰もきくものじゃない。悪い口コミより、良いという口コミのほうが伝わるものだから。 芝居をみているなかで、印象を悪化させるさまざまな要因があるわけで、それがたまたま重なった公演だったと慰めようか。 今日は、むしむししていたし、心もどこか陰に入っていたし、公演会場の雰囲気・接客も気持ちいいものでもなかったし、なにより、後ろのお客さんがおしゃべりな業界人で、その態度に心がかき乱されていたのかもしれない。 そのお客さんは、20〜30代の女性の、演劇の主宰者か劇作家だと思う。顔は見ていない。話の内容からそう判断した。とりわけ不快になったわけでもないが、業界用語を奮発させて、鼻にかかった話し方というものは、ぼくには苦手らしい。話の雰囲気からして、話し相手の女性は困惑していたような声のトーンであったように思えた。 帰りの電車のなかでも偶然、演劇関係者がお話しをしているところにでくわした。こちらも、ぼくは後ろ向きで聞いているだけだったが、男性二人組は、声を張り上げるでもなしに、自分の身の周りのこと、演劇のことを話していた。その話しぶりは不快を与えるものではなかった。 さきほどの女性二人組との違いは、どうやら、話のトーンというか、話の対象が、拡散しているかそうでないかということのよ

但馬屋のお夏

『但馬屋のお夏』という作品を見た。NHKが過去に放送した作品で、近松門左衛門原作、秋元松代脚本、和田勉演出、大地喜和子主演のドラマだ。 真山青果の『お夏清十郎』とは違って、清十郎は出てこない作品で、近松に基づいた作品なので、西鶴に基づいたそれとは幾分筋立てや名前などが違う。 ま、ドラマといわけなので、細かい箇所に粗が見えるのは予測ができた。しかし、NHKだし、和田勉だし、と変に期待を抱いていたのも事実。 で、思ったのは、非常にうまく立ち回ったなという感想。ドラマの質の話でなく、そこに映される被写体、ここでは江戸前期の姫路なのだが、それをそれらしく映しきれていない。うまくやったというのは、映像が焦点を絞っているというのか、意地悪に言えば、現代の電信柱などが映らないように、人物のアップしかしていないということ。まあ、ドラマで製作費に限りがあるなかで、江戸時代の雰囲気を出すには、局所を映さざるをえないのだが… そして、局所や人物のアップをしなくてはいけないからと、そのように撮ると、作品が非常に狭いものとなる。正直、今回の作品はどこが舞台なのだか分からない、無機質な無特色な風景が背景となっていた。姫路であるというので姫路城の映像が映るのだが、何の脈絡もない姫路城だった。 人物のアップになれば、必ず露呈するのがインチキなのだが、この作品でインチキは目立たなかったが、カツラや小道具に粗が目立った。前にみたドラマ、これは大映の美術陣が美術を担当していた『女牢秘抄』という江戸時代の作品だったが、美術の仕事にぬかりはなく、アップに充分耐えられる考証や仕上がりだったと思う。 まあ、こんなとこに目がいくのは、ドラマにひとつ求心力が欠けているためだと思う。もしくは、ぼくがお夏清十郎の物語に深くかかわったからかも。いずれにせよ、ささいなところで物足りないところはあっても、充分に楽しんで見られた作品であったのは確かだ。と同時に、ここはまずいんじゃないか、ぼくだったらこうする、これはおもしろい処理だ、なんて考えながら見ることのできた作品だった。 これはすなわち、ぼくのなかでお夏清十郎の物語が確固たる地盤を築いたということで、何気にぼくは喜んでいる。こんなふうにして、演劇に育てられていくんだなと。

高野長英

かつて、鎖国をした日本にも、海外からの知識や情報は入らざるをえず、また、明らかにそれらの知識の方が優れているときに、当時の知識人たちは日本と諸外国の違いに驚いた。黒船が実力行使で乱入するまでもなく、開国をすることは必然であったろう。 オランダからの書物は入手できたから、その洋本に接することのできた人間は、鎖国をする日本がもどかしかったに違いない。 高野長英もそんな中の一人で、彼はずばぬけた語学力があったようで、書物の翻訳に関しては一番であったらしい。現代のように情報があふれる世の中ではない。しかも鎖国中の日本である。接することのできる海外からの書物は限られるし、自分たちの未知の情報であるために、それを吸収するために理解力は大きく役立ったに違いない。 現代の風潮というまでもなく、いつの時代にも、どこの場所でも、ナショナリズムというものは発生するようだ。 鎖国をしていた幕府はもちろん、移民排斥の気運が高まったときの欧州も、最近の聖火リレーでの中国の国民感情もそうだ。 どうも、ナショナリズムというのは、自分らを持ち上げ擁護するだけでは物足りないらしく、他を排撃することも含まれているようだ。サッカーの試合で何も戦わなくってもいいし、戦争まで始めてしまう国もあるみたいだ。 高野長英は傲慢で攻撃的な人のようであったらしいが、彼の洋学にたいする尊敬と服従は確かなものであり、それは日本という枠組みを超えざるをえなかった。自分の国にかんする危機感から、彼の想像力は外へ向かっていった。保身をして身構えるのでなく、胸を開いて入ってくるものをとことん吸収しようとした。 また、アランが言っていたことだが、二流のピアニストが300人集まりくだらないおしゃべりと虚栄心があふれる会場に、ひとりの巨匠が入ってきただけで、熱狂的に賞賛する会場に様変わりするといったように、われわれは賞賛する機会を求めているだけなのかもしれない。 広く国際的に交流し理解し合うのをモットーとしている五輪が、かえって、ナショナリズムの発露と政治的なものの争いの場になってしまっているのは皮肉なことだが、底辺レベルでは、技術の吸収や多人種混合は当たり前のようになっている。野球やサッカーに限らず自転車レースも。 非常に暴力的な、非常に利己的なものを見るたびに思う。どんなところにもナショナリズムの萌芽は

技術とプロと

今日は床屋に行ってきたのだけど、いつもの親爺さんの愛想の好さがなく、どうもぎこちない様子だった。しかも、櫛を3,4度も落としたりして、いつもとは違うように思えた。彼の中に何があったのかは分からないが、おそらく精神的に何か負担になるようなことを抱えていたには違いない。 そんな様子ではあったが、ハサミさばきの技術はしっかりしたもので、そこに対しては不安を覚えることはなかった。身につけた技術の質は、そんなに簡単に落とせるものではない。 自転車に乗る技術、都心でうまく走る技術というものもあるので、どんなに気分がすぐれなくて流しながら都心を走っていても、一定の時間以上にかかることはない。これも随分と乗りなれた経験からだろう。 チベット問題の聖火リレーの妨害も問題となったが、マスメディアに映るぐらいの行動に出る人は、やはりそれなりの技術があるのだということも推測がつく。熱い思いで国を憂う人が映し出される場合と、妨害の先頭に立つ人の場合では、まったく別なことをしているようにしか思えない。市民運動の盛んな英仏の市民のデモと、そこで繰り返される一部の策略・行動は別種のものだ。どう見ても、火を盗もうとした人は、プロとは言わないまでも、ある一定の技術は持っている。 日本の調査捕鯨船の妨害と、この聖火リレーの妨害は同種のものであると思うのだが、どうであろうか?一方は、海賊船に乗り自らを名乗り出ていて、一方は市民に紛れている。どちらも、ある過激派の行動と言える。 オーストラリアの市民に捕鯨への批判が多いにしても、彼等は調査船を妨害することまではしないのだ。 豪では日本政府に対する風当たりも強いことは、中国政府にたいする世界の風当たりと同じ。 聖火リレーを妨害する側も、それを防ごうとする「青シャツ」も、チベット問題を拡大化しようとする諜報組織も、問題をなかったことにする中国政府も、すべて専門家による一種の諜略と捉えるのなら、ある意味で、民衆はいいように利用され、置き去りにされているように見えなくもない。聖火ランナーの一様に困惑した顔がとても印象的だ。 話はかわって、テレビで活躍するタレントにすら技術があり、たとえ海外でどれだけのエンターティナーであったとしても、日本のテレビに引っ張り出されると、ある一種の違和感を感じるものである。テレビ慣れしたスポーツ選手や弁護士など

タブー

少し前の事件だが、音楽家のダニエル・バレンボイムが2001年7月イスラエルで、R・ワーグナーの曲を初めて演奏したことで、論議を呼んだことがあった。イスラエルの国会はボイコットを促したという。ワーグナーはヒトラーの好んだ作曲家だったので、迫害を受けたユダヤ人の国家イスラエルとしては許せないということだろう。ちなみにバレンボイムの国籍はイスラエルである。 バレンボイム自体がイスラエル政府批判をしていることもあってか、この演奏行為も政治的なものと見るむきもあるのだが、そこに横たわる問題はそんな単純なものではない。 そもそも、ワーグナーの政治思想でワーグナーの音楽すべてを語ることは誤りだし、それをある特定の政治的なものに結びつけるのも誤りだという認識がある。 ナポレオン崇拝のベートーヴェンの音楽という捉え方など不可能だし、ナチス問題とフェルトヴェングラーの関連は彼の人生には密接でも、彼の芸術とはそんなに大きな関連がない。 そういったとしても、現にイスラエルではワーグナーの音楽は、一般には流通していても、公共の場での演奏はタブーとされていたらしい。 このタブーということが問題なのである。 日本にもさまざまなタブーがあり、それを侵犯すると色々な害悪が加えられる。言ってはいけないことというものが厳然と存在しているわけだ。それは、歴史的な禁忌であったり、経済的な損失の恐れから口をつぐんだり、または、危害を加えられることを恐れることでもある。 また、タブーがタブーとして一般化しすぎて、人の認識の上で問題視されなくなってしまうこともある。今さら語るに値しないという訳だ。 「タブー」 1、神聖(不浄)なものとして禁制されること。 2、その事に言及するとよくないということが、その社会や席で暗黙のうちに認められていること。 (新明解国語辞典より) 最近話題の映画も、そういったタブーに触れた理由で大騒動になっている。ほかにも、花になぞらえたさまざまな禁忌があり、それを避けるかのように報道がなされている。 何もタブーを破ることが勇気あるというわけでもないが、事実を隠ぺいするような蓋の役割をそれが持っているのなら、そのことによって多かれ少なかれ盲目にさせられているわけで、これは不利益になることだ。 同じように、ワーグナー作曲というだけで、素晴らしい曲を聞くこ

変わりゆく世界

今、中国のチベット問題が話題になっているが、少数民族の自立・独立は潜在的な問題なので、何かの拍子にふと湧き出て、沸騰する事態になることは、容易に想像できる。 欧米でのリレー妨害は、突端の過激な妨害をしたのは過激な活動家で、いわば、その道のプロであり、穏健な民衆とは種類が違う。 思えば、世界中でこういった問題を抱えていない場所はなく、日本でさえも、映画「靖国」をめぐる混乱においては、腫れものにふたをするような歴史が浮き彫りになった。 ときおりテレビで流されるどうでもいい映像、天皇一家のこと、なんて、非常に気持ち悪い統制のように思えて仕方がない。 冷戦後、世界の盟主的な立場になり、過激な国・組織を「懲罰」してきた、アメリカ合衆国でさえも、懐疑的、というより反省的な姿勢になっている。 少し前の枠組みや思考方法さえも、変転していくもので、思えばここ10年に限っても、普段よく見る外国人の態度などに変化が見られる。 さまざまな問題をかかえ、変化していく世界。その変化を敏感に感じ取ること。 真山青果の『玄朴と長英』は江戸後期の、そういった世界の中で格闘した人間の物語に思える。突如この作品に触れたのには訳があるが、今は言わない。 変動する世界で人間どう生きていくか、これは昔も今も変わらない。 そういった視点で、物語を読むという方法もある。 変わっていく世界と向き合う現代的なもの、それを追及したい。

事物の眼差し

映画監督の吉田喜重は小津安二郎の『東京物語』のあるエピソードをとらえて、「空気枕の眼差し」と評している。老夫婦が、空気枕がそこにありながら探したように、人間がうっかり見落とすものがあり、空気枕は事物としての眼差しを老夫婦に注いでいたと。それは、大いなる物語・体系・人間の考えからこぼれ落ちるものであり、そんな事物の眼差しを小津は示していたと。 また、ブレヒトは異化という概念を使い、物語の筋道だった流れから予想される演技を拒み、観客が疑いをはさみうる余地を残そうと努めた。 モンテーニュは「わたしは何を知っているか」として、疑うことから始めた。 人間は信じやすく、また、大いなる物語や体系や組織のなかにいることに安心する。迷信や偏見や常識を身につけてしまうと、そこから脱却するのも努力を要する。ときには偶然に目を開かせられることもあれば、かたくなに目を開くことを拒み続けることもある。 ギョーザ事件なんかは、メディアの大海に乗ってしまうと、憶測が偏見を生み、過激な差別を生んでしまった。疑うこと、立ち止まること、事物の眼差しで事件全体を見られるようになるまでは時間がかかった。 メディアは、意図的ではないが、扇動することとなった。記者の興奮がメディアの興奮となって、視聴者・読者の興奮となった。 対イラクの件で、アメリカ人の冷静な意見が聞こえてくるには、もっと時間が費やされたことは記憶に新しい。 未だに戦争を美化する風潮は全世界にある。 核抑止論なんていうのも、恐怖と妄想が経済的利益と結びついているだけで、単なる論理でしかないことになぜ気がつかないものなのだろう?大いなる体系が偉大なる物語をシナリオ化している。それは作りもの。暗い夜道で誰かに引っ張られた気がして馬鹿力でふりほどくと、実は木の枝にひっかかっただけだったなんてことも。 よく舗装されたいい道路だけが道でなく、漫画じゃないけど、隣の家の中を通るものが道であることもある。マニュアル通りに接客していたら、かえって不快感を与えることもある。 一度、信じやすい自分を疑ってみることがいいのではないかしら?人間の思い込みのほかに、事物の眼差しというものもあるということに、思いを馳せてみたらいいのではないかしら?立ち止まって考える時間を確保したらいいのじゃないかしら? そんなふうに思っている日曜日でした。

日曜日の思想

以前もこのブログに同じことを書いたが、また思うのは、日曜は静かだということ。その静けさが心のすき間に沁み入るようで、どことなくひりひりする。感傷的になるのはこんな晩だ。 思えば幾晩こんな時間を過ごしたことだろうか? そして、次の日には無くなるにせよ、どれだけの夢を描いたことだろうか? 人恋しくなるのもこんな夜で、だからこそここに書き綴っているのであろうか。 古いアルバムを見返したくなる時があるように、古い記憶のカケラが、こんなときふと顕れ出てくる。昔の友達。昔の建物。昔の感情。 一日前は聞き流していた音楽も、こんな日は心を揺り動かす。 テレビで見た老夫婦の慎ましい姿にじんとくる。 こういったものを、潜在的なものが現われ出てくると捉えるのなら、日常の生活は嘘やまやかしに塗りたくられているものなのだろうか?忙しさにかまけて、生きることに一生懸命で、武装しているものなのだろうか? 反対に、何も飾る必要がなく、誰からもせっつかれないこんな日曜日のほうが異常なものなのだろうか? そう、たしかに記憶の中からでてきたものは、およそ動きのない写真のようなものであり、ある感情も恋慕も美化された嘘っぱちのものとも言えないこともない。死でさえも、こんな日は醜くない。 たとえば、ドラマというものが劇的な事件の連なりのように思えるのが、日常的な考えというならば、今夜のような考えを「日曜日の思想」とでもいおうか。その思想は、ドラマというものは、非劇的な、事物や記憶・意識の集成でもありうることを教えてくれる。 一見、月並な卒業式・送別会であったとしても、内部には激しいドラマが渦巻くこともあるし、激情すら抑制された微妙な意識というものもある。 そして、この曜日が教えてくれることは、わんわん泣きわめく別離というものよりも、感情が抑えられた中に出てくる小さな「おかしな行動」に彩られた別離のほうが、よりドラマと呼ぶにふさわしいものと思えることだ。激しい格闘よりも、家庭内の微妙な意識のズレなどのほうが、よりエキサイティングなものに思えることだ。 最初に、すき間という言葉を使ったが、大ざっぱな平日の手からこぼれ落ちるものが、心に受動的な空白ができる日曜日に滴り落ち、そこにもドラマが隠されていることが分かってきた。 きっと平日は動きすぎて・忙しすぎて・うるさすぎて、気づく

日本というもの

演劇に取り組む人がおそらく必ずぶち当たる壁、大げさに壁とは言わないまでも、障害というものは、日本の作家が日本語で書いた戯曲と海外の戯曲の間に横たわる差異であろう。 これがテレビドラマであったり、日本映画であったりしたら、日本人の役者が「ハロルド」とか、「マクベス」とか名乗るのを聞けば、即座に違和感を覚えるであろう。 演劇では同じ役者が、ロシア人にも、中国人にも、古代ローマ人になっても、その条件性を受け入れることは難しいことではない。 だが、たとえある俳優がカナダ人になったとしても、どこまでカナダ人としての人間性を表現できるかは疑問だ。ある意味ほぼ不可能かもしれない。カナダ人を表現するというよりも、人間一般、ある国の特殊な人間でなく人間性そのものを表現するともいえる。かといって、カナダ人の生活や風習や歴史・文化を知らないうちに、安易にカナダ人役ができるとも思えない。 トリュフォーの映画にも、「おかしな日本人」が出てくるが、その場面は、日本人の観客には失笑の種だ。 中国人らしい人が日本人として出演している映画もよくあるが、あれも違和感を感じる。 日本のドラマでも、人種の違った人間を外国人一般でひとくくりにすることがあるが、日本人のわれわれには奇妙でなくとも、当事国の人間にはおかしく思えるだろう。 こうなると幻滅するくらいの限定された範囲でしか、演劇も映画もできないように思える。 そこで、日本語で書かれた、日本人を演ずる戯曲に取り組まなければならない、といった使命感みたいなものが出てくる。これは役者や演出家、必ず多かれ少なかれ通るものであろうと思う。 日本人と日本を綿密に表現したいという欲望。 だいいち、役者の演技が褒められるのは、外国人を演じるときよりも日本人を演じるときのほうが多いのだから、役者もそれを悟るのだ。 そしていつまでもそこを住処に、日本人を演じるという意識もなく自然と、身近な人間を演じることになる。 最初に「壁」と書いたが、その、外国人を演じることへの抵抗・障害を、どこまで乗り越えられるか、これもまた大事なことではないだろうか? 最近の日本のメディアや市民も、どこかナショナリズムなものを感じるのはぼくだけであろうか?大げさな「j」「〜ジャパン」、ある特定の国への偏見。 演劇や戯曲と、ナショナリズムとを結びつけるのはあまり

ソクラテスの毒杯

何年か前に、プラトンの書いた作品を通じてソクラテスの生き方に惚れ込んだことがあった。ソクラテスの生き方に触れるわけだから、思索を巡らしたり、議論したくなったりしたのだが、その当時は、ソクラテスの主旨よりも、議論をすること、悪くいえば打ち負かすことを楽しんでいた。そのためにとげとげしくもなり、いわば喧嘩腰だったわけだ。 テレビの討論番組にしても、国会の審議にしてもそうなのだが、確かに論戦はおもしろくはあるのだが、ならば、一番いい方法を見つけるためにすることは何なのだろうか?まさか議論に勝つことではあるまい。打ち負かすことでもない。相手に非を認めさせることでもない。論戦の相手が喜んで自らの意見を変えることが必要なのだが、なかなか意見は変わるものではないし、党派的なしがらみや思想もある。 ころころ意見を変えることに対する厳しい監視の目もある。 ソクラテスは真理を求めていた。 そのために、いろいろな方法をとって、たまには馬鹿もした。 相手より強く声をだし、打ち負かすことが求められた古代ギリシアの政治のなかで、大事なことはそこにはないよ、といわんばかりに。 モンテーニュがおもしろいことを言っている。 「不断の顔で死と交わり、死に親しみ、死と戯れるのは、ソクラテスだけができることである。彼は死のほかに慰みを求めない。彼にとっては死は自然の、どうでもよいできごとのように思われるから、そこに正しく自分の目を据え、よそ見をせずに、覚悟を決めるのである。」(「エセー」原二郎訳) 死と言えば、伊丹万作のエッセーにもおもしろい文章があった。 「私の顔も死ぬる前になれば、これはこれなりにもう少ししっくりと落ち着き、今よりはずっと安定感を得てくるに違いない。 だから私は鏡を見て自分の顔の未完成さを悟るごとに、自分の死期はまだまだ遠いと思って安心するのである。」(「顔の美について」伊丹万作) ソクラテス→死、というつながりでただ書き流しているので、結論はありません。 ただ、気になることは、死というものが深刻さを逃れるようにも、考えようによってはできることだ。 人の葬式や、体調の悪化の話を聞くのもつらいことではあるが、話をする当人のほうはそれほどでもないようだ。 そんなときは、議論に打ち勝つことや、人より上を目指すということより、何か、無頓着な真理に触れてい

ふと我に帰る

人にはそれぞれの顔があるように、人それぞれの考え・思想というものもある。同じ事件を見ても感じることは違うだろうし、気づくことも、観察するところも千差万別だ。 それなのにどうして、ひとつかふたつの意見に早々と集約されるものなのか? 要するに賛成か・反対か、諾か否か、あれかこれかと、簡単に結論づけてしまうものなのだろうか? 人間の思考が複雑なものを単純化して記憶し、整理するものだからか? 一般的な意見に沿うのが安心だからか? そもそも人間みな同じようなことを考えているからだろうか? ある作家の小説を読むときに、ある視点・ある視角というものが、読者によりはっきりと明快に分かるときに、その小説がよりわかるのであり、その視点に共感できるからこそ、それを愛読する。 一般的な視点で書かれたジャーナリズム的な小説には魅力を感じにくいものだ。 ならば作家というものは、物事を単純化する一歩手前で立ち止まり、作家個人のフィルターを通してものを書くのだろうか? 賛成か・反対か、諾か否か、あれかこれかを、結論づけてしまう前に「わたし」のところで一呼吸し、「わたし」を探る。そうして探り当て出てきたものは、同じ「賛成」でも同じ「反対」でも、一般的な「賛成」「反対」とは違ってくる。 もちろん通常だれでも同じことをしているが、作家はより慎重に、より懐疑的にそれを行う気がしてならない。 映画の名作と呼ばれる『東京物語』(野田高悟、小津安二郎作)は、脚本からして豊かに、また明快にできている。そのテーマを声高にではなく、しかし着実に語っている。それが二人がとった視点から語られる物語だからこそ、そしておそらくは、その視点から思い切って描いたからこそ、名作なのだ。 『悪魔を憐れむ歌』(ゴダール監督、出演ローリング・ストーンズ)も、奇抜なドキュメンタリーでありながら、ゴダールの見る目が感じとれた。あえてそこからしか見ようとしない、そしてそこから見させる意志が汲みとれた。 早急に結論を出すことの一歩手前で立ち止まり、ある意味戦術的に自分の視点を確保してみようか。どうせ、結論自体たいていは陳腐だったり、ころころ変わりやすいほどのものなのだから。そして、人は多かれ少なかれ自分の出した(と考えている)意見や結論に固執してしまう頑迷さを持っているから、自分で自分を縛りつける一歩手前で

舞台の魅力

岸田国士がおもしろいことを言った。 「舞台というものは、常に戯曲の生命を狭め、俳優の自由を束縛し、見物の幻想を妨げる厄介物であります。」(『現代演劇論』岸田国士) そのために、舞台を「利用」して、舞台的拘束を舞台的魅力に転じなければならないと締めくくっている。 はじめて戯曲を読んだときに、語られた物語の世界を、想像でふくらまして魅力を感じるという過程は、どのような読者にでも起こることである。その戯曲を朗読したとすると、自分が読んだとき以上の感銘を一読で起こすことは不可能に近い。 空を飛びまわる空想の物語が小説なり戯曲なりで書かれていたとしても、実際に舞台で空を飛び回る姿は、限られた技術に頼った“ちんけ”なものだ。 どんな俳優にも年齢による役柄の変遷というものがあって、いつまでもうら若き娘役ばかりやってはいられない。 想像するのはどこまでも、どれほど大きくもできる。すべてが可能であるかのように、すべてが豊かであるかのように、想像の翼は広げられる。その想像に現実が追いつかないところに挫折が起こる。 もって生まれた顔はひとつしかないし、ひとつしか体は無いし、作家が自分で思って書いたことが俳優に体現されるとも限らない。 想像できる限りの舞台を楽しみに劇場に行ったとしても、そこで見られるのは、常套の舞台処理だったり、中途半端な演技だったりして、決して空を飛ぶピーターパンなどいない。そもそも空を飛べない人間が、空を飛ぶのを期待してはいけないのか? こうしてみると、さまざまな限定・拘束が舞台を、また、現実をしばっているかのように思える。特殊撮影で空想と現実の混淆が分からなくなるほどの映画とは違って、ギリシアの昔から現代まで、舞台は人間的な手仕事の範疇で、想像と現実の混淆の錯覚も起こさせない前提のもとに行われている。手品師的な不可思議な技術で幻惑もしない。 背中にロープをくくりつけ空を飛んでしまい、紙切れ一枚の背景で世界を語ってしまう大胆な演劇だからこそ、逆説的に、想像力というものをもっと訓練しなければと思っている。 必ず地面には着地しなければならないのだから、適当な場所に適当な勢いでそこに向かうには、飛び方・はね方の訓練をしなければと。何も考えずに飛び上がることはできよう。同じく、常套的な演技も・常套的な演出も・ありきたりのセリフを語らせることも

遠音・・・

とても静かな夜だ。 いろいろと自分の中で考えやひらめきが生まれては消え、また沸き起こっては別な考えにと移っていく。遠くに輝く星が見える。きらきら輝いては、夜明けとともにまた薄れていく。 感傷かな? 別に小難しいことを考えているわけでもない。しかし、やけに心躍る夜でもある。 危険だな。こんな夜にはすべてが可能とも思えたり、希望がわき起こったりするが、夜明けの眠たい目とともに疲労へと変わるのだから、今こんなときにさまざまな想念が湧き起こるのは虚しいことなのかもしれない。 以前、ドイツのロマン派の詩人のノヴァリスの「夜への讃歌」という詩を読んだことがあったが、内容は忘れた。夜に想像が膨らむという筋だったのかな? ひとつ気づいたことがある。 騒音の少ない環境では、遠くまで思いを馳せることができるものなのだなということ。遮るものがなければ地平線まで見え、遠くのふるさとや、旧友や家族にまで思いを馳せられる。溝口の『山椒大夫』の母親は佐渡の海岸の崖の上にたって歌を歌っていたものだ。 思えば、どれほどの障害や邪魔や騒音が、ぼくたちの想像を狭いものとしてきたことだろうか?そんな妨害があることが現実だ・リアリズムだと言い切ることで自分たちを慰めてきたことか? 昼の思想は都会の喧噪を壁として認識しているだけで、ならばどれだけその壁を突き破るような夜の想像力を用いることができるのか? 遠くを走る貨物列車の音を聞いてその遠さを感じるように、また、暗闇の森の中でさ迷い歩いた末に一粒の明かりを発見しそれにすがるように、遠くを感じること、そのなかで遠くのものに愛着を見出すこと。 テレビも音楽も聞くのをやめて、また、眠るのもやめて遠くに思いをはせる。 ちょっと感傷的な夜なのでした

陸上のイージス艦

ちまたにニュースがあふれているが、メディアの側の取捨選択だけを頼りにすることは、一般の生活者だとしても怠惰と言わざるをえない。事件なり話題なりが生活に密着していようといまいと、ニュースから飛躍して、想像して、また生活に関連づけるような試みをしていかないと、メディアに飼いならされるのが落ちかもしれない。 イージス艦の衝突事故の問題。 事故の原因究明・防衛省の体質などが争点になっているが、その追及はもっともなもので不足はない。しかし、いったんその話題がお茶の間に乱入してきたときに、私たちが事故の事件性や自衛隊の問題としてだけとらえてしまうと、この事件は一過性のものとして忘れ去られていく。私たちの問題ではありながら、批判し、客観視することで、よそものとなっていく。 忘れ去られる危険性はそんな客観視した姿勢にあると、ぼくは思う。想像をしてみれば容易に身近な問題、人間の問題であって、単なる事件や官僚の問題でない。権力と横暴は身近にあると思うのだが。そこまで、自分の問題として、生活のレベルとして考えることをしないと、一過性の事件として多くのニュースに埋もれるにまかせるままになる。 要は、イージス艦が海上で行った不注意と意図しない横暴は、たとえば、陸上で日常茶飯事に行われている、自動車の横暴にほかならないと言いたいのだ。 横断歩道を猛スピードで、止まりもせずに突っ切る車。狭い生活道路をそこのけとばかりにクラクションを鳴らす車。一方通行だからと優先権を持ったかのように走る車。 そう、だれでもイージス艦になる可能性を持っているのだ。 どんなに善良な人間も、自動車に乗ると、歩行者を邪魔者扱いする事例を何度か見てきた。後方から別な車が煽るから急がざるをえず、車同士での論理でもって、乱暴に歩行者・自転車を押しのけていく。 小さい船がどけるだろうからというおごりは、見事に自動車にもあるのだ。確かに小回りの利かない車が堂々と横断歩道や道の真ん中にいたら、それを移動しろとはなかなかいえず、嫌々、歩行者が遠回りしたりよけたりする。 親切なドライバー、きちんと通行者の感受性を察して運転するドライバーもきちんといる。そういう運転手の存在の有無・多少を問うているのではない。 イージス艦の事件を海上の問題、大きな国家の問題として、生活者の視点から放り投げてしまう危険性が問題で

勉強

ほんといろいろ勉強させてもらっています。いろいろ。 世の中というものはおもしろいものですね。 同じことをやっても、同じ作業をやっても、今と昔ではまったく違ったものになる。少なくとも今のほうが滑らかに為せる。 角もとれて丸くなる。丸くなるのは年輪を増やして贅肉がつくわけでない。贅肉をそぎ落としたために丸くなるということもある。 昔はカっとしていたことも、今はそれを抑える術を身につけた。同じ客、同じような人間、同じような事象があっても、昔と同じように怒っていても進歩がない。 お金を投げるお客も、急に方向を変えるタクシーも、幅よせしてくる車も、なかなか来ないエレベータも、無愛想な店員も、みんなみんな…怒りを和らげ、肩の震えがなくなったときに、いったい何が残るか? 処世術とでもいうのか?確かに、いつまでも怒りまくっている人生もおもしろくないものだ。かといって、何にも怒らない無気力の状態にはなりたくない。そのために、あえて怒りを爆発させることを課題にしてきた今までとは違って、要所要所で怒るという人生を選択する。 何を言いたいのか意味不明…ははは… 結局、今生きている自分と、その周囲、大きく視野を広げて世界のすみずみ、それを生きやすくするために、自分も世界も変革しなければいけない。 自分と世界が何を問題としているのか、少なくとも身近な人が何に困ってどうしたいと思っているのか。 それを探る、探る、探る。 やはり、世の中を勉強しなきゃね。 わけわからない文章、失礼ござんした。今日は酔いどれの文章になってしまいました…ははは…

憂鬱な思い・・・

少し前になるが、あるつまらない芝居を見て、そのパンフに、自信たっぷりの紹介文があるのを見つけてから、ぼくは少し憂鬱な気持ちになった。 宣伝や言明がどれだけ本心なのか?書いている本人は本気でそれを書いているのか? 自社の製品にどれだけ欠陥があろうと、欠陥商品なんです、などと宣伝するわけにはいかない。他に商品があり、選択肢がある状態ならともかく、「あまりおすすめはしませんが、この音楽グループの新しいCDを買ってください」なんてことをしたら、商売として成り立たない。 以前ぼくも、あまり良い作品なのではないのですが、公演を観にきてください、なんて紹介文を書いてしまったことがあるが、友達の公演とはいっても、時間やお金をかけて観にきてくれる人に、失礼なことをしてしまったと、今さらながら思う。 嘘でもいいからカーテンコールは笑顔でやるべきだともいうし、楽しくもないのに笑って踊るほうが、笑顔で踊らないよりも楽しそうに見えるし好感も持てる。 自社の製品に批評的になる必要はないにしても、宣伝や誇張ばかりしていると、次第に自分の考えも宣伝などの言明に近づいていくからおもしろい。誰がどうみてもひどい内容の演劇の公演を、いつもの大々的な宣伝と自己賛美のために、平気で垂れ流したりする団体もある。代表者が口ではいいことを言うのに、観るたびに失望に襲われる団体もある。劇場はいいけど、そこで行われる芝居がねえ、なんてかげぐちが聞こえる団体もある。 どこかで立ち止まって検証することが必要なのだ。なのに、生きることに精いっぱいで、生活のために、存続のために、誇大妄想が癖になってしまう。口では自己批判を厳しくいいながらも、相も変わらぬ行動をすることが癖になってはいけない。 検証するために、一度すっぱり離れてみるのもいいし、休んでみるのもいい。そんな意味で、旅や休暇が人間には必要なのだな。 それにしても憂鬱は収まらない。時間とお金をかけて楽しい時間を過ごしにきたのに、不愉快になるほどの芝居の出来だったから。精神的な快楽も与えるものなのだよね、芝居って。そのためにわざわざ劇場に足を運ぶのだもの。

おーい,goo!

せっかく書いて、きちんと手続きして投稿した文章が消えてしまったよ。 きちんとボタンを押したのにこれじゃな。 不愉快だぞ! 何度こんな目に会ったか… 耐えるしかないのか?運命か? な、あほな! やる気なくすね、こういうの。

いつまでもどこまでも

今日は、銀座のギャラリーで催された友達の主催の展覧会に行ってきた。その後、バイトもあったのだけど、展覧会からの流れのまま気持ちよく仕事ができた。まあ、土曜日で・寒くて・人が少ない・販売の仕事だったから、暇だったこともある。 バイトの前の展覧会で、そこに作品を出品している作家さんとお話しをした。いいね、ほんと。物を作る人の魂を感じた。こつこつと作り続けること。趣味であろうが、仕事であろうが、楽しみをもって作り続けること。勉強になった。出品していた作品もセンスがあったので、結果にも表れているし。感じのいい人でもあった。 その展覧会では、『お夏清十郎』公演の作曲家である、若柳吉三郎さんのギターデュオも聞けた。素晴らしかったです。 いいね、ほんと。人と接して、いい技術と、いい結果にめぐりあう。 その後の小売りのバイトも、落ち着いて、ひとりひとりのお客さんに接することができた。 もう終わったけど、主催者はこんな店も開いております。紹介しておくね。 ボックスショップ&ギャラリー cocokara そこで知り合った作家さん。(デザインの作家です) Boskyさんのホームページ 普段は無愛想に「大関とバタピー」を買っていくおじさん。今日はにこにこしていた。 リンクなし。(知りたければ上野に来いってか…?) 今日読んだ本。 「日本語の作文技術」(本多勝一) 世田谷は思ったよりも積雪があった。 おやすみ。

音楽は記述することが可能か?(6)

音楽は記述できるか、という問いかけをずっとしてきたわけだが、今になって気づいたことは、もともとのこの問いかけ自体が意味をなすものなのかという疑問である。 命題がずれていたら答えもずれる。良くない質問には答えようがない。 とはいっても、ずっと書き続けてきたことの締めくくりは必要なわけで、だから、これは失敗の記録として締めくくりたいと思う。 もともとの問いのたて方が、「音楽は記述することに意味をもつのか?」であったなら答えることもできたと思う。なぜなら、音楽が音楽である限り、文字を使って記述したのなら、それは、音楽そのものでなく、音楽について書いたことにほかならない。それは自明なことで、そこに問いを投げかけると、言語哲学などの領域になってしまい、そこにぼくは興味がない。 ならば、記述できるかできないかを問うよりも、記述することでどれほどの意味をもつものなのかを探ったほうが、生産的に思えるのだ。 ま、また回りくどくなってしまったので、意味があるかないか結論を言おう。 音楽そのものでなく、その音楽の周辺情報は、音楽家のことばにせよ、文章にせよ、たち振る舞いにせよ、広告・映像・写真・イラストにせよ、音楽そのものの価値を測る基準としては意味がない。その音楽についての知識のためには意味がある。 ようするに、意味あるか・ないか、どちらにも偏らない日和見主義だな。ははは。 音楽そのものは音楽を聴くことでしか判断できない。耳にあわない音楽は、その人にとってはつまらないものだ。たとえその曲が名曲であろうと、ヒット曲であろうと、珍しい価値があろうと、おもしろく心地よいものに思えなければ、聴く人にとって良いものではない。 音楽の情報は、音楽そのものに付随するもので、あえて分ける必要はない。しかし、良い曲と思えるものを人に薦めたいときには、仕掛け人はある戦略をとる。その戦略的な仕掛けによって、音楽と情報が結びついたり、逆に両者が分離したりする。 結局は、つまらない結論になってしまったのは、問いかけがつまらなかったからで、音楽に関する駄弁というものは、これほどまでに無益なものだという証拠になったということが、今回の収穫だった。 あえて野心的に書こうとすると、詮索だけして何も見つけ出せないまま、報告書を作成することになる。 埋蔵金を掘ることなんてものも、そのような

母子の絆

音楽は記述することが可能か?の結論を書こうとしたのだけど、それよりももっと新鮮な題材があらわれたので、今日はそちらを書く。 お昼の仕事はメッセンジャーなので、街をと走っていると、いろいろな場面にでくわす。今日は、ちとドラマティックなひとコマに遭遇できた。 とはいっても、人の生死にかかわる一大事だったわけで、できるなら遭遇したくはない出来事でもある。ことの顛末はこういうことだ。 夕方近くなって、ぼくもさすがに疲れてきて、それでなくても坂道の多い東京の都心部。大通りの横断歩道を渡り、その大通りを走ろうとして、交差点で目の前の信号が替わのるを待っていた。道路向かいの信号待ちのひとが数人ちらほらといたような気がする。 すると、ある女性が、とてもあわてた様子で道路向かいに声をかけていた。「ストップ!ストップ!動かないで!」。まずはそこにぼくの目がいった。ちょっと小走りしていたところを見ると、信号のそばには、はじめからはいなくて、声を張り上げながらやってきとことがわかる。 そこで、声をかけた方角を見ると、4〜5歳くらいぐらいの男の子が、大通りに交差する道に少しはみ出したところにいた。ぼくが大通りを横断できたということは、この交差する道は車の信号は青だということになる。少し前には、この男の子は見えなかったのだが、信号待ちをしている7〜8人の大人の間をすり抜けてきたのだろうか、しかも、車道に1mはみだしている。 誰もがあぶないと思ったのは、母親のさきほどの叫び声のためだった。道路向かいで、男の子から1m後ろで信号待ちしていた男性が、男の子を抱きかかえようと車道に出た瞬間、男の子が母親めがけて歩行者赤信号を渡りだした。小走りで母親めがけていく。男性は立ち止った。 車道は信号が青なので、車はスピードをだすし、そこは下りの坂道でスピードも出やすい。ちょうどそのときは、運悪く、ダンプカーが走ってきた。誰もが最悪の事態を想像した。 キキー!!! 男の子はそのまま小走りを続けて、道路向かいの母親のもとにたどり着けた。 幸運だったのは、ダンプの前に直前に飛び出さなかったこと。車高の高い運転席から小さい男の子がはっきり見えるくらいの距離があったこと。運転手がきちんと見ていたこと。 男の子は母親の胸で泣き出し、母親はきつく男の子を抱き締めていた。 ほっとしたのは、

音楽は記述することが可能か?(5)

はたしてどちらの意見を尊重すればよいのか? 音楽は音楽以外で語るべきでない、という意見と、音楽ですらことばを省いて無言になるのはよくない、という意見と。 同じように、演劇も、舞台の上で演劇という方法だけで表現するものと、演劇について語るものとの相克が問題意識にあがることもある。 スタニフラフスキーの書いた「俳優の仕事(俳優修業)」と「「芸術におけるわが生涯」は、演劇の読み物だし、「俳優のエチカ」なども論文に近いものがある。弟子たちの書いた稽古場の記録がスタニフラフスキーの演劇人としての姿をよく映し出しているのは皮肉だ。彼の仕事は、現場で俳優や学生を演出したことに集約されていて、それ以外の著書は、正当に比較するなら、彼の余技ぐらいの価値しかないのではないか? ならば、彼が演劇についておしゃべりしたことは、彼の活動に弱い光をあてるだけのもので、そこにどれほどの重要性があるのだろうか? 同じように、蜷川幸雄の著書でも、栗山民也の著書でも、ピーター・ブルックの著書でも、たしかにおもしろいが、それに勝る舞台との比較をするならば、どうしても舞台のほうを選んでしまうのではないか? ストレーレルも「演劇は語るものではない」という文章で、自分の舞台を語ることが、その舞台と無縁なものであることを承知しながら、文章を書いている自分を卑下してこう書いている。 「ときとしてわたしは、こんな思いにとらわれることがある。演劇を、演劇以外のかたちで報告することが不可能だというこの特殊性は、演劇が劣っているという判定、自己の劣等性の自認にほかならないのではないか、と。しかしこれは同時にまた、あのほとばしりでるような<演劇性>のあかしでもあるのではないか、と。この演劇性はそれ自身によってしか自己をときあかすことのできないものである。そしてこれこそが、<演劇>の使命である。」(ストレーレル「人間の演劇」) 世の中さまざまな職種があるように、演劇も音楽も、その表現方法の分野ではおのおのの独自の力が必要だが、それを書物や文字とするとなると、また別の才能が必要になる。文章を書く能力である。専門的な芸術家にそれを求めるのは酷であろう。ゴーストライターという職業もあることだし。 かといって、ことばで語ることを回避して、いわば秘儀化して、秘伝として特許化することも、あまりおもしろくない。

音楽は記述することが可能か?(4)

さてさて連載ものででもあるかのように、シリーズで書いているわけだが、ふりかえって少し明確にしておくところが必要だと思うので記しておく。 批評・評判・広告・宣伝・噂といった形の、創作者の外部からなされる記述と、創作者本人に求められる記述といったものの違いについて。もちろん創作者本人でさえも、後付けでさまざまな衣裳は着せられることがあるし、改作といった形で形を変えることもできる。そこらへんの区別については触れないことにしておく。 大事なのは、音楽なり、絵画なり、映画なり、演劇なりの芸術の特性的なもの・本質的なものか、それに付随する言述かという区別をつけること。 作品が一次的創造物とすると、その作品についての言述が二次的創造物であり、その二次的創造のことばというものが、はたして作品をどれほど豊かにできるか、反対にどれほど損なえるかということ、また、その二次的なことばでわれわれは何をどこまで表現できるかということを探ってみたい。 ふうぅ…堅苦しくなった… 前回は、ことばとの格闘というか、ことばとの交渉は必要なんじゃないかという結論で終わったのだが、それと反対のことも思ったりしているのだから、性質が悪いというのは承知でそちらの線の弁護もしたい。 さきほどの一次的、二次的な区分でいえば、たとえば音楽である限り、二次的な批評や言説は一次的な創造物にかなうものではない。これは分かり切ったことで、音楽が音楽についてのことばに負けるようであれば、音楽の存在価値がないのだ。音楽が音などを使って表現できることが、ことばによってできるのであれば音楽なんて必要ない。 音楽は音楽、音楽についての言説はことばの世界なので、まったく別の世界なのだ。ことばがどれほど発達しようが、音楽によって表現されたことで、すべてがひっくり返されるものなのだ。いわば、ことばなんてちっぽけなものだということ。 音楽なり映画なりが、目の前に現れて、現実のもの、生の具体的なものであるとすれば、ことばはあくまで抽象的なものなのだな。今日は雪だが、「雪」と書いて、連想するのは読み手の「雪」であり、書き手がどれほどの趣向と技術と具体性をこめて「雪」を説明しようが、読み手は自分勝手に「雪」のイメージを作ってしまう。 芸術が、ある意味で職人仕事だというのは、作品という具体的なものを提示するからであり、その

音楽は記述することが可能か?(3)

先日まで書き綴ってきたことから文脈が少しはずれるが、ある音楽家の言葉を引用してみたい。 「私は未だに、作曲家は言葉で語るべきではないのではないかと思ったりしている。だが反面、自分に与えられた発言の機会を充分に生かさないのは、芸術家として社会に対する責任を怠ることになるのではないか、とも思う」(武満徹「音、沈黙と測りあえるほどに」より) 同じ人はこうもいう。 「昨夜の時点では、徹夜で書いた原稿をここで読もうと思っていたのですけれども、今朝、練習に立ち会っているうちに、なぜか読む気がしなくなってきました。自分の考えを知っていただくには、結局、ぼくの音楽を聴いていただくのが最も端的だ、と思うようになったからですが、しかしそう言ってしまうには、ある後ろめたさがあり、そこに作曲家としての怠惰と傲慢を感じます」(武満徹「樹の鏡、草原の鏡」より) 音を作り出す当人が、自分への戒めのために、あえて饒舌に口を開く機会を作っている意志の表れであり、そこに、説明責任といった一般的に求められる義務というよりも、親切心よりも、芸術家としてのポリシーを感じる。 「さ、これを聞けば答えが書いてありますよ」「詳しくはホールに来てください」「CDを買ってください」といった投げやりなものでなく、たとえ音楽でさえも、言葉との交渉を通して語るという使命感。 もちろん、当人ならずとも、第三者がその音楽を語るには、音を通して語るものが一番重要なものだが、そこでコトバでもって音楽を記述するという行為を放棄するのは、怠慢なのではないか?確かに、音に付随するコトバが、音を裏切ることもあるし、誇張していたり・偽装していたりする類の、コトバの衣裳もある。コトバの過剰や氾濫は、テレビのテロップに表れていて、それはそれで愉快なものではないが、かといってコトバで語るという行為をやめ、無言になってしまうのも考えものなのだ。 ある意味、言語活動は社会的な行為であり、それがなくては音楽でも絵画でも映画でも、まるで登られたことのない秘峰であって、それは眺められ、崇められ、迷信となってありがたがられる。もしくは忘れ去られる。芸術が受け手の手元にきちんと届くには、コトバとの交渉が必須なのではないか? と、またまた、事が大きくなりそうで、収拾がつかなくなりそうで、次に回す。次は芸術という関連から、演劇が記述で

音楽は記述することが可能か?(2)

勢いにのって第二弾! 「バッハのイタリア協奏曲ってどんな曲だったっけ?」 「はい、これ」(楽譜を渡す) 「どんな曲だったっけ?」 「はい、これ」(CDを渡す) 「どんな曲だったっけ?」 「こんな曲よ。♪〜」(ハミングする) 「どんな曲だったっけ?」 「第一小節がフォルテに近い音から始まり…」(説明する) 「どんな曲だったっけ」 「ぼくの大好きな曲よ」(絶賛する) 何が一番効果的に、また分かりやすくその曲を伝えられるのだろうか? そんなことを書きながら、グールドの弾くバッハの「イタリア協奏曲」をCDで流す。音楽自体を聴いたことのある人なら、共有するものもあり、あるキーワードによってこちらの伝えたいことを伝達することができる。そのキーワードが伝達する側にも、される側にも共通しているというだけで、案外、別な曲を連想していたり、まったく個々の感受をしていたりする。 同じ曲を聞いたことがあるというのはまだいいほうで、聞いたことのない人にそれを伝えるとなると、ひと苦労する。ときには、相手の感受性をくすぐる方向で、説明を展開するし、曲そのものとはなんの関係もない自分の体験との連関を語ってみたり。そして、たいていそのような独自性のある説明のほうが印象に残るし、的を得ていたりするのはよくあることだ。 別に純粋主義ではないが、音楽が客観的に記述できるものなのか、批評ではないが、それを言い表す衣をかぶせることはできるのかという単純な疑問がどうしてもある。 歌詞のある歌ならその歌詞によって曲の一部、しかも大きな一部は表現できるのだが、「いかすぜベイビー!」「暗闇のおもちゃ〜」などという歌詞とは別次元で、洋楽ロックを聴いているのも事実なのだ。 歌詞は思い浮かばなくてもハミングできるのだし、たいていサビくらいしか覚えていないのだし。 ジャンルわけというのはよくされることであるが、まあ、あれは大ざっぱなものでしかない。ヘヴィメタルといういかつい名前のものだと、ひとくくりにしてしまい、それがブランド名になっていたりもするのだが、そのメタルの中でも、良い曲悪い曲があり、もちろんそれだけでは説明にならない。 そもそも音楽をコトバで説明すること自体ナンセンスなことなのか? (つづく…はず…)