今日は何だか、とても気分がよかったのだか、自分から人に話しかけた。ま、普段から人に話しかけないわけではないが、嫌な人と一緒だと自分の世界に入ってしまうので。競輪新聞が入って来るのを待っているお客さんと、世間話みたいなこともしてしまった。自分に気負いがないからだろうか、お客さん相手なのにタメ口でばんばん話してしまうし、それを自然にしてしまうし。なんだか、今日は、口と言葉の周りにオイルを塗っているかのようだった。
電車の中では、台本に赤線を入れる作業に没頭してしまい、これもまた滑らかになんの障害もなく済んだ。
電車の中や駅の構内で、意識や視線を遠くへ向けると、こんなふうに小さなデコボコが気にならず、悠長に物事を見られる。隣でわさわさ動いている人も、混んだ電車の中でしきりに頭を揺らす人も、傘を振り回しながら歩く非常識な人も、みんな気にならなくなる。意識が小さいところ、近いところに無いからだと思う。
いわば科学者のような目でもって物事を見渡せるようになると、気分的にも楽になる。日常のささいな、煩わしいことを無視できるから。
こんな日が明日も来るかどうかは分からない。しかし、来ればいいなと思う。しかし、気温が暑すぎたり、寒すぎたりで、すぐに自分一人に意識がいってしまうのがぼくの悪い点だ。こんな日が続くかどうか。
ま、ここ最近は、自分から動かなければ成立しない生活になってきているから、落ち着いて行動できているのだと思う。誰かが何かをやってくれていたときは、ただただ動かされるままだったのだが、自分から動くには自分がしっかりしていないとダメだから、当然なんだけどね。順応というやつかな。適応かな。
よりいっそう、生活するための方法を見つけ出さなければならないし、生き方を学んでいかなければならない。
でも、話の脈絡はないけど、どうしてぼくの場合、本能的に、今僕が従事している世界や集団や業界を嫌っているのだろうか?嫌いというより距離を取りたがる。
フランスにいたとき、何か月もフランスが大嫌いだった。
演劇の業界人って、実はあんまり好きじゃないのかもとも思っている。
バイト先や会社の文句をいうのはお手のものだし。
混乱を恐れているのかもしれない。惑わさないでくれ、近寄らないでくれ。そういえばこの前のワークショップで、キャリアのある俳優さんが言っていたな。「俳優は本能的に演技することを恐れている」といったことを。そうそう、きっと自分が制御できなくなることを恐れているのかもしれないな。でも、同時にぼくは、制御できる状態のエネルギーは小さいものであることも知っている。つまり、混乱せずに秩序だった生活というものは、波乱はないにせよ、しかし平凡で、物事を飛躍させることもできないと。
と、ここまで書いてきて、ぼくの考えが今度やる公演の台本そのものだということに気がついた。そこまで、影響を受けているのかと思うと、嬉しいと同時に、自分に物足りなくも思ってしまうな。
そういえば告知していなかった。
宣伝する。
日にちは後日発表するけど、真山青果の「玄朴と長英」という作品をやります。
グルッポ・テアトロ
まとまりのない文章でした。
電車の中では、台本に赤線を入れる作業に没頭してしまい、これもまた滑らかになんの障害もなく済んだ。
電車の中や駅の構内で、意識や視線を遠くへ向けると、こんなふうに小さなデコボコが気にならず、悠長に物事を見られる。隣でわさわさ動いている人も、混んだ電車の中でしきりに頭を揺らす人も、傘を振り回しながら歩く非常識な人も、みんな気にならなくなる。意識が小さいところ、近いところに無いからだと思う。
いわば科学者のような目でもって物事を見渡せるようになると、気分的にも楽になる。日常のささいな、煩わしいことを無視できるから。
こんな日が明日も来るかどうかは分からない。しかし、来ればいいなと思う。しかし、気温が暑すぎたり、寒すぎたりで、すぐに自分一人に意識がいってしまうのがぼくの悪い点だ。こんな日が続くかどうか。
ま、ここ最近は、自分から動かなければ成立しない生活になってきているから、落ち着いて行動できているのだと思う。誰かが何かをやってくれていたときは、ただただ動かされるままだったのだが、自分から動くには自分がしっかりしていないとダメだから、当然なんだけどね。順応というやつかな。適応かな。
よりいっそう、生活するための方法を見つけ出さなければならないし、生き方を学んでいかなければならない。
でも、話の脈絡はないけど、どうしてぼくの場合、本能的に、今僕が従事している世界や集団や業界を嫌っているのだろうか?嫌いというより距離を取りたがる。
フランスにいたとき、何か月もフランスが大嫌いだった。
演劇の業界人って、実はあんまり好きじゃないのかもとも思っている。
バイト先や会社の文句をいうのはお手のものだし。
混乱を恐れているのかもしれない。惑わさないでくれ、近寄らないでくれ。そういえばこの前のワークショップで、キャリアのある俳優さんが言っていたな。「俳優は本能的に演技することを恐れている」といったことを。そうそう、きっと自分が制御できなくなることを恐れているのかもしれないな。でも、同時にぼくは、制御できる状態のエネルギーは小さいものであることも知っている。つまり、混乱せずに秩序だった生活というものは、波乱はないにせよ、しかし平凡で、物事を飛躍させることもできないと。
と、ここまで書いてきて、ぼくの考えが今度やる公演の台本そのものだということに気がついた。そこまで、影響を受けているのかと思うと、嬉しいと同時に、自分に物足りなくも思ってしまうな。
そういえば告知していなかった。
宣伝する。
日にちは後日発表するけど、真山青果の「玄朴と長英」という作品をやります。
グルッポ・テアトロ
まとまりのない文章でした。
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