今日なんてとても涼しくて気持ちいいから、過ごしやすいなあ。あまり暑すぎるのも、逆に寒すぎるのもダメで、そんなこと考えると気持ちよく過ごせる日なんて、1年に10日あるかないかくらいだろうか?別にお肌がわがままなわけじゃない。周りの空気に体が心地よくフィットするといった感じだろうか?1日でも、気温の上下、湿度の上下、太陽の当たる当たらないで、そんな心地よさなんて変わってくるのだから難しい。
フィットするといえば、自分の体の具合というのも、どこかしら不具合があったり、気分が悪かったりで年中通して同じことなんてない。痩せ具合・太り具合にも波があって、自分が気持ちよく動けるという体の締まり具合は、なかなか見つけ出せるものじゃない。むかしから、体が軽く痩せていたほうが気分も体も軽やかになり心地よいのだが、食べるという誘惑はそんなときに悪魔のように襲って来て、だからこそ食もおいしくいただけて、ついでに量もとってしまい、体の重量バランスを崩してしまう。
土曜日から、自転車レースのジロ・デ・イタリアが始めるけど、急きょ1週間前に大会に参加を許されたアスタナチームの選手なんて、コンディションを整えるのが難しいだろうな。ビッグな大会だから、それを優先させるけど、体は別なペースで調整しようとしていたのだから。これが、一般の人なら徹夜で企画書、早出・残業で準備を整えるといったことが可能だが、スポーツ選手のしかも過酷なステージレースだから、眠らないでなんてことはできないし、調整の目標を変えなければいけない。言ってみれば、急きょパリコレに出ることになったから、ダイエットしてというものだろうな。
演劇のスタニフラフスキー。俳優の身支度ということばを使って、舞台に出るまでの、もしくは日常からの訓練として、いくつかの訓練をあげている。架空対象行動もそれで、たとえばコップが実際はないのに、あるかのようにコップをつかんで飲んだりする訓練。人に見せるわけでなく、自分の感覚・注意を確かめる意味で。いわばフィットネスの訓練。今日は調子がいいだろうかなどと確かめれるかもしれない。
朝、夢を見たのだが、夢のなかの自分はいつも重くて嫌だ。なぜかマラソンレースをしていて、ぼくとチームメイトのひとりが後ろをかなり引き離した。チームメイトは人間なのに体を地面に平行にして低空飛行していた!その後ろについて空気抵抗を受けずにぼくも先頭にたてたわけだが、そこから夢が混乱する。
大きなカーブのところで、何人もの選手が近道をするわ、ぼくらも集団に引き戻されなぜかみんなで歩くわ。
ゴールが近づいてきて、みんな歩いているなかで、ぼくは枝分かれした道で靴に入った石を取り除こうとする。緩やかに歩いているからぬけがけはしないだろう。本道に戻るとみんなが走り出していた。おい!。あわててゴールまでの競争になって、そのゴールというのがぼくの実家の門で、住宅地だからいろんな道があって、選手はどの道を通ってもいいらしく走りだした。ぼくは前の人、これも中学時代の知り合いの人で、彼を追いかけていたのだが、ぼくの体が重くてなかなか追いつかない。それでも全力あげて走り、門の前で別ルートを走ってきた人、これは小学時代の友人のひとり、にゴール前1メートルで追い抜かれた。3位でゴール。
体が重かった。夢とはいえ、体が重いのは嫌なものだ。
夢のフィットネスというものはないだろうか?
フィットするといえば、自分の体の具合というのも、どこかしら不具合があったり、気分が悪かったりで年中通して同じことなんてない。痩せ具合・太り具合にも波があって、自分が気持ちよく動けるという体の締まり具合は、なかなか見つけ出せるものじゃない。むかしから、体が軽く痩せていたほうが気分も体も軽やかになり心地よいのだが、食べるという誘惑はそんなときに悪魔のように襲って来て、だからこそ食もおいしくいただけて、ついでに量もとってしまい、体の重量バランスを崩してしまう。
土曜日から、自転車レースのジロ・デ・イタリアが始めるけど、急きょ1週間前に大会に参加を許されたアスタナチームの選手なんて、コンディションを整えるのが難しいだろうな。ビッグな大会だから、それを優先させるけど、体は別なペースで調整しようとしていたのだから。これが、一般の人なら徹夜で企画書、早出・残業で準備を整えるといったことが可能だが、スポーツ選手のしかも過酷なステージレースだから、眠らないでなんてことはできないし、調整の目標を変えなければいけない。言ってみれば、急きょパリコレに出ることになったから、ダイエットしてというものだろうな。
演劇のスタニフラフスキー。俳優の身支度ということばを使って、舞台に出るまでの、もしくは日常からの訓練として、いくつかの訓練をあげている。架空対象行動もそれで、たとえばコップが実際はないのに、あるかのようにコップをつかんで飲んだりする訓練。人に見せるわけでなく、自分の感覚・注意を確かめる意味で。いわばフィットネスの訓練。今日は調子がいいだろうかなどと確かめれるかもしれない。
朝、夢を見たのだが、夢のなかの自分はいつも重くて嫌だ。なぜかマラソンレースをしていて、ぼくとチームメイトのひとりが後ろをかなり引き離した。チームメイトは人間なのに体を地面に平行にして低空飛行していた!その後ろについて空気抵抗を受けずにぼくも先頭にたてたわけだが、そこから夢が混乱する。
大きなカーブのところで、何人もの選手が近道をするわ、ぼくらも集団に引き戻されなぜかみんなで歩くわ。
ゴールが近づいてきて、みんな歩いているなかで、ぼくは枝分かれした道で靴に入った石を取り除こうとする。緩やかに歩いているからぬけがけはしないだろう。本道に戻るとみんなが走り出していた。おい!。あわててゴールまでの競争になって、そのゴールというのがぼくの実家の門で、住宅地だからいろんな道があって、選手はどの道を通ってもいいらしく走りだした。ぼくは前の人、これも中学時代の知り合いの人で、彼を追いかけていたのだが、ぼくの体が重くてなかなか追いつかない。それでも全力あげて走り、門の前で別ルートを走ってきた人、これは小学時代の友人のひとり、にゴール前1メートルで追い抜かれた。3位でゴール。
体が重かった。夢とはいえ、体が重いのは嫌なものだ。
夢のフィットネスというものはないだろうか?
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