ここ最近話題になっている「モンスター」。「モンスター・ペアレント」や「モンスター・ハズバンド」。おそらく、市民意識の高まりが悪い方向に影響している一例だと思う。
たしかに、いろいろな権利を主張することや、また、公共機関でさえもサービスの要素はあることが、市民のなかに意識としてのぼっているのは進歩。警察官なんか特に最近丁重な態度をとっている。
しかし、それが転化して、暴力的に権利を主張するのはいかがなことであろう。
図書館のサービスや、教育のサービスだけでなく、民間のサービスにしても、過剰なサービスを期待するのは、さまざまな余剰の害をまき散らす。至れり尽くせりの過剰なサービスを施すのが期待された時代は過ぎたし、受ける側もそれを期待することはなくなった。
しかし、小さな部分、今までサービスという概念のなかった分野にサービスを求めるのを当然と思ってしまうのが、こうした「モンスター」の現れになるのだろうか。
一度そういった権利やサービスを受け取ってしまうと、それがどの分野でも、どの機会にも必要に思えてくるのは仕方がないことではある。セルフサービスのファーストフード店で、そういったサービスを期待するようなものだ。全自動洗濯機を使った後では、段階式の洗濯機を使うのに不満をもらすようなものだ。その足りない部分をなんとかしてほしい、お客なんだからサービスを受けて当然だという意識。あながち間違いではなく、社会がそれだけ細かいところにまで意識が浸透してきている、というふうに考えると、進歩ではある。
要は、その権利がはたしてその場所、その分野、その機会では、主張することが正しいのかを考えずに、やみくもに権利を暴力的に要求することなのだ。
例えば、主婦の自転車三人乗りも話題になっているが、三人乗りを禁止するなという主張はまっとうだと思う。そこに異存はない。が、三人乗りであったり、こども連れの自転車が、歩道をわがもの顔で歩行者を除けていくという光景によく出会うが、それはどうなのだろう。たとえ三人乗りで幼児を連れて大変な運転であろうが、その場その機会に照らして、どこまでそんな運転をわがままでないと言い切れるだろうか。
「モンスター・ハズバンド」の場合には、おそらく夫は初めて出産に立ち会うという状態において、自分が混乱せず優位に立てるように、自分の知っている権利やサービスを転用しているに違いない。産科には産科の歴史と常識があるなかで、その郷に入ろうとせず、自分の国のスタイルを押し通そうとする。
そんな人は一度海外へ行ってみるといい。そのコミュニティの中ではそういったわがままを抑えるところから異国人の生活は始まるから。ま、でも帰ってきたら、そういった人は海外で学んだ権利や方法を主張するのかもな。それじゃ同じだ。
権利の行使、お客様意識は、それだけでは悪いものではない。それが暴力的に行使されるときに不快を感じられるのだ。見た限り、老若男女、いろんな人がそういった暴力をしている。自分でも気付かないうちに、意識が肥大化している。人間放っておけば、どんなにもがさつになれることの証明だな。年齢がいくつになっても学ぶべきことはあるのだな。
たしかに、いろいろな権利を主張することや、また、公共機関でさえもサービスの要素はあることが、市民のなかに意識としてのぼっているのは進歩。警察官なんか特に最近丁重な態度をとっている。
しかし、それが転化して、暴力的に権利を主張するのはいかがなことであろう。
図書館のサービスや、教育のサービスだけでなく、民間のサービスにしても、過剰なサービスを期待するのは、さまざまな余剰の害をまき散らす。至れり尽くせりの過剰なサービスを施すのが期待された時代は過ぎたし、受ける側もそれを期待することはなくなった。
しかし、小さな部分、今までサービスという概念のなかった分野にサービスを求めるのを当然と思ってしまうのが、こうした「モンスター」の現れになるのだろうか。
一度そういった権利やサービスを受け取ってしまうと、それがどの分野でも、どの機会にも必要に思えてくるのは仕方がないことではある。セルフサービスのファーストフード店で、そういったサービスを期待するようなものだ。全自動洗濯機を使った後では、段階式の洗濯機を使うのに不満をもらすようなものだ。その足りない部分をなんとかしてほしい、お客なんだからサービスを受けて当然だという意識。あながち間違いではなく、社会がそれだけ細かいところにまで意識が浸透してきている、というふうに考えると、進歩ではある。
要は、その権利がはたしてその場所、その分野、その機会では、主張することが正しいのかを考えずに、やみくもに権利を暴力的に要求することなのだ。
例えば、主婦の自転車三人乗りも話題になっているが、三人乗りを禁止するなという主張はまっとうだと思う。そこに異存はない。が、三人乗りであったり、こども連れの自転車が、歩道をわがもの顔で歩行者を除けていくという光景によく出会うが、それはどうなのだろう。たとえ三人乗りで幼児を連れて大変な運転であろうが、その場その機会に照らして、どこまでそんな運転をわがままでないと言い切れるだろうか。
「モンスター・ハズバンド」の場合には、おそらく夫は初めて出産に立ち会うという状態において、自分が混乱せず優位に立てるように、自分の知っている権利やサービスを転用しているに違いない。産科には産科の歴史と常識があるなかで、その郷に入ろうとせず、自分の国のスタイルを押し通そうとする。
そんな人は一度海外へ行ってみるといい。そのコミュニティの中ではそういったわがままを抑えるところから異国人の生活は始まるから。ま、でも帰ってきたら、そういった人は海外で学んだ権利や方法を主張するのかもな。それじゃ同じだ。
権利の行使、お客様意識は、それだけでは悪いものではない。それが暴力的に行使されるときに不快を感じられるのだ。見た限り、老若男女、いろんな人がそういった暴力をしている。自分でも気付かないうちに、意識が肥大化している。人間放っておけば、どんなにもがさつになれることの証明だな。年齢がいくつになっても学ぶべきことはあるのだな。
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