少し前になるが、あるつまらない芝居を見て、そのパンフに、自信たっぷりの紹介文があるのを見つけてから、ぼくは少し憂鬱な気持ちになった。
宣伝や言明がどれだけ本心なのか?書いている本人は本気でそれを書いているのか?
自社の製品にどれだけ欠陥があろうと、欠陥商品なんです、などと宣伝するわけにはいかない。他に商品があり、選択肢がある状態ならともかく、「あまりおすすめはしませんが、この音楽グループの新しいCDを買ってください」なんてことをしたら、商売として成り立たない。
以前ぼくも、あまり良い作品なのではないのですが、公演を観にきてください、なんて紹介文を書いてしまったことがあるが、友達の公演とはいっても、時間やお金をかけて観にきてくれる人に、失礼なことをしてしまったと、今さらながら思う。
嘘でもいいからカーテンコールは笑顔でやるべきだともいうし、楽しくもないのに笑って踊るほうが、笑顔で踊らないよりも楽しそうに見えるし好感も持てる。
自社の製品に批評的になる必要はないにしても、宣伝や誇張ばかりしていると、次第に自分の考えも宣伝などの言明に近づいていくからおもしろい。誰がどうみてもひどい内容の演劇の公演を、いつもの大々的な宣伝と自己賛美のために、平気で垂れ流したりする団体もある。代表者が口ではいいことを言うのに、観るたびに失望に襲われる団体もある。劇場はいいけど、そこで行われる芝居がねえ、なんてかげぐちが聞こえる団体もある。
どこかで立ち止まって検証することが必要なのだ。なのに、生きることに精いっぱいで、生活のために、存続のために、誇大妄想が癖になってしまう。口では自己批判を厳しくいいながらも、相も変わらぬ行動をすることが癖になってはいけない。
検証するために、一度すっぱり離れてみるのもいいし、休んでみるのもいい。そんな意味で、旅や休暇が人間には必要なのだな。
それにしても憂鬱は収まらない。時間とお金をかけて楽しい時間を過ごしにきたのに、不愉快になるほどの芝居の出来だったから。精神的な快楽も与えるものなのだよね、芝居って。そのためにわざわざ劇場に足を運ぶのだもの。
宣伝や言明がどれだけ本心なのか?書いている本人は本気でそれを書いているのか?
自社の製品にどれだけ欠陥があろうと、欠陥商品なんです、などと宣伝するわけにはいかない。他に商品があり、選択肢がある状態ならともかく、「あまりおすすめはしませんが、この音楽グループの新しいCDを買ってください」なんてことをしたら、商売として成り立たない。
以前ぼくも、あまり良い作品なのではないのですが、公演を観にきてください、なんて紹介文を書いてしまったことがあるが、友達の公演とはいっても、時間やお金をかけて観にきてくれる人に、失礼なことをしてしまったと、今さらながら思う。
嘘でもいいからカーテンコールは笑顔でやるべきだともいうし、楽しくもないのに笑って踊るほうが、笑顔で踊らないよりも楽しそうに見えるし好感も持てる。
自社の製品に批評的になる必要はないにしても、宣伝や誇張ばかりしていると、次第に自分の考えも宣伝などの言明に近づいていくからおもしろい。誰がどうみてもひどい内容の演劇の公演を、いつもの大々的な宣伝と自己賛美のために、平気で垂れ流したりする団体もある。代表者が口ではいいことを言うのに、観るたびに失望に襲われる団体もある。劇場はいいけど、そこで行われる芝居がねえ、なんてかげぐちが聞こえる団体もある。
どこかで立ち止まって検証することが必要なのだ。なのに、生きることに精いっぱいで、生活のために、存続のために、誇大妄想が癖になってしまう。口では自己批判を厳しくいいながらも、相も変わらぬ行動をすることが癖になってはいけない。
検証するために、一度すっぱり離れてみるのもいいし、休んでみるのもいい。そんな意味で、旅や休暇が人間には必要なのだな。
それにしても憂鬱は収まらない。時間とお金をかけて楽しい時間を過ごしにきたのに、不愉快になるほどの芝居の出来だったから。精神的な快楽も与えるものなのだよね、芝居って。そのためにわざわざ劇場に足を運ぶのだもの。
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