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技術とプロと

今日は床屋に行ってきたのだけど、いつもの親爺さんの愛想の好さがなく、どうもぎこちない様子だった。しかも、櫛を3,4度も落としたりして、いつもとは違うように思えた。彼の中に何があったのかは分からないが、おそらく精神的に何か負担になるようなことを抱えていたには違いない。
そんな様子ではあったが、ハサミさばきの技術はしっかりしたもので、そこに対しては不安を覚えることはなかった。身につけた技術の質は、そんなに簡単に落とせるものではない。

自転車に乗る技術、都心でうまく走る技術というものもあるので、どんなに気分がすぐれなくて流しながら都心を走っていても、一定の時間以上にかかることはない。これも随分と乗りなれた経験からだろう。

チベット問題の聖火リレーの妨害も問題となったが、マスメディアに映るぐらいの行動に出る人は、やはりそれなりの技術があるのだということも推測がつく。熱い思いで国を憂う人が映し出される場合と、妨害の先頭に立つ人の場合では、まったく別なことをしているようにしか思えない。市民運動の盛んな英仏の市民のデモと、そこで繰り返される一部の策略・行動は別種のものだ。どう見ても、火を盗もうとした人は、プロとは言わないまでも、ある一定の技術は持っている。

日本の調査捕鯨船の妨害と、この聖火リレーの妨害は同種のものであると思うのだが、どうであろうか?一方は、海賊船に乗り自らを名乗り出ていて、一方は市民に紛れている。どちらも、ある過激派の行動と言える。
オーストラリアの市民に捕鯨への批判が多いにしても、彼等は調査船を妨害することまではしないのだ。
豪では日本政府に対する風当たりも強いことは、中国政府にたいする世界の風当たりと同じ。

聖火リレーを妨害する側も、それを防ごうとする「青シャツ」も、チベット問題を拡大化しようとする諜報組織も、問題をなかったことにする中国政府も、すべて専門家による一種の諜略と捉えるのなら、ある意味で、民衆はいいように利用され、置き去りにされているように見えなくもない。聖火ランナーの一様に困惑した顔がとても印象的だ。

話はかわって、テレビで活躍するタレントにすら技術があり、たとえ海外でどれだけのエンターティナーであったとしても、日本のテレビに引っ張り出されると、ある一種の違和感を感じるものである。テレビ慣れしたスポーツ選手や弁護士などのほうが、慣れていない人よりも、同じ業績をあげても、素晴らしく・正しく思えたりする。やはり、ここにも技術が絡む。

最後に例を挙げるのが演劇に関することで、それはぼくの常套手段なのだが、演劇ももちろん技術があり、一年携わった人でもそれなりの技術は身に付く。しかも、身についているようには、実生活上見えないことから、技術というものが隠れている訳で、実際には多くの技術の伝授・実施がされているわけだ。
はじめて文章を朗読する小学生にすら、一定の抑揚があり、それが知らずに身についている。

多くの技術によるやりとりにうんざりするときもあろう。技術を避けようと意識して努めるのにも技術がいるとしたら、途方もない循環を繰り返していることになる。

パスカルの言葉
「真の雄弁は、雄弁をばかにし、真の道徳は、道徳をばかにする。…哲学をばかにすることこそ、哲学することである」 ―『パンセ』パスカル(前田陽一訳)
真の技術は…と置き換えるまでもなく、この言葉に、あながち逆説とばかりは言っていられない真理があるように、ぼくには思える。

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