劇映画において、風景や空のショットがあまり意味を持たないのは、多くの人がいうことだが、戯曲においても同じようなことが言えると、ぼくは思うんだな。
どうしても興味がわかない劇作家がいる。おもしろくない。その作家は自分でおもしろいと思っているから書いているのだろうが、ぼくにはおもしろく思えない。その劇作家が、人間に対してあまり興味を持っていないように思えるからだ。
何を書いても、そこに人間が描かれていればそれなりのおもしろさはある。しかし、一部の作家は、自分の文体にしか興味がなかったり、ささいなギャグにしか興味がないように思える。描かれているものが人間でなく、技術であったり、言葉の綾だったり。構成の上手下手でなく、見たいものを見せてくれない、知りたいことを知らせてくれない。
そんな劇作家こそプライドが高かったりもする。
う〜ん。作家の立場というものだろうか、作家がどこに立って、どれを見て、それをどのように見せてくれるかが大事ではある。しかし、それ以上に大事なのは人間を描くという立場に立つということではないか?
ハリウッド映画の多くはマンネリで退屈だったりするけど、人間を描くという立場は守られている。多くの脚本家の参加するシステムでは、普遍的な人間ドラマというものが共通項なのかもしれない。
多くの劇作家だって、そんな人間ドラマを見せてくれるのだが、どうしても一部の劇作家にはついていけない。ギャップというより、完全な別枠といった感じで、理解しようとする気も起らない。
どこの世界のことを書いているのやら…そして、それは、今を生きるぼくたちに何の関係も刺激ももたらさない。そんな戯曲を書き続けるだけの執筆人生は、はたしてよいものか?後世をあてにする?いやいや、時間が経とうが、人間が描かれていなければ振り返られることもあるまい。
アルタミラの壁画や、ローマのモザイク画だって、みんな人間が描かれているから後世の人が興味を持つのだ。
風景画や絵画や舞台装置を観に劇場に来る人は少数だろう。みんな人間を観にきたいのだと思う。そこにドラマはあってもなくてもいいのかもしれない。反ドラマ演劇というものもあるだろう。しかし、反人間の演劇は果たして興味をそそるものかどうか。
どうしても興味がわかない劇作家がいる。おもしろくない。その作家は自分でおもしろいと思っているから書いているのだろうが、ぼくにはおもしろく思えない。その劇作家が、人間に対してあまり興味を持っていないように思えるからだ。
何を書いても、そこに人間が描かれていればそれなりのおもしろさはある。しかし、一部の作家は、自分の文体にしか興味がなかったり、ささいなギャグにしか興味がないように思える。描かれているものが人間でなく、技術であったり、言葉の綾だったり。構成の上手下手でなく、見たいものを見せてくれない、知りたいことを知らせてくれない。
そんな劇作家こそプライドが高かったりもする。
う〜ん。作家の立場というものだろうか、作家がどこに立って、どれを見て、それをどのように見せてくれるかが大事ではある。しかし、それ以上に大事なのは人間を描くという立場に立つということではないか?
ハリウッド映画の多くはマンネリで退屈だったりするけど、人間を描くという立場は守られている。多くの脚本家の参加するシステムでは、普遍的な人間ドラマというものが共通項なのかもしれない。
多くの劇作家だって、そんな人間ドラマを見せてくれるのだが、どうしても一部の劇作家にはついていけない。ギャップというより、完全な別枠といった感じで、理解しようとする気も起らない。
どこの世界のことを書いているのやら…そして、それは、今を生きるぼくたちに何の関係も刺激ももたらさない。そんな戯曲を書き続けるだけの執筆人生は、はたしてよいものか?後世をあてにする?いやいや、時間が経とうが、人間が描かれていなければ振り返られることもあるまい。
アルタミラの壁画や、ローマのモザイク画だって、みんな人間が描かれているから後世の人が興味を持つのだ。
風景画や絵画や舞台装置を観に劇場に来る人は少数だろう。みんな人間を観にきたいのだと思う。そこにドラマはあってもなくてもいいのかもしれない。反ドラマ演劇というものもあるだろう。しかし、反人間の演劇は果たして興味をそそるものかどうか。
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