演劇の楽しみのひとつは、終演後の、お客さんと役者の挨拶にあるといってもよい。大きな劇場ではそれも難しいが、小さい劇場で、観客がほとんど身内である場合、つまり出演者の知り合いである場合ほど、この楽しみを享受できる機会はない。舞台を終えた役者を待つお客さんは不思議と目を輝かせている。
ロビーや屋外、または楽屋口に、役者が挨拶をしにやってくる。役者とお客さんの目と目があう。にっこりほほえみ合う。優しいことばが飛び交う空間にいて、無条件に不機嫌に陥る人は多くはいまい。微笑ましい光景だ。しかも、こんな場合、仮に大騒ぎをしても、みんな善良だ。暴力的なもののカケラもない。
劇場が社交的な場であることはよく知られていることで、不思議と心が穏やかになるのか。たとえ芸能人が劇場でお客さんとして来ていたとしても、混乱はおきるものでない。たまには握手をすることがあっても、サインねだりやキャーキャー騒いだりして、暴徒化することはない。
公演の質や、入場料金の高さ、観劇者が限定されることなど、多くの問題を抱えながらも、やはり演劇は魅力的で、劇場は友好的な場所であるに違いない。オペラ座の怪人が出てくるにしても、チェチェン紛争でのモスクワの劇場占拠がおきたとしても。
あるジャーナリストを劇場で見かけたことがある。テレビの討論番組の司会でいつもしかめ面をしているその人は、劇場では優しい顔を絶やすことはなかった。故筑紫哲也氏もふだんの優しい顔を何倍にも柔らかくしていた。
おそらくお客さんは、公演を楽しみに来て、惜しみない拍手をする構えで劇場に来る。文化的な空間とは、そんな人間の姿勢と関係がある。お客さんの受け入れ態勢が芝居を成功に導くといってもよいだろうか。終演時の拍手にもそれが表れている。役者とお客さんの対面という付加価値も加わって、劇場は今日も温かい雰囲気に包まれている。
ロビーや屋外、または楽屋口に、役者が挨拶をしにやってくる。役者とお客さんの目と目があう。にっこりほほえみ合う。優しいことばが飛び交う空間にいて、無条件に不機嫌に陥る人は多くはいまい。微笑ましい光景だ。しかも、こんな場合、仮に大騒ぎをしても、みんな善良だ。暴力的なもののカケラもない。
劇場が社交的な場であることはよく知られていることで、不思議と心が穏やかになるのか。たとえ芸能人が劇場でお客さんとして来ていたとしても、混乱はおきるものでない。たまには握手をすることがあっても、サインねだりやキャーキャー騒いだりして、暴徒化することはない。
公演の質や、入場料金の高さ、観劇者が限定されることなど、多くの問題を抱えながらも、やはり演劇は魅力的で、劇場は友好的な場所であるに違いない。オペラ座の怪人が出てくるにしても、チェチェン紛争でのモスクワの劇場占拠がおきたとしても。
あるジャーナリストを劇場で見かけたことがある。テレビの討論番組の司会でいつもしかめ面をしているその人は、劇場では優しい顔を絶やすことはなかった。故筑紫哲也氏もふだんの優しい顔を何倍にも柔らかくしていた。
おそらくお客さんは、公演を楽しみに来て、惜しみない拍手をする構えで劇場に来る。文化的な空間とは、そんな人間の姿勢と関係がある。お客さんの受け入れ態勢が芝居を成功に導くといってもよいだろうか。終演時の拍手にもそれが表れている。役者とお客さんの対面という付加価値も加わって、劇場は今日も温かい雰囲気に包まれている。
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