モンテーニュはこう言ったらしい。
「ある乞食が、冬のさなかにシャツ一枚しか身につけず、それでいて耳までテンの毛皮にくるまっている者と同じくらい溌剌としているので、どうやったらそんなふうに我慢できるのかと尋ねてみたところ、その乞食はこう答えた――「でもね、旦那だって顔は外にむき出しでしょう。俺は体全体が顔なのだ」(R・ブレッソン『シネマトグラフ』から)
ブレッソンは、映画と演技についての考察のひとつでこれを引用した。
体全体が顔ね。そのとおりだね。
おそらく、ブレッソンの意図としては、観念だけや顔だけの演技は、それは人間でない、人間は顔に表情が表れるときに、体全体でその表情を作っているのだと言いたいのだと思う。
ぼくは、販売の仕事は、結構うつむいてやることが多く、それは今日みたいに忙しい日は、そうするのが一番効率がよい。うつむいていても、お客さんの体の動きを敏感に察知するから、お客さんが何をしたいのかは、たいていは分かる。
そんなふうに、体の動きを主に見て行くと、人間っておもしろいななんて思う。だからといって顔を見ても、顔の表情はそんなに豊かなものではない。体にあらわれるぶんだけ、顔の表情は結構無表情だったりする。
お客さんは、たいてい急いでいるのか、自分のお金を支払うと次の行動に移る。早くお釣りを出せと言わんばかりだ。もう一歩も二歩も進みかけている人が多い。体は半身になってお釣りだけをもらう。もしくは、買った新聞を、お釣りをもらう間に読み始める人もいる。
反対に、こちらがお釣りを払ったのだから、早く目の前から去ってほしいのに、なぜかとてもゆったりしている人がいる。その人は、とてもテンポが遅いし、体はまだ売り場の方に未練があるのが見てとれる。
お金を払うのに、財布のなかから取り出すのに手間取って、次に並んでいる人を気に掛ける人もいる。そういう人は意識が後方に行っていて、体の表情は目が後ろにあるかのようだ。
電車に乗っていても、自転車で車の動きを見ていてもそれが分かる。車の場合は、車自体が顔なのだ。車が表情を持っている。
俳優の演技をいくつか見ていて良く分かるのは、演技し始めの俳優やタレントや芸人ほど顔の表情を作ることに熱心になるのだ。
かえってベテランの俳優さんほど無表情であることが多い。勘で分かるのかもな。
顔の表情すべてが悪いというわけではないが、普段私たちが作る表情以上の表情を顔で作ると、それは説明的なものになる。日本人はそれほど顔面の表情筋を使うわけでもないだろうし。
案外、顔の表情というのは、体の動きに拡散されるものなのだろう。とても逃げ腰の女の子なんてよくいたりするからな。その表情は露骨に不快感を表わさないほうが多いものだ。
演劇となると、思い切り表情豊かになる演技を見るのは、ちょっと見ていてつらいものがある。体に表情があれば顔は無表情でも違和感はない。きっと、俳優の中では顔の筋肉を動かすことに過剰に意識が傾きすぎて、体の微妙な動きに意識が回らないのだろう。顔の方が、手の場合と同じく、意識的になれるのは仕方ないことではあるが。
サッカーの選手もフェイントをかけるのは、相手の重心がどちらに動いたかによって決めるものだ。そのために、顔や目が、トリックとなって、いわば相手をだますのだ。ロナウジーニョのよそ見パスは露骨だけど効果的でしょ。
俳優が観客をだますためなら顔の表情を豊かに動かすのがよいのだろうけど、観客を信じ込ませるために演技するなら、体の表情こそに敏感にならなければならない。
体全体が顔なんです。
「ある乞食が、冬のさなかにシャツ一枚しか身につけず、それでいて耳までテンの毛皮にくるまっている者と同じくらい溌剌としているので、どうやったらそんなふうに我慢できるのかと尋ねてみたところ、その乞食はこう答えた――「でもね、旦那だって顔は外にむき出しでしょう。俺は体全体が顔なのだ」(R・ブレッソン『シネマトグラフ』から)
ブレッソンは、映画と演技についての考察のひとつでこれを引用した。
体全体が顔ね。そのとおりだね。
おそらく、ブレッソンの意図としては、観念だけや顔だけの演技は、それは人間でない、人間は顔に表情が表れるときに、体全体でその表情を作っているのだと言いたいのだと思う。
ぼくは、販売の仕事は、結構うつむいてやることが多く、それは今日みたいに忙しい日は、そうするのが一番効率がよい。うつむいていても、お客さんの体の動きを敏感に察知するから、お客さんが何をしたいのかは、たいていは分かる。
そんなふうに、体の動きを主に見て行くと、人間っておもしろいななんて思う。だからといって顔を見ても、顔の表情はそんなに豊かなものではない。体にあらわれるぶんだけ、顔の表情は結構無表情だったりする。
お客さんは、たいてい急いでいるのか、自分のお金を支払うと次の行動に移る。早くお釣りを出せと言わんばかりだ。もう一歩も二歩も進みかけている人が多い。体は半身になってお釣りだけをもらう。もしくは、買った新聞を、お釣りをもらう間に読み始める人もいる。
反対に、こちらがお釣りを払ったのだから、早く目の前から去ってほしいのに、なぜかとてもゆったりしている人がいる。その人は、とてもテンポが遅いし、体はまだ売り場の方に未練があるのが見てとれる。
お金を払うのに、財布のなかから取り出すのに手間取って、次に並んでいる人を気に掛ける人もいる。そういう人は意識が後方に行っていて、体の表情は目が後ろにあるかのようだ。
電車に乗っていても、自転車で車の動きを見ていてもそれが分かる。車の場合は、車自体が顔なのだ。車が表情を持っている。
俳優の演技をいくつか見ていて良く分かるのは、演技し始めの俳優やタレントや芸人ほど顔の表情を作ることに熱心になるのだ。
かえってベテランの俳優さんほど無表情であることが多い。勘で分かるのかもな。
顔の表情すべてが悪いというわけではないが、普段私たちが作る表情以上の表情を顔で作ると、それは説明的なものになる。日本人はそれほど顔面の表情筋を使うわけでもないだろうし。
案外、顔の表情というのは、体の動きに拡散されるものなのだろう。とても逃げ腰の女の子なんてよくいたりするからな。その表情は露骨に不快感を表わさないほうが多いものだ。
演劇となると、思い切り表情豊かになる演技を見るのは、ちょっと見ていてつらいものがある。体に表情があれば顔は無表情でも違和感はない。きっと、俳優の中では顔の筋肉を動かすことに過剰に意識が傾きすぎて、体の微妙な動きに意識が回らないのだろう。顔の方が、手の場合と同じく、意識的になれるのは仕方ないことではあるが。
サッカーの選手もフェイントをかけるのは、相手の重心がどちらに動いたかによって決めるものだ。そのために、顔や目が、トリックとなって、いわば相手をだますのだ。ロナウジーニョのよそ見パスは露骨だけど効果的でしょ。
俳優が観客をだますためなら顔の表情を豊かに動かすのがよいのだろうけど、観客を信じ込ませるために演技するなら、体の表情こそに敏感にならなければならない。
体全体が顔なんです。
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