久しぶりに演劇について書くな。
演劇をいっぱい観ているわけではないが、いくつかの舞台を拝見したし、今後も観る機会が連続する。まさに、シーズンだから。
良い舞台、いまいちな舞台はあっても、嫌悪させるような舞台がないということはよいことか、あるいは平均化しすぎてつまらないことなのか。
まったく記憶にも残らない舞台はあるけれど、記憶に悪く残る舞台もある。そこで行われていることが、吐き気しか催させないものなのならば、ある意味で公演は成功なのかもしれないな。
通り過ぎるような演劇よりも、何かしらのインパクトを与えるよな演劇が、演劇たるものであるかもしれない。
そんな意味で、最近観る演劇は、通り過ぎて行くものが多いな。
誰だったか、アッカーマンだったかが言った言葉があったな。日本の演劇シーンは戯曲が量産され消費されていきすぎると。
そうね、いい戯曲はあるのだけど、新作のほうがもてはやされることが多いかな。新作は、たいてい新奇なだけが魅力であることが多い。それはベテランの劇作家にしても、駆け出しの作家にしても。
近頃みる演劇が、いまいちピンとこないのは、何なのだろうかと考えてみた。
ぼくなりに見つけたのは、「テーマ」の問題。何について書かれていて、それをどう提示しているのかが不明瞭な演劇。
それは戯曲にしても、それを上演する団体にしても。戯曲ならば、何について書いてあり、それを作者はどう描いているかが分からない。団体ならば、なぜそれを上演するのかが分からない。
新作だから、いい戯曲だから、いい作家だから、という理由は上演する理由にはならない。その戯曲のどこに惚れて、どのように舞台化したのかが分からないと。それがある団体は、たとえ欠陥があっても、好印象を受ける。
なぜ、その公演をやるのか、月並みだけど、何を問題としてそれを上演するのか、そこにかかっていると思う。
きっとそれなりに、上演する意義を持ってやっているに違いない。でも、その熱意も伝わってほしいというのが観客としての要求であると、ぼくは信じる。少なくともそんな熱意があれば、素人演劇でも学生演劇でも楽しい。
テーマがあり、熱意があるということ。
それに加え誠意があるということが、好感を呼ぶと思う。
最近接する演劇団体は、こなれた団体が多いのか、事務的にかつ突き放した姿勢でお客さんを迎えてくれるが、そんな団体ばかりではない。
自分たちの上演するものを、精一杯の感謝をこめて迎えてくれる団体ほど気持ちのいいものはない。
悪口じゃないから、実名をだすが、劇団無=魂(ムコン)という団体は、気持ちのいいほど誠意ある態度でお客さんに接してくれる。だからこそ、集客も伸びるのだろうね。これは大事なことだ。
基本でありながら、それが常にできるものではない。
大きな劇団になればなるほど、そのあたりの意識がどこかに行ってしまって、昔よく観に行っていた劇団は、お高くとまった劇場案内係がいたっけな。実に冷たい。あれならいないほうがよいのにな。駆り出されていたのだろうな。
きっとそんな「セレブ」な案内係も、「セレブ」な劇団も、誠意を見直してみれば態度は変わるだろうな。
今日は、いろいろと今まで3年間ぐらいの観劇の総括をしてしまったようだ。意識にあがっていたのは、ここ最近の舞台ばかりではない、とりあえず。
演劇をいっぱい観ているわけではないが、いくつかの舞台を拝見したし、今後も観る機会が連続する。まさに、シーズンだから。
良い舞台、いまいちな舞台はあっても、嫌悪させるような舞台がないということはよいことか、あるいは平均化しすぎてつまらないことなのか。
まったく記憶にも残らない舞台はあるけれど、記憶に悪く残る舞台もある。そこで行われていることが、吐き気しか催させないものなのならば、ある意味で公演は成功なのかもしれないな。
通り過ぎるような演劇よりも、何かしらのインパクトを与えるよな演劇が、演劇たるものであるかもしれない。
そんな意味で、最近観る演劇は、通り過ぎて行くものが多いな。
誰だったか、アッカーマンだったかが言った言葉があったな。日本の演劇シーンは戯曲が量産され消費されていきすぎると。
そうね、いい戯曲はあるのだけど、新作のほうがもてはやされることが多いかな。新作は、たいてい新奇なだけが魅力であることが多い。それはベテランの劇作家にしても、駆け出しの作家にしても。
近頃みる演劇が、いまいちピンとこないのは、何なのだろうかと考えてみた。
ぼくなりに見つけたのは、「テーマ」の問題。何について書かれていて、それをどう提示しているのかが不明瞭な演劇。
それは戯曲にしても、それを上演する団体にしても。戯曲ならば、何について書いてあり、それを作者はどう描いているかが分からない。団体ならば、なぜそれを上演するのかが分からない。
新作だから、いい戯曲だから、いい作家だから、という理由は上演する理由にはならない。その戯曲のどこに惚れて、どのように舞台化したのかが分からないと。それがある団体は、たとえ欠陥があっても、好印象を受ける。
なぜ、その公演をやるのか、月並みだけど、何を問題としてそれを上演するのか、そこにかかっていると思う。
きっとそれなりに、上演する意義を持ってやっているに違いない。でも、その熱意も伝わってほしいというのが観客としての要求であると、ぼくは信じる。少なくともそんな熱意があれば、素人演劇でも学生演劇でも楽しい。
テーマがあり、熱意があるということ。
それに加え誠意があるということが、好感を呼ぶと思う。
最近接する演劇団体は、こなれた団体が多いのか、事務的にかつ突き放した姿勢でお客さんを迎えてくれるが、そんな団体ばかりではない。
自分たちの上演するものを、精一杯の感謝をこめて迎えてくれる団体ほど気持ちのいいものはない。
悪口じゃないから、実名をだすが、劇団無=魂(ムコン)という団体は、気持ちのいいほど誠意ある態度でお客さんに接してくれる。だからこそ、集客も伸びるのだろうね。これは大事なことだ。
基本でありながら、それが常にできるものではない。
大きな劇団になればなるほど、そのあたりの意識がどこかに行ってしまって、昔よく観に行っていた劇団は、お高くとまった劇場案内係がいたっけな。実に冷たい。あれならいないほうがよいのにな。駆り出されていたのだろうな。
きっとそんな「セレブ」な案内係も、「セレブ」な劇団も、誠意を見直してみれば態度は変わるだろうな。
今日は、いろいろと今まで3年間ぐらいの観劇の総括をしてしまったようだ。意識にあがっていたのは、ここ最近の舞台ばかりではない、とりあえず。
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