ゲーテは「努力する限り、道に迷うもの」だと書き記している。それで思い出した。道に迷うことが少なくなったものだ。
人生の道に迷うという、大きな尺度で測らなくてもよい。不案内のために、道路をさまようことがほとんどなくなった。理由のひとつは、同じ道しか通らないことをあげよう。いろんな脇道も覚えてしまったこともある。そして、知らない道には足を踏み込まなくなったことも原因だろうか。あくまでも道路の話をしている。けれども、人生論に拡大解釈できないこともない。あえて新しい道に踏み込もうとしない日常生活。
ところが今日、道に迷ってしまった。八王子を過ぎて、陣場街道目指して自転車で走っていたのだが、見覚えのある道でない。2年前の記憶を頼りに途中までは順調だったが、陣場高原にはたどり着けない。結局、秋川市、八王子市、あきるの市をグルグル走り回ってしまった。
慌てはしなかった。時間の制限があるわけでもない、ひとりだけのサイクリングだったし。雨がポツポツ落ちてきはじめていたのだけど。悠長な心持が、途方もないさ迷いを生んだ。道に迷ったときは、イノシシのように猪突猛進、引き返すことをしない。行く先々で方向を変えていく。だから、むやみに体力ばかりが消耗してゆく。
大きな大きな廻り道をしたあげく、ようやく見覚えのある道路を見つけたときの安堵感たら…。大いなる無駄足と努力の迷走のおかげで、道を踏み外した状態のままに放置されることはなくなった。迷子を逃れた安堵感とともに、道を踏み外した冒険がちょっぴりうれしかった。何よりも、道に迷ったという久しぶりの体験が。
ぼくは小さい頃、上野駅で迷子になった。そんな人間が、今、上野駅構内で働いて5年近く、迷子になることなどない。いや、そのうち迷子になるよ、きっと。その迷子を喜ぶ日も来るんだろう。
人生の道に迷うという、大きな尺度で測らなくてもよい。不案内のために、道路をさまようことがほとんどなくなった。理由のひとつは、同じ道しか通らないことをあげよう。いろんな脇道も覚えてしまったこともある。そして、知らない道には足を踏み込まなくなったことも原因だろうか。あくまでも道路の話をしている。けれども、人生論に拡大解釈できないこともない。あえて新しい道に踏み込もうとしない日常生活。
ところが今日、道に迷ってしまった。八王子を過ぎて、陣場街道目指して自転車で走っていたのだが、見覚えのある道でない。2年前の記憶を頼りに途中までは順調だったが、陣場高原にはたどり着けない。結局、秋川市、八王子市、あきるの市をグルグル走り回ってしまった。
慌てはしなかった。時間の制限があるわけでもない、ひとりだけのサイクリングだったし。雨がポツポツ落ちてきはじめていたのだけど。悠長な心持が、途方もないさ迷いを生んだ。道に迷ったときは、イノシシのように猪突猛進、引き返すことをしない。行く先々で方向を変えていく。だから、むやみに体力ばかりが消耗してゆく。
大きな大きな廻り道をしたあげく、ようやく見覚えのある道路を見つけたときの安堵感たら…。大いなる無駄足と努力の迷走のおかげで、道を踏み外した状態のままに放置されることはなくなった。迷子を逃れた安堵感とともに、道を踏み外した冒険がちょっぴりうれしかった。何よりも、道に迷ったという久しぶりの体験が。
ぼくは小さい頃、上野駅で迷子になった。そんな人間が、今、上野駅構内で働いて5年近く、迷子になることなどない。いや、そのうち迷子になるよ、きっと。その迷子を喜ぶ日も来るんだろう。
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