歩き方は身体の表情である(バルザック)
フランスの文豪バルザックが『歩き方の理論』という奇書を書き残している。理論とは言え、小説家、しかもかなり回りくどい書き方をする趣味人のバルザックである。理論に入るまでの前置きが長い。理詰めで論理を展開するというよりも、フランス流の「箴言」という、短い格言・警句をさらりと言ってのけたあと、その箴言を裏付ける逸話を持ち出してくる。題材も奇抜ながら、話ぶりも悠長で趣味的な、まことに変わった書物なのである。
歩くことに特別な苦労をするのは俳優だ。年齢の違う人を演じるという極端な場合は除いても、どんなテンポで、どういった調子で歩くのか、速さは、足取りは、どんな姿勢で、などと追及していけばキリがない。歩き方ひとつで人物の持っている世界を表現するのだから、たいしたものだ。
優雅で無駄のない歩き方は美しいのだが、後々まで印象に残る歩き方というのは、どこかしらぎこちないものを含んでいる。大河内伝次郎の歩き方なんて、作り上げた歩き方にせよ、名刺がわりになるほど魅力的である。“ミスタービーン”も「歩く」という単純な場面が多かったように記憶している。
履物や道の状態、男性か女性か、その日の体調によって歩き方はさまざまだ。日本での歩き方というものもある。観光客として日本に滞在する海外の人と、日本在住の外国人の歩き方は、微妙だが違いがある。日本に長く滞在していると、歩き方も順応するものらしい。
フランスで、若い人の歩き方に衝撃を受けたことがある。男性は大またでカツカツ歩く。障害物のよけ方もスムーズだ。女性もかなり早く歩き、そのため身体の表情が溌剌としている印象を受ける。フランスの若い人たちの歩行は直線的だ。目的地が遠くにあるようなしっかりとした行動線。バルザックはそんな狩猟民族の末裔を見て、きりっとした表情を見出したに違いない。
フランスの文豪バルザックが『歩き方の理論』という奇書を書き残している。理論とは言え、小説家、しかもかなり回りくどい書き方をする趣味人のバルザックである。理論に入るまでの前置きが長い。理詰めで論理を展開するというよりも、フランス流の「箴言」という、短い格言・警句をさらりと言ってのけたあと、その箴言を裏付ける逸話を持ち出してくる。題材も奇抜ながら、話ぶりも悠長で趣味的な、まことに変わった書物なのである。
歩くことに特別な苦労をするのは俳優だ。年齢の違う人を演じるという極端な場合は除いても、どんなテンポで、どういった調子で歩くのか、速さは、足取りは、どんな姿勢で、などと追及していけばキリがない。歩き方ひとつで人物の持っている世界を表現するのだから、たいしたものだ。
優雅で無駄のない歩き方は美しいのだが、後々まで印象に残る歩き方というのは、どこかしらぎこちないものを含んでいる。大河内伝次郎の歩き方なんて、作り上げた歩き方にせよ、名刺がわりになるほど魅力的である。“ミスタービーン”も「歩く」という単純な場面が多かったように記憶している。
履物や道の状態、男性か女性か、その日の体調によって歩き方はさまざまだ。日本での歩き方というものもある。観光客として日本に滞在する海外の人と、日本在住の外国人の歩き方は、微妙だが違いがある。日本に長く滞在していると、歩き方も順応するものらしい。
フランスで、若い人の歩き方に衝撃を受けたことがある。男性は大またでカツカツ歩く。障害物のよけ方もスムーズだ。女性もかなり早く歩き、そのため身体の表情が溌剌としている印象を受ける。フランスの若い人たちの歩行は直線的だ。目的地が遠くにあるようなしっかりとした行動線。バルザックはそんな狩猟民族の末裔を見て、きりっとした表情を見出したに違いない。
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