今日、正確にいえば昨日は、暖かかったし、仕事も暇だったので、仕事の合間に夏目漱石の小説を読み進めることができた。
眠くならなければ百ページ以上読むこともできただろう。おまえは仕事中なにやっているのだ、おい、というわけだが、実際暇で待機しているのだから仕方ない。それにしてもぽかぽか陽気だった。
そう、夏目漱石、『夢十夜』。新潮文庫についている宣伝の紙、あれなんて言うんだっけ?映画『ユメ十夜』の映像シーンの写真が十点載せられているが、映画はみていないが、どうもパロディにしか思えなく、漱石の作品から受ける印象にあった写真は一枚もなかった。安っぽいというか、安易というか。宣伝写真一枚でこんなに印象を植えつけるものかと逆に関心してしまった。あの宣伝を見て、映画は観に行きたくはないな、ぼくは。
そう、「夏目漱石」の『夢十夜』。第三夜の話はちょっとした落語でもあり、またスリルのある話でもあり、人に人気があるのはうなずけると思った。
夢で見たという設定なのだが、十話通して読み終えると、これは夢で本当に漱石が見たものだというよりも、夢という形式を借りて漱石が創作・脚色したもののように思える。
そして、漱石の作品には夢ということ、またはそれを見ているときの状態、つまり誰かが寝ている場面が多く見出せる。『三四郎』での廣田先生の森の女、三四郎は熱にうなされ横たわる。『それから』での代助はユリの匂いのなかで昼寝をする。
この『夢十夜』は漱石的なお昼寝、夢というテーマが根元にある。
そして、いつもそうで、ここでもそうなのだが、漱石は夢の内容・そのつじつま・合理性には無頓着である。『夢十夜』の一話一話から漱石の無意識の働きを探り出そうとしても、あまり意味のないことのように思える。
脈絡のない話を意味づけるのは、夢からさめそうなとき、つまりまどろんでいるときなのだろう。だから、意識が半分働いているそんな状態のときは、夢はもう遠くに去っていて、それを思い出そうと必死に努力している。夢は夢自体の威力を失っている。しかし、脈絡のないままに放っておくと、夢は記憶にひっかからず、思い返すこと、さらには夢を見たことすら忘れてしまう。
『夢十夜』は、夢の論理と破格の間の位置を、見計らっているかのように思える。深入りせず、しかし物語性はあるように。
今夜はぼくはこれから寝ても、疲れすぎて夢を見られないか、見たことを忘れるだろう。短い睡眠時間ではいつもこうだ。
漱石はお昼寝の時間をもてたことが、ああいった作品を産むきっかけになったのだろう。こうしてみると、昼寝もすてたもんじゃないな。
眠くならなければ百ページ以上読むこともできただろう。おまえは仕事中なにやっているのだ、おい、というわけだが、実際暇で待機しているのだから仕方ない。それにしてもぽかぽか陽気だった。
そう、夏目漱石、『夢十夜』。新潮文庫についている宣伝の紙、あれなんて言うんだっけ?映画『ユメ十夜』の映像シーンの写真が十点載せられているが、映画はみていないが、どうもパロディにしか思えなく、漱石の作品から受ける印象にあった写真は一枚もなかった。安っぽいというか、安易というか。宣伝写真一枚でこんなに印象を植えつけるものかと逆に関心してしまった。あの宣伝を見て、映画は観に行きたくはないな、ぼくは。
そう、「夏目漱石」の『夢十夜』。第三夜の話はちょっとした落語でもあり、またスリルのある話でもあり、人に人気があるのはうなずけると思った。
夢で見たという設定なのだが、十話通して読み終えると、これは夢で本当に漱石が見たものだというよりも、夢という形式を借りて漱石が創作・脚色したもののように思える。
そして、漱石の作品には夢ということ、またはそれを見ているときの状態、つまり誰かが寝ている場面が多く見出せる。『三四郎』での廣田先生の森の女、三四郎は熱にうなされ横たわる。『それから』での代助はユリの匂いのなかで昼寝をする。
この『夢十夜』は漱石的なお昼寝、夢というテーマが根元にある。
そして、いつもそうで、ここでもそうなのだが、漱石は夢の内容・そのつじつま・合理性には無頓着である。『夢十夜』の一話一話から漱石の無意識の働きを探り出そうとしても、あまり意味のないことのように思える。
脈絡のない話を意味づけるのは、夢からさめそうなとき、つまりまどろんでいるときなのだろう。だから、意識が半分働いているそんな状態のときは、夢はもう遠くに去っていて、それを思い出そうと必死に努力している。夢は夢自体の威力を失っている。しかし、脈絡のないままに放っておくと、夢は記憶にひっかからず、思い返すこと、さらには夢を見たことすら忘れてしまう。
『夢十夜』は、夢の論理と破格の間の位置を、見計らっているかのように思える。深入りせず、しかし物語性はあるように。
今夜はぼくはこれから寝ても、疲れすぎて夢を見られないか、見たことを忘れるだろう。短い睡眠時間ではいつもこうだ。
漱石はお昼寝の時間をもてたことが、ああいった作品を産むきっかけになったのだろう。こうしてみると、昼寝もすてたもんじゃないな。
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