たった今、夏目漱石の『硝子戸の中』を読み終えた。
友人のお気に入りの作品のようで、ぼくも手にとってみた。
作家である漱石が、講演を依頼されたり、話を聞いてくれとお願いされたり、俳句をつくってくれと頼まれたりし、漱石はひとつひとつそれに応えようとささやかな努力をしている。成功に終わったり、気まずい思いをしたり、不快になったりと、結果はまちまちだが、漱石がそこで、読者の要望に応える努力をしているところに興味をもった。
ぼくは、あの映画はよかったよ、この本は読んでみるべきだとよく人から勧められるが、時間をあけるうちに機会を失い、意欲も失ってしまうことが多い。今回は素早く行動したおかげで残念な結果にならなくて済んだ。そして、鮮度が新鮮なうちに読んだことで、友人がどこに興味をもってこの本を読んだのかが、分かりかけたような気がした。自分の読書という以上に、他人の読書感も取り込んだと思えたのは錯覚だろうか?
影響を受けることに機敏で、人に勧められるが否かすぐに物事に取りかかれる人がいる。もともと、ひとりの人間の興味の範囲も、知識の範囲も狭いに違いない、せっかく勧めてくれる人がいるのだ、試してみようという好奇心と行動力。
そんな反応の素早さは神々しいくらいだ。
反対に、時間が空いたときでいいや、明日があるさ、後回しにしようとか言って、自分の仕事に没頭することで、どれだけの新鮮さを失っていくのだろうか?自分のやらなければいけないことは、かえって、今やらなくてもいいことなのかもしれない。影響を受けたと同時に、そちらのほうに取りかかるべきなのではないか?
小説にせよ、映画にせよ、演劇にせよ、表現とはコミュニケーションの場を提供することにほかならない。漱石でさえ一方通行で終わらせようとはしない。
物語として緻密に構築されていて、どこにも取りつく術がないような作品であろうと、どこかに入口があり、そこから自由に意見や想像力が出入りしているものだ。
そして良い作品というのは、そういった扉が豊富に用意されて、どんな人にも開け放たれている作品なのじゃないかと思う。
一番いいのはそこでお茶を飲みながら談笑できるような、開放されたロビーをもつ作品なのじゃないか?
閉塞した作品は、読者が中に入ろうとしても入れないし、作家は中から出られない。
だからこそ!
大いに隙をつくる。というより、ドアを作り忘れない。大いに共有できるものを探しあてるのも、表現者の課題のひとつなのではないか?それをよりどころにして関係しあう場所をつくること。行き過ぎた個人主義から脱却すること。影響を与え、与えられ、すばやく反応するようになること。
手っ取り早く、ここから始めてみようか。
友人のお気に入りの作品のようで、ぼくも手にとってみた。
作家である漱石が、講演を依頼されたり、話を聞いてくれとお願いされたり、俳句をつくってくれと頼まれたりし、漱石はひとつひとつそれに応えようとささやかな努力をしている。成功に終わったり、気まずい思いをしたり、不快になったりと、結果はまちまちだが、漱石がそこで、読者の要望に応える努力をしているところに興味をもった。
ぼくは、あの映画はよかったよ、この本は読んでみるべきだとよく人から勧められるが、時間をあけるうちに機会を失い、意欲も失ってしまうことが多い。今回は素早く行動したおかげで残念な結果にならなくて済んだ。そして、鮮度が新鮮なうちに読んだことで、友人がどこに興味をもってこの本を読んだのかが、分かりかけたような気がした。自分の読書という以上に、他人の読書感も取り込んだと思えたのは錯覚だろうか?
影響を受けることに機敏で、人に勧められるが否かすぐに物事に取りかかれる人がいる。もともと、ひとりの人間の興味の範囲も、知識の範囲も狭いに違いない、せっかく勧めてくれる人がいるのだ、試してみようという好奇心と行動力。
そんな反応の素早さは神々しいくらいだ。
反対に、時間が空いたときでいいや、明日があるさ、後回しにしようとか言って、自分の仕事に没頭することで、どれだけの新鮮さを失っていくのだろうか?自分のやらなければいけないことは、かえって、今やらなくてもいいことなのかもしれない。影響を受けたと同時に、そちらのほうに取りかかるべきなのではないか?
小説にせよ、映画にせよ、演劇にせよ、表現とはコミュニケーションの場を提供することにほかならない。漱石でさえ一方通行で終わらせようとはしない。
物語として緻密に構築されていて、どこにも取りつく術がないような作品であろうと、どこかに入口があり、そこから自由に意見や想像力が出入りしているものだ。
そして良い作品というのは、そういった扉が豊富に用意されて、どんな人にも開け放たれている作品なのじゃないかと思う。
一番いいのはそこでお茶を飲みながら談笑できるような、開放されたロビーをもつ作品なのじゃないか?
閉塞した作品は、読者が中に入ろうとしても入れないし、作家は中から出られない。
だからこそ!
大いに隙をつくる。というより、ドアを作り忘れない。大いに共有できるものを探しあてるのも、表現者の課題のひとつなのではないか?それをよりどころにして関係しあう場所をつくること。行き過ぎた個人主義から脱却すること。影響を与え、与えられ、すばやく反応するようになること。
手っ取り早く、ここから始めてみようか。
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