怒りをこめてふり返れ!
大上段に構えてみたが、政治の話ではない。いや、ある意味政治かな?
新国立劇場の演劇研修所の公演を見てきた。国立の演劇学校だし、批判にさらされることは義務でもあるので、友達の公演のときは言いたくても黙っていることを、今回はおおっぴらに公言したい気分になっている。
それほどひどい芝居だったのである。ブレヒトの『三文オペラ』
判官びいきなので、金のない中で工夫して質素な舞台になる集団の公演は大目にみるのだが、今公演のように新国立の小劇場でやれるという恵まれた環境のもと、衣装も小道具も豊富で生演奏もついているとなると、どうしてもちくちく棘をさしたくなるものだが、それ以上の毒針でもって攻撃するのが妥当ではないか?なんて思えるほどの「すごい」舞台だった。
とはいっても、判官びいきの癖はぬけきれない。この大失敗の責任はスタッフにあると断言する。こんなふうに育てた親が悪いのだ。戯曲選び、演技方法、公演への取り組み方。国立の劇場だから、公の行政や司法に用いる権利を行使できるのであろうか?できるなら、さっそく、内閣にあたる所長、委員などの罷免を求める。ずらりと並んだ講師の名前は虚しく飾られている。今日観客として観に来ていた講師はどう見ていたのだろうか?
選挙で選んだわけではないが、リコール、過激になって退陣要求だ!
二年間なにしていたの?何を教えていたのか?やってはいけないことばかりやっているじゃないか、こどもたちは。癖ばかり露呈するか、芸と呼ばれる演技の化粧ばかり。感受性が問題なのに、そういった演技をするのが罪であるかのように、みんな芝居臭い。人間がいない、みんな芝居の嘘ばかり。演劇は芝居の真実を目指すのであって、芝居の嘘じゃない。舞台の上で役を生きることを目指している役者がいなかったんだな。みんなまったく別次元のところから、あらぬ方向へ向けて演技している。いや、演技というまい。
こんなことは、ある定まった環境や方向性があれば最初からクリアーした地点から出発できるのだ。つまり、この研究所には定まった方向性や、最低限の演技の質の統一見解がなかったことになる。こんな指導者たちに国立の養成所を任せてもいいのだろうか?
今公演に携わったスタッフの名前は豪華だし、出てきた小道具・衣装も立派だし、生演奏もついているから余計に頭くるのかな?一緒に観ていた友人二人は前半だけで帰ってしまった。はじめの3秒でわかったという。彼らは決定的に正しい行為をした。ぼくは弱気にも、後半に出てくる出演者に一縷の望みをかけて最後まで見たのだが・・・なにも変わらなかった。飛べない小鳥を最後まで見届けることに関しては、ぼくのポリシーみたいなものだから仕方がなかったが。
演出の宮田さんの舞台は何度も観てきて、良い舞台のほうが多かった覚えがあるが、この仕事はいったい何なのだろうか?手抜き?
やってはいけない演技、ありえない行動、最初の1秒で失望させる生演奏、間違った戯曲選び、決定的なミスキャスト、歌は期待していなかったから問題外のレベルでも許すが、あえて歌ものをやる無謀さ、そして感受性と人間らしさの欠如、陳腐な常套手段、人間の捉え方の画一性。やるべきことをことごとくはずしていくのがブレヒト的方法だというのか?ブレヒトからの脱却だろうか?いや、これは勉強不足よりひどいブレヒト無視だ。教訓は、今公演でやっていることをやらないことが、『三文オペラ』の成功につながるのだという逆説か?
アンサンブルのせいで、ひとからげに演技を悪くいうのは不公平だから、将来、くだらん演劇の大舞台に立つであろう人はことごとく無視して、感受性のある俳優になってほしい、その資質のありそうな3人の名前はあげておく。野口、窪田、古河の男3人。今回は悪かったが、小さな希望はあった。
大上段に構えてみたが、政治の話ではない。いや、ある意味政治かな?
新国立劇場の演劇研修所の公演を見てきた。国立の演劇学校だし、批判にさらされることは義務でもあるので、友達の公演のときは言いたくても黙っていることを、今回はおおっぴらに公言したい気分になっている。
それほどひどい芝居だったのである。ブレヒトの『三文オペラ』
判官びいきなので、金のない中で工夫して質素な舞台になる集団の公演は大目にみるのだが、今公演のように新国立の小劇場でやれるという恵まれた環境のもと、衣装も小道具も豊富で生演奏もついているとなると、どうしてもちくちく棘をさしたくなるものだが、それ以上の毒針でもって攻撃するのが妥当ではないか?なんて思えるほどの「すごい」舞台だった。
とはいっても、判官びいきの癖はぬけきれない。この大失敗の責任はスタッフにあると断言する。こんなふうに育てた親が悪いのだ。戯曲選び、演技方法、公演への取り組み方。国立の劇場だから、公の行政や司法に用いる権利を行使できるのであろうか?できるなら、さっそく、内閣にあたる所長、委員などの罷免を求める。ずらりと並んだ講師の名前は虚しく飾られている。今日観客として観に来ていた講師はどう見ていたのだろうか?
選挙で選んだわけではないが、リコール、過激になって退陣要求だ!
二年間なにしていたの?何を教えていたのか?やってはいけないことばかりやっているじゃないか、こどもたちは。癖ばかり露呈するか、芸と呼ばれる演技の化粧ばかり。感受性が問題なのに、そういった演技をするのが罪であるかのように、みんな芝居臭い。人間がいない、みんな芝居の嘘ばかり。演劇は芝居の真実を目指すのであって、芝居の嘘じゃない。舞台の上で役を生きることを目指している役者がいなかったんだな。みんなまったく別次元のところから、あらぬ方向へ向けて演技している。いや、演技というまい。
こんなことは、ある定まった環境や方向性があれば最初からクリアーした地点から出発できるのだ。つまり、この研究所には定まった方向性や、最低限の演技の質の統一見解がなかったことになる。こんな指導者たちに国立の養成所を任せてもいいのだろうか?
今公演に携わったスタッフの名前は豪華だし、出てきた小道具・衣装も立派だし、生演奏もついているから余計に頭くるのかな?一緒に観ていた友人二人は前半だけで帰ってしまった。はじめの3秒でわかったという。彼らは決定的に正しい行為をした。ぼくは弱気にも、後半に出てくる出演者に一縷の望みをかけて最後まで見たのだが・・・なにも変わらなかった。飛べない小鳥を最後まで見届けることに関しては、ぼくのポリシーみたいなものだから仕方がなかったが。
演出の宮田さんの舞台は何度も観てきて、良い舞台のほうが多かった覚えがあるが、この仕事はいったい何なのだろうか?手抜き?
やってはいけない演技、ありえない行動、最初の1秒で失望させる生演奏、間違った戯曲選び、決定的なミスキャスト、歌は期待していなかったから問題外のレベルでも許すが、あえて歌ものをやる無謀さ、そして感受性と人間らしさの欠如、陳腐な常套手段、人間の捉え方の画一性。やるべきことをことごとくはずしていくのがブレヒト的方法だというのか?ブレヒトからの脱却だろうか?いや、これは勉強不足よりひどいブレヒト無視だ。教訓は、今公演でやっていることをやらないことが、『三文オペラ』の成功につながるのだという逆説か?
アンサンブルのせいで、ひとからげに演技を悪くいうのは不公平だから、将来、くだらん演劇の大舞台に立つであろう人はことごとく無視して、感受性のある俳優になってほしい、その資質のありそうな3人の名前はあげておく。野口、窪田、古河の男3人。今回は悪かったが、小さな希望はあった。
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