お昼にテレビで、ある演劇のユニットの座談会のような番組を見た。北海道出身の五人組で、結成から現在の成功までの経緯を語っていた。
時折流される舞台の映像はたいしたものではなかったが、取り組む姿や演劇への情熱はひしひしと感じ取れた。
そこで思ったのだが、この五人が信頼して共同で物事を作り上げることに楽しみを見出しているということが、活動が継続していることや、大きくなっていくことにつながったのだろうと感じ取れた。
ぼくが舞台の公演を初めてやり終えたとき、小さい俳優養成所だったが、この仲間と一緒に舞台を作り終えた達成感と、それまでの日々の過程の困難や喜びを共有したことで、その後アルバイトに戻って生活している状態を虚しく感じる結果になってしまった。稽古・公演期間があまりに楽しかったから。
こういった感情は、特に、若い人、経験のない人に多いのだろうか、経験を積んだ俳優からはそんな感想を聞くこともない。
小学校のときの林間学校や、中学校のときの部活動の終わりにも敏感に寂しさを感じた。
小さいころ、親戚が一日集まって別れたその後の車のなかでは、陽気になることはできなかった思い出がある。
小学校時代、先生を中心にクラスがまとまった雰囲気をもっていた5,6年生の同級生には、会うことはないにしても、特別な感情を今でも持っていることは確かだ。
何かをやるために、また、同じ意志をもってまとまって行動することは、そんな感情も共有できるのだろうな。
逆にいうと、そういった同じ感情を共有できない集まりは、ただの集まりでしかなく、単なる仕事のようなものなのだろう。
同じテーブルにつきながら、孤独に自分のことだけをしている状態は、ある意味容易にできることなのかもしれない。それだからこそ、コミュニケーションをはかることを第一の任務としなければいけない。
人間は孤独に自分の人生を歩むものだからこそ、余計に協力しあうことを学ばなければいけない。
結婚とはそういうものなのかは、ぼくは知らない。しかし、この意見を否定する人も信用はできない。
人生の初春の時期であるこどもたち、彼らはその過程で何度も融合・離散、つまり小さな結婚を繰り返しているのだと思いたい。
大人にしても同じような過程をへて何が悪いだろう?
害悪となる個人主義は捨て去るのがよい。
胸を張って、「これはわたしのでなく、わたしたたちの仕事だ」といえる協力関係を築き上げていければと思っている。
cf. グルッポ・テアトロのホームページ
時折流される舞台の映像はたいしたものではなかったが、取り組む姿や演劇への情熱はひしひしと感じ取れた。
そこで思ったのだが、この五人が信頼して共同で物事を作り上げることに楽しみを見出しているということが、活動が継続していることや、大きくなっていくことにつながったのだろうと感じ取れた。
ぼくが舞台の公演を初めてやり終えたとき、小さい俳優養成所だったが、この仲間と一緒に舞台を作り終えた達成感と、それまでの日々の過程の困難や喜びを共有したことで、その後アルバイトに戻って生活している状態を虚しく感じる結果になってしまった。稽古・公演期間があまりに楽しかったから。
こういった感情は、特に、若い人、経験のない人に多いのだろうか、経験を積んだ俳優からはそんな感想を聞くこともない。
小学校のときの林間学校や、中学校のときの部活動の終わりにも敏感に寂しさを感じた。
小さいころ、親戚が一日集まって別れたその後の車のなかでは、陽気になることはできなかった思い出がある。
小学校時代、先生を中心にクラスがまとまった雰囲気をもっていた5,6年生の同級生には、会うことはないにしても、特別な感情を今でも持っていることは確かだ。
何かをやるために、また、同じ意志をもってまとまって行動することは、そんな感情も共有できるのだろうな。
逆にいうと、そういった同じ感情を共有できない集まりは、ただの集まりでしかなく、単なる仕事のようなものなのだろう。
同じテーブルにつきながら、孤独に自分のことだけをしている状態は、ある意味容易にできることなのかもしれない。それだからこそ、コミュニケーションをはかることを第一の任務としなければいけない。
人間は孤独に自分の人生を歩むものだからこそ、余計に協力しあうことを学ばなければいけない。
結婚とはそういうものなのかは、ぼくは知らない。しかし、この意見を否定する人も信用はできない。
人生の初春の時期であるこどもたち、彼らはその過程で何度も融合・離散、つまり小さな結婚を繰り返しているのだと思いたい。
大人にしても同じような過程をへて何が悪いだろう?
害悪となる個人主義は捨て去るのがよい。
胸を張って、「これはわたしのでなく、わたしたたちの仕事だ」といえる協力関係を築き上げていければと思っている。
cf. グルッポ・テアトロのホームページ
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