最近はあまり読んでいないが、人の伝記を読むのが好きだったりする。モーツァルトやロダン、夏目漱石もちょっと、ルイ・ジュヴェ、滝沢馬琴なんかも、ワフタンゴフ、ブレヒト、真山青果。
学生の頃からときたま読んではいたが、今の読み方とは違う。高校生のときなんか、その人物の青年時代しか興味がなかったが、今は、少年時代などには興味はなく、その人が成し遂げた偉業なり成果なり作品なりを作る過程にものすごく興味がある。
たとえば、ジャン・ルノワール。彼の少年時代・青年時代や老年期は、それなりの魅力はあるが感銘はない。しかし、彼が豊かに活動していた時期の映画作品にはわくわくするのである。ルノワールの場合、デビューも若すぎず、老年期には活動を休止するので時代区分がはっきりするのだが、そんな彼の黄金時代の名作群は思うだけでうきうきするものだ。
お夏清十郎の公演の勉強・視察のために姫路に行ってきたのだが、そこで入手したお夏の生涯の伝説は十通り以上あっておもしろかった。姫路市内を駆け回った、お寺に入り尼さんになった、小豆島に嫁に行った、備前片山で茶屋を開いた、室津で入水した、姫路で井戸に身投げした、和歌山に行った話もあったな。まあ、実際は分からないことが多く、後代の人がその人なりの都合のいい解釈をしたのだろう。伝説はそのようにして伝えられていく。
話好きなおばさんたちの口にかかると、ぼくは学生であったり、テレビに出ていたり、本を書いていたり、ときたま重病だったりもする。事実がどうというより、話だけが先走ってしまう。それはそれでいい。
結局、都合の良い考え方、解釈、読み方をするものなのだな。嫉妬なんていうのも、本人には都合の悪いことだが、考え方自体は、都合よく自分勝手にありもしないことを想像するのだから似たようなものだ。
溝口健二も言ったらしい。
「事実を知ったうえで嘘や誇張をするのは許される」
学生の頃からときたま読んではいたが、今の読み方とは違う。高校生のときなんか、その人物の青年時代しか興味がなかったが、今は、少年時代などには興味はなく、その人が成し遂げた偉業なり成果なり作品なりを作る過程にものすごく興味がある。
たとえば、ジャン・ルノワール。彼の少年時代・青年時代や老年期は、それなりの魅力はあるが感銘はない。しかし、彼が豊かに活動していた時期の映画作品にはわくわくするのである。ルノワールの場合、デビューも若すぎず、老年期には活動を休止するので時代区分がはっきりするのだが、そんな彼の黄金時代の名作群は思うだけでうきうきするものだ。
お夏清十郎の公演の勉強・視察のために姫路に行ってきたのだが、そこで入手したお夏の生涯の伝説は十通り以上あっておもしろかった。姫路市内を駆け回った、お寺に入り尼さんになった、小豆島に嫁に行った、備前片山で茶屋を開いた、室津で入水した、姫路で井戸に身投げした、和歌山に行った話もあったな。まあ、実際は分からないことが多く、後代の人がその人なりの都合のいい解釈をしたのだろう。伝説はそのようにして伝えられていく。
話好きなおばさんたちの口にかかると、ぼくは学生であったり、テレビに出ていたり、本を書いていたり、ときたま重病だったりもする。事実がどうというより、話だけが先走ってしまう。それはそれでいい。
結局、都合の良い考え方、解釈、読み方をするものなのだな。嫉妬なんていうのも、本人には都合の悪いことだが、考え方自体は、都合よく自分勝手にありもしないことを想像するのだから似たようなものだ。
溝口健二も言ったらしい。
「事実を知ったうえで嘘や誇張をするのは許される」
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