日曜日の夜はセンチメンタルになるのはぼくだけだろうか?ひどく静かな夜で、近所からの話し声やテレビの音も聞こえない。いったい隣り近所は何をしているのだろう?
そんな夜に限って、聞きたい音楽も静かなものになる。ジョー・パスやチェット・ベイカーなんてものに手が伸びる。
周囲が静かであればあるほど、音楽も心にしみるし、ぼくの想像もいろんなところに飛んでいく。今日あった出来事というよりも、もっと過去にあったいろいろな思い出をふとした調子に思い起こしてしまう。
なんて感傷的な夜なんだろう。こんな夜なら、何もかも微笑ましく、許せてしまう。
物悲しいとでもいうべきか、なんだか心に穴があいたようで、しかし空虚とは違う、まるで宇宙に吸い込まれるような気分。そうだ!夜空の星でも眺めてみようか?といってベランダに出たら曇り空。
星でも見てみようか、しかも東京でそんなことを考えるのは、日曜の夜だけかもな・・・
虚しいわけでもない。忙しい身のはずだが、ちっとも忙しく思わない。
そうそう、こういう夜は人と話してみたくなるんだよな。さっき、両親と電話で話をしたのもそんなものなのかな?
最近、暑かったせいか、周囲も自分も、心がざらざらして攻撃的になっていたな。昼には昼の論理があるように、日曜の夜にはそれなりの状況があるのだろう、こんな静かな夜には自我を通そうとも思えず、なにか不思議と人のことを思う、つまり他人を感じようとする。
ほんと不思議と感性がはっきりとしている気がする。ひとつひとつの物事やひとりひとりの人間の輪郭をはっきりと受け入れられるような気がする。きっと気のせい、単なる思い込みには違いないのだが、嬉しい。
こんな夜を迎えられたのが嬉しい。嬉しい、嬉しい。
しつこいな・・・
ま、でも、すべての日曜の夜にそんなことを感じ取れるわけではないので、今夜の幸せはありがたく受けとらなければな。
これはぼくなりの夜への讃歌だ。おやすみ。
そんな夜に限って、聞きたい音楽も静かなものになる。ジョー・パスやチェット・ベイカーなんてものに手が伸びる。
周囲が静かであればあるほど、音楽も心にしみるし、ぼくの想像もいろんなところに飛んでいく。今日あった出来事というよりも、もっと過去にあったいろいろな思い出をふとした調子に思い起こしてしまう。
なんて感傷的な夜なんだろう。こんな夜なら、何もかも微笑ましく、許せてしまう。
物悲しいとでもいうべきか、なんだか心に穴があいたようで、しかし空虚とは違う、まるで宇宙に吸い込まれるような気分。そうだ!夜空の星でも眺めてみようか?といってベランダに出たら曇り空。
星でも見てみようか、しかも東京でそんなことを考えるのは、日曜の夜だけかもな・・・
虚しいわけでもない。忙しい身のはずだが、ちっとも忙しく思わない。
そうそう、こういう夜は人と話してみたくなるんだよな。さっき、両親と電話で話をしたのもそんなものなのかな?
最近、暑かったせいか、周囲も自分も、心がざらざらして攻撃的になっていたな。昼には昼の論理があるように、日曜の夜にはそれなりの状況があるのだろう、こんな静かな夜には自我を通そうとも思えず、なにか不思議と人のことを思う、つまり他人を感じようとする。
ほんと不思議と感性がはっきりとしている気がする。ひとつひとつの物事やひとりひとりの人間の輪郭をはっきりと受け入れられるような気がする。きっと気のせい、単なる思い込みには違いないのだが、嬉しい。
こんな夜を迎えられたのが嬉しい。嬉しい、嬉しい。
しつこいな・・・
ま、でも、すべての日曜の夜にそんなことを感じ取れるわけではないので、今夜の幸せはありがたく受けとらなければな。
これはぼくなりの夜への讃歌だ。おやすみ。
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