いやあ、しばらく何も書かないと書くことに億劫になってしまう。以前から、日記というものは苦手で、毎日書き続けることは大変な苦労になる。だから、それができる人を感心してしまう。
自転車のロードレースのジロ・デ・イタリアも終わりそうだが、自転車も乗り続けることしか上達の道はない。毎日続けることは、競技のためでなくても、相当つらい。毎日の往復1時間40分の生活を2年続け、今は往復1時間20分とメッセンジャーの仕事8〜10時間、これだけ自転車に乗り続けるのも苦労なのだ。
家計簿をつけようとしたことがあるが、つけ始めたその日でストップしたこともあったな。
継続することに尊厳がある。長年演劇に携わっていた人が言っていたことだ。その人自体を尊敬はできなかったが、その言葉には経験に裏打ちされた大切な意味が含まれている。道半ばにして、別な職業に移る人も多い芸能の世界。
皆勤賞も馬鹿にはできない。さぼりの得意なぼくには目も眩む存在だ。こうしてみると朝の通勤列車に揺られて、無表情で、汗臭いおっさんたちも、苦労を抱え込みながら、毎日、そう、毎日通勤していることは敢闘賞ものなのだな。
一週間働いているからこそ、土日の休みが尊いものにもなる。
要するに、ぼくは自分にムチをうっているのだ。ブログを更新しろと。
この意気込みも一日で終わってしまわないようにしなければ。
以前は、楽しみから入っていった自転車乗りも、体脂肪を落とすためや、仕事のため、半ば義務的に、またはロードレースへの憧れなど、いろいろな要素を巡りながら、また結局は自転車に乗ることを楽しむことに戻っていく。
このささやかなブログも、毎日書けないにしても、毎日書く意志はもたないとな。書くことが楽しみでもあり、書くことでいろいろな発見もできるし、自分の生活者としての視線も鋭くなるような気がする。
吐いて捨てるような文章を書き続けることで、ちっぽけな栄養にはなるのではないか?何歳になっても自分で自分を養わなければな。よしよし。
自転車のロードレースのジロ・デ・イタリアも終わりそうだが、自転車も乗り続けることしか上達の道はない。毎日続けることは、競技のためでなくても、相当つらい。毎日の往復1時間40分の生活を2年続け、今は往復1時間20分とメッセンジャーの仕事8〜10時間、これだけ自転車に乗り続けるのも苦労なのだ。
家計簿をつけようとしたことがあるが、つけ始めたその日でストップしたこともあったな。
継続することに尊厳がある。長年演劇に携わっていた人が言っていたことだ。その人自体を尊敬はできなかったが、その言葉には経験に裏打ちされた大切な意味が含まれている。道半ばにして、別な職業に移る人も多い芸能の世界。
皆勤賞も馬鹿にはできない。さぼりの得意なぼくには目も眩む存在だ。こうしてみると朝の通勤列車に揺られて、無表情で、汗臭いおっさんたちも、苦労を抱え込みながら、毎日、そう、毎日通勤していることは敢闘賞ものなのだな。
一週間働いているからこそ、土日の休みが尊いものにもなる。
要するに、ぼくは自分にムチをうっているのだ。ブログを更新しろと。
この意気込みも一日で終わってしまわないようにしなければ。
以前は、楽しみから入っていった自転車乗りも、体脂肪を落とすためや、仕事のため、半ば義務的に、またはロードレースへの憧れなど、いろいろな要素を巡りながら、また結局は自転車に乗ることを楽しむことに戻っていく。
このささやかなブログも、毎日書けないにしても、毎日書く意志はもたないとな。書くことが楽しみでもあり、書くことでいろいろな発見もできるし、自分の生活者としての視線も鋭くなるような気がする。
吐いて捨てるような文章を書き続けることで、ちっぽけな栄養にはなるのではないか?何歳になっても自分で自分を養わなければな。よしよし。
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