今日は、友人のライヴに行ってきた。
電車で向かい、帰るときもそうだったが、電車に飛び込んだとか、線路内に人が立ち入ったとかで、電車が遅れた。
周囲の人の話をちらと聞いたら、このごろ頻繁にそういうことが起こるらしい。
そんな季節になったのか。
少し前だが、歩道を歩く歩行者が、ふらふらと、周りを見ないで方向転換したり、急に立ち止まってみたりと、ずいぶん自由気ままな行動をとり始めたと感じた日があったが、その延長なのだろうか?
それとも何か思いつめてか?
さて、そのライブだが、レストランで開かれて、なかなか楽しい雰囲気で聞けた。
リーダーの人がおもしろい人というか、音楽に真摯に向き合いながら、楽しくバンドを導いて、グルーヴを作り上げていた。
友人の歌姫は女優なのだが、いい歌を聞かせてくれた。少し音程がはずれていたところはご愛嬌で。こういった幅広い活動は続けるのがいいね。
オペラを観ているときもそうだが、今夜はバンドのライヴということで、生演奏を聞けた。生演奏というのは、目の前で演奏している意味だけでなく、そのときの現時点で、音楽をつくりだす生産活動ということだ。
スコアはあっても、グルーヴは書かれていない。そのときどきで協同で生み出すものだからだ。
バンドの演奏を聴いていておもしろかったのは、テンポが速かったり、リズムをとれなかったり、音のバランスがあわなかったりすると、演奏を何度も何度も繰り返して、ぴたりとあてはまるものになるまで、曲を始めないことだ。
いいグルーヴができあがるまでの準備というか、その準備もリズムにのって決して非音楽的なやり直しというわけでない。
演劇をやっていて、集団のアンサンブルを作りだすために、こんなやりかたで、スタートするまでの準備をしてみるとおもしろいかもしれない。
みんなのいきがあってテンポが生まれたときに、おもむろに劇が始まるという・・・
音楽では、音を出すこと、メロディを出すこと、リズム・テンポをあわせるために、演奏を何度もやり直せばいいが、演劇でそれと同じことをしようとすると何をすればいいのか?発声練習じゃあるまい、柔軟体操じゃあるまい、嘘くさい小芝居じゃあるまい。
バレエでも準備から流れるように本番に入っていくのを見たときがある。何気なく手をぷらぷらしたり、しゃがみこんだり、スキップしたり。
どうして演劇がこういった準備をしなくていいことがあろう。準備まで芝居の一部分にするパターンがあるが、芝居くささはこの場では鼻につく。
準備は準備、ようしできあがりそうだなと思ったら、協同で思いっきり漕ぎ出す。
現在の芝居を見ると、アンサンブルがあまりにも規律的で演出が施され過ぎているか、その反対に、まったくの個人主義でひとりひとりの職場を全うしているだけのものが多い気がする。
これを変えなければいけない。
電車で向かい、帰るときもそうだったが、電車に飛び込んだとか、線路内に人が立ち入ったとかで、電車が遅れた。
周囲の人の話をちらと聞いたら、このごろ頻繁にそういうことが起こるらしい。
そんな季節になったのか。
少し前だが、歩道を歩く歩行者が、ふらふらと、周りを見ないで方向転換したり、急に立ち止まってみたりと、ずいぶん自由気ままな行動をとり始めたと感じた日があったが、その延長なのだろうか?
それとも何か思いつめてか?
さて、そのライブだが、レストランで開かれて、なかなか楽しい雰囲気で聞けた。
リーダーの人がおもしろい人というか、音楽に真摯に向き合いながら、楽しくバンドを導いて、グルーヴを作り上げていた。
友人の歌姫は女優なのだが、いい歌を聞かせてくれた。少し音程がはずれていたところはご愛嬌で。こういった幅広い活動は続けるのがいいね。
オペラを観ているときもそうだが、今夜はバンドのライヴということで、生演奏を聞けた。生演奏というのは、目の前で演奏している意味だけでなく、そのときの現時点で、音楽をつくりだす生産活動ということだ。
スコアはあっても、グルーヴは書かれていない。そのときどきで協同で生み出すものだからだ。
バンドの演奏を聴いていておもしろかったのは、テンポが速かったり、リズムをとれなかったり、音のバランスがあわなかったりすると、演奏を何度も何度も繰り返して、ぴたりとあてはまるものになるまで、曲を始めないことだ。
いいグルーヴができあがるまでの準備というか、その準備もリズムにのって決して非音楽的なやり直しというわけでない。
演劇をやっていて、集団のアンサンブルを作りだすために、こんなやりかたで、スタートするまでの準備をしてみるとおもしろいかもしれない。
みんなのいきがあってテンポが生まれたときに、おもむろに劇が始まるという・・・
音楽では、音を出すこと、メロディを出すこと、リズム・テンポをあわせるために、演奏を何度もやり直せばいいが、演劇でそれと同じことをしようとすると何をすればいいのか?発声練習じゃあるまい、柔軟体操じゃあるまい、嘘くさい小芝居じゃあるまい。
バレエでも準備から流れるように本番に入っていくのを見たときがある。何気なく手をぷらぷらしたり、しゃがみこんだり、スキップしたり。
どうして演劇がこういった準備をしなくていいことがあろう。準備まで芝居の一部分にするパターンがあるが、芝居くささはこの場では鼻につく。
準備は準備、ようしできあがりそうだなと思ったら、協同で思いっきり漕ぎ出す。
現在の芝居を見ると、アンサンブルがあまりにも規律的で演出が施され過ぎているか、その反対に、まったくの個人主義でひとりひとりの職場を全うしているだけのものが多い気がする。
これを変えなければいけない。
コメント
コメントを投稿