ここ数日、悲しい、重大なニュースが日本・世界をめぐっている。
今日は、アメリカで起こった、韓国人留学生の引き起こした射殺事件から思ったことを語りたい。
ここ最近、ぼくはアメリカづいている。というのも、舞台を観たという観点なんだけどね。リンカーンに関してと、今日観て来たプッチーニの『西部の娘』のふたつ。
いうまでもなくリンカーンは射殺された。また、リンカーンは新しい土地をめざして移動したい誘惑はかなりあったらしい。それをおさえて政治家になったようだ。
『西部の娘』の舞台の演出家の見出したテーマは移住者の心の悲しみ。移民の国としてのアメリカ。このオペラのなかでも、保安官が銃で恋敵を撃つか撃たないかということが劇的なクライマックスとなっている。で、結局は撃たなかった。
銃で撃つこと、撃たないことを隔てる壁はなんなのであろうか?そしてまた、移民の国アメリカにつきまとう銃のイメージはなんなのであろうか?
今回の韓国人留学生の事件は、国籍を問題とすることは意味がない。個人の人間に問題点があるのは当然だが、アメリカで起こった事件、しかも移住者の起こした事件という観点が、ぼくにはひっかかるところがある。まあ、いまさら何々系移民だから、どこからきたからといって、それを問題視するのも古くさいだろうし、移民という市民権は当然得ている。
アメリカのように資本主義と民主主義が高度に発達している国で、武器による威嚇・権力が当然視されている矛盾は、どのように説明できるのであろうか?市民レベルに銃口が見え隠れし、国家レベルではあからさまに銃で威嚇することは、アメリカという国家の成り立ちと関係しているのではないか?そして、移民という概念が重要になっているのではないか?
単なるこじつけか、偶然なのかわからないが、移民、銃というふたつのキーワードがアメリカという国を考えるときに、表層に浮かび上がってくる今日この頃である。
今日は、アメリカで起こった、韓国人留学生の引き起こした射殺事件から思ったことを語りたい。
ここ最近、ぼくはアメリカづいている。というのも、舞台を観たという観点なんだけどね。リンカーンに関してと、今日観て来たプッチーニの『西部の娘』のふたつ。
いうまでもなくリンカーンは射殺された。また、リンカーンは新しい土地をめざして移動したい誘惑はかなりあったらしい。それをおさえて政治家になったようだ。
『西部の娘』の舞台の演出家の見出したテーマは移住者の心の悲しみ。移民の国としてのアメリカ。このオペラのなかでも、保安官が銃で恋敵を撃つか撃たないかということが劇的なクライマックスとなっている。で、結局は撃たなかった。
銃で撃つこと、撃たないことを隔てる壁はなんなのであろうか?そしてまた、移民の国アメリカにつきまとう銃のイメージはなんなのであろうか?
今回の韓国人留学生の事件は、国籍を問題とすることは意味がない。個人の人間に問題点があるのは当然だが、アメリカで起こった事件、しかも移住者の起こした事件という観点が、ぼくにはひっかかるところがある。まあ、いまさら何々系移民だから、どこからきたからといって、それを問題視するのも古くさいだろうし、移民という市民権は当然得ている。
アメリカのように資本主義と民主主義が高度に発達している国で、武器による威嚇・権力が当然視されている矛盾は、どのように説明できるのであろうか?市民レベルに銃口が見え隠れし、国家レベルではあからさまに銃で威嚇することは、アメリカという国家の成り立ちと関係しているのではないか?そして、移民という概念が重要になっているのではないか?
単なるこじつけか、偶然なのかわからないが、移民、銃というふたつのキーワードがアメリカという国を考えるときに、表層に浮かび上がってくる今日この頃である。
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