ここ数日、気になって離れない言葉がある。ほんのささいなことばだ
「実験的ということばを私は好かないが、というのは芸術は実験に決まっているからである」 (三谷礼二)
楽譜がそこにあるのは、踏み台としてあるのであって、線路の上を一寸たがわず演奏しなさい、ということではない。
台本という言葉自体、踏み台といった意味にとれるのではないか?
さまざまな博物館のうち、おもしろいものは、そこから何を見出すか?という問題提起を投げかけているものだ。珍奇な物を収集・保存してそれをありがたがらせ、権威をもってひれ伏させる類の博物館では、観覧者の足取りは速い。
つねに試す人であること。新しい物事に遭遇したら、それはどんなに日ごろ見慣れているものであっても、新しい経験にほかならない。
「そんなことしょっちゅうあるよ」といって、態度を常套なものにしてしまっては、新しい物事は、古い、扱い慣れたものになってしまう。
態度の自動機械化。判断のマニュアル化。
夏の夜にわが肌を刺す、あの蚊でさえ、昨日の蚊とは違う。
「(音楽とはなんですか?の問いに)
もしわたしが音楽のなんたるかを知っていれば、音楽に専念することはなかったでしょう。過去、現在を問わず音楽家というのは、その答えを求めてきた人たちのことを指すのですから。その答えを表現する手段を模索する人こそ音楽家です。・・・ともかく作曲家は答える立場の人間ではありません。逆にいつも問いをなげかける人間です」 (武満徹)
演劇をやるにあたって、始めから、その効果と意義とおもしろさが手に取るようにわかり、また、見通しが製図されて配置されているのなら、あえてその作品を上演する意味はない。
近松の戯曲は、歴史と人間の風雪に耐えてきたからこそ、現代にもつながるものがある。確かめるために試練にさらすのもいいかもしれない。
ある意味、遺跡の発掘に似ているかもしれない。
先頭に立って堀り続けること。発見すること。汚れを丹念に落とすこと。手にしたものを吟味すること。歴史的な文脈と手にしたものの観察から、仮説をたてること。そしてまた明日に掘り続けること。
博物館に入れることや、メディアに発表するのは、別な人間がやることだ。それこそ、偉大な分業制ではないか?
音、沈黙と測りあえるほどに(1)
音、沈黙と測りあえるほどに(2)
戦いのマニフェスト
「実験的ということばを私は好かないが、というのは芸術は実験に決まっているからである」 (三谷礼二)
楽譜がそこにあるのは、踏み台としてあるのであって、線路の上を一寸たがわず演奏しなさい、ということではない。
台本という言葉自体、踏み台といった意味にとれるのではないか?
さまざまな博物館のうち、おもしろいものは、そこから何を見出すか?という問題提起を投げかけているものだ。珍奇な物を収集・保存してそれをありがたがらせ、権威をもってひれ伏させる類の博物館では、観覧者の足取りは速い。
つねに試す人であること。新しい物事に遭遇したら、それはどんなに日ごろ見慣れているものであっても、新しい経験にほかならない。
「そんなことしょっちゅうあるよ」といって、態度を常套なものにしてしまっては、新しい物事は、古い、扱い慣れたものになってしまう。
態度の自動機械化。判断のマニュアル化。
夏の夜にわが肌を刺す、あの蚊でさえ、昨日の蚊とは違う。
「(音楽とはなんですか?の問いに)
もしわたしが音楽のなんたるかを知っていれば、音楽に専念することはなかったでしょう。過去、現在を問わず音楽家というのは、その答えを求めてきた人たちのことを指すのですから。その答えを表現する手段を模索する人こそ音楽家です。・・・ともかく作曲家は答える立場の人間ではありません。逆にいつも問いをなげかける人間です」 (武満徹)
演劇をやるにあたって、始めから、その効果と意義とおもしろさが手に取るようにわかり、また、見通しが製図されて配置されているのなら、あえてその作品を上演する意味はない。
近松の戯曲は、歴史と人間の風雪に耐えてきたからこそ、現代にもつながるものがある。確かめるために試練にさらすのもいいかもしれない。
ある意味、遺跡の発掘に似ているかもしれない。
先頭に立って堀り続けること。発見すること。汚れを丹念に落とすこと。手にしたものを吟味すること。歴史的な文脈と手にしたものの観察から、仮説をたてること。そしてまた明日に掘り続けること。
博物館に入れることや、メディアに発表するのは、別な人間がやることだ。それこそ、偉大な分業制ではないか?
音、沈黙と測りあえるほどに(1)
音、沈黙と測りあえるほどに(2)
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