以前フランスに留学していたころ、何を思ったか粘土遊びに凝った時期があった。ことばも話せず、友人も少なく、お金もない、そんななか時間だけはたっぷりと持っていたそのときに、粘土を買ってきていろいろこねくり回して、いっぱしの彫刻家見習いとなったのである。
その時期は、ギリシア彫刻に興味を持っていた時期で、彫刻の写真集を見たり、街角の彫刻を観察したり、街で出会う人々や事物に興味をもっていたのだった。あの美しい彫刻はどのようにして、どんな過程で生まれてきたのか?
そして、自分でも始めたのであった。
ぼくはリヨンに住んでいたのだが、そこでぼくは周囲の視線を感じた。自意識が過剰にあるのは事実だったが、こちらが東洋の人間で、しかも落ち着きのがない。異質なものに興味をもつ目。
あとでわかったのは、フランスの人は決してぼくだけをじろじろ見つめていたのではないこと、東洋人だけを見ていたわけでもない。見慣れている同国人をもじろじろ見つめていたのだ。
フランスはアメリカと同じように、移民の国。さまざまな人種が同居している。、中国人だと頻繁に間違えられるような状況下で、ぼくのことを日本人として見ている人は一握り。
考えようによっては、よほどの挙動不審だったのかもしれない、誰かさんは・・・
こうして、見つめられ、じろじろ観察される不快さを乗り越えるには、自分もじろじろ見つめることをしなければならない、と思い込み、目をひんむいて街で視線の合う人合う人をにらみ返した。
そんな戦いにも疲れ、見つめることを力を抜いてできるようになったとき、それがちょうどギリシアの彫刻に興味をもったときだった。
不思議な魅力。太陽の下、せかせか動き回る人間たち、手をつないでいなくても心で結ばれているような恋人たち、微妙に年輪や特徴を持っている人間の顔・顔・顔。
今まで何を見ていたのだろうか、と自問してしまうほどの発見。
すべてが愛おしくなり、すべてを美しく考えるようになり、美しい容姿の女・男を見ることに快感を覚えるようになった。
美しいものをみるのに、なんのためらいや恥じらいが必要だろうと、厚顔無恥にじろじろ見つめていたのかもしれない。
今思うにそれは視線の暴力。過剰すぎるんだな、はじめは・・・
しかし、本当に愛情を持ったのもたしかだ。
以前から、自分の彫刻に惚れこんで溺愛してしまった、ピグマリオンの神話を知っていたこともあり、自分で美を作りだそうと意気込んで、粘土を買って作り始めたのであった。
作るにしても、モデルを頼むわけにもいかないし、かといって写真を模倣しているのも意味がないし、いい顔いい表情、美しい肢体は、移ろいやすく逃げやすい。
仕方なく、自分の手をモデルにした。
これがなかなか難しいんだ。美を追求しようと意気込んでも、できあがったものは、バランスを大いに欠いていたり、まるでガラクタのようなものだったり。
しかし、かなり真剣に取り組んで、試行錯誤を繰り返すうちに、自分の手ながら何も分かっていないものだなあと、自省するようになり、謙虚に作業を繰り返しては観察し、できあがったものをこわしては塊に戻したりと、いったいお前は何の勉強にこちらまで来ているんだと思うほど、熱心に粘土をいじくり回していた。
次第にわかるようになったのは、美を求めてもそこには何もないこと。人間について、ましてや、自分の手についてすらまともに取っ組み合いをしたことがなければ、その手がどんな生活を抱え込んでいるか、人間がどんなポーズ・しぐさをするものかなど、分かりっこない。
表層的な容姿の美を自分の手で創造するには、表層的な地点でとどまってはいけないこと。必ず背後にある人間に対する熱い眼差しが必要になってくること。眼差しだけでなく、踏み入る勇気と努力と技術が必要なこと。そして、執拗にそれを続けること。
自画自賛ではあるが、唯美的な次元で躍起になっていたころの作品と比べると、質の面で見違えるほどいい作品ができた。
できあがった作品は習作にすぎないが、作り上げる過程で人間を凝視することを学んだことは、できあがったものにも現れていたような気がする。単に愛着だけかもしれないが・・・
つい長々と語ってしまったが、芸術の見習いが自分の仕事に自分の生活を結びつけたことは、今でも十分な糧となっている。芸術のうしろには人間があることも分かった。
そして思うに、作っては壊し、また新たな作品を作るために、自分の形を粘土の塊にまで戻して、そこから再出発しなければならないことは、なんと、俳優の仕事に似ていることか!それだからこそ、俳優の仕事はぼくには愛おしいものに思えてくるのだ。
強引に演劇と演技に結びつけた・・・
最後に、フランスときて、彫刻家とくれば、あの人のことばを引き出しても罪にはなるまい。彫刻だけでなく、すべての芸術にあてはまるものだと、ぼくは確信している。
「きみたちの精神が、すべての上面にあるものはみなそれを後ろから押している量の一端だとみなすようになれと思う。形は君たちに向かって突き出たものと思いなさい。いっさいの生はひとつの中心から湧き起る。やがて芽ぐみ、そして内から外へと咲き開く。同じように、美しい彫刻には、いつでもひとつの強い内の衝動を感じる」 (A.ロダン)
「こういうことを忘れるな。相貌はない。量しかないということを。素描するとき、決して外囲線に気をとられるな。凹凸だけを考えなさい。その凹凸が外囲線を支配するのです。
休みなしに稽古せよ。手業に身を馴らさなければなりません」 (A.ロダン)
その時期は、ギリシア彫刻に興味を持っていた時期で、彫刻の写真集を見たり、街角の彫刻を観察したり、街で出会う人々や事物に興味をもっていたのだった。あの美しい彫刻はどのようにして、どんな過程で生まれてきたのか?
そして、自分でも始めたのであった。
ぼくはリヨンに住んでいたのだが、そこでぼくは周囲の視線を感じた。自意識が過剰にあるのは事実だったが、こちらが東洋の人間で、しかも落ち着きのがない。異質なものに興味をもつ目。
あとでわかったのは、フランスの人は決してぼくだけをじろじろ見つめていたのではないこと、東洋人だけを見ていたわけでもない。見慣れている同国人をもじろじろ見つめていたのだ。
フランスはアメリカと同じように、移民の国。さまざまな人種が同居している。、中国人だと頻繁に間違えられるような状況下で、ぼくのことを日本人として見ている人は一握り。
考えようによっては、よほどの挙動不審だったのかもしれない、誰かさんは・・・
こうして、見つめられ、じろじろ観察される不快さを乗り越えるには、自分もじろじろ見つめることをしなければならない、と思い込み、目をひんむいて街で視線の合う人合う人をにらみ返した。
そんな戦いにも疲れ、見つめることを力を抜いてできるようになったとき、それがちょうどギリシアの彫刻に興味をもったときだった。
不思議な魅力。太陽の下、せかせか動き回る人間たち、手をつないでいなくても心で結ばれているような恋人たち、微妙に年輪や特徴を持っている人間の顔・顔・顔。
今まで何を見ていたのだろうか、と自問してしまうほどの発見。
すべてが愛おしくなり、すべてを美しく考えるようになり、美しい容姿の女・男を見ることに快感を覚えるようになった。
美しいものをみるのに、なんのためらいや恥じらいが必要だろうと、厚顔無恥にじろじろ見つめていたのかもしれない。
今思うにそれは視線の暴力。過剰すぎるんだな、はじめは・・・
しかし、本当に愛情を持ったのもたしかだ。
以前から、自分の彫刻に惚れこんで溺愛してしまった、ピグマリオンの神話を知っていたこともあり、自分で美を作りだそうと意気込んで、粘土を買って作り始めたのであった。
作るにしても、モデルを頼むわけにもいかないし、かといって写真を模倣しているのも意味がないし、いい顔いい表情、美しい肢体は、移ろいやすく逃げやすい。
仕方なく、自分の手をモデルにした。
これがなかなか難しいんだ。美を追求しようと意気込んでも、できあがったものは、バランスを大いに欠いていたり、まるでガラクタのようなものだったり。
しかし、かなり真剣に取り組んで、試行錯誤を繰り返すうちに、自分の手ながら何も分かっていないものだなあと、自省するようになり、謙虚に作業を繰り返しては観察し、できあがったものをこわしては塊に戻したりと、いったいお前は何の勉強にこちらまで来ているんだと思うほど、熱心に粘土をいじくり回していた。
次第にわかるようになったのは、美を求めてもそこには何もないこと。人間について、ましてや、自分の手についてすらまともに取っ組み合いをしたことがなければ、その手がどんな生活を抱え込んでいるか、人間がどんなポーズ・しぐさをするものかなど、分かりっこない。
表層的な容姿の美を自分の手で創造するには、表層的な地点でとどまってはいけないこと。必ず背後にある人間に対する熱い眼差しが必要になってくること。眼差しだけでなく、踏み入る勇気と努力と技術が必要なこと。そして、執拗にそれを続けること。
自画自賛ではあるが、唯美的な次元で躍起になっていたころの作品と比べると、質の面で見違えるほどいい作品ができた。
できあがった作品は習作にすぎないが、作り上げる過程で人間を凝視することを学んだことは、できあがったものにも現れていたような気がする。単に愛着だけかもしれないが・・・
つい長々と語ってしまったが、芸術の見習いが自分の仕事に自分の生活を結びつけたことは、今でも十分な糧となっている。芸術のうしろには人間があることも分かった。
そして思うに、作っては壊し、また新たな作品を作るために、自分の形を粘土の塊にまで戻して、そこから再出発しなければならないことは、なんと、俳優の仕事に似ていることか!それだからこそ、俳優の仕事はぼくには愛おしいものに思えてくるのだ。
強引に演劇と演技に結びつけた・・・
最後に、フランスときて、彫刻家とくれば、あの人のことばを引き出しても罪にはなるまい。彫刻だけでなく、すべての芸術にあてはまるものだと、ぼくは確信している。
「きみたちの精神が、すべての上面にあるものはみなそれを後ろから押している量の一端だとみなすようになれと思う。形は君たちに向かって突き出たものと思いなさい。いっさいの生はひとつの中心から湧き起る。やがて芽ぐみ、そして内から外へと咲き開く。同じように、美しい彫刻には、いつでもひとつの強い内の衝動を感じる」 (A.ロダン)
「こういうことを忘れるな。相貌はない。量しかないということを。素描するとき、決して外囲線に気をとられるな。凹凸だけを考えなさい。その凹凸が外囲線を支配するのです。
休みなしに稽古せよ。手業に身を馴らさなければなりません」 (A.ロダン)
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