最近は、昼夜ずっと外に出ていたので、今日みたいにお昼に家の中にいると、なんだ!!この暑さは!!もうすっかり夏の真ん中に来ていたのね。昨日、友人の子どもが夏休みの宿題がどうのこうの言っているのを聞いたときも、ああ、もうこんな季節かなと思ったな。
そんなぼんやり屋の自分にかこつけるわけではないが、時間というものの不確かさを考える機会が多いのが最近の特徴かな?
時計ですすむ時間や明石の標準時刻というのも、一定で不公平のないようでいて、実はそうじゃない。
仕事の終業時間に近づくにつれ時間の歩みは遅くなる。
楽しい映画を観ている時間と、退屈でおもしろみのない映画のとでは、まったく中身が違う。
少なくとも、毎日の睡眠時間と一仕事の時間が同じだとは思えない。
これは、体感の問題ではない。時間は進み具合が不規則なのだ。
相対性理論というものでもないだろうが、時間の進み具合は変化し、絶対的な基準というものはない。ある視点からみた時間というものが、その人にとっての時間なのだ。ある加速をしている人にとっては、同じ加速をしている人と時間も空間も共有できることは、並立して走る人間・自転車・車などの例でもわかる。
ぼくは、大きい駅の中を歩くのがもどかしいのだが、それはもう完全に、歩く速度が千差万別であることからきている。狭い空間のなかでこれだけさまざまなテンポで歩く人がいると混乱しないほうがおかしいくらいだ。なにげに朝の通勤者の無機質なテンポやコンサートの後の観客の列はみな同じテンポなので歩きやすい。
テンポというと、アルド・ロッシによれば、イタリア語の「テンポ」という言葉は、環境と時間の両方を意味するらしい。
そういった固有のテンポを人それぞれが内包しているものなので、自転車のロードレースでも山岳地帯をアタックをかけて他の選手をぶっちぎるよりも、あるテンポを守って、しかも自分のペースで上ったほうが疲れも時間も少なくなるようだ。ぼく自信、陣馬高原の和田峠の上り道を、一度目に上るよりも、山頂にいって下りてきて、また上る2回目のほうが楽に上れるのだ。ウォーミングアップというものは、あるテンポに近づくための準備なのかもしれない。
時計は自分が見ていないときは針の歩みを止めているに違いないという子ども時代の思い込みも、あながち間違ってはいないのかもしれない。
時間に不快にさせられないように、ある加速を保つことが必要なのかもしれないな。ごつごつした時間の重みに支配されるのはごめんだ。
畑で農作業をじっくりやっているおばあさんは、そんな重みとは無関係な軽やかさが見えるものだ。
じゃあ、何をすればいい?
テンポを見つけ出せばいいのか?
そんなぼんやり屋の自分にかこつけるわけではないが、時間というものの不確かさを考える機会が多いのが最近の特徴かな?
時計ですすむ時間や明石の標準時刻というのも、一定で不公平のないようでいて、実はそうじゃない。
仕事の終業時間に近づくにつれ時間の歩みは遅くなる。
楽しい映画を観ている時間と、退屈でおもしろみのない映画のとでは、まったく中身が違う。
少なくとも、毎日の睡眠時間と一仕事の時間が同じだとは思えない。
これは、体感の問題ではない。時間は進み具合が不規則なのだ。
相対性理論というものでもないだろうが、時間の進み具合は変化し、絶対的な基準というものはない。ある視点からみた時間というものが、その人にとっての時間なのだ。ある加速をしている人にとっては、同じ加速をしている人と時間も空間も共有できることは、並立して走る人間・自転車・車などの例でもわかる。
ぼくは、大きい駅の中を歩くのがもどかしいのだが、それはもう完全に、歩く速度が千差万別であることからきている。狭い空間のなかでこれだけさまざまなテンポで歩く人がいると混乱しないほうがおかしいくらいだ。なにげに朝の通勤者の無機質なテンポやコンサートの後の観客の列はみな同じテンポなので歩きやすい。
テンポというと、アルド・ロッシによれば、イタリア語の「テンポ」という言葉は、環境と時間の両方を意味するらしい。
そういった固有のテンポを人それぞれが内包しているものなので、自転車のロードレースでも山岳地帯をアタックをかけて他の選手をぶっちぎるよりも、あるテンポを守って、しかも自分のペースで上ったほうが疲れも時間も少なくなるようだ。ぼく自信、陣馬高原の和田峠の上り道を、一度目に上るよりも、山頂にいって下りてきて、また上る2回目のほうが楽に上れるのだ。ウォーミングアップというものは、あるテンポに近づくための準備なのかもしれない。
時計は自分が見ていないときは針の歩みを止めているに違いないという子ども時代の思い込みも、あながち間違ってはいないのかもしれない。
時間に不快にさせられないように、ある加速を保つことが必要なのかもしれないな。ごつごつした時間の重みに支配されるのはごめんだ。
畑で農作業をじっくりやっているおばあさんは、そんな重みとは無関係な軽やかさが見えるものだ。
じゃあ、何をすればいい?
テンポを見つけ出せばいいのか?
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