またまた、溝口の映画を見た。どうしてこうも溝口の映画を気にするかといと、もう伝説になるくらいの溝口組(溝口の映画のスタッフ及び俳優)の仕事ぶりのためだ。もちろん映画自体が良いから、その秘訣を探りだすべく、本などの資料も読んでみる。
映画や演劇では何々組といったチームワークで作品作りを継続することが多い。気心や方法を共有している人間と一緒に作品をつくるほうが効率もいいし、継続性がある。溝口組といえば、溝口健二を筆頭に、脚本:依田義賢、撮影:宮川一夫、美術:水谷浩、音楽:早坂文雄、といった面々が代表となっている。
内藤昭は後々の美術監督で名高く、その彼が水谷浩の助手として溝口組の仕事に参加しているときの文章やインタビューを読んでいるが、妥協を許さない仕事師としての溝口はじめ溝口組の仕事には、緊張感がみなぎっているように感じ取れる。下調べの考証や、ロケハン、撮影時の集中など、内藤氏のインタビュー以外でも、どのスタッフが語っても、どの役者が語っても、溝口組の仕事に誇り高いものを感じているようだ。なにしろ、日本映画が技術的にも人材的にも黄金期だったこともあって、溝口のひとつの作品は相当レベルの高い人材と技術の結晶だったわけで、そんな撮影や仕事ぶりのこぼれ話を聞くだけでわくわくするものだ。
思うに、溝口が1950年代に当然のこととしてやっていた、時代考証、下調べ、厳密な撮影、芸術性のある職人的な仕事の数々というものは、それ以前の溝口が映画にかかわっていた30年間の結晶でもあるし、経験や技術の完成でもあるが、そういった緻密に練り上げられた大胆な作品に、現代のわたしたちが少しでも近づくには、どれほどの格闘を自分に課さなければならないのかと考えると、目がくらくらしてくるぐらいだ。溝口のようなベテランで一級の監督が試行錯誤と莫大な仕事量を経て作った作品に、質的にどれだけ近づいていけるかを考えると、ぼくのような駆け出しが安易に仕事をやっつけてしまうのが恐ろしい。
こういうわけで溝口という高い目標を常に参考にしていきたい。もちろん自分ひとりでできるわけがない。周囲のチームの力で、やっつけ仕事でない、芸術家としての職人的な献身で仕事を進めたいと常々思っている。
今夜はNHKで大河ドラマを見たのも影響しているのだろう。ぼろくそに言って良いならいくらでもいえるが、情けないくらいのレベルのドラマだ、演技も、演出も、音楽も、美術も。舞台で何度もみたことのある俳優が何人もいたが、みな退廃的な演技をしていた。こんなドラマが何十回も続いているのを見ると、それだけの製作費があるなら、新人の映画監督に映画のひとつでも撮らせてやったらいいと思う。
まあ、そんなくだらないドラマを早く忘れたくて溝口の『西鶴一代女』を観たというわけだ。
映画や演劇では何々組といったチームワークで作品作りを継続することが多い。気心や方法を共有している人間と一緒に作品をつくるほうが効率もいいし、継続性がある。溝口組といえば、溝口健二を筆頭に、脚本:依田義賢、撮影:宮川一夫、美術:水谷浩、音楽:早坂文雄、といった面々が代表となっている。
内藤昭は後々の美術監督で名高く、その彼が水谷浩の助手として溝口組の仕事に参加しているときの文章やインタビューを読んでいるが、妥協を許さない仕事師としての溝口はじめ溝口組の仕事には、緊張感がみなぎっているように感じ取れる。下調べの考証や、ロケハン、撮影時の集中など、内藤氏のインタビュー以外でも、どのスタッフが語っても、どの役者が語っても、溝口組の仕事に誇り高いものを感じているようだ。なにしろ、日本映画が技術的にも人材的にも黄金期だったこともあって、溝口のひとつの作品は相当レベルの高い人材と技術の結晶だったわけで、そんな撮影や仕事ぶりのこぼれ話を聞くだけでわくわくするものだ。
思うに、溝口が1950年代に当然のこととしてやっていた、時代考証、下調べ、厳密な撮影、芸術性のある職人的な仕事の数々というものは、それ以前の溝口が映画にかかわっていた30年間の結晶でもあるし、経験や技術の完成でもあるが、そういった緻密に練り上げられた大胆な作品に、現代のわたしたちが少しでも近づくには、どれほどの格闘を自分に課さなければならないのかと考えると、目がくらくらしてくるぐらいだ。溝口のようなベテランで一級の監督が試行錯誤と莫大な仕事量を経て作った作品に、質的にどれだけ近づいていけるかを考えると、ぼくのような駆け出しが安易に仕事をやっつけてしまうのが恐ろしい。
こういうわけで溝口という高い目標を常に参考にしていきたい。もちろん自分ひとりでできるわけがない。周囲のチームの力で、やっつけ仕事でない、芸術家としての職人的な献身で仕事を進めたいと常々思っている。
今夜はNHKで大河ドラマを見たのも影響しているのだろう。ぼろくそに言って良いならいくらでもいえるが、情けないくらいのレベルのドラマだ、演技も、演出も、音楽も、美術も。舞台で何度もみたことのある俳優が何人もいたが、みな退廃的な演技をしていた。こんなドラマが何十回も続いているのを見ると、それだけの製作費があるなら、新人の映画監督に映画のひとつでも撮らせてやったらいいと思う。
まあ、そんなくだらないドラマを早く忘れたくて溝口の『西鶴一代女』を観たというわけだ。
コメント
コメントを投稿