伝説というものはおもしろいもので、後代に手を変え品を変え受け継ていく。ぼくの故郷にも安寿と厨子王の碑石があるが、二人がそこを通ったということはありえない、が、しかしなぜかあるのだ。浦島伝説にしても東アジアから東南アジアにかけて同じような伝説がいくつもあるというから、なにがオリジナルなのかという詮索はする意味もないようだ。
お夏が狂乱した後にも、いくつもの伝説があり、野山を駆け回ったとか、姫路城下を徘徊したとか、正覚寺で尼僧になったとか、葛坂で茶屋を開いたとか。まあ、噂というよりも、後代の人が脚色して自分の土地にかこつけたとか、似たような女性をさしてお夏と名づけ親しむうち、伝説にすりかわってしまったり。
お夏がどのように生涯をすごすにせよ、不思議なのは、お夏は長生きをしたということが共通している。自殺を図ったが死に切れなかったり、周りの人たちにとめられたりした。狂乱も次第に止んだということも共通している。
清十郎と駈け落ちをし一大事件を起こしたお夏の生涯の行く末を、庶民は惨めなものにしたくはなかったのかもしれないし、実際のところ、お夏の狂乱は収まったのかもしれない。
井原西鶴にせよ、近松門左衛門にせよ、お夏は尼になり清十郎を弔って暮らしたという結末にしているのは感慨深い。事件は悲劇的な結末となってしまったけれど、生き残った人間が気が狂うだけで一生を失うのは感傷というものだ。清十郎の死の衝撃を受け止めて人間的に成長していくことに、両作者は意義を見出したに違いない。しかも、噂や聞き伝えがそれを証明し、お夏は立派に尼となって誠意をこめて弔っているという言い伝えの声が大きいのだ。
お夏が衝動的に大恋愛をし、でかいことをしでかし、悲劇となった後は立派な人間になるという筋立ては、庶民感情の支持するものであったのだろう。そこに庶民は幸福のかけらを見出したにちがいない。第二のお夏が次々と現れ、心中というかたちを選んだり処刑されたりする歴史が繰り返されるであろうが、当のお夏は幸福の円環の中にあることはおもしろい。
いたたまれないほどの悲劇的な結末でもなく、かといって安易なハッピーエンドでもなく、なぜか歴史に消え行くベクトルでお夏の伝説が受け継がれているのがおもしろいことだ。ある時点で、表舞台から自ら消えていった伝説の女優というのがいるが、その感覚に近いものがある。その女優もある美しさのイメージを残しながらひっそりと暮らしている。お夏も、青春の大恋愛とともに後ろへ下がっていく。
そんなお夏を想像で求めていきたい。
また新たに、伝説にずかずかと足を踏み入れる者たちがいる。
いい公演にしたい。というわけで、宣伝に終わってしまった。
『お夏清十郎』 グルッポ・テアトロ公演
cf. お夏清十郎
お夏清十郎(その2)
お夏が狂乱した後にも、いくつもの伝説があり、野山を駆け回ったとか、姫路城下を徘徊したとか、正覚寺で尼僧になったとか、葛坂で茶屋を開いたとか。まあ、噂というよりも、後代の人が脚色して自分の土地にかこつけたとか、似たような女性をさしてお夏と名づけ親しむうち、伝説にすりかわってしまったり。
お夏がどのように生涯をすごすにせよ、不思議なのは、お夏は長生きをしたということが共通している。自殺を図ったが死に切れなかったり、周りの人たちにとめられたりした。狂乱も次第に止んだということも共通している。
清十郎と駈け落ちをし一大事件を起こしたお夏の生涯の行く末を、庶民は惨めなものにしたくはなかったのかもしれないし、実際のところ、お夏の狂乱は収まったのかもしれない。
井原西鶴にせよ、近松門左衛門にせよ、お夏は尼になり清十郎を弔って暮らしたという結末にしているのは感慨深い。事件は悲劇的な結末となってしまったけれど、生き残った人間が気が狂うだけで一生を失うのは感傷というものだ。清十郎の死の衝撃を受け止めて人間的に成長していくことに、両作者は意義を見出したに違いない。しかも、噂や聞き伝えがそれを証明し、お夏は立派に尼となって誠意をこめて弔っているという言い伝えの声が大きいのだ。
お夏が衝動的に大恋愛をし、でかいことをしでかし、悲劇となった後は立派な人間になるという筋立ては、庶民感情の支持するものであったのだろう。そこに庶民は幸福のかけらを見出したにちがいない。第二のお夏が次々と現れ、心中というかたちを選んだり処刑されたりする歴史が繰り返されるであろうが、当のお夏は幸福の円環の中にあることはおもしろい。
いたたまれないほどの悲劇的な結末でもなく、かといって安易なハッピーエンドでもなく、なぜか歴史に消え行くベクトルでお夏の伝説が受け継がれているのがおもしろいことだ。ある時点で、表舞台から自ら消えていった伝説の女優というのがいるが、その感覚に近いものがある。その女優もある美しさのイメージを残しながらひっそりと暮らしている。お夏も、青春の大恋愛とともに後ろへ下がっていく。
そんなお夏を想像で求めていきたい。
また新たに、伝説にずかずかと足を踏み入れる者たちがいる。
いい公演にしたい。というわけで、宣伝に終わってしまった。
『お夏清十郎』 グルッポ・テアトロ公演
cf. お夏清十郎
お夏清十郎(その2)
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