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山椒大夫

溝口健二の『山椒大夫』を観た。今回は物語に圧倒されることはなく、落ち着いて構造を確かめられた。ただ単純に主題的に観たというべきか?
今日観たこの映画は、人間の奴隷化への執拗な抵抗に思えた。厨子王、山椒大夫の息子の太郎、安寿に代表される抵抗の行動。厨子王は感情的に仕返しをする。
また、山椒大夫がのさばる荘園は、右大臣の権力の庇護の下であり、山椒大夫個人の横暴というだけでなく、中央の政治の権力争いの先端という構図。
溝口がこの映画で語る中心にこれがある。

また、引き裂かれた家族、失われた平和・幸福・希望の問題。山椒大夫の荘園で働かされている奴隷は、人身売買のネットワークに引っかかった被害者で、みな身寄りのない者で、個人の歴史すら消されている。次々と新参の者が入ってくるところをみると、かなり大きく堅固なネットワークが張り巡らされている。その取引の実行犯も、経済的な利益を得るために、善人の装いをしている。いや、普段は悪事を働く人でないのかもしれない。

たとえ家族が離れ離れになっても、家族への思いは時空を超える。
母親の玉木の歌う安寿と厨子王の歌は、少なくとも玉木の周囲から佐渡の全土に広まり、そして丹後の国にまで広まるのだ、しかも他人ののどを介して。
厨子王の逃亡への決意のきっかけは、母子で旅をしていたときの、安寿との枝折の記憶と反復。ここで安寿はその幼い時期の旅で、心配する母親の呼び声を時空を超えて聞く。おそらく厨子王にも聞こえている。
最後に佐渡を訪ねる厨子王が、風を聞いたかのように母親の居場所に向かっていく。誰かが教えてくれたわけではない。
思いだけではなく、観音像、ことばというものが、家族の離散を食い止める。

言ってみれば、政治的・社会的に容認されている犯罪によって家族が引き離され、その悪の制度を感情的になってまでつぶそうとする戦いの映画なのかもしれない。
人身売買は現在も国際問題であるし、人身売買に似た搾取はいたるところにある。ひとりひとりの命や人格がぼろぼろに崩壊させられても、家族が、ふたりきりであっても、再会できたことに幸せがある。

この映画は主題的にも大きな問題をはらんでいて、いつ観ても新しい感情や意見が沸いて出てくる。溝口の映画が古くても、題材がもっと古くても、現代の問題に深く切り込んでいる。つねに新しい溝口。
うーむ、やるな、溝口!

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