今さらながらだが、浅田彰の『逃走論』を読んで楽しんでいる。いったい誰に語っているのかわからない口調の文もあれば、難しい概念の文もある。二元論的にばっさりと切り捨てるところが、いさぎよい。しかし、それが落とし穴というか、論理のまやかしに通じるかもしれない。が、おもしろい本だ。
パラノ人間(偏執型)とスキゾ人間(分裂型)。前者は定住、蓄積。後者は脱走、ギャンブル。過去を背負いしがみつく姿勢が前者で、後者は過去をゼロに戻しとんでもない方向に走っていく。
思えば、どれだけわたしたちは伝統や格式や規則を当然のことのように受け入れているだろうか?穏便な社会生活を送る上では、そのことが必要とされるのかもしれないが、ときには冒険のひとつやふたつしたくなるのが人情というものだ。そんな冒険にまで、日常の規範を導入しなくてもいいわけで、そのところに祭りなどでの馬鹿騒ぎの理由が見いだされそうではあるが、その非日常の祭りまで年中行事としてスケジュール化してしまう波がおしよせる。こうなったら、逃げるしかないのか?どこに?
はみだしたい、日常を忘れたいという欲望も、たいていはつっぱりや酔っ払いなどの人間界の風物詩となってしまう。音楽よりも姿格好のほうに気力を傾けている自称ロッカーに会ったことがあるが、見ているのが気の毒なほど俗的に典型化していた。
ブレヒトが異化ということばを使い、シクロフスキーも別な分野で異化ということばを使い、浅田がスキゾフレニーということばを使っているのも、現実の重みのために思考や感性が自動機械化してしまうことに対する警告なのかもしれない。現在においては戦わなければいけない。判断や感性が鈍くなるというより、過去の判断の積み重ねの重さが強度を増すのだ。
若いときに嫌悪していたことが、年を重ねると許せるようになるのは、人間が成長したことかもしれないが、同時に、若いときの嫌悪も絶対的に真なのだという真理を持ち続けていかないと、すべてをにこやかに許す愚鈍な感性になってしまう。
そうならないためにも、ひとつの事象にぶちあたったら必ずゼロから出発する固い意志が必要になってくる。ひとりの人間を前に、若者だとか、学生だとか、外国人だとかいう枠組みの中でのレッテルを貼らないで、不可思議なひとりの人間という認識から出発しなければいけない。
歴史は繰り返すというが、ひとりの人間の過ちは繰り返されるわけではない。歴史でなくそんなひとりの人間に焦点をあてていくのが芸術だろうと思う。そして芸術は繰り返されず、つねにゼロから始められる。そして現実を基点にあらぬ方向に脱走していく芸術ほどおもしろいものはない。
パラノ人間(偏執型)とスキゾ人間(分裂型)。前者は定住、蓄積。後者は脱走、ギャンブル。過去を背負いしがみつく姿勢が前者で、後者は過去をゼロに戻しとんでもない方向に走っていく。
思えば、どれだけわたしたちは伝統や格式や規則を当然のことのように受け入れているだろうか?穏便な社会生活を送る上では、そのことが必要とされるのかもしれないが、ときには冒険のひとつやふたつしたくなるのが人情というものだ。そんな冒険にまで、日常の規範を導入しなくてもいいわけで、そのところに祭りなどでの馬鹿騒ぎの理由が見いだされそうではあるが、その非日常の祭りまで年中行事としてスケジュール化してしまう波がおしよせる。こうなったら、逃げるしかないのか?どこに?
はみだしたい、日常を忘れたいという欲望も、たいていはつっぱりや酔っ払いなどの人間界の風物詩となってしまう。音楽よりも姿格好のほうに気力を傾けている自称ロッカーに会ったことがあるが、見ているのが気の毒なほど俗的に典型化していた。
ブレヒトが異化ということばを使い、シクロフスキーも別な分野で異化ということばを使い、浅田がスキゾフレニーということばを使っているのも、現実の重みのために思考や感性が自動機械化してしまうことに対する警告なのかもしれない。現在においては戦わなければいけない。判断や感性が鈍くなるというより、過去の判断の積み重ねの重さが強度を増すのだ。
若いときに嫌悪していたことが、年を重ねると許せるようになるのは、人間が成長したことかもしれないが、同時に、若いときの嫌悪も絶対的に真なのだという真理を持ち続けていかないと、すべてをにこやかに許す愚鈍な感性になってしまう。
そうならないためにも、ひとつの事象にぶちあたったら必ずゼロから出発する固い意志が必要になってくる。ひとりの人間を前に、若者だとか、学生だとか、外国人だとかいう枠組みの中でのレッテルを貼らないで、不可思議なひとりの人間という認識から出発しなければいけない。
歴史は繰り返すというが、ひとりの人間の過ちは繰り返されるわけではない。歴史でなくそんなひとりの人間に焦点をあてていくのが芸術だろうと思う。そして芸術は繰り返されず、つねにゼロから始められる。そして現実を基点にあらぬ方向に脱走していく芸術ほどおもしろいものはない。
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