何を思ったか、建築の本なんか読んでいる。アルド・ロッシというイタリアの建築家。たまたまピンときて2〜3ヶ月前に古本屋で購入した自伝。『アルド・ロッシ自伝』(鹿島出版会)。
普段読まないジャンルの本を読むと、その思想やセンスが優れていればいるほど、他ジャンルの優れた人と同じことを言っていることに気がつく。そして、そのいずれの人も、ひどく単純なことを述べているにすぎない。取り立てて新しい真理の発見というものがあるのではなく、古い真理の再発見が綴られている。
思えば、芸術家の探求の過程は、常に自分自身や周囲に対する問いかけの過程でもあり、単純な問いこそが人間の根源的な問いにつながり、改めて問い直すことが芸術家の視点や方法の発見につながるものである。答えをうすうす気づいてはいても断言できない、それを解明すべく方法にのっとって作品を作り上げる、というのが芸術家に共通してみられるものではないか?解答は作品の過程と結果にあらわれる。
言ってみれば、人間とは何か?社会とは何か?自分の取り組む芸術は何か?という問題に、建築家も俳優も音楽家も写真家も挑戦しているわけで、そう考えれば、同じような答えがでてくるのもうなづける。ただし、それらの人たちは問いを常に発し続け、大いなる格闘をしながら作品によってそれを答え、自らの言語を創造しそれでまた発展していく。結果的に同じことをさまざまなバリエーションとさまざまな例題で語る。そして、そのことこそが、生の豊かな一面であり、われわれを断定と単調さから救ってくれる。
ロッシの自伝はなかなかに難しいのだが刺激的な本である。とくに、建築にたいする思想や仕事の過程を中心に書かれていて、それこそがロッシの語りたいものであることがひしひしと伝わってきて、芸術家であり職人でもある人の素晴らしい探求の歴史を感じ取れる。
「この死者の館(モデナの墓地)は死滅する都市そのもののリズムに基づいて建設され、いかなる建造物も究極はそうであるように、人生に結びつけられたテンポを内在している」 (A.ロッシ)
「幸福のおかげで私は海岸のことを考えることになったわけだ・・・私がそこに探していたのは、湖なる世界の対極に位置する場所である。おそらく湖の世界では正確に幸福を表現することがない。」 (A.ロッシ)
普段読まないジャンルの本を読むと、その思想やセンスが優れていればいるほど、他ジャンルの優れた人と同じことを言っていることに気がつく。そして、そのいずれの人も、ひどく単純なことを述べているにすぎない。取り立てて新しい真理の発見というものがあるのではなく、古い真理の再発見が綴られている。
思えば、芸術家の探求の過程は、常に自分自身や周囲に対する問いかけの過程でもあり、単純な問いこそが人間の根源的な問いにつながり、改めて問い直すことが芸術家の視点や方法の発見につながるものである。答えをうすうす気づいてはいても断言できない、それを解明すべく方法にのっとって作品を作り上げる、というのが芸術家に共通してみられるものではないか?解答は作品の過程と結果にあらわれる。
言ってみれば、人間とは何か?社会とは何か?自分の取り組む芸術は何か?という問題に、建築家も俳優も音楽家も写真家も挑戦しているわけで、そう考えれば、同じような答えがでてくるのもうなづける。ただし、それらの人たちは問いを常に発し続け、大いなる格闘をしながら作品によってそれを答え、自らの言語を創造しそれでまた発展していく。結果的に同じことをさまざまなバリエーションとさまざまな例題で語る。そして、そのことこそが、生の豊かな一面であり、われわれを断定と単調さから救ってくれる。
ロッシの自伝はなかなかに難しいのだが刺激的な本である。とくに、建築にたいする思想や仕事の過程を中心に書かれていて、それこそがロッシの語りたいものであることがひしひしと伝わってきて、芸術家であり職人でもある人の素晴らしい探求の歴史を感じ取れる。
「この死者の館(モデナの墓地)は死滅する都市そのもののリズムに基づいて建設され、いかなる建造物も究極はそうであるように、人生に結びつけられたテンポを内在している」 (A.ロッシ)
「幸福のおかげで私は海岸のことを考えることになったわけだ・・・私がそこに探していたのは、湖なる世界の対極に位置する場所である。おそらく湖の世界では正確に幸福を表現することがない。」 (A.ロッシ)
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