宮城野の稽古が大詰めをむかえている。謎解きのように登場人物の行動をほぐしてきたが、すべてが明らかになっているわけではない。同じように、実生活においても身近に接している人への理解すら十分とはいえない。心を通わせることも難しい。
見知らぬ人と接する機会に、お互いが感じよくなれることもあれば、敵意むき出しのこともある。あかの他人を装おうとして距離をおく場合が一番多いかもしれない。こちらが好意的に接しても無反応な場合ほど悲しいものはない。すれ違いを重ねるうちに、自分もすれっからしになるものだから悪循環である。
いつも感じの良い反応をしてくれる人がいるが、そんな人には全面の尊敬をささげたい。人間的なふくよかさ・豊かさが、心を慰め温かい気持ちにさせる。自分をかえりみるとよく分かる。どれほど環境や気分に左右されていることか。恥ずかしいくらいだ。
フランス語の「sympathique(サンパティック)」ということばに初めて接したときは衝撃だった。人間の柔和な態度をほめることばとして使われていた。「感じのよい」「心地よい」といった意味だ。人の魅力をうまく言い表していると感心した。
しかめっつらや無関心、かしこまった態度や横柄な態度は簡単にできる。しかし感じの良い態度はやろうとしてできるものでもない。妙になれなれしい態度や心のこもってない笑顔は、かえって警戒を与えてしまう。
感じよく接することが難しいなら、感じよく接してきてくれる人に素直に従えばよいのでは。“sympathique”には「共感しあう」という意味もある。柔らかさを与えてくれる人に接するときはこちらも柔らかくならなければならないというわけだ。赤ちゃん相手に力むほど惨めなことはない。自分のなかで力が入る部分、きっとエゴイズムの部分なのだろうが、そういうところを武装解除しようと緩やかな誓いをたてている。
見知らぬ人と接する機会に、お互いが感じよくなれることもあれば、敵意むき出しのこともある。あかの他人を装おうとして距離をおく場合が一番多いかもしれない。こちらが好意的に接しても無反応な場合ほど悲しいものはない。すれ違いを重ねるうちに、自分もすれっからしになるものだから悪循環である。
いつも感じの良い反応をしてくれる人がいるが、そんな人には全面の尊敬をささげたい。人間的なふくよかさ・豊かさが、心を慰め温かい気持ちにさせる。自分をかえりみるとよく分かる。どれほど環境や気分に左右されていることか。恥ずかしいくらいだ。
フランス語の「sympathique(サンパティック)」ということばに初めて接したときは衝撃だった。人間の柔和な態度をほめることばとして使われていた。「感じのよい」「心地よい」といった意味だ。人の魅力をうまく言い表していると感心した。
しかめっつらや無関心、かしこまった態度や横柄な態度は簡単にできる。しかし感じの良い態度はやろうとしてできるものでもない。妙になれなれしい態度や心のこもってない笑顔は、かえって警戒を与えてしまう。
感じよく接することが難しいなら、感じよく接してきてくれる人に素直に従えばよいのでは。“sympathique”には「共感しあう」という意味もある。柔らかさを与えてくれる人に接するときはこちらも柔らかくならなければならないというわけだ。赤ちゃん相手に力むほど惨めなことはない。自分のなかで力が入る部分、きっとエゴイズムの部分なのだろうが、そういうところを武装解除しようと緩やかな誓いをたてている。
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