別府史之さんという自転車選手が自戒をこめた語り口調でブログに書いていた。クールになりすぎた、情熱をもつことを日々の生活で忘れかけていたという趣旨だった。一生懸命がんばる毎日で、好奇心などを失っていたという。自分に欠けていたものは「情熱」だと。
折しもジロでディルーカが鬼のような執念を見せ、それに呼応してファンが熱狂的に沿道で応援する姿をかいまみて、何か美しいものに触れたような気がした。ジロの一陣の風が吹き去り、取り残されたこの日常にぽかんと大きな穴を感じた。それはこの日常が空虚だからではなく、熱いもの・情熱的なものが手元を離れたからだろう。
がむしゃらに突進し、毎日を精いっぱい生きることも重要だ。しかしそのような日々に慣れて、余暇を楽しむ感覚や感受性を働かせる機会を逃してしまうのはもったいない。美しい景色を前に無感動になっている自分に気づくほど腹立たしいことはない。
これからの毎日を初々しく生きてみようなどというのは無理なスローガンだが、風化していた生活の一断面を活性化させることはできそうだ。「事務的」におこなっていたことを「人間的」に直せないか。あいさつや歩き方から始まって、趣味や仕事にまで拡大できるのではないか。
「事務的」ということほど、それを受けたときにざらついた気になるものはない。当人は無意識に悪意もなくおこなっているぶん、余計むなしい。手紙でのやりとりや実際に対面しているときも表れる。顔見知りなのに知らないふりをされて戸惑ったこともあったっけ。
別府選手のブログをたまたま見つけ、情熱をもつことへの美しい自覚の瞬間を目の当たりにし、ディルーカの神がかった気迫を見るにつけ、今の生活のなかで、重要な部分を錆びつかせてはいけないなと痛切に思うようになった。偶然か、きょうみた夢で、兄がしおれた植物に水をやって必死に再生しようと試みていた。
折しもジロでディルーカが鬼のような執念を見せ、それに呼応してファンが熱狂的に沿道で応援する姿をかいまみて、何か美しいものに触れたような気がした。ジロの一陣の風が吹き去り、取り残されたこの日常にぽかんと大きな穴を感じた。それはこの日常が空虚だからではなく、熱いもの・情熱的なものが手元を離れたからだろう。
がむしゃらに突進し、毎日を精いっぱい生きることも重要だ。しかしそのような日々に慣れて、余暇を楽しむ感覚や感受性を働かせる機会を逃してしまうのはもったいない。美しい景色を前に無感動になっている自分に気づくほど腹立たしいことはない。
これからの毎日を初々しく生きてみようなどというのは無理なスローガンだが、風化していた生活の一断面を活性化させることはできそうだ。「事務的」におこなっていたことを「人間的」に直せないか。あいさつや歩き方から始まって、趣味や仕事にまで拡大できるのではないか。
「事務的」ということほど、それを受けたときにざらついた気になるものはない。当人は無意識に悪意もなくおこなっているぶん、余計むなしい。手紙でのやりとりや実際に対面しているときも表れる。顔見知りなのに知らないふりをされて戸惑ったこともあったっけ。
別府選手のブログをたまたま見つけ、情熱をもつことへの美しい自覚の瞬間を目の当たりにし、ディルーカの神がかった気迫を見るにつけ、今の生活のなかで、重要な部分を錆びつかせてはいけないなと痛切に思うようになった。偶然か、きょうみた夢で、兄がしおれた植物に水をやって必死に再生しようと試みていた。
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